ファルブラヴ
ファルブラヴ | |
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スクデリア・レンカッティ(左)と吉田照哉の勝負服 | |
欧字表記 | Falbrav |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1998年2月28日 |
死没 | 2024年1月12日(26歳没) |
父 | Fairy King |
母 | Gift of the Night |
生国 | アイルランド |
生産者 | Azienda Agricola Francesca |
馬主 |
Scuderia Rencati / 吉田照哉 |
調教師 |
L.D'Auria(イタリア) Luca M.Cumani(イギリス) |
競走成績 | |
生涯成績 | 26戦13勝 |
獲得賞金 | 6,072,768ドル(米貨換算) |
ファルブラヴ (英語: Falbrav[1]、中国語: 飛霸[2]、1998年2月28日 - 2024年1月12日) はイタリアの競走馬。2002年の共和国大統領賞、ミラノ大賞典、ジャパンカップ、2003年のイスパーン賞、エクリプスステークス、インターナショナルステークス、クイーンエリザベス2世ステークス、香港カップなどに優勝した。引退後は日本に輸出され、種牡馬となった。馬名の由来はイタリア語(ミラノ方言)で「いい子にしなさい」の意[3]。
戦績
[編集]2歳・3歳時代
[編集]2000年9月3日にサンシーロ競馬場にてミルコ・デムーロを背にデビューし、デビュー戦を白星で飾る。しかし、その後は2歳G2のグイード・ベラルデッリ賞まで3戦連続2着という成績で2歳を終える。年が明けて2001年、ダリオ・バルジュー騎手を背に3歳初戦で勝利するも準重賞ではまたしても2着。続く目標のデルビーイタリアーノ(伊ダービー)でもモルシュディの2着に敗れ、なかなかいいところで勝利することができなかった。だが、その後の一般レースで勝利すると、準重賞こそ3着と敗れるがその後の一般レースを3と1/2馬身差で勝利し3歳を終える。
4歳時代
[編集]2002年になると初戦の一般レースを6馬身と圧勝。続いて臨んだ共和国大統領賞ではレコードで初めてG1を勝利すると、返す刀でミラノ大賞典も3馬身差で制した。こうしてイタリア上半期の中長距離G1レースをすべて制したファルヴラヴは、次の目標を凱旋門賞と定め、プレップレースにフォワ賞を選んだ。しかし、フォア賞では牝馬のアクアレリストの3着と敗れ、オリビエ・ペリエを新たに鞍上に臨んだ凱旋門賞では、直線で全く伸びずにマリエンバードの9着と大敗してしまう。これはロンシャン競馬場の深い芝が共和国大統領賞をレコードで制したファルブラヴには向かなかったためとされている。そこで陣営は、速いタイムの出やすい「軽い馬場」と言われる日本のジャパンカップに矛先を向けた。
この年のジャパンカップは、東京競馬場が改修工事で使用できないため、代わりに中山競馬場の2200mで開催された。このレースの外国馬はファルブラヴ以外にも、フランスの牝馬限定G1オペラ賞勝ち馬のブライトスカイや、キングジョージの勝ち馬ゴーランも出走していたとあって、見劣りしたのか9番人気の低評価ではあった。しかし初めて同馬に騎乗したイタリア出身のランフランコ・デットーリの好騎乗もあり、サラファンとの激しい叩き合いを制し、シンボリクリスエスの猛追をも凌ぎ切って勝利する。このレースは、サラファンの陣営からファルブラヴに対しての抗議が出たため、改めて審議となった。なお、この勝利で社台グループはファルブラヴの約半分の権利を購入した。
5歳時代
[編集]年が明けて2003年、ファルブラヴはイギリス・ニューマーケットのルカ・クマーニ厩舎へ移籍する。新たに鞍上にキーレン・ファロンを迎え、年明け初戦に選んだのは、フランスのGIレース、ガネー賞であったが、3着と敗れてしまう。しかし続くイスパーン賞では勝利し、フランスで初めてG1を勝利する。
続いて陣営が選んだのはプリンスオブウェールズステークスで、イギリス移籍後初めて地元でのレースとなる。鞍上に再びデムーロ騎手を迎えレースに挑むもネイエフの5着と惨敗。しかし次走のエクリプスステークスでは新たにホランド騎手を背にそのネイエフを抑え、イギリスで初G1制覇となった。G1連勝を狙って、次走をキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスと定めてレースに臨むが、アラムシャーの5着と惨敗。移籍後はなかなかG1連勝はならないが、次走のインターナショナルステークスを勝利する。
