古河市

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こがし
古河市
Suzume-jinja Shrine 01.JPG
Flag of Koga Ibaraki.JPG
古河市旗
Symbol of Koga Ibaraki.svg
古河市章
2006年1月21日制定
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 茨城県
団体コード 08204-0
法人番号 3000020082040
面積 123.58km2
総人口 140,509
推計人口、2016年10月1日)
人口密度 1,140人/km2
隣接自治体 結城市坂東市
猿島郡五霞町境町
結城郡八千代町
埼玉県久喜市加須市
栃木県小山市栃木市下都賀郡野木町
市の木 ケヤキ
市の花 ハナモモ
古河市役所
所在地 306-0291
茨城県古河市下大野2248番地
北緯36度10分41.7秒東経139度45分19.6秒
Koga city hall (Ibaraki).JPG
外部リンク 古河市

古河市位置図

― 市 / ― 町・村

特記事項 古河市役所庁舎は、
本庁舎・古河庁舎・三和庁舎に
部課等を分けて配置されている。
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古河市名の由来となった万葉歌碑
「麻久良我の 許我の渡りの韓楫の 音高しもな寝なへ 兒ゆゑに」

古河市(こがし)は、関東地方のほぼ中央、茨城県の西端に位置するである。 人口約14万人。旧・下総国千葉県葛飾郡。 近隣の栃木県野木町などから労働人口流入があり、古河都市圏を形成していてその中心市である。 なお、市名は「こが」であり「ふるかわ」ではない。

概要[編集]

「古河」は、古く「許我」と表記され、『万葉集』に当時の情景が二首詠まれている。すでに奈良時代から渡良瀬川の渡し場として賑わっていたことが伺える。

平安時代には、9世紀初め~10世紀における東日本最大級の“製鉄所”(川戸台遺跡)があった。9世紀後半の「半地下式平窯」(江口長沖窯跡)も発見されており、製鉄や窯業の生産拠点でもあった。

室町時代後期から戦国時代にかけて古河公方の本拠地、江戸時代には古河城城下町日光街道宿場町古河宿が盛えた。 古河藩領は下総国下野国武蔵国に跨り、市域も下総国、千葉県を経て茨城県に編入された経緯があることから、旧常陸国水戸街道が中心となって形成された近代以降の茨城県の県史としては傍流的な位置づけになる。

明治期に入ると製糸産業が発達し人口が急増、古河町(当時)は一時期、茨城県内で二番目の人口となった。 1958年昭和33年)に東北本線が電化され、上野まで約一時間で結ばれるようになってからは、東京のベッドタウンの役割が加わって人口が増大し、合併前には人口密度で県内第1位となった。 現在の古河市は、都心回帰の影響で東京のベッドタウンとしての役割は薄れたが、人口では土浦市に次いで茨城県内第6位である。

行政上では茨城県に属しているが、国道4号日光街道)や宇都宮線東北本線)の沿線であることから、経済や教育の面で栃木県埼玉県東京都とつながりがある(旧古河市はかつて県西地域で唯一東京大都市圏に属していた)[1]

2005年9月12日、旧古河市と総和町三和町が新設合併、現在の古河市となる。

地理[編集]

地勢[編集]

関東平野のほぼ中央に位置し、全域にわたり平坦な地形が広がっている。南部を利根川が東流、西部は渡良瀬遊水地を経由した渡良瀬川が流れ利根川橋の北で利根川に合流する。

南部に比べ北部はやや標高が高く、市内を流れる川は利根川を除き北から南へと流れている。一方東西方向では目立った標高差の傾向はない[2]

河川[編集]

池および沼[編集]

古河市中心部周辺の空中写真。市街地の西側を渡良瀬川が北から南へ流れる。画像左上方(北西)の草地は渡良瀬遊水地の最南部付近で、茨城県栃木県埼玉県、3県の県境に当る。1986年撮影の10枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

隣接する自治体[編集]

気象[編集]

典型的な関東内陸の気候である。夏に関しては同じく酷暑で有名な熊谷前橋館林と並び「古河」の文字をよく目にするほどの酷暑となる。 また冬は北西の季節風の強い日が多く、実際の気温以上に寒く感じられる。

