アデレード
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アデレード(Adelaide)は、オーストラリア連邦南オーストラリア州の州都である。オーストラリアの南部に位置し、南極海に通じているセントビンセント湾に面した都市である。 名前は19世紀のイギリス国王ウィリアム4世の王妃アデレードにちなんでいる。人口は1,072,585人(2001年時点)で、オーストラリア各州の州都の中では5番目の規模である。文化と芸術の都として知られている。
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[編集] 歴史
- 主要記事:History of Adelaide
南オーストラリアは1836年12月28日(現在はプロクラメーション・デーとして州の祝日になっている)に正式にイギリスの植民地となった。オーストラリア植民地の中では初めての、自由植民地であった。南オーストラリア最初の測量局長官のウィリアム・ライト大佐が州都の探索と設計を担当した。ライトは反対を受けつつも、トレンス川の近くの高台をその場所として選ぶことにした。トレンス川は初期の植民者たちにとって重要な水の供給源となる。"ライトのビジョン"により、アデレードは都市が成長し繁栄したとしても、その初期のデザインを大幅に修正せずとも済むように計画されていた。古い都市では、より大きな道路を作ったり、公園を作ったりすることが必要となることが往々にしてあるが、アデレードでは最初から大きな道路や公園があったのである。
アデレードは自由移民のための計画された植民地の中心として建設された。移民達は宗教の迫害を恐れずに済み、市民としての自由が保障されていた。この点では、受刑者の土地としての歴史を持つシドニーやホバートなどの他のオーストラリアの都市とは異なっている。偶然にも"アデレード"という名前はドイツ語で"貴婦人"を意味する言葉に由来している。
[編集] 地理及び気象
[編集] 気候
アデレードは地中海性気候であり、基本的に冬は穏やかで湿潤であり、夏は暑くて乾燥している。
気候の平均*:
- 1月の最高気温 — 28.8°C
- 1月の最低気温 — 16.8°C
- 1月の日照時間 — 10.5時間
- 7月の最高気温 — 15.3°C
- 7月の最低気温 — 7.4°C
- 7月の日照時間 — 4.9時間
- 年間降雨量 — 558.1mm
- 最も雨の多い月 — 6月 83.1mm
- 最も雨の少ない月 — 2月 13.7mm
記録:
- 最高気温 — 44.3°C
- 最低気温 — -0.4°C
- 月間最大降雨量 — 6月 174.6mm
(*ケントタウン気象台のデータ(1977年-2004年))
[編集] 地球上での位置
アデレードもメルボルン・パース(オーストラリア)と同じく、北半球の「アメリカ本土(ハワイとアラスカは除く)・カナダ・ヨーロッパ諸国」からはすべて12000km以上遠く離れた「世界から隔離された都市」である(※メルボルンの項参照)。
人口100万人を有する、世界で見てもアングロサクソン系の代表的な大都市の1つなのだが、アデレード空港からノンストップ便の国際線が就航しているのは、わずか近隣のオークランド(ニュージーランド)、シンガポール、クアラルンプール(マレーシア)の3都市だけである。過去に東京線も運航されていたが、現在は運休中。
[編集] 文化
アデレードはしばしば"教会の街"と呼ばれるが、これは現在よりも過去の状態を反映した言い方である。噂によると、アデレードに建てられたすべての教会ごとに、あまり信心深くない人のためのパブも建てられたそうである。
初期の頃から、アデレードは多くの国の移民を引き付け、特にドイツ系の移民が宗教的な迫害から逃れて来ている。彼らはブドウの木を持ち込み、後にバロッサバレーの優れたワイナリーを生み出す基礎となった。第二次世界大戦後、イタリア人、ギリシア人、オランダ人、ポーランド人、その他多くのヨーロッパ人が新しいスタートを切るためにやってきた。ヴェトナム戦争後は、アジアからの移民が相継ぎ、民族構成がより多様化した。これらの文化は混ざり合い、より豊かで多様な料理や活気に満ちたレストランの文化を作り出した。
アデレードの周辺地域の多くは、かつてワイン用のブドウの生産地であったため、ワインの生産地域(例えばバロッサバレー)はアデレードの郊外に存在している。
アデレードの文化生活は州知事ドン・ダンスタンのリーダーシップの元、1970年代に花開いた。彼は文化的活動において、よりピューリタン的な制限を取り除いたが、やがてそれはオーストラリア全体へ広まっていった。現在、アデレードはバロッサ音楽祭、アデレード芸術祭、アデレード映画祭、アデレード・フリンジ・フェスティヴァルなどのイベントの開催地である。オーストラリア最大のワールド・ミュージックのイベントの Womadelaide(WOMAD, World of Music, Arts and Dance, フェスティバルと Adelaide をかけたもの)が年一回、植物公園の素晴らしい環境の中で開催される。これは、ドン・ダンスタンの時代からアデレードが芸術へ力を入れて来たことをよく表している。