続いてアイリッシュチャンピオンステークスに出走するためアイルランドに遠征。ここでは前年に英愛ダービーを制したハイシャパラル、キングジョージで苦杯をなめたアラムシャー、ドバイワールドカップの勝ち馬ムーンバラッド、ヨークシャーオークスを連覇した名牝イズリントン、この年の愛オークス馬のヴィンテージティプルが名を連ねた。レースではハイシャパラルが抜けだし、それをファルブラヴが猛追するが、アタマ差とらえ切ることが出来ずに2着と惜敗。
再びイギリスに戻って、次に陣営が選んだレースはマイル戦のクイーンエリザベス2世ステークスであった。デビュー戦以来のマイル戦となったが、それを感じさせず2馬身差の勝利。続いてアメリカに遠征しBCターフへ出走するも、ゴール前でハイシャパラルとジョハーに交わされ、またしてもハイシャパラルに敗れた。
次走は香港カップで、このレースを以って引退し、日本で種牡馬入りすることが決まっていた。そのため、このレースでは吉田照哉の勝負服を使用した。再び鞍上にデットーリを迎え、レースではラクティ等を抑え、2馬身差の勝利。見事引退レースを飾った。この年G1を5勝したことが評価され、カルティエ賞最優秀古馬とBHB賞年度代表馬に選ばれた。
社台グループはジャパンカップ優勝後に約半分の権利を購入していたが、引退時に残りの権利も購入し日本で種牡馬入りした。
競走成績
[編集]出走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離 | 着順 | 騎手 | 着差 | 1着(2着)馬 |
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2000. 9. 3 | サンシーロ | ルヴィニャノ賞 | 芝1600m | 1着 | M.デムーロ | 1/2馬身 | (Mel Marengo) | |
9.27 | サンシーロ | レヴィS | 芝1700m | 2着 | M.デムーロ | 1/2馬身 | Rosa di Brema | |
10.15 | カパネッレ | マーモレ賞 | 芝1800m | 3着 | M.デムーロ | 4馬身 | Mistero | |
11. 5 | カパネッレ | グイードベラルデッリ賞 | G2 | 芝1800m | 2着 | M.デムーロ | クビ | Mistero |
2001. 3.31 | サンシーロ | パラッツェット賞 | 芝2000m | 1着 | D.バルジュー | 1馬身 | (Sopran Crown) | |
3.31 | サンシーロ | エマヌエーレフィリベルト賞 | 準重 | 芝2000m | 2着 | D.バルジュー | 2馬身 | Baciale |
5.27 | カパネッレ | デルビーイタリアーノ | G1 | 芝2400m | 2着 | D.バルジュー | 2 3/4馬身 | Morshdi |
9. 2 | サンシーロ | ニコ&ヴィットーリオカステリッニ賞 | 芝2200m | 1着 | D.バルジュー | 大差 | (Sopran Crown) | |
9.23 | サンシーロ | ファッサティ賞 | 準重 | 芝2200m | 3着 | D.バルジュー | 1 3/4馬身 | Altieri |
11. 4 | カパネッレ | シェイブラー賞 | 芝2000m | 1着 | D.バルジュー | 3 1/2馬身 | (Montesino) | |
2002. 4.21 | サンシーロ | サニタ賞 | 芝1800m | 1着 | M.パスカーレ | 6馬身 | (Alburno) | |
5.12 | カパネッレ | イタリア共和国大統領賞 | G1 | 芝2000m | 1着 | D.バルジュー | 1 1/4馬身 | (Ekraar) |
6.16 | サンシーロ | ミラノ大賞典 | G1 | 芝2400m | 1着 | D.バルジュー | 3馬身 | (Narrative) |
9.15 | ロンシャン | フォワ賞 | G2 | 芝2400m | 3着 | D.バルジュー | 1馬身 | Aquarelliste |
