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* [[久能靖]](1960年 - 1990年<ref group="注釈">後に報道局へ異動し、記者を経てキャスター兼コメンテーター。</ref>) - 退社後、[[皇室]]分野を中心とした[[ジャーナリスト]]に転向。番組出演は2004年まで日本テレビに限定していた。 |
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* [[久保晴生]]※(1960年 - 1995年<ref group="注釈">国際局長を経て日本テレビアナウンスカレッジ(現・日テレ学院アナウンススクール)の創設に参画。</ref>) - 日テレ学院[[スーパーバイザー]]兼アナウンススクール講師。長女は元NHKアナウンサーの[[久保純子]]。 |
* [[久保晴生]]※(1960年 - 1995年<ref group="注釈">国際局長を経て日本テレビアナウンスカレッジ(現・日テレ学院アナウンススクール)の創設に参画。</ref>) - 日テレ学院[[スーパーバイザー]]兼アナウンススクール講師。長女は元NHKアナウンサーの[[久保純子]]。 |
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* [[宮尾俊輔]](1960年 - |
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* [[浅見源司郎]](1962年 - 1993年) - 同年[[アール・エフ・ラジオ日本|ラジオ日本]]へ[[出向]]し、その後退職。 |
* [[浅見源司郎]](1962年 - 1993年) - 同年[[アール・エフ・ラジオ日本|ラジオ日本]]へ[[出向]]し、その後退職。 |
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* [[小川光明]](1962年 - 2004年<ref group="注釈">2000年に定年退職し、その後契約社員として勤務。</ref>) - 2006年4月より[[BS日本|BS日テレ]]『[[ボウリング革命 P★League]]』[[実況]] |
* [[小川光明]](1962年 - 2004年<ref group="注釈">2000年に定年退職し、その後契約社員として勤務。</ref>) - 2006年4月より[[BS日本|BS日テレ]]『[[ボウリング革命 P★League]]』[[実況]] |
2019年7月8日 (月) 10:02時点における版
日本テレビ放送網 > 日本テレビのアナウンサー一覧
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日本テレビのアナウンサー一覧(にほんテレビのアナウンサーいちらん)は、日本テレビ放送網編成局アナウンスセンターアナウンス部に所属するアナウンサーを一覧にしたものである。
現職アナウンサー
入社年順に表記
男性
- 1990年 - 鈴木健[注釈 1]
- 1991年 - 河村亮(アナウンス部長)
- 1992年 - 平川健太郎(アナウンス部兼専門部長)
- 1993年 - 藤井恒久
- 1994年 - 藤井貴彦
- 1995年 - 矢島学
- 1996年 - 寺島淳司
- 1997年 - 蛯原哲、菅谷大介
- 1998年 - 町田浩徳、ラルフ鈴木
- 2000年 - 田辺研一郎
- 2001年 - 森圭介
- 2002年 - 田中毅
- 2003年 - 上重聡
- 2004年 - 中野謙吾
- 2005年 - 藤田大介
- 2006年 - 青木源太、桝太一
- 2008年 - 佐藤義朗
- 2009年 - 辻岡義堂
- 2011年 - 山本紘之
- 2012年 - 安藤翔、安村直樹
- 2013年 - 川畑一志
- 2014年 - 山崎誠、山本健太
- 2015年 - 平松修造
- 2016年 - 梅澤廉
- 2017年 - 伊藤遼、伊藤大海
- 2018年 - 篠原光、弘竜太郎
- 2019年 - 大町怜央
女性
