時子内親王
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時子内親王 | |
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時代 | 平安時代初期 - 前期 |
生誕 | 不詳[1] |
薨去 | 承和14年2月12日(847年3月2日) |
父母 | 父:仁明天皇、母:滋野縄子 |
兄弟 | 文徳天皇、宗康親王、光孝天皇、時子内親王、人康親王、源多、本康親王、久子内親王、高子内親王、源冷、国康親王、常康親王、貞登、成康親王、源光、源覚、源効、他 |
斎院 | 天長8年12月8日(832年1月14日)- 天長10年(833年) |
時子内親王(ときこないしんのう)は、仁明天皇の第九皇女。母は参議滋野貞主女・女御滋野縄子。文徳天皇の異母姉妹で、同母兄弟には本康親王と柔子内親王がいる。賀茂斎院。無品。
概要
[編集]天長8年12月8日(832年)、賀茂斎院有智子内親王の退下をうけ、第2代斎院に卜定される。この当時父はまだ皇太子で、時子の身位は女王だった。皇太子の王女が斎院に卜定されたのはこの時子が唯一の例である。天長10年(833年)、淳和天皇の譲位により斎院を退下したと見られる。その後、承和2年(835年)から同10年(843年)にかけ、4度にわたって讃岐国・河内国・山城国・摂津国の荒廃・空閑の田地を仁明天皇から賜っている。