10. 6 | ロンシャン | 凱旋門賞 | G1 | 芝2400m | 9着 | O.ペリエ | 5 3/4馬身 | Marienbard |
11.24 | 中山 | ジャパンC | GI | 芝2200m | 1着 | L.デットーリ | ハナ | (サラファン) |
2003. 4.27 | ロンシャン | ガネー賞 | G1 | 芝2100m | 3着 | K.ファロン | 2 1/2馬身 | Fair Mix |
5.18 | ロンシャン | イスパーン賞 | G1 | 芝1850m | 1着 | K.ファロン | 1 1/2馬身 | (Bright Sky) |
6.16 | アスコット | プリンスオブウェールズS | G1 | 芝10f | 5着 | M.デムーロ | 7 1/2馬身 | Nayef |
7. 5 | サンダウン | エクリプスS | G1 | 芝10f7y | 1着 | D.ホランド | 3/4馬身 | (Nayef) |
7.26 | アスコット | KGVI&QES | G1 | 芝12f | 5着 | D.ホランド | 8馬身 | Alamshar |
8.19 | ヨーク | インターナショナルS | G1 | 芝10f88y | 1着 | D.ホランド | 2馬身 | (Magistretti) |
9. 6 | レパーズタウン | 愛チャンピオンS | G1 | 芝10f | 2着 | D.ホランド | クビ | High Chaparral |
9.27 | アスコット | クイーンエリザベス2世S | G1 | 芝8f | 1着 | D.ホランド | 2馬身 | (Russian Rhythm) |
10.25 | サンタアニタ | BCターフ | GI | 芝12f | 3着 | D.ホランド | アタマ | High Chaparral Johar |
12.14 | 沙田 | 香港C | G1 | 芝2000m | 1着 | L.デットーリ | 2馬身 | (Rakti) |
受賞歴
[編集]種牡馬時代
[編集]2004年シーズンより社台スタリオンステーションで種牡馬となり144頭に種付けを行った。秋にはシャトル種牡馬としてオーストラリアに渡り、2005年にファーストクロップとなる産駒が誕生し、93頭が血統登録された。この年はチェヴァリーパークスタッドで繋養されていた。2006年、再び社台スタリオンステーションで種牡馬入りした。2007年の種付け料は300万円に設定された。同年産駒がデビューし、6月21日に行われた旭川競馬場でのレースでモエレヒストリーが勝利し、地方、中央通じての産駒初勝利を挙げた。また、6月30日には、阪神競馬場でビーチアイドルが勝利し中央での産駒初勝利を挙げた。12月13日に2008年の種付け料が200万円アップの500万円に設定されたことが発表された。しかしその後は種付け料が下がり、2011年は50万円となっている。
産駒は活躍馬が牝馬またはセン馬に偏っており、典型的なフィリーサイアーであるとされる[4]。
2014年に種牡馬を引退[5]。その後は繋養先の社台スタリオンステーションにて功労馬として余生を過ごしていたが、2024年1月12日、老衰により26歳で死亡した[6][7]。
年度別成績(中央+地方)
[編集]年 | 出走 | 勝利 | 順位 | AEI | 収得賞金 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
頭数 | 回数 | 頭数 | 回数 | ||||
2007年 | 36 | 103 | 14 | 18 | 102 | 1.19 | 1億7228万7000円 |
2008年 | 80 | 558 | 39 | 61 | 68 | 1.03 | 3億3116万3000円 |
2009年 | 92 | 652 | 37 | 64 | 52 | 1.04 | 3億8546万3000円 |
2010年 | 123 | 813 | 58 | 98 | 29 | 1.63 | 8億0481万4000円 |
2011年 | 130 | 1040 | 53 | 85 | 31 | 1.58 | 8億0405万3000円 |
2012年 | 127 | 1076 | 58 | 97 | 31 | 1.39 | 6億8157万6000円 |
