カシミール

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カシミール地方の地図(赤枠内が旧カシミール藩王国の範囲。緑がパキスタン占領地、橙はインド占領地、斜線部は中国占領地、茶は1963年にパキスタンが中国へ割譲した地域)
カシミール地方の地図(赤枠内が旧カシミール藩王国の範囲。緑がパキスタン占領地、橙はインド占領地、斜線部は中国占領地、茶は1963年にパキスタンが中国へ割譲した地域)

カシミール英語:Kashmir、ヒンディー語:कश्मीर、カシュミール)とは、インドパキスタン中国の国境付近に広がる、山岳地方の名称である。標高8000m級のカラコルム山脈があり、中国との国境には世界第2の高峰K2が聳える。

かつて、ジャンムー・カシミール藩王国があった地域である。後述のカシミール問題を抱える地域であり、パキスタンの実効支配地域はアーザード・カシミールと呼ばれており、インドの実効支配地域はジャンムー・カシミール州となっている。また、カシミール北東部、ラダック地方の東半にあたるアクサイチン中華人民共和国実効支配されている。最大の都市はスリナガル(シュリナガル)で、インドのジャンムー・カシミール州の州都となっている。

高級織物のカシミア(カシミヤ)の語源で、カシミアはこの地域原産のカシミアヤギの毛から作られる。

この地域で信仰されているイスラムは非常に独特のものである。この世の全てのものがの化身でありが溢れており、ありとあらゆるものがであるとする多神教との折衷的な世界観を保有している。この世界観に基づき預言者を通じずに神との交信が可能であると考えられており、独特の儀式が多数存在している。

[編集] カシミール問題

イギリス植民地統治下のインドでは、国内の様々な地域に大小無数に散在する藩王国をイギリスが間接的に統治していた。 1947年8月、それまでイギリス植民地のインド帝国として一つのまとまりだった広大な地域が、植民地独立を契機に、ヒンドゥー教徒が多数派であるが多民族・多宗教の国是(ガンディーの「一民族論」)を掲げるインドと、イスラム教徒は別個の民族と見なすジンナーらの「ニ民族論」に基づきイスラム教を国教とするパキスタンとの大きく2つの国家に分裂した。

インド、パキスタンが分離独立したことで、それぞれ藩王国はいずれかの側に帰属することを迫られていた。しかし、カシミール藩王は自身がヒンドゥー教徒、対して住民の80%はムスリムという微妙な立場にあり、独立を考えていた。パキスタンが武力介入してきたことで、カシミール藩王はインドへの帰属を表明し、インド政府に派兵を求めた。これが第一次印パ戦争の発端である。以後、第三次まで争っている。

この地域についてはパキスタンとインドが領有を主張し、これまで大小の軍事衝突(カシミール紛争)を繰り返してきた。現在は、ほぼ中間付近に停戦ラインが引かれている。 日本の学校教育用地図帳では、パキスタンから中国へ割譲された地域を除き、中印パ三国の主張するすべての地域を所属未定とし、実効支配線(停戦ライン)のみ描く手法がとられている。

また、カシミール問題と言うときには、インド管理地域内でのムスリムの集団による分離独立運動も指すことがある。

[編集] 地震による影響

一部で「カシミール地震」とも呼ばれる2005年10月8日パキスタン地震の後、同地は莫大な労力と巨額の復興費用を必要としている。

[編集] 関連項目