  • 日最高気温記録の39.5度は県内最高気温、8月の最高気温の平均値(30.7度)も県内最高である[3]
  • 冬は放射冷却現象により、朝は氷点下の冬日となることもしばしばである。日中は北西の季節風が強く、休耕中の田畑から砂埃が舞い上がることも多い。

市勢[編集]

  • 面積:123.58 km²
  • 人口:142,995人
    • 男性:71,450人
    • 女性:71,545人
  • 世帯数:50,465

(平成22年国勢調査)

人口[編集]

近年は都心回帰傾向をうけ、人口が減少する傾向にある[4]

Demography08204.svg
古河市と全国の年齢別人口分布(2005年) 古河市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 古河市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
古河市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 97,659人
1975年 108,889人
1980年 117,691人
1985年 129,842人
1990年 139,239人
1995年 146,010人
2000年 146,452人
2005年 145,265人
2010年 142,973人
総務省統計局 国勢調査より

地名 [編集]

古河市側から渡良瀬川の対岸に「向古河(むかいこが)」地区や東武日光線「新古河駅」があるが、所在は埼玉県加須市(旧北川辺町)になる。

行政[編集]

現在は、旧3市町の役所に各課を配置する分庁舎形式である。

歴代市長

市役所各庁舎(本庁舎を除く)[編集]

  • 古河庁舎(旧古河市役所)
    長谷町38番18号
  • 三和庁舎(旧三和町役場)
    仁連2065番地

国の出先機関[編集]

司法(裁判所
古河簡易裁判所
法務省
古河区検察庁 
財務省
古河税務署 
厚生労働省
ハローワーク古河 
古河労働基準監督署 
国土交通省
利根川上流河川事務所古河出張所 
防衛省
陸上自衛隊古河駐屯地 

県の出先機関[編集]

  • 古河保健所 

警察[編集]

市内全域を古河警察署が管轄。なお、三和地区は合併以前は境警察署の管轄であった。 合併の結果、市の西に寄ってしまった警察署を東へと移動・移築する計画がある[5]

  • 古河警察署 旭町一丁目1番23号
    • 中田駐在所 中田1325番地16
    • 駒羽根地区交番 駒羽根1391番地3
    • 鴻巣交番 鴻巣1154番地3
    • 上辺見駐在所 上辺見1210番地1 →廃止
    • 三和地区交番 仁連1932番地6
    • 古河駅前交番 本町一丁目1番15号
    • 下山交番 東三丁目1番19号
    • 小堤駐在所 小堤1410番地3

消防[編集]

一部事務組合である、茨城西南広域消防本部下にある消防および消防団がある。

  • 古河消防署 中田1683番地9 (消防本部併設)
    • 住吉分署 古河797番地1
    • 三和分署 仁連2070番地
  • 総和消防署 下大野752番地2
    • 上大野出張所 上大野1933番地3

消防団は、合併当初は各地区ごとに、古河市古河消防団・古河市総和消防団・古河市三和消防団で構成されていたが、現在は古河市消防団として統合。1~27分団で編成されている。

歴史[編集]

地理的条件[編集]

古河市が接する渡良瀬川の下流は、中世には太日川と呼ばれ(現在の江戸川)、直接東京湾に注ぐ水運上の重要な河川だったため、古河は現在の東京・房総と北関東を結ぶ位置にある。このような拠点性、および西方(現在の渡良瀬遊水地方面)が湿地である天然の要害でもあったことから、室町時代古河公方古河城に移座することになった。しかしこれら水運の良さと要害性の一方では、水害に悩まされることが多く、明治期足尾銅山鉱毒事件の際には、河川改修事業により古河城が徹底的に破壊されることになる。

先史時代[編集]

縄文時代のものとみられる貝塚、集落が発見されており、そのころから人が定住しているものと考えられる。

古代(奈良・平安時代)[編集]

古河の歴史は、『万葉集』にまで求められ、当時の情景が二首詠まれ「許我(こが)」の記述までさかのぼる[6]。元の古河地域は奈良時代から渡良瀬川の渡し場として賑わっていたことが伺える[7]