- 2012年終了時点。
主な産駒
[編集]- 2005年産
- 2006年産
- ワンカラット(2009年フィリーズレビュー、2010年函館スプリントステークス、キーンランドカップ、2012年オーシャンステークス)
- 2007年産
- エーシンヴァーゴウ(2011年アイビスサマーダッシュ、セントウルステークス)
- 2008年産
- ダンスファンタジア(2011年フェアリーステークス)
- フォーエバーマーク(2013年キーンランドカップ)
- エポワス(2017年キーンランドカップ)
- 2009年産
- アイムユアーズ(2011年ファンタジーステークス、2012年フィリーズレビュー、クイーンステークス、2013年クイーンステークス)
母父としての主な産駒
[編集]- 2011年産
- 2015年産
- テトラドラクマ:2018年クイーンカップ(父ルーラーシップ、母リビングプルーフ)
- ステルヴィオ:2018年スプリングステークス、マイルチャンピオンシップ(父ロードカナロア、母ラルケット)
- 2019年産
血統表
[編集]ファルブラヴの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ノーザンダンサー系 |
[§ 2] | ||
父 Fairy King 1982 鹿毛 |
父の父 Northern Dancer1961 鹿毛 |
Nearctic | Nearco | |
Lady Angela | ||||
Natalma | Native Dancer | |||
Almahmoud | ||||
父の母 Fairy Bridge1975 鹿毛 |
Bold Reason | Hail to Reason | ||
Lalun | ||||
Special | Forli | |||
Thong | ||||
母 Gift of the Night 1990 黒鹿毛 |
Slewpy 1980 黒鹿毛 |
Seattle Slew | Bold Reasoning | |
My Charmer | ||||
Rare Bouquet | Prince John | |||
Forest Song | ||||
母の母 Little Nana1975 栗毛 |
Lihiot | Ribot | ||
Rytina | ||||
Nenana Road | Kirkland Lake | |||
Sena | ||||
母系(F-No.) | (FN:4-i) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | アウトブリード | [§ 4] | ||
出典 |
脚注
[編集]- ^ “ファルブラヴ(IRE)”. JBISサーチ. 2021年2月15日閲覧。
- ^ “飛霸 - 馬匹資料”. hkjc.com. 2021年2月15日閲覧。
- ^ Racing: Falbrav the best in the world by a mile The INDEPENDENT 2015年6月11日閲覧
- ^ 亀谷敬正(2018)『勝ち馬がわかる血統の教科書』池田書店 pp. 106-107.
- ^ ファルブラヴ、ヴィクトリーが種牡馬引退 - 競馬ブック、2014年12月15日閲覧
- ^ “2002年ジャパンC勝ち馬ファルブラヴ死す 種牡馬としても活躍”. サンケイスポーツ. (2024年1月13日) 2024年1月13日閲覧。
- ^ “02年JC覇者ファルブラヴ死す、26歳 5カ国でG1・8勝 14年を最後に種牡馬引退”. 日刊スポーツ. (2024年1月13日) 2024年1月13日閲覧。
- ^ “ラーグルフ”. JBISサーチ. 2023年1月5日閲覧。
- ^ a b c “ファルブラヴ(IRE) 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年2月15日閲覧。
- ^ a b c d “ファルブラヴの血統表”. netkeiba.com. Net Dreamers Co., Ltd.. 2021年2月15日閲覧。
外部リンク
[編集]- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post
- ファルブラヴ(IRE) - 競走馬のふるさと案内所