臺光章

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臺 光章
Mitsuaki Utena
Volleyball (indoor) pictogram.svg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1976-01-01) 1976年1月1日(43歳)
出身地 広島県広島市
ラテン文字 Mitsuaki Utena
身長 183cm
体重 71kg
選手情報
愛称 ウッちゃん
ポジション S
指高 234cm
利き手
スパイク 310cm
ブロック 297cm
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臺 光章(うてな みつあき、1976年1月1日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。広島県広島市出身。

来歴[編集]

小学校5年の時に地元のスポーツクラブ・八木スポーツ少年団に入り[要出典]、バレーボールを始める。高校は地元名門の崇徳高等学校へ進学し[1]、3年次には教育実習で来ていた本多洋から影響を受けた[要出典]。その後、中央大学へ進学する[2]

1998年、日本たばこ産業 (JT) に入社し、JTサンダーズに入団[2]。同期に苅谷淳司河野裕輔下田悟齋藤学[3]。順調に試合出場を重ね、1999年2年目からチームキャプテンを務めた[2]。2001年、黒鷲旗で優勝しベスト6。同年のアジア選手権で全日本に選出されて金メダルを獲得し、2002年釜山アジア大会では銅メダル獲得に貢献した[2]。2003-04シーズンVリーグでベスト6賞を受賞した。

選手晩年には前田悟がレギュラーを捕ったために控えに回ることが多くなり、2007-08シーズンは腰の故障[2]に加え、栗生澤淳一が監督代行に就任したことに伴い平野信孝と共にコーチ兼任選手として活躍した[4]。2008年6月に現役を引退し、その後はJTでの社業に専念している[2]

球歴[編集]

所属クラブ[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ OB会役員のご紹介”. 崇徳高校バレーボール部OB会 (2016年4月7日). 2019年6月2日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 臺・平野が引退 バレー男子JT”. 中国新聞 (2008年6月4日). 2011年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月17日閲覧。
  3. ^ JT男子バレー部 チームとぴっくす NO.4”. 日本たばこ産業 (1998年). 1999年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月17日閲覧。
  4. ^ “JT最終戦飾り6位 バレープレミアL男子”. 中国新聞. (2008年3月24日). http://www.chugoku-np.co.jp/sports/Sp200803240101.html 2010年9月17日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]