世界の国からこんにちは

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世界の国からこんにちは
三波春夫
坂本九
吉永小百合
山本リンダ
叶修二
弘田三枝子
西郷輝彦
倍賞美津子
ボニージャックスの楽曲
リリース 1967年
作詞者 島田陽子
作曲者 中村八大

世界の国からこんにちは」は、1970年日本万国博覧会(大阪万博)のテーマソングである。作詞:島田陽子、作曲:中村八大1967年三波春夫坂本九吉永小百合など複数の歌手による競作で各社からレコードが発売され、総売り上げは300万枚を超えた。

作詞の島田陽子は大阪在住の作詞家で詩人で、毎日新聞社主催の一般公募で選ばれた。島田が応募した時点での曲のタイトルは「世界の人がこんにちは」であった[1]

レコードと歌手[編集]

1967年、三波春夫テイチク)、坂本九東芝音楽工業)、吉永小百合日本ビクター)、山本リンダミノルフォン)、叶修二日本グラモフォン)、弘田三枝子日本コロムビア)、西郷輝彦倍賞美津子日本クラウン)、ボニージャックスキングレコード)の8社のレコード会社が競作で発売。前述のように総売上は300万枚を超えたが、中でも三波春夫盤が最高の売り上げを記録し、140万枚を売り上げるミリオンセラーとなった。

1970年には大阪万博開催記念切手リベリアで発行され、三波が登場した。その切手の上部には本楽曲のフレーズの一部が日本語で綴られている。日本の芸能人が海外の切手に登場したのは三波が初めてのことだった。

三波は生涯を通じて本楽曲を歌い続け、三波春夫の代表曲の一つとして知られている。1994年の三波の『芸道55周年記念リサイタル』で三波本人が東京オリンピックのテーマソングである「東京五輪音頭」と本楽曲を「生涯の宝物でございます」と語っている。

上記のように三波の代表曲として知られているが、この歌が初めて世間に発表された会見の際、その場で生で歌ったのは吉永小百合であり、その模様のニュースフィルムは現存している