アデレードでは、1985年から1995年まで市の東部の公園地域の一部をコースとして、F1のオーストラリアGPが開催されていた。このレースはアデレードの誇りでもあったが、1996年からは最大のライバルともいえるメルボルンにその開催地を譲っている。その穴を埋めるような形でV8スーパーカーレースが開催されており、成功を収めている。
アデレードは2つのオージーフットボールのチーム、アデレード・クローズとポート・アデレード・パワーの本拠地である。また、自転車レースのツアー・ダウンアンダーも年に一回開催されている。
アデレード出身の有名人としては、親子でノーベル賞を受賞した物理学者のヘンリー・ブラッグとローレンス・ブラッグ、また1996年よりオーストラリア外相を務めているアレクサンダー・ダウナーなどがいる。
[編集] 公共施設・交通
アデレードには、南オーストラリア大学、アデレード大学、フリンダース大学などの大学があり、どれも研究・教育機関として評価されている。
アデレードには総合的な公共交通機関があり、アデレード・メトロとして知られている。ガイドウェイバスのアデレード・オーバーンや、アデレードから海岸のグレネルグまで走っている歴史的なグレネルグ・トラムがある。
長距離列車はシティー西部に位置するケズウィク(Keswick)駅に発着している。シドニーからパースにいたるインディアンパシフィックの途中停車駅であり、メルボルンへのジ・オーバーランド、アリススプリングス・ダーウィンへのザ・ガンのターミナルともなっている。
アデレードには、公共の定期便が利用するアデレード空港、個人や企業等のプロペラ機が利用するパラフィールド(Parafield)空港、オーストラリア空軍(Royal Australian Air Force)エジンバラ(Edinburgh)基地の3つの空港がある。
[編集] 経済
アデレードには、製造業と研究のための広大な地域がある。そこにはホールデンと三菱自動車工業、ブリヂストンの工場がある、また軍事研究機関のDSTO(Defence Science and Technology Organisation)がソールズベリー(アデレード中心部から北に20kmの郊外)にある。他の産業としては、鉄鉱石の精製、防衛、電子部品生産などがある。
1992年には南オーストラリア州立銀行が金融崩壊し、その結果州の負債が4億オーストラリア・ドルにもなった。これが減ったのはつい最近のことである。つまり、その後の州政府が緊縮型予算、財政の切り詰めの法律を制定してきたことを意味し、また市や州のさらなる経済開発はかなり後退せざるを得なかった。
[編集] 行政区分
一般にアデレードと呼ばれるのはアデレード都市圏(Metropolitan Adelaide)であり、これは以下の19の地方自治体(council)の管轄する地域に当たる。なおアデレード都市圏全体を管轄する地方自治体はない。
- Adelaide City Council
- Adelaide Hills Council
- Burnside City Council
- Campbelltown City Council
- Charles Sturt, City of
- Gawler, Town of
- Holdfast Bay, City of
- Marion, City of
- Mitcham, City of
- Norwood Payneham & St. Peters, City of
- Onkaparinga, City of
- Playford, City of
- Port Adelaide Enfield, City of
- Prospect, City of
- Salisbury, City of
- Tea Tree Gully, City of
- Unley, City of
- Walkerville, Town of
- West Torrens City Council
これらの地方自治体名は住所には表記されず、居住する地方自治体以外の自治体が管理する図書館や運動場等の公共施設を利用することも可能なため、実際の生活において意識されることは少ない。
[編集] 姉妹都市
アデレードは7つの姉妹都市を有している:
[編集] 関連項目
- アデレード市街地コース(1995年までF1が開催された、アデレードの市街地を使用したサーキット)
- 南の虹のルーシー(アデレードを舞台とした、1982年放送の世界名作劇場作品)

