ドバイミレニアム

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ドバイミレニアム
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1996年3月20日
死没 2001年4月29日(5歳没)
Seeking the Gold
Colorado Dancer
母の父 Shareef Dancer
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 Sheikh Mohammed
Bin Rashid Al Maktoum
馬主 Sheikh Mohammed
Godolphin
調教師 David R. Loder(イギリス
Saeed bin SuroorUAE
競走成績
生涯成績 10戦9勝
獲得賞金 4,452,047ドル(合計)
  英 : 382,581ポンド
  仏 : 1,300,000フラン
  UAE : 3,657,183ドル
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ドバイミレニアム (Dubai Millennium) とはイギリス産の競走馬である。

名前の由来[編集]

「ドバイミレニアム」という名前は、ゴドルフィンを率いるシェイク・モハメドが、2歳のときの動きに感動し、ミレニアム2000年ドバイワールドカップを夢見て名づけた。なお、ドバイミレニアムという名前が決められる前は「Yazaar(ヤゼール)」という名前が付けられていた。

戦績[編集]

2歳シーズンを1戦1勝で終え、3歳春の目標をエプソムダービーに絞る。ただ、血統などからエプソム競馬場の12ハロンの距離への不安がついて回った。3連勝して迎えたエプソムダービーは混戦の様相。本馬は1番人気に推されるも、やはり距離が持たなかったのか、オースの9着と大敗を喫する。

この敗戦を機に、中長距離路線からマイルへ路線変更。ユジェーヌアダム賞を勝利すると、古馬との対戦となったジャック・ル・マロワ賞、さらに秋ヨーロッパ最大のマイルG1クイーンエリザベス2世ステークスと連勝し、力の違いを見せ付ける。

2000年(4歳時)の春になり、最大の目標ドバイワールドカップの開催が近づく。前哨戦のマクトゥームチャレンジラウンド3をコースレコードで制し、ドバイワールドカップへと向かう。この年のドバイワールドカップは本馬が圧倒的人気で、ほかにもアメリカベーレンズ香港インディジェナス日本ワールドクリークなどが出走していた。

スタートが切られ、先頭へ躍り出た本馬はそのまま馬なりで逃げ続け、直線では後続との差を広げる一方でいちども影を踏ませることなくコースレコードの1分59秒5で優勝した。鞍上のランフランコ・デットーリがゴール前からガッツポーズをする余裕の勝利で2着との着差は6馬身。レース後、シェイク・モハメド、鞍上のランフランコ・デットーリはドバイミレニアムを「これまでで最高の馬だ」と褒め称えていた。

その後イギリスでプリンスオブウェールズステークスを勝ち、このままアメリカのブリーダーズカップクラシックに出走する予定だったものの、8月に故障、引退した。

競走成績[編集]

出走日 競馬場 競走名 距離 着順 騎手 着差 1着(2着)馬
1998.10.28 ヤーマウス 未勝利S 芝8f7y 1着 L.デットーリ 5馬身 (Tabareeh)
1999.05.03 ドンカスター 条件S 芝8f 1着 L.デットーリ 9馬身 (Ettrick)
1999.05.18 グッドウッド プレドミネートS L 芝10f 1着 L.デットーリ 3 1/2馬身 (Tabareeh)
1999.06.05 エプソム ダービーS G1 芝12f10y 9着 L.デットーリ 9馬身 Oath
1999.07.28 メゾンラフィット ユジェーヌアダム賞 G2 芝2000m 1着 L.デットーリ 3馬身 (State Shinto)
1999.08.15 ドーヴィル ジャック・ル・マロワ賞 G1 芝1600m 1着 L.デットーリ 2 1/2馬身 (Slickly)
1999.09.26 アスコット クイーンエリザベス2世S G1 芝8f 1着 L.デットーリ 6馬身 (Almushatarak)
2000.03.02 ナドアルシバ マクトゥームチャレンジIII L D2000m 1着 L.デットーリ 4 1/2馬身 (Lear Spear)
2000.03.25 ナドアルシバ ドバイWC G1 D2000m 1着 L.デットーリ 6馬身 (Behrens)
2000.06.21 アスコット プリンスオブウェールズS G1 芝10f 1着 J.ベイリー 8馬身 (Sumitas)

種牡馬実績[編集]

約53億円の保険金が掛けられ、競馬界の期待を背負ってダルハムホールスタッド種牡馬となったが、急性グラスシックネス(馬自律神経症)という奇病を発症し、1世代の産駒を残したのみで2001年4月29日に急死した。その1世代の中から、アイリッシュ2000ギニー、ジャック・ル・マロワ賞を制したドバウィが出て、後継種牡馬を残すことに成功した。

ドバウィは種牡馬入り後に数多くの活躍馬を輩出している他、産駒の中には種牡馬入りしたものも複数あり、ドバイミレニアムの血統を今に繋いでいる。

血統表[編集]

ドバイミレニアム血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ミスタープロスペクター系
[§ 2]

Seeking the Gold
1985 鹿毛
アメリカ
父の父
Mr. Prospector
1970 鹿毛
アメリカ
Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
父の母
Con Game
1974 黒鹿毛
アメリカ
Buckpasser Tom Fool
Busanda
Broadway Hasty Road
Flitabout

Colorado Dancer
1986 黒鹿毛
アメリカ
Shareef Dancer
1980 鹿毛
アメリカ
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Sweet Alliance Sir Ivor
Mrs. Peterkin
母の母
Fall Aspen
1976 栗毛
アメリカ
Pretense Endeavour
Imitation
Change Water Swaps
Portage
母系(F-No.) Change Water系(FN:4-m) [§ 3]
5代内の近親交配 Native Dancer 4×5、Tom Fool 4×5、War Admiral 5×5 [§ 4]
出典
  1. ^ [1]
  2. ^ [2]
  3. ^ [3]
  4. ^ [1]


血統背景[編集]

半弟ドバイエクセレンスと全弟のダージーも血統を評価されて種牡馬入りしている。詳細はそれぞれの項目を参照。

母の母Fall Aspen(メイトロンステークス〈GI〉)が優秀な繁殖成績を残しており、近親には活躍馬や種牡馬が多数揃っている。

脚注[編集]

  1. ^ a b 血統情報:5代血統表|Dubai Millennium(GB)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年5月27日閲覧。
  2. ^ Dubai Millenniumの種牡馬情報”. 競馬ラボ. 2020年5月27日閲覧。
  3. ^ 平出貴昭 (2019年9月18日). “『覚えておきたい世界の牝系100』掲載牝系一覧”. 競馬“血統”人生/平出貴昭. 2020年5月27日閲覧。

外部リンク[編集]