デイラミ

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デイラミ
品種 サラブレッド
性別
毛色 芦毛
生誕 1994年4月20日
死没 2023年4月5日(29歳没)
Doyoun
Daltawa
生国 アイルランドの旗 アイルランド
生産者 His Highness Aga Khan
馬主 His Highness Aga Khan4世
Godolphin Racing Inc.
調教師 Alain de Royar-Dupre(フランス
Saeed bin Suroor (UAE)
競走成績
生涯成績 21戦11勝
獲得賞金 2,190,000フラン
711,947ポンド
488,750アイルランドポンド
1,430,000ドル
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デイラミDaylami1994年4月20日 - 2023年4月5日[1][2])はアイルランド生まれの競走馬である。半弟2003年凱旋門賞ダラカニがいる。

戦績[編集]

2歳・3歳時代[編集]

1996年9月のカスケード賞でデビューし勝利。次走リステッド競走のヘロド賞にも勝ち、G1クリテリウムドサンクルーでは1番人気に支持されるがシャカの2着に敗れる。

1997年はG3フォンテンブロー賞、G1プール・デッセ・デ・プーラン(フランス2000ギニー)を連勝。この後はジョッケクルブ賞(フランスダービー)ではなくマイル路線を進むが、セントジェームズパレスステークスは3着、ジャック・ル・マロワ賞では当時の世界最強マイラースピニングワールドの後塵を拝し2着、ムーラン・ド・ロンシャン賞ではスピニングワールドに加えて中長距離路線から挑戦してきたエリシオにも先着を許す3着と勝ち切れない競馬が続いた。この後馬主がゴドルフィンに代わり、調教師もゴドルフィンお抱えのサイード・ビン・スルールに、主戦騎手もランフランコ・デットーリに代わっている。

古馬時代[編集]

1998年は一転して中距離路線を進み、5月のタタソールズゴールドカップ(この当時はG2)に勝利。プリンスオブウェールズステークス(この当時はG2)の3着を挟んでエクリプスステークスに勝利し、中距離でも世界一流の実力であることを証明して見せた。キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークススウェインの前に4着と完敗を喫するが、次走でアメリカへ遠征しマンノウォーステークスに出走。後にブリーダーズカップ・ターフに勝ちエクリプス賞最優秀芝牡馬のタイトルを獲得するバックスボーイを下し優勝を飾った。その後は欧州に戻りチャンピオンステークス3着の後休養に入った。

1999年初戦は生涯唯一のダート戦となるドバイワールドカップに出走したが5着と惨敗。この年からG1に格上げされたタターソールズゴールドカップでは牝馬シーヴァの2着に敗れた[3]。やや低調な出だしとなった1999年だがこの後は充実の一途を辿る。次走コロネーションカップでは2400mの距離を克服し優勝。キングジョージでは5馬身差、アイリッシュチャンピオンステークスでは2着馬に9馬身差を付ける圧勝でG1を3連勝。次走は凱旋門賞に出走するが、不良馬場が合わなかったのかモンジューエルコンドルパサーの激闘を尻目に9着と大敗する。この後は再びアメリカへ遠征しブリーダーズカップ・ターフを2馬身半差で快勝した。この勝利でこの年から設立されたワールドシリーズ・レーシング・チャンピオンシップの初代王者に輝き、さらにカルティエ賞年度代表馬、最優秀古馬、エクリプス賞最優秀芝牡馬と合計4つのタイトルを獲得し引退、種牡馬入りした。

競走成績[編集]