- 1980年 - 井田由美(アナウンス専門部長)[注釈 2]
- 1990年 - 豊田順子
- 1996年 - 森富美
- 1998年 - 延友陽子
- 2001年 - 杉上佐智枝
- 2003年 - 鈴江奈々
- 2010年 - 水卜麻美
- 2011年 - 徳島えりか
- 2012年 - 久野静香、杉野真実
- 2013年 - 郡司恭子、後藤晴菜、中島芽生
- 2014年 - 岩本乃蒼、畑下由佳
- 2015年 - 尾崎里紗、笹崎里菜
- 2016年 - 佐藤真知子、滝菜月
- 2017年 - 後呂有紗、佐藤梨那
- 2018年 - アオイエリカ、市來玲奈、岩田絵里奈
- 2019年 - 河出奈都美、杉原凜
元アナウンサー
入社年順に表記、※はアナウンス部長経験者。
他部署へ異動
丸かっこ内の数字は編成局アナウンス部在籍期間。
- 男性
- 多昌博志(1985年 - 2003年、ティップネス取締役常務執行役員、社長室出向局次長現職出向)
- 船越雅史(1986年 - 2006年、ICT戦略本部担当局次長)
- 保坂昌宏(1987年 - 1996年、事業局24時間テレビ事務局担当副部長)
- 村山喜彦※(1988年 - 2019年、事業局)
- 後藤俊哉(1990年 - 1999年、コンプライアンス推進室)
- 金子茂(1991年 - 1999年、総務局総務部長)
- 野口敦史(1992年 - 1998年、営業局首都圏営業部)
- 舟津宜史(1996年 - 2004年、報道局ニュースセンターチーフプロデューサー)
- 高橋雄一(1999年 - 2011年、事業局)
- 炭谷宗佑(2002年 - 2006年、編成局制作部)
- 望月浩平(2003年 - 2005年、スポーツ局)
- 右松健太(2003年 - 2016年、報道局)
- 鳥羽博剛(2004年 - 2010年、情報・制作局プロデューサー)
- 加藤聡(2008年 - 2010年、報道局)
- 女性
- 木村優子※(1983年 - 1992年・2010年 - 2014年、日テレイベンツ常務取締役、グループ戦略室出向局次長現職出向)
- 加藤明美(1984年 - 1996年、人事局厚生労務部担当部次長)
- 鷹西美佳※(1985年 - 2010年、コンプライアンス推進室番組審議会事務局長)
- 笛吹雅子(1991年 - 2001年、報道局社会部専門副部長)
- 山王丸和恵(1993年 - 2004年、コンテンツ事業局通販事業部プロデューサー)
- 角田久美子(1993年 - 2003年、スポーツ局プロデューサー)
- 古市幸子(1996年 - 2012年、営業局首都圏営業部)
- 河本香織(1997年 - 2005年、営業局スポット営業部)
- 佐藤良子(2002年 - 2018年、編成局)
- 葉山エレーヌ(一時期姓が石田の時期あり)(2006年 - 2018年、インターネット事業局、2016年6月から2018年5月まではアナウンサーとの兼任)
退社・退職者
丸かっこ内の数字は日本テレビ在籍期間。特記事項の無い人物は主にフリーアナウンサーやニュースキャスター、司会者、タレントとして活動している。
男性
- 越智正典(1953年 - 1975年) - NHK[注釈 3]より移籍。スポーツライター。
- 佐土一正(1953年 - ?)
- 江本三千年(1953年 - ?) - 新日本放送(現:毎日放送)より移籍。
- 茂木太郎(1953年 - ?) - NHK[注釈 4]より移籍。
- 平井文夫(1953年 - ?)
- 持田勝彦(1953年 - ?) - NHK[注釈 5]より移籍。
- 大平和夫(1953年 - ?)
- 金原二郎※(1954年 - ?) - 1997年没[4]。
- 赤木孝男(1956年 - 1978年)
- 志生野温夫(1956年 - 1972年) - 退社後フリー。アナウンサープロダクション『シオノ事務所』代表取締役。
- 本多当一郎(1956年 - 1994年) - 2018年没[5]。
- 清水一郎(1957年 - ?) - 1997年没。
- 原和男 (1957年 - ?) - NHK[注釈 6]→文化放送より移籍。2017年現在、東京相撲記者クラブ会友[7]。
- 住井平一郎(1957年 - ?)