  • “まくらがの 許我の渡りのからかじの音高しもな寝なへ児ゆえに”
  • “逢はずして 行かば惜しけむ 麻久良我の 許我(こが)漕ぐ船に 君も逢はぬかも”

平安時代渡良瀬川近くの市内牧野地にある川戸台遺跡が、9世紀初め~10世紀の平安時代に東日本最大級の“製鉄所”跡で、ここで生産された鍋が多賀城仙台市)や秋田城秋田市)に送られていたことが、古河市教育委員会の発掘調査により判明した。同じく古河市教育委員会の発掘調査により、三和窯跡群の一角で、かつて飯沼だった東仁連川近くの古河市江口にある江口長沖窯跡で、9世紀後半の「半地下式平窯」が茨城県内で初めて発見され、ここで作られた須恵器が水運により関東地方の広範囲に流通していたと考えられるなど、平安時代にも交通の要所であり、また製鉄や窯業の生産拠点であったことがうかがえる。

中世(鎌倉時代~戦国時代)[編集]

詳細は古河城古河公方参照

近世(江戸時代)[編集]

詳細は古河城古河藩参照

  • 古河藩が設置され古河城が藩庁となった。現在の市域西部を日光街道(日光道中)が南北に貫き、古河城下(元の古河)に古河宿、中田に中田宿が設けられた。一方、市域東部では日光東往還(日光東街道)が縦断し、谷貝宿仁連宿諸川宿が設けられた。
  • 古河藩領は、現在の市域を含む下総国北西部、および隣接する下野国南部、武蔵国北東部にまたがって形成され、当時の古河城下は古河藩領の中心にあった。しかし、近代以降に旧藩領は県境によって分断され、三方を他県域に囲まれた茨城県最西端の町になる。なお現在の市域東部には、古河藩に含まれなかった地域も多かった。例えば、諸川宿・仁連宿は壬生藩領から天領幕府直轄地)、谷貝宿は関宿藩領である。
  • 歴代古河藩主においては、大老2人(土井利勝堀田正俊)のほか、老中京都所司代などにつくものも多い、有力譜代藩であった。
  • 1832年:古河藩第十一代藩主である土井利位が、日本初の結晶に関する観察図鑑『雪華図説』を出版した。

近代・現代[編集]

旧古河市役所
(現在は古河テクノビジネス専門学校の学舎)
明治から第二次世界大戦まで
第二次世界大戦後
  • 1950年(昭和25年)8月1日 - 古河町が市制を施行し、古河市となる。(単独市制、茨城県下4番目)
  • 1950年(昭和25年)8月10日 - 初代の市章を制定する。
  • 1953年(昭和28年)5月18日国道125号が制定。
  • 1955年(昭和30年)
    • 2月11日 - 幸島村・八俣村が結城郡名崎村と合併し、三和村(みわむら)となる。
    • 3月15日 - 古河市が、新郷村を編入する。
    • 3月16日 - 勝鹿村・岡郷村・桜井村・香取村が合併し、総和村となる。
  • 1968年(昭和43年)1月1日 - 総和村が町制施行し総和町となる。
  • 1969年(昭和44年)- 三和村が町制施行・改称し三和町(さんわまち)となる。
  • 1981年(昭和56年)4月1日 - 新利根川橋が開通。
  • 1992年平成4年)4月8日 - 新4号国道が全線開通。
  • 1992年(平成4年)9月7日 - 新たな住居表示地名として、けやき平1丁目,2丁目(旧大字中田、茶屋、板間の各一部)を設定[8]
  • 1993年(平成5年)4月1日 - 国道354号(館林市 - 大洋村間)が制定。
  • 2005年(平成17年)9月12日:古河市と総和町、三和町が合併(新設合併)し、新たに古河市となる。
  • 2006年(平成18年)1月21日 - 2代目の市章を制定する[9]
  • 2010年(平成22年)12月17日 - 旧古河市が全額出資していた古河市住宅公社が破産。

行政区域変遷[編集]

  • 変遷の年表
  • 変遷表

姉妹都市・交流都市[編集]