出走日 競馬場 競走名 距離 着順 騎手 着差 1着(2着)馬
1996年09月19日 ロンシャン カスケード賞 芝1600m 1着 G.モッセ 1 1/2馬身 (Rate Cut)
1996年10月07日 エヴリ ヘロド賞 L 芝1600m 1着 G.モッセ 2馬身 (Bartex)
1996年11月02日 サンクルー クリテリウムドサンクルー G1 芝2000m 2着 G.モッセ 3/4馬身 Shaka
1997年04月27日 ロンシャン フォンテンブロー賞 G3 芝1600m 1着 G.モッセ 2馬身 (Loup Sauvage)
1997年05月11日 ロンシャン プール・デッセ・デ・プーラン G1 芝1600m 1着 G.モッセ 2馬身 (Loup Sauvage)
1997年06月17日 アスコット セントジェームズパレスS G1 芝8f 3着 G.モッセ 5馬身 Starborough
1997年08月17日 ドーヴィル ジャック・ル・マロワ賞 G1 芝1600m 2着 G.モッセ 2馬身 Spinning World
1997年09月07日 ロンシャン ムーラン・ド・ロンシャン賞 G1 芝1600m 3着 G.モッセ 3 1/2馬身 Spinning World
1998年05月24日 カラ タタソールズ金杯 G2 芝10f 1着 L.デットーリ (Stage Affair)
1998年06月16日 アスコット プリンスオブウェールズS G2 芝10f 1着 L.デットーリ 1/2馬身 Faithful Son
1998年07月04日 サンダウン エクリプスS G1 芝10f7y 1着 L.デットーリ 1/2馬身 (Faithful Son)
1998年07月25日 アスコット KGVI&QES G1 芝12f 4着 M.キネーン 3馬身 Swain
1998年09月12日 ベルモントパーク マンノウォーS GI 芝11f 1着 J.ベイリー 1 1/4馬身 (Buck's Boy)
1998年10月17日 ニューマーケット チャンピオンS G1 芝10f 3着 L.デットーリ 2馬身 Alborada
1999年03月28日 ナドアルシバ ドバイワールドC G1 D10f 5着 J.ヴェラスケス 4 1/2馬身 Almutawakel
1999年05月23日 カラ タタソールズ金杯 G1 芝10f110y 2着 L.デットーリ 2 1/2馬身 Shiva
1999年06月04日 エプソム コロネーションC G1 芝12f10y 1着 L.デットーリ 3/4馬身 (Royal Anthem)
1999年07月24日 アスコット KGVI&QES G1 芝12f 1着 L.デットーリ 5馬身 (Nedawi)
1999年09月11日 レパーズタウン 愛チャンピオンS G1 芝10f 1着 L.デットーリ 9馬身 (Dazzling Park)
1999年10月03日 ロンシャン 凱旋門賞 G1 芝2400m 9着 L.デットーリ 24馬身 Montjeu
1999年11月06日 ガルフストリームパーク BCターフ GI 芝12f 1着 L.デットーリ 2 1/2馬身 (Royal Anthem)

種牡馬[編集]

アイルランドのギルタウン・スタッドで種牡馬となり、初年度からアイリッシュダービー等G1を2勝したグレイスワローを出し、順調なスタートを切ったものの、その後が続かなかったために、2006年11月には南アフリカへ輸出されることが発表された。2010年2月にアイルランドに買い戻され、クーラガウンスタッドで種牡馬生活を送ることとなった。南アフリカへの輸出後に、欧州に残した産駒に障害レースでの活躍馬が、多く出てきたことがアイルランド復帰の要因の一つと見られる。

主な産駒[編集]

血統表[編集]

デイラミ血統ミルリーフ系 / Princequillo 4×5=9.38%、Nasrullah、Malindi 4×5=9.38%) (血統表の出典)

Doyoun
1985 黒鹿毛
父の父
Mill Reef
1968 鹿毛
Never Bend Nasrullah
Lalun
Millan Mill Princequillo
Virginia Water
父の母
Dumka
1971 黒鹿毛
Kashmir Tudor Melody
Queen of Speed
Faizebad Prince Taj
Floralie

Daltawa
1989 芦毛
Miswaki
1978 栗毛
Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
Hopespringseternal Buckpasser
Rose Bower
母の母
Damana
1981 芦毛
*Crystal Palace Caro
Hermieres
Denia Crepello
Rose Ness F-No.9-e

主な近親[編集]

脚注[編集]

  1. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2023年4月6日). “GI・7勝の名馬デイラミ死す 29歳…凱旋門賞ではエルコンドルパサーと対戦”. サンスポZBAT!. 2023年4月17日閲覧。
  2. ^ Lees, Jon (2023年4月6日). “Frankie Dettori pays tribute to fan favourite Daylami after legendary horse dies” (英語). mirror. 2023年4月17日閲覧。
  3. ^ シーヴァは日本のノーザンファーム生まれであり、日本生産馬による海外G1初制覇だった

外部リンク[編集]