北オセチア共和国

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北オセチア・アラニヤ共和国
Республика Северная Осетия - Алания
北オセチア・アラニヤ共和国の旗 北オセチア・アラニヤ共和国の紋章
北オセチア・アラニヤ共和国の位置
公用語 ロシア語オセット語
首府 ウラジカフカス
大統領 タイムラズ・マムスロフ
首相 アラン・ボラゾフ
構成体種別 共和国
連邦管区 北カフカース連邦管区
経済地区 北カフカース経済地区
面積
 - 総計
国内第85位
8,000km2
人口(2002年国勢調査)
 - 総計
 - 人口密度
 - 都市/地方比率
国内第22位
710,000人
88.7人/km2
 :
時間帯 UTC +4(DST: なし)
モスクワ時間
ISO 3166-2:RU
番号
ウェブサイト [1]

北オセチア・アラニヤ共和国(きたオセチア・アラニヤきょうわこく、Республика Северная Осетия - Алания)は、ロシア連邦を構成する共和国連邦構成主体のひとつ。北カフカース連邦管区に属する。首都ウラジカフカス。主要な都市にはモズドクベスランなどがある。

北カフカースカフカース山脈北側)に位置し、オセチアの北部を占める。南はロシア連邦の国境を隔ててグルジアがあり、西はカバルダ・バルカル共和国、東はイングーシ共和国、北はスタヴロポリ地方である。

北オセチア共和国は、ロシア連邦の一部をなすオセット人民族共和国で、オセット人はイラン系の言語を話し正教会信者の割合の多いカフカス地方の民族で、周辺のチェチェン人などムスリムの多い民族と違いどちらかといえば親ロシア的である。国境を挟んで南のグルジア共和国側のシダカルトリ地区が南オセチアに相当する。同地方では、自治権要求から北オセチアとの統合とロシア連邦への編入を求めて南オセチア紛争が起こっている。

隣接するイングーシ共和国と領域を巡る対立を抱えるほか、イングーシの東のチェチェン共和国の独立をめぐる紛争においてロシア軍の拠点として使われている。2004年9月には北オセチアの地方都市ベスランでチェチェン独立派がベスラン学校占拠事件を起こし、350人以上が死亡する大惨事となった。

目次

[編集] 国名

正式名称は、Республика Северная Осетия - Аланияラテン文字転写: Respublika Severnaja Osetija - Alanija, レスプブリカ・セヴェルナヤ・オセチヤ・アラニヤ)といい、北オセチア・アラニヤ共和国と日本語訳される。1996年1月9日に、北オセチア共和国から改称した。

アラニヤはオセット人の先祖とされる「アラン人」の名に由来するオセチアの雅称である。

日本では北オセチア共和国と表記されるのが一般的である。まれに北オセット共和国という表記も見かける。

[編集] 歴史

北オセチア共和国のオセット人は、ロシア人の到来以前は西のカバルダ人に服属しており、17世紀から19世紀にかけてカバルダ人がロシア人の支配下に入るとロシア帝国に組み入れられた。

ロシア革命後、ソビエト連邦が建国されロシア・ソビエト社会主義連邦共和国に編入された北カフカスで民族ごとの自治領域が設定されると、1924年7月7日にオセット人の領域には北オセチア自治州が建設された。もともとオセット人は主としてウラジカフカスの位置するテレク川より西に居住していたため、北オセチア自治州は現在の北オセチア共和国の西部を領有するのみであったが、1936年には自治共和国に昇格する。

第二次世界大戦中の1944年、東のチェチェン・イングーシ自治共和国を構成するチェチェン人イングーシ人ヨシフ・スターリンによって対独協力の疑いをかけられ、中央アジアへと民族ぐるみ追放されると、北オセチアは住民の追放により取り潰されて消滅したチェチェン・イングーシ自治共和国の西部を編入して東方に大きく領土を広げた。これにより、新たに編入されたかつての境界の町ウラジカフカス(当時はオルジョニキゼ)が北オセチアの中心となり、北オセチアの首都がウラジカフカスに移される。スターリンの死後、チェチェン人・イングーシ人はカフカスへの帰還を許されてチェチェン・イングーシ自治共和国が復活するが、ウラジカフカスとその周辺の領土はそのまま北オセチア領に残された。これらの変動は、ソビエト体制が強固に存在している限り問題とはならなかったが、1980年代末にチェチェン・イングーシとの間の領土紛争の原因となる。

1991年、ソビエト連邦が消滅すると、北オセチアは自治共和国から共和国に昇格するが、1992年にチェチェン・イングーシからイングーシ共和国が分離すると、分離によりわずかな領土しか持たないイングーシ共和国は旧チェチェン・イングーシ自治共和国領のウラジカフカス以東をも領土と定めたため、北オセチアはこれに反発。同年10月にイングーシ共和国との間で武力紛争が勃発し、ロシアの介入によって国境はそのまま維持された。

[編集] 沿革

  • 1924年7月、北オセチア自治州設置。
  • 1936年12月、北オセチア自治共和国に格上げ。
  • 1946年、東隣のチェチェン・イングーシ自治共和国領を編入。ウラジカフカスが首都となる。
  • 1957年、チェチェン・イングーシ自治共和国の復活により、ウラジカフカス周辺を除く領土を返還。
  • 1991年12月、ソ連消滅を受けて自治共和国から共和国に昇格、北オセチア共和国に改称。
  • 1992年3月、ロシア連邦との間で連邦条約を締結。ロシアの連邦構成主体となる。

[編集] 住民

2002年全ロシア国勢調査によると、国内の民族比率は、オセット人が62.7%。ロシア人 23.3%、イングーシ人 3%となっており、この他アルメニア人 2.4%、クムイク人クミク人)1.8%、グルジア人 1.5%、ウクライナ人 0.7%、チェチェン人 0.5%が続き、他にも人口割合で0.5%以下の多数の少数民族が暮らしている。また0.5%(3283人)は自身の民族について調査に回答していない。

1926年調査 1939年調査 1959年調査 1970年調査 1979年調査 1989年調査 2002年調査
オセット人 139,120 (60.3%) 165,616 (50.3%) 215,463 (47.8%) 269,326 (48.7%) 299,022 (50.5%) 334,876 (53.0%) 445,310 (62.7%)
ロシア人 50,272 (21.8%) 122,614 (37.2%) 178,654 (39.6%) 202,367 (36.6%) 200,692 (33.9%) 189,159 (29.9%) 164,734 (23.2%)
イングーシ人 1,540 (0.7%) 6,106 (1.9%) 6,071 (1.3%) 18,387 (3.3%) 23,663 (4.0%) 32,783 (5.2%) 21,442 (3.0%)
アルメニア人 6,921 (3.0%) 8,932 (2.7%) 12,012 (2.7%) 13,355 (2.4%) 12,912 (2.2%) 13,619 (2.2%) 17,147 (2.4%)
ウクライナ人 14,282 (6.2%) 7,063 (2.1%) 9,362 (2.1%) 9,250 (1.7%) 10,574 (1.8%) 10,088 (1.6%) 5,198 (0.7%)
その他 18,646 (8.1%) 18,874 (5.7%) 29,019 (6.4%) 39,896 (7.2%) 45,139 (7.6%) 51,903 (8.2%) 56,444 (7.9%)

[編集] 標準時

Map of Russia - Moscow time zone.svg

この地域は、モスクワ時間帯標準時を使用している。時差はUTC+4時間で、夏時間はない。(2011年3月までは、標準時がUTC+3で夏時間がUTC+4であった)

[編集] 関連項目

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