臺光章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
臺 光章
Mitsuaki Utena
Volleyball (indoor) pictogram.svg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1976-01-01) 1976年1月1日(41歳)
出身地 広島県広島市
ラテン文字 Mitsuaki Utena
身長 182cm
体重 71kg
選手情報
愛称 ウッチャン
ポジション S
指高 235cm
利き手
スパイク 310cm
ブロック 297cm
テンプレートを表示

臺 光章(うてな みつあき、1976年1月1日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。広島県広島市出身。妻は元アナウンサーの川上裕子

来歴[編集]

小学校5年の時に地元のスポーツクラブ、八木スポーツ少年団に入りバレーボールを始める。高校は地元名門の崇徳高校へ進学、3年次には教育実習で来ていた本多洋から影響を受けた[1]。その後、中央大学へ進学する。

1998年、日本たばこ産業(JT)に入社し、JTサンダーズに入団[2]。同期に苅谷淳司河野裕輔下田悟齋藤学[3]。順調に試合出場を重ね、1999年2年目からチームキャプテンを務めた[2]。2001年、黒鷲旗で優勝しベスト6。同年のアジア選手権で全日本に選出され金メダル獲得、2002年釜山アジア大会では銅メダル獲得に貢献した[2]。2003-04シーズンVリーグでベスト6賞を受賞した。

選手晩年は前田悟がレギュラーを捕ったため控えに回ることが多くなり、2007-08シーズンは腰の故障[2]に加え、栗生澤淳一が監督代行に就任したことに伴い平野信孝と共にコーチ兼任選手として活躍した[4]。2008年6月現役引退、その後はJTでの社業に専念している[2]

球歴[編集]

所属クラブ[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ インタビュー”. JT公式(Internet Archive). 2010年9月17日閲覧。
  2. ^ a b c d e 臺・平野が引退 バレー男子JT”. 中国新聞(Internet Archive) (2008年6月4日). 2010年9月17日閲覧。
  3. ^ チームトピックス”. JT公式(Internet Archive). 2010年9月17日閲覧。
  4. ^ “JT最終戦飾り6位 バレープレミアL男子”. 中国新聞. (2008年3月24日). http://www.chugoku-np.co.jp/sports/Sp200803240101.html 2010年9月17日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]