河野裕輔
表示
| ||||
---|---|---|---|---|
基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1975年8月1日(49歳) | |||
出身地 | 茨城県古河市 | |||
ラテン文字 | Yusuke Kawano | |||
身長 | 191cm | |||
選手情報 | ||||
所属 | レーヴィス栃木 | |||
愛称 | かわの | |||
役職 | 監督 | |||
ポジション | OP | |||
指高 | 238cm | |||
スパイク | 336cm |
河野 裕輔(かわの ゆうすけ、1975年8月1日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。
来歴
[編集]茨城県古河市出身。第四小5年生次からバレーボールを始める。全国大会では下田悟がいた尼崎北SSに敗れている。第二中学へ入学すると吹奏楽部に入部するも、夏にはバレー部へ編入する。高校は栃木県の足利工大付属高へ越境入学し、主にレフトだったが様々なポジションを経験した。その後、中央大へ進学する。大学の同級に臺光章[1]。
1998年、日本たばこ産業(JT)に入社し、JTサンダーズに入団。同期に臺、下田、苅谷淳司、齋藤学[2]。オポジットとして活躍、2000年黒鷲旗でベスト6賞、2000-01シーズンの第7回Vリーグ新人王、2001年黒鷲旗で優勝しベスト6賞を受賞した。同年には全日本に選出され、同年のアジア選手権で3位入賞に貢献した[3]。2000年代初頭はチームの中心だった[4]。その後は直弘龍治がオポジットに入るようになりベンチに回るようになる。
2005年6月、退団[5]。その後は9人制バレーのJT東京バレーボール部でプレーしていた。引退後は社業に専念している。
2022年5月22日、長野GaRonsのテクニカルアドバイザーに就任したと発表された[6]。
2024年3月31日、長野GaRonsからの退団が発表され[7]、4月1日にレーヴィス栃木の監督就任が発表された[8]。
人物
[編集]- イージースポーツで配信されていたV.LEAGUE中継で解説者を務めていた。
- バレーボールマガジンにて男子バレーボールに関するコラム「河野裕輔のエール!」を連載している[9]。
所属チーム
[編集]選手
[編集]- 古河市立古河第四小学校
- 古河市立古河第二中学校
- 足利工業大学附属高等学校
- 中央大学
- JTサンダーズ(1998-2005年)
- JT東京バレーボール部(9人制)(2005-?年)
指導者
[編集]受賞歴
[編集]- 2000年 - 第49回黒鷲旗全日本選手権 ベスト6
- 2001年 - 第7回Vリーグ 最優秀新人賞
- 2001年 - 第50回黒鷲旗全日本選手権 ベスト6
脚注
[編集]- ^ “インタビュー”. JT公式(Internet Archive). 2010年9月18日閲覧。
- ^ “チームトピックス”. JT公式(Internet Archive). 2010年9月18日閲覧。
- ^ “第11回アジアバレーボール男子選手権大会”. 日本バレーボール協会. 2010年9月18日閲覧。
- ^ “第9回Vリーグいよいよ開幕 JTサンダーズの今シーズンのキープレーヤーは?”. JT公式(Internet Archive). 2010年9月18日閲覧。
- ^ “河野裕輔選手が勇退”. JT公式(Internet Archive). 2010年9月18日閲覧。
- ^ “【報告】新スタッフ就任のご報告”. 長野GaRons (2022年5月22日). 2022年5月24日閲覧。
- ^ “【ご報告】 | 長野☆GaRons(ガロンズ)須坂市発のバレーボールチーム|長野県北信地区に Vリーグチームを創ろう!!”. garons.jp. 2024年4月1日閲覧。
- ^ “【新監督就任のお知らせ】”. レーヴィス栃木. 2024年4月1日閲覧。
- ^ “河野裕輔のエール!! VNL総括編”. バレーボールマガジン. 2024年8月14日閲覧。
外部リンク
[編集]- プロフィール - JT公式(Internet Archive)