井上怜奈

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いのうえ れな
井上 怜奈
2004年四大陸選手権での井上とボルドウィン
基本情報
代表国: アメリカ合衆国
生年月日: 1976年10月17日(32歳)
出生地: 兵庫県西宮市
身長: 149 cm
パートナー: ジョン・ボルドウィン
元パートナー: 小山朋昭
コーチ: ピーター・オペガードパーシャ・グリシュク
元コーチ: ジル・ワトソン
振付師: パーシャ・グリシュク
元振付師: ピーター・オペガードジル・ワトソン
所属クラブ: オール・イヤー FSC
ISU パーソナルベストスコア
トータルスコア: 183.17 2006 世界選手権
ショートプログラム: 61.73 2007 四大陸選手権
フリースケーティング: 122.27 2006 世界選手権

井上 怜奈(いのうえ れな、ラテン文字:Rena Inoue, 1976年10月17日 - )は兵庫県西宮市生まれのアメリカフィギュアスケート選手。2006年四大陸フィギュアスケート選手権優勝。2006年トリノオリンピックペアアメリカ代表で7位入賞。身長149センチ。渋谷教育学園幕張高等学校早稲田大学出身。

目次

[編集] 経歴

西宮で出生後、実父の転勤に伴い千葉県松戸市へ転居。4歳から競技開始。「このころ(井上が)喘息を発症しており、父が何か運動を…と思い、また自宅近くにリンクがあったのでスケートになったと聞きました」と本人が明かしている。

中学3年生で出場した1992年アルベールビルオリンピックには、小山朋昭とペアを組んで冬季五輪初出場を果たす。そのアルベールビル五輪本番では、入賞争いには一歩及ばなかったものの、ペアでは日本人最高位となる総合14位となった。その後井上の膝の故障により、小山とのペアを解消する。

高校2年生だった1994年リレハンメルオリンピックには、女子シングル代表(出場枠2)を目指した。同年1月に行われた国内選考会の第62回全日本フィギュアスケート選手権では、テクニカルプログラムでは4位と出遅れたが、フリースケーティングでは5種類7回の3回転ジャンプを全て決め2位となり総合で2位、優勝した佐藤有香と共に女子シングルで2回目の五輪出場を果たした。しかしリレハンメル五輪本番はテクニカルプログラム・フリー共にジャンプをことごとく失敗、総合18位に終わった。それから1か月後、千葉県幕張メッセで開かれた世界選手権では13位だった。

1995年の第63回全日本選手権でショートプログラムは2位だったが、風邪による高熱が有りながらも翌日のフリーに強行出場。しかしフラフラの状態でジャンプが全く決まらずの演技終了で総合12位、最後はリンクに倒れ込んだまま動けず担架に運ばれての退場となった(演技の途中、見かねた観客から「井上!」の声援が飛び、涙ぐみながらの演技、担架上で号泣しながら運ばれて行く姿がテレビ中継でも映されている)。それから3年後、大学3年生となった1998年長野オリンピックにも女子シングル代表(出場枠1のみ)を目指したが、長野五輪前年の1997年12月に行われた第66回全日本選手権では優勝した荒川静香らに届かず、3位に終わり長野五輪代表を逃した。

長野五輪後は再びペア選手として活動し、2000-2001年シーズンから練習拠点をアメリカに移し、ジョン・ボルドウィンと組んで活動している。2004年の全米選手権では優勝したが、同年の2004年世界選手権は10位に終わった。

2005年9月28日にアメリカ合衆国市民権を獲得、日本国籍を離脱しアメリカ国籍となった。このとき、「できれば日本国籍でトリノオリンピックに参加したかったんですが、日本はペアのレベルが低く、選手層が薄いため、オリンピック出場の夢を叶えるためにアメリカ人になる決心をしました。オリンピックのアメリカ代表になれたらとても誇らしいです。ペアは申雪趙宏博中国ペアが強いけど、アメリカ代表としてトリノに行きたいと思っています」とコメントしている。