国内の姉妹都市
海外の国際交流都市

隣接する都道府県との関係[編集]

概要の通り、歴史的な背景・現在の交通網の関係(東北本線(宇都宮線)・国道4号を中心とした交通網)から、現在でも茨城県内では特殊な傾向を示す地域である。 県民であっても、栃木県や埼玉県に属すると誤認する人間もいる[12]

茨城県内の他市町村と比べて埼玉県・栃木県との関係が強い。 各種調査[13]でも栃木県・埼玉県への流動を見ることができるほか、以下のような例外扱いを受けている。

一方で県内とは、JRバス関東東古河妻線の八千代町松本以東廃止後は、直接結ぶ公共交通機関は隣接する境町への路線バスと季節運転の高速バスを除き失われてしまうなど、県内の中心軸の常磐線国道6号線沿線との関係が希薄な状態が続いている[14]

茨城県庁では、上記のような状況を県土の一体性を損なうものと認識しており、地域格差を解消するための施策として、2006年から2010年度までの5ヶ年計画で、鹿行・県南・県西の各地域を「南部広域連携圏」とし、首都圏との更なる連携を強める交通インフラに重点を置いた地域造りを目指している。 一方、古河市についてはその地域特性を認め、埼玉県、栃木県との連携も視野に古河都市計画区域マスタープラン[15]においても、「さいたま新都心や小山・宇都宮圏と連携し,東京都市圏の機能の一翼を担う」と明記されている。

教育[編集]

この地域は、北関東三県・埼玉県・千葉県が互いに近いため、各県が相互協定を結び、高等学校において一定の他県学生を受け入れている [2][リンク切れ]。そのため多くの高校生が栃木・埼玉へと流れている。 国勢調査によれば、15歳以上の通学者のうち茨城県他市町村へは738人。対する栃木への通学者は625人、埼玉へは1319人が向かう。

市内の教育機関は以下の通りである。

中等教育学校[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]

  • 古河市立古河第一中学校
  • 古河市立古河第二中学校
  • 古河市立古河第三中学校

小学校[編集]

  • 古河市立古河第一小学校
  • 古河市立古河第二小学校
  • 古河市立古河第三小学校
  • 古河市立古河第四小学校
  • 古河市立古河第五小学校
  • 古河市立古河第六小学校
  • 古河市立古河第七小学校
  • 古河市立釈迦小学校
  • 古河市立下大野小学校
  • 古河市立上辺見小学校
  • 古河市立小堤小学校
  • 古河市立上大野小学校
  • 古河市立駒羽根小学校
  • 古河市立西牛谷小学校
  • 古河市立水海小学校
  • 古河市立下辺見小学校

保育園、幼稚園に関しては 古河市のホームページ を参照。

医療[編集]

国内でもとりわけ医師不足が課題。茨城県内、中でも医療事情が悪化している県西の事情にたがわず、古河市の医療事情も厳しい。 十万人当たり医師は120.89人 [3] で全国46位の県内平均を大きく下回っている。

古河市内の病院診療所については 古河保健所のページ を参照のこと。

産業[編集]

国勢調査での古河市および全国の産業部門別割合は以下の通り(カッコ内は全国の値)。※平成17年度調査

以上の通り、全国に比べて第2次産業の割合が高い。 これは、以下で述べるように戦前からの製糸業の勃興と戦後の工業団地の造成により、工業都市として発展した経緯が影響している。

工業[編集]

かつて明治期から昭和中期までは製糸業が発展し当市の産業の軸となっていた。

しかしその全てが廃業し、現在は旧総和町の工業団地(丘里工業団地、配電盤工業団地、北利根工業団地)を中心に工業が発達している。他に旧古河市域に坂間企業団地が所在する。 年間製造品出荷額は約4千-5千億前後[16]。平成20年の事業所数は438で日立市に次ぐ2位、雇用者は日立市、ひたちなか市に次いで18000人弱の3位である。

