コンテンツにスキップ

ジャンボクイズ100対100

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャンボクイズ100対100
ジャンル クイズ番組
出演者 坂本九
檜山信彦
露崎元弥
視聴者親子ペア100組
製作
制作 フジテレビ
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1974年10月7日 - 1974年12月30日
放送時間月曜 20:00 - 20:55
放送分55分
回数12
テンプレートを表示

ジャンボクイズ100対100』(ジャンボクイズひゃくたいひゃく)は、1974年10月7日から同年12月30日までフジテレビ系列局で放送されていたフジテレビ製作のクイズ番組である。全12回。放送時間は毎週月曜 20:00 - 20:55 (日本標準時)。

概要

[編集]

毎回100組・計200人の親子ペアが参加し、勝ち抜き方式のクイズに挑戦していた視聴者参加型番組。毎回スタジオでの公開形式で行われていた。司会は坂本九が、出題は檜山信彦が担当。檜山は当時ニッポン放送のアナウンサーであったが、坂本から「檜山教授」と呼ばれていた。また12月からは、当時パ・リーグ審判員であった露崎元弥がレギュラー出演した。

番組には4つのコーナーがあった。第1コーナーから第3コーナーまでは親子が別々になり、○×クイズや三択クイズに挑戦。スタジオにいるゲスト出演者を題材にしたクイズを出すこともあった。参加者たちの途中脱落によって人数が絞られていき、残った親子のみが決勝戦の第4コーナーへ駒を進められた。第4コーナーは全5問の生き残り○×クイズで、それまで別々に行動していた親子が合流して問題に挑戦。不正解を出した時点でその親子は即失格とされた。全問正解した親子には、アメリカディズニーランド旅行が贈られた。

放送リスト

[編集]
放送日
(1974年)
サブタイトル ゲスト 備考
1 10月7日 (なし) 輪島大士(当時第54代横綱)、船越英二一家、浅丘ルリ子司葉子若尾文子西城秀樹
2 10月14日 鉄道記念特集 山口百恵桜田淳子風吹ジュン
3 10月21日 (なし) 山崎唯久里千春一家、浅丘ルリ子、司葉子、若尾文子
4 10月28日 研ナオコなべおさみ一家、高松しげお三笑亭夢楽石坂浩二加山雄三、風吹ジュン
5 11月4日 ジャンボ・マックス現る ジャンボマックス郷ひろみ小林亜星レツゴー三匹
6 11月11日 七五三だよ!総勢247人クイズに大挑戦!! 初代林家三平関口宏春風亭柳昇
7 11月25日 フィンガー5クイズに挑戦 フィンガー5、石坂浩二、加山雄三・松本めぐみ夫妻、関口宏・西田佐知子夫妻
8 12月2日 大奮戦、チータと総勢274名 初登場露崎パリーグアンパイア 南利明平凡太郎 この回から露崎がレギュラー入り
9 12月9日 (なし) 立木リサ(後の秋川リサ)、小森和子
10 12月16日 郷ひろみ特集! 郷ひろみ、木原美知子中田カウス・ボタン
11 12月23日 クリスマス特集 あべ静江デューク・エイセス、レツゴー三匹
12 12月30日 ジャンボではばたけ!新年の大空へ!! 加山雄三、南沙織、桂三枝(後の六代目文枝)、沖縄舞踊団

参考:朝日新聞縮刷版』朝日新聞社、1974年10月7日 - 同年12月30日のラジオ・テレビ欄。 

エピソード

[編集]

番組終了間近の1974年12月13日に発行された朝日新聞のラジオ・テレビ欄には、「少なかった打ち切り番組」としてフジテレビのこの『ジャンボクイズ100対100』、NETテレビの『Oh!カップルスター』、読売テレビ日本テレビ系列)の『丹下左膳』、TBSの『歌謡最前線』の4番組が紹介された(いずれも3か月で終了)。短命に終わる番組が多かった当時としては、このクールにおける打ち切り本数がまだ4本と少なかったことに言及されていた。

参考文献

[編集]

外部リンク

[編集]
フジテレビ系列 月曜20:00枠
前番組 番組名 次番組
青い山脈
(1974年4月1日 - 1974年9月30日)
ジャンボクイズ100対100
(1974年10月7日 - 1974年12月30日)
野生のエルザ
(1975年1月6日 - 1975年3月31日)