2005-2006シーズン、井上は現地にてボルドウィンと恋人同士となるが、そのペアで、全米選手権2006年四大陸選手権で優勝を果たし、トリノ五輪へはアメリカ代表として選出され、井上自身3回目の五輪出場となった。

トリノ五輪本番のショートプログラムでは、ペア競技で五輪史上初となるスロートリプルアクセルの着氷を成功させ、6位スタートとなる。メダルへの期待がかかったフリースケーティングでは、スロートリプルアクセルに再挑戦するも着氷失敗が響いて、総合で7位入賞に留まった。しかしメダリストや上位選手が出場するエキシビションには、3回転半ジャンプを成功させたことと上位入賞者が次々出場辞退したことも有り、7位ながらも特別参加となった。トリノ五輪から1か月後の2006年世界選手権では4位入賞。同10月GPシリーズスケートアメリカ優勝。

2007年世界選手権で一旦アマチュア引退を発表したが、その後引退を撤回し現役続行を宣言。2008年全米選手権で復帰を果たし、2位となった。このときフリースケーティングの演技終了後には氷上でパートナーのボルドウィンからプロポーズを受け、大きな話題となる。井上の返事はYesであった。

[編集] 主な戦績

[編集] ペア

  • 戦績はジョン・ボルドウィンと組んで以降。
大会/年 2000-01 2001-02 2002-03 2003-04 2004-05 2005-06 2006-07 2007-08 2008-09
冬季オリンピック 7
世界選手権 10 10 11 4 8 10
四大陸選手権 7 4 1 3 4 7
全米選手権 11 4 3 1 2 1 2 2 3
GPファイナル 6 4
GPNHK杯 4 4 2
GPスケートカナダ 2
GPエリック杯 4 2
GPスケートアメリカ 3 2 1 5
GP中国杯 5
GPロシア杯 5
GPボフロスト杯 5

[編集] 詳細

2008-2009 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2009年2月4日-5日 2009年四大陸フィギュアスケート選手権バンクーバー 5
56.78
7
100.6
7
157.38
2009年1月18日-25日 2009年全米フィギュアスケート選手権 (クリーブランド) 3
61.11
3
109.97
3
171.08
2008年11月27日-30日 ISUグランプリシリーズ NHK杯 (東京) 2
57.60
2
103.89
2
161.49
2008年10月23日-26日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(エバレット) 5
50.00
5
96.51
5
146.51


2007-2008 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2008年3月17日-23日 2008年世界フィギュアスケート選手権(ヨーテボリ) 10
53.83
8
103.37
10
157.20
2008年2月11日-17日 2008年四大陸フィギュアスケート選手権(高陽) 3
57.40
4
98.60
4
156.00


2006-2007 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2007年3月19日-25日 2007年世界フィギュアスケート選手権(東京) 6
59.50
8
104.47
8
163.97
2007年2月7日-10日 2007年四大陸フィギュアスケート選手権(コロラドスプリングス) 3
61.73
3
113.75
3
175.48
2006年12月14日-17日 ISUグランプリファイナル(サンクトペテルブルク) 3
59.18
5
107.65
4
166.83
2006年11月17日-19日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) 2
57.44
2
107.29
2
164.73
2006年11月2日-5日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ビクトリア) 3
55.20
2
111.12
2
166.32
2006年10月26日-29日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(ハートフォード) 1
59.28
2
110.62
1
169.90


2005-2006 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2006年3月19日-26日 2006年世界フィギュアスケート選手権(カルガリー) 6
60.90
3
122.27
4
183.17
2006年2月10日-26日 トリノオリンピック 6
61.27
7
113.74
7
175.01
2006年1月23日-29日 2006年四大陸フィギュアスケート選手権(コロラドスプリングス) 1
57.51
1
111.38
1
168.89
2005年11月17日-20日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) 4
53.46
4
110.20
4
163.66
2005年10月20日-23日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(アトランティックシティ) 3
54.84
2
109.60
2
164.44