特徴的なのは、食品製造業、殊に製菓業が多い点。 トモヱ乳業山崎製パンの工場があるほか、ジャパンフリトレー(本社も併設)・ヤマザキナビスコギンビスの製菓業3社の唯一の工場を有している。 またセキスイ系とその派生企業も多く立地。積水化成品工業の大規模な工場ほか、積水ハウスの拠点工場である関東工場がある。

農業[編集]

市の土地利用の5割弱を農地が占めるなど [4]、旧総和町、旧三和町を中心として典型的な近郊農業が発達している。平成18年の農業出荷額は147億2千万円。

一方農業離れも深刻であり、耕作放棄地は500haを超えるなど、深刻な問題となりつつある[17]

商業[編集]

広範囲を商圏に収める大規模小売店舗の出店が少なく、卸売に不可欠な情報集積という面では、全般に低落傾向にある [18]。 東京の通勤・生活圏であることから東京方面への買い物客の流出が激しいほか、周辺都市に続々建設されている大型ショッピングモールへ客足が流れるなど、商業施設が消費者の行動範囲が広いこともあり、中規模ショッピングセンターが所在する程度である。

市内に存在する主な店舗は下記の通り。

金融機関[編集]

三大メガバンクでは、みずほ銀行の支店が古河駅前に存在(県西地区では唯一のメガバンク店舗)。 なお、みずほ銀行以外の都市銀行の最寄り店舗は、三井住友銀行が栃木県小山市(小山支店)、三菱東京UFJ銀行が埼玉県蓮田市(蓮田支店)、りそな銀行埼玉りそな銀行)は埼玉県久喜市栗橋(栗橋支店)となる。

また、茨城県を地盤とする銀行は、常陽銀行筑波銀行東日本銀行がある。中でも足利銀行は県内で強い影響力があり支店が3店。 栃木銀行も所在することから、栃木県との取引機会が多いことが分かる。

主な企業[編集]

市内に本社を置く企業
丘里工業団地
北利根工業団地
工業団地外に立地する企業

将来[編集]

2010年、NTT名崎送信所跡地について日野自動車が土地を購入した[5]。建設予定時期や規模などは未定であるが、昭和以降途絶えた大型工場が立地する可能性がある。

交通[編集]

南北の交通が重視されており、東西方向に関してはいささか心もとない。三杉町交差点の125号、大堤交差点の354号はよく渋滞を起こしている[19]

鉄道[編集]

古河駅(東口)

市内を通る路線は以下の通りである。

東日本旅客鉄道
  • 東北本線宇都宮線
    • 古河駅
      • 茨城県で最初に開業した鉄道駅である。
      • 上野方面の次の停車駅である栗橋駅までは7.5kmほどある。そのため、古河市南部に南古河新駅を建設しようとする構想が存在する[20]
  • 東北新幹線
    • 市内を通過するが駅を設置する見込みはない[21]。ちなみに最寄の停車駅である小山駅までは快速で一駅、12分程度であるが同駅に停車する列車が少ないため、多くの市民が大宮駅から利用する。新幹線がその都道府県を通過するにも関わらず、その都道府県に1つも駅が存在しないというのは、この茨城県の例が唯一である。
  • 東武日光線新古河駅は、渡良瀬川対岸の埼玉県加須市にある。

路線バス[編集]

コミュニティバスのぐるりん号。
(古河駅西口 2010年11月19日)

いくつか存在するが、便数が少ないものも多い。なお、以下はすべて古河駅を始点として記述する。

コミュニティバス
  • ぐるりん号
    • 2012年4月1日から有料化された。
    • 当初は茨城急行バスのみに運行委託していたが、2016年12月1日より増設となった「通勤通学ルート、市役所本庁・病院ルート」をJRバス関東に運行委託するようになった[22]

道路[編集]

南北に物流の大幹線、国道4号線、新4号国道が走る。中間域においては中央運動公園通りが国道125号線から丘里工業団地を経由しとね南通りを経て国道354号を結んでいる。

一方東西は国道125号が北を走り下妻方面へ、十間通りが古河駅から丘里工業団地を横断し新4号国道と交差して三和庁舎まで、そして国道354号と県道56号が南部を経由し県南までを結ぶ。