- 長田晨一郎(1957年 - ?) - 後に報道局へ異動。
- 久能靖(1960年 - 1990年[注釈 7]) - 退社後、皇室分野を中心としたジャーナリストに転向。番組出演は2004年まで日本テレビに限定していた。
- 久保晴生※(1960年 - 1995年[注釈 8]) - 日テレ学院スーパーバイザー兼アナウンススクール講師。長女は元NHKアナウンサーの久保純子。
- 宮尾俊輔(1960年 - 1996年)
- 浅見源司郎(1962年 - 1993年) - 同年ラジオ日本へ出向し、その後退職。
- 小川光明(1962年 - 2004年[注釈 9]) - 2006年4月よりBS日テレ『ボウリング革命 P★League』実況
- 徳光和夫(1963年 - 1989年) - 退社後フリー。
- 小林完吾(1963年 - 1992年) - ラジオ南日本(現:南日本放送)より移籍[注釈 10]。定年退職後フリー[8]。
- 倉持隆夫(1964年 - 2001年) - 定年退職を以て引退。
- 舛方勝宏※(1965年 - 2018年[9])
- 田村欣也(1965年 - 2002年[注釈 11]) - 元福島中央テレビ常務取締役、健康管理士[10][注釈 12]
- 福留功男(1966年[注釈 13] - 1991年) - 1970年に報道局より異動。退社後フリー。
- 高雄孝昭(1967年 - 2004年[注釈 14]) - 元熊本県民テレビ取締役。
- 竹内公一(1967年 - 2004年) - 元日本テレビビデオ(現:日テレアックスオン)取締役社長。2006年に取締役相談役に就任。
- 芦沢俊美(1968年 - 2006年[注釈 15]) - 2013年没。妻は江川範子[12]。
- 小早川正昭(1968年 - 1972年) - 退社後フリー。
- 吉田填一郎(1969年 - 2011年[注釈 16]) - ラジオ日本退職後フリー。
- 松永二三男(1974年 - 2011年[注釈 17]) - コンテンツ事業局を経て定年退職後フリー。
- 小山田春樹(1977年 - 1986年) - 退社後フリー。
- 今井伊佐男(1977年 - 2014年[注釈 18]) - ラジオ日本「小鳩の愛〜eye〜」パーソナリティ。
- 白岩裕之(1979年 - 2014年[注釈 19]) - テレビ信州常務取締役。
- 小倉淳(1981年 - 2006年) - 広報局へ異動後退職しフリー。日テレ学院アナウンススクール講師、江戸川大学教授。
- 山下末則(1981年 - 2008年) - 宮崎放送[注釈 20]より移籍。定年退職後フリー。スピーチコンサルティング会社『パーフェクト・スピーチ』代表取締役社長。
- 増田隆生(1982年 - 2019年) - 報道局、出版部、スポーツ局を経て退社。
- 若林健治(1984年 - 2007年) - 中部日本放送[注釈 21]より移籍。事業局を経て退社後フリー。『若林健治アナウンススクール』主宰。
- 日高直人(1985年 - 1991年)
- 福澤朗(1988年 - 2005年) - 退社後フリー。
- 羽鳥慎一(1994年 - 2011年) - 退社後フリー。
- 長谷川憲司(1997年 - 2006年) - 一般企業勤務。
- 新谷保志(1999年 - 2015年)
女性
- 阿井喬子(1953年 - ?)
- 結城雅子(1953年 - ?)
- 森美智代(現姓:横田、1954年 - ?)
- 石井百合子(現姓:細田、1956年 - ?)
- 児玉素子(1956年[13] - ?)
- 児玉裕子(現姓:加藤、1956年 - ?)
- 白石元枝(1956年 - ?)
- 大岡雅子(1957年 - ?)
- 土田美保子(現姓:小坂、1958年 - ?) - 夫は元日本テレビプロデューサーの小坂敬。
- 森瑛子(現姓:斎藤、1958年 - ?)
- 青木道子(1959年 - ?)
- 岡雅子(現姓:田矢、1959年 - ?)
- 古賀節子(村上姓を経て田原姓、1959年 - ?) - エッセイスト。2004年没。夫はジャーナリストの田原総一朗[14]。
- 三箇恭子(1959年 - ?)
- 松澤洋子(1959年 - ?)
- 安納永子(1961年 - ?)
- 加藤淑子(現姓:久保、1961年 - ?) - 夫は久保晴生、長女は元NHKアナウンサーの久保純子。
- 峯冨佐子(1961年 - ?)
- 抜山まり子(1962年 - ?)
- 吉田みどり(1962年 - ?)
- 今泉倫子(1963年 - ?)
- 南村幸(現姓:青尾、1963年 - 2000年[注釈 22]) - 定年退職を以て引退。
- 末廣恭子(現姓:守田、1964年 - ?)
- 吉武多恵子(1964年 - ?)
- 久保旺子(現姓:白石、1967年 - ?) - 日テレ学院アナウンススクール講師。
- 井室喜久子(現姓:神山、1967年 - 2013年[注釈 23])
- 山本園子(1967年 - ?) - 元日テレ学院アナウンススクール講師。
- 阿部江美子(現姓:中西、1968年 - 2003年)
- 白石浩子(1968年 - ?)