2004-2005 シーズン
開催日 大会名 SP FP 結果
2005年3月14日-20日 2005年世界フィギュアスケート選手権モスクワ 12
54.98
10
100.66
11
155.64
2004年12月16日-19日 2004ISUグランプリファイナル北京 6
52.42
6
103.3
6
155.72
2004年11月4日-7日 ISUグランプリシリーズ NHK杯名古屋 4
53.86
4
101.34
4
155.2
2004年10月21日-24日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカピッツバーグ 4
56.52
3
101.58
3
158.1


2003-2004 シーズン
開催日 大会名 SP FP 結果
2004年3月22日-28日 2004年世界フィギュアスケート選手権ドルトムント 9 10 10
2004年2月19日-25日 2004年四大陸フィギュアスケート選手権ハミルトン 4 4 4
2003年11月27日-30日 ISUグランプリシリーズ NHK杯旭川 3
57.28
4
101.6
4
158.88
2003年11月6日-9日 ISUグランプリシリーズ 中国杯北京 5
50.1
5
97.74
5
147.84


2002-2003 シーズン
開催日 大会名 SP FP 結果
2003年3月24日-30日 2003年世界フィギュアスケート選手権ワシントンD.C. 11 10 10
2003年2月10日-16日 2003年四大陸フィギュアスケート選手権北京 9 - 棄権
2002年11月22日-24日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯モスクワ 4 5 5
2002年11月8日-10日 ISUグランプリシリーズ ボフロスト杯ゲルゼンキルヒェン 6 5 5

[編集] 女子シングル

大会/年 1990-91 1991-92 1992-93 1993-94 1994-95 1995-96 1996-97 1997-98
冬季オリンピック 18
世界選手権 13
全日本選手権 2 12 6 6 3
GPスケートアメリカ 8
GPスケートカナダ 9
GPネイションズ杯 7
GPロシア杯 10
NHK杯 11 8
全日本Jr.選手権 1 2 1 2

[編集] シニア

1997-1998 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
1997年12月12日-14日 第66回全日本フィギュアスケート選手権(神戸) 3 4 3
1997年11月19日-23日 ISUチャンピオンシリーズ ロシア杯(サンクトペテルブルク) 8 10 10
1997年11月06日-09日 ISUチャンピオンシリーズ スケートカナダ(ハリファックス) 7 9 9

[編集] プログラム使用曲

シーズン SP FS
2008-2009 Illumination
by シークレット・ガーデン
Overture アルバム「Beethoven's Last Night」より
by Transsiberian Orchestra

[編集] エピソード

長野オリンピックのシーズン始め、当時40歳代半ばの父を肺癌により失い、日本代表選考争いにも敗れ、一時はスケートを辞めていた時期もあった。スケートを再開し、ペアを求めて渡米した後も苦難は続き、レッスン代と生活費捻出の為、土産品店でアルバイトをしていた。充分な衣装代も無く、自身の裁縫による衣装で出場した大会もある。渡米後、肺がんに罹患するが、幸いにも抗がん剤治療をもって完治する。この治療も入院することなく通院で済ませ、抗がん剤の副作用に耐えながらアルバイトとレッスンを続けた。この通院治療中のレッスン中、誤って落下し頭蓋骨を骨折。一時は意識不明、前歯をほとんどなくすという大ケガをし、後遺症で心的外傷後ストレス(PTSD)に悩まされ、更には卵巣を片方破裂させて卵巣摘出する事態となり、辛い闘病生活を送っている。しかし、井上は終始一貫病気などを一切言い訳にせず、練習・競技に打ち込んだ。そんな井上を理解し共に競技生活を歩んできたのが、現ペアのボルドウィンである。二人の生きる姿と人間性は、スケート競技の力量以上の感動的なストーリーとして、多くのメディアが取り上げた。

トリノ五輪終了後の2006年3月14日付「しんぶん赤旗」読者の文芸欄に、祖母・泉久美の「五輪史に名を刻むジャンプ跳びきって怜奈は「やった」と声援の中」という短歌が掲載された。

[編集] テレビ出演または特集された番組

[編集] CM

  • アフラック2008年
    • 2008年全米選手権での氷上でのプロポーズの映像に、日常の映像で構成された内容。

[編集] 参考文献

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