高速道路
  • 当市内に高速道路は走っていない。2015年3月29日現在、市役所への最寄りICは隣接する五霞町にある圏央道五霞ICだが、東京方面へは東北道久喜IC、仙台方面へは同道佐野藤岡ICを使われることも多いようである。ちなみに、東北道の本線上に設置されている館林IC(上下線)、羽生IC(下り線)の各出口の案内標識には『古河』と表記されているが、市役所のホームページでは「久喜インターチェンジから約18km」と案内している[23]
一般国道
主要地方道
一般県道
自転車道

観光[編集]

史跡[編集]

古河城
曲亭馬琴(滝沢馬琴)作の読本南総里見八犬伝芳流閣の元とも言われる。
大半は川に水没。城門(古河市の文化財)、古河城文庫蔵、乾蔵(共に国の登録有形文化財)が移築現存している。
古河公方館跡(茨城県指定史跡)
古河総合公園内。御所沼などが復元されている。足利義氏の墓所があるが、何者かに破壊される事件があった [6]

神社・寺[編集]

雀神社
旧古河町の総鎮守である。詳細は「雀神社」参照。
頼政神社
祭神は源頼政。もとは古河城南端の頼政曲輪にあったが、渡良瀬川改修工事の際に城北西端の土塁上に移転。詳細は「頼政神社」参照。
長谷観音
古河公方足利成氏が古河城の鬼門除けとして勧請。日本三大長谷観音を称する。詳細は「長谷観音」参照。
正定寺
江戸幕府大老を務めた古河藩主・土井利勝の開基。土井家代々の菩提寺である。
土井家は古河から鳥羽唐津への転封を経たのち、再び古河に戻り、近世大名として最も長い期間、古河を国元とした。詳細は「正定寺」参照。なお、古河市下大野にある同名の正定寺も土井家に保護されていた。
鮭延寺
最上義光を支えた有力武将鮭延秀綱のために建立された寺。この歴史的な縁により古河市(旧総和町)と真室川町が姉妹都市となった。熊沢蕃山の墓もある。詳細は「鮭延寺」参照。

文化施設[編集]

古河歴史博物館
鷹見泉石関係資料や古河城模型などを展示する。
古河文学館
永井路子旧宅(古河文学館の別館)
鷹見泉石記念館
国宝となっている渡辺崋山筆の肖像で知られ、著名な蘭学者で古河藩家老だった鷹見泉石の旧邸を整備した施設である。泉石の遺品は隣接する古河歴史博物館に収蔵されている。
篆刻美術館
日本で唯一の篆刻(てんこく)の美術館である。
古河街角美術館

特産[編集]

  • 地酒
  • 御慶事(日本酒)

祭事[編集]

  • 古河桃まつり(3月下旬~4月上旬)
  • 古河熱気球大会(3月)
  • 古河神輿まつり(7月)
  • 古河花火大会(8月第1土曜日)
    • 2005年の新設合併を記念して、毎年8月に渡良瀬川の河川敷にあるゴルフ場『古河ゴルフリンクス』で開催されている。
    • 打ち上げ数は約25,000発(三尺玉3発含む)で、約35万人の観客を誇る。
  • 古河朝市(9月下旬)
  • 関東ド・マンナカ祭り(10月)
  • 古河菊まつり(10月下旬~11月下旬)
  • 古河よかんべまつり(11月上旬)
  • 古河提灯竿もみまつり(12月第一土曜日)

公園・レクリエーション施設[編集]

スポーツ施設[編集]

広域中央運動公園
日本陸連第2種公認競技場であり、各種の競技大会において茨城県西地区予選会場としてでよく使われる。陸上競技場のほかに、体育館、テニスコート、プールなどを併設する。なおこれら施設は県西各市町村が建設費を負担しており、それら市町村住民に対してはプールの利用料が割引される。
古河体育館
広域中央運動公園とは別の場所にある市営の体育館。ボクシングやプロレスの興行に使用される。
古河市サッカー場
市営のサッカー専用競技場。大学サッカーでよく使用される。
古河市民球場
古河市サッカー場に隣接する野球場。秋季高校野球大会県西予選で使われる。
上大野グラウンド
ソフトボールを中心に、学童軟式野球などでも使用される球場。2009年はソフトボール女子2部の公式戦試合場としても使用された [7]
古河ゴルフリンクス
過去に石川遼選手が練習していたことで知られているリンクス。日本では珍しい、本格的なリンクスコースと言われている。なお河川敷上にあるため、大雨時はよく水没する。また、古河市主催の『古河花火大会』は毎年、このゴルフ場で開催されている。