- 石川牧子※(1970年 - 2009年[注釈 24]) - 日テレイベンツ非常勤顧問。
- 江川範子(現姓:芦沢、1970年 - ?) - 退社後フリー[15]。夫は芦沢俊美[12]。
- 楠田枝里子(1974年 - 1981年) - 退社後フリー。
- 小池裕美子(1974年 - 2010年[注釈 25]) - 定年退職後、大正大学教授に就任。
- 清水奈津子(1976年 - ?) - 退社後フリー。日テレ学院アナウンススクール講師。
- 荻原弘子(1977年 - 2009年[注釈 26]) - 在職中に死去[16]。
- 菅家ゆかり(1981年 - 1987年) - 退社後フリー。日テレ学院アナウンススクール講師、表情トレーナー。
- 大島典子(1982年 - 2019年) - 報道局、経理局、営業局、コンプライアンス推進室を経て、退社。
- 深堀恵美子(1983年 - 1995年) - 国際局、広報局を経て退社。
- 斉木かおり(1986年 - 1994年) - 退社後フリー。日テレ学院アナウンススクール講師。
- 大杉君枝(旧姓鈴木)(1987年 - 2007年) - 在職中に死去[17]。
- 関谷亜矢子(1988年 - 2000年) - 退社後フリー。
- 永井美奈子(1988年 - 1996年) - 退社後フリー。
- 米森麻美(1989年 - 1995年) - 2001年没[18]。
- 薮本雅子(1991年 - 2001年) - 報道局を経て退社後フリー。
- 大神いずみ(1992年 - 1999年) - 退社後フリー。
- 松本志のぶ(1992年 - 2009年) - 退社後フリー。
- 魚住りえ(1995年 - 2004年) - 退社後フリー。
- 町亞聖(1995年 - 2011年) - 報道局を経て退社後フリー。
- 馬場典子(1997年 - 2014年) - 退社後フリー。
- 柴田倫世(1998年 - 2004年) - プロ野球投手松坂大輔と結婚、退社。
- 河合彩(1999年 - 2002年) - スポーツ部を経て退社。元フィギュアスケートアイスダンス選手、フリーアナウンサー、日テレ学院アナウンススクール講師、フィギュアスケート競技解説者、広告宣伝・ブランディング会社『ディオ』代表。
- 山本真純(1999年 - 2010年) - 在職中(育児休暇中)に死去[19]。
- 小野寺麻衣(2000年 - 2006年) - 読売ジャイアンツの高橋由伸と結婚後、活動を休止。
- 斉藤まりあ(2000年 - 2008年) - 退社後活動休止。
- 山下美穂子(2000年 - 2016年) - 後にスポーツ局へ異動。退社後フリー。
- 阿部哲子 (2001年 - 2007年) - 退社後フリー。
- 西尾由佳理(2001年 - 2011年) - 退社後フリー。
- 宮崎宣子(2002年 - 2012年) - 退社後フリー。
- 山本舞衣子(2002年 - 2011年) - 退社後フリー。
- 森麻季(2003年 - 2011年) - 退社後フリー。
- 脊山麻理子(2004年 - 2009年) - 退社後フリー。
- 古閑陽子(2005年 - 2010年) - 退社後活動休止。
- 松尾英里子(2006年 - 2012年) - 退社後フリー。
- 夏目三久(2007年 - 2011年) - 退社後フリー。
- 小熊美香(2008年 - 2017年) - 退社後活動休止。
- 上田まりえ(2009年 - 2016年) - 退社後フリー。日テレ学院アナウンススクール講師。
局契約
- 木島則夫(1968年 - 1971年) - 元NHK、日本教育テレビ(局契約)アナウンサー。NETとの契約満了後に移籍し、「ワイドニュース」「木島則夫ハプニングショー」のMCを務めた
- 酒井広(1983年 - 1987年) - 元NHKアナウンサー
- 生方恵一(1985年 - 1987年) - 元NHKアナウンサー
- 加藤亜希子(2006年 - 2013年) - 元中京テレビ放送アナウンサー。主にCS放送・日テレNEWS24を担当
- 千北英倫子(2014年 - 2015年) - 元長崎国際テレビアナウンサー
アナウンサー番組
- ラジオ日本
- きみえの!ラジオ虫
- いってらっしゃ〜い!