古河市出身の有名人[編集]

歴史上の人物 古河公方 古河藩参照
政官界
芸術
文化
芸能界
スポーツ

古河市ゆかりの人物[編集]

その他[編集]

参考資料[編集]

  • 兼子純・新名阿津子・安河内智之・吉田亮「古河市における中心市街地の変容と都市観光への取り組み」、『地域調査報告』第26号、筑波大学地球科学系人文地理学研究グループ、2004年、 123-150頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 旧藩主の土井氏が長崎に近い唐津から再入封し、鷹見泉石にみるように洋学が盛んだったことから、水戸藩と相いれない気風があった。明治期には県内有数の製糸業地帯となったが、文教の中軸である旧制中学が設置されなかったことに古河の人士は水戸の恣意と憤慨し、栃木県編入運動が起きている。また、旧制中学の進学先は浦和が最も多く、水戸中学は徹底して忌避された
  2. ^ 詳細については国土地理院地形図から、三角点などで標高や流路を確認していただきたい
  3. ^ 気象庁の統計を基に県内のアメダスに関して調査した結果
  4. ^ 都心回帰といっても近隣の埼玉県旧栗橋町、旧鷲宮町や栃木県小山市などは人口が増加傾向にある
  5. ^ 警察署等再編整備構想 - 茨城県
  6. ^ 兼子・新名・安河内・吉田(2004)、127頁。
  7. ^ この作者不明の万葉歌碑が現在渡良瀬川の堤防上にある
  8. ^ 町の区域の設定(平成4年9月7日 茨城県告示第1088号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第377号: p.3-4, (1992年9月7日) 
  9. ^ 図典 日本の市町村章 p57
  10. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 8 茨城県』、角川書店、1983年 ISBN 4040010809より
  11. ^ 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180より
  12. ^ 検索エンジンにおいて栃木県古河市、埼玉県古河市と検索すると、誤認している人々がいることが確認できる
  13. ^  総務省 平成17年国勢調査 > 通勤・通学人口,従業地による就業者の産業別構成など(従業地・通学地集計結果その1) > 都道府県結果 > 08茨城県 > 報告書掲載表 常住地による従業・通学市区町村,男女別15歳以上就業者数及び15歳以上通学者数(15歳未満通学者を含む通学者-特掲)-都道府県,市町村 [1] 第2表より
  14. ^ 古河駅発着の路線バスは全てフィーダー路線となって都市間路線は消滅し、水戸はもちろん、同じ県西地域でも常総線沿線や、つくば土浦県南地域の中央部へ直接向かえなくなった。つくば土浦へは栗橋春日部流山おおたかの森経由または小山下館下妻経由、水戸へは小山経由となり、いずれも他県を経由しなくてはならない。
  15. ^ 古河都市計画(古河市)都市計画区域の整備、開発及び保全の方針
  16. ^ 平成25年工業統計調査結果(速報)茨城県
  17. ^ 2005年農林業センサス http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001009909&cycode=0 より耕作放棄地 - 耕作放棄地面積 参照、値を合算。
  18. ^ 経済産業省 2009 平成21年版 我が国の商業、卸売業年間商品販売額を参照
  19. ^ 茨城県道路移動性向上委員会 第4回委員会参考資料
  20. ^ 第5回古河市総合計画審議会(後期計画)会議録概要 古河市
  21. ^ 古河市議会でたびたび答弁がされている http://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/06renewal/gikai/kaisai_nitei/20_1/13-6.pdf
  22. ^ 古河市循環バス「ぐるりん号」ご利用の手引き
  23. ^ 古河市の概要-位置・交通・アクセス
  24. ^ 古河・栗橋の静御前伝説(茨城県 境土地改良事務所)