- 日テレラジオ 女子アナミュージックミュージアム
- テレアナランド(2012年4月中は放送休止。番組公式サイト)
脚注
注釈
- ^ 2015年6月から2017年5月まではスカパー!のアナウンサー・運営スタッフとして出向していた。[1]
- ^ 2004年6月28日 - 2012年5月は報道局解説委員・キャスター担当部長。
- ^ 1951年入局[2]。
- ^ 1940年二次入局[3]。
- ^ 1950年入局[2]。
- ^ 1947年後期入局[6]。
- ^ 後に報道局へ異動し、記者を経てキャスター兼コメンテーター。
- ^ 国際局長を経て日本テレビアナウンスカレッジ(現・日テレ学院アナウンススクール)の創設に参画。
- ^ 2000年に定年退職し、その後契約社員として勤務。
- ^ 1960年入社[8]。
- ^ 報道局へ異動後、政治部長などを歴任。
- ^ 福島テレビはフジテレビ系列局なので誤り[11]。
- ^ 報道局記者として入社。
- ^ 後に報道局へ異動
- ^ 1996年に事業局へ異動。定年前にアナウンス部教育担当部長を務める。
- ^ 2003年にラジオ日本へ出向。エグゼクティブアナウンサー、取締役編成局長、同営業局長を歴任。
- ^ 2003年にコンテンツ事業局へ異動。
- ^ 2000年にコンテンツ事業局へ異動。現在、公益財団法人日本テレビ小鳩文化事業団の業務に従事。
- ^ 1990年代前半にアナウンサーを退き、人事局勤務を経て関連会社役員を歴任。
- ^ 1970年入社
- ^ 1981年入社
- ^ 1992年に事業局へ異動し、定年まで勤務。
- ^ 1986年に報道局へ異動し、その後事業局、広報局に勤務。定年を迎えた後も約9年間嘱託でドラマやバラエティの広報を担当。
- ^ 2001年より関連会社役員を務める。
- ^ 1994年に編成局・ネットワーク局・営業局等異動し、定年まで勤務。
- ^ 1993年に報道局へ異動。
出典
- ^ 小林健志2015年9月12日のツイート
- ^ a b NHKアナウンサー史編集委員会「NHKアナウンサー一覧」『アナウンサーたちの70年』講談社、1992年12月21日、16頁。ISBN 4-06-203232-5。
- ^ NHKアナウンサー史編集委員会「NHKアナウンサー一覧」『アナウンサーたちの70年』講談社、1992年12月21日、13頁。ISBN 4-06-203232-5。
- ^ 『⾦原 ⼆郎』 - コトバンク
- ^ 「事務局から」(pdf)『日本記者クラブ会報』第577号、日本記者クラブ、2018年3月10日、25頁、2019年4月17日閲覧。
- ^ NHKアナウンサー史編集委員会「NHKアナウンサー一覧」『アナウンサーたちの70年』講談社、1992年12月21日、15頁。ISBN 4-06-203232-5。
- ^ 相撲を伝えて70年、名横綱との交流と思い出を語る - みんなで語ろう民放史 No.125 (PDF, 日本民放クラブ 2017年11月22日閲覧)
- ^ a b 日外アソシエーツ 編『テレビ・タレント人名事典』(第6版)日外アソシエーツ、2004年6月25日、463-464頁。ISBN 4-8169-1852-3。
- ^ 1997年にアナウンス部を離れ、CS日本代表取締役社長、日本テレビ取締役副社長など重役を歴任。
- ^ “郡山異業種交流会(MBA21) 平成15年4月例会”. メディアハウス. 2018年9月21日閲覧。
- ^ “群馬県立沼田高等学校 同窓会行事 平成29年度”. 群馬県立沼田高等学校. 2018年9月19日閲覧。
- ^ a b 中村こずえ (2014年1月3日). “箱根駅伝 & 新幹線”. 中村こずえのひとりごと. はまぞう. 2019年4月17日閲覧。
- ^ 「リレーエッセイ64」(PDF)『社団法人日本映像ソフト協会会報』NO.121、日本映像ソフト協会、2007年4月10日、13頁、2017年9月9日閲覧。
- ^ “田原総一朗さんの妻の田原節子さん死去”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2004年8月13日). オリジナルの2004年8月13日時点におけるアーカイブ。 2019年4月17日閲覧。
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- ^ “日本テレビの大杉君枝アナ自殺”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2007年2月3日). オリジナルの2016年5月31日時点におけるアーカイブ。 2019年4月17日閲覧。
- ^ “元日本テレビアナ 米森麻美さん急死”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2001年9月19日). オリジナルの2001年12月18日時点におけるアーカイブ。 2019年4月17日閲覧。
- ^ “日テレ山本真純アナ自殺か飛び降り遺書も”. 日刊スポーツ新聞社 (日刊スポーツ新聞社). (2010年7月28日) 2019年4月17日閲覧。
参考文献
- NHKアナウンサー史編集委員会『アナウンサーたちの70年』講談社、1992年12月21日。ISBN 4-06-203232-5。
- 『テレビ夢50年 日本テレビ50年史』、日本テレビ50年史編集室、日本テレビ放送網、2004年3月。(データ編、アナウンサー名鑑の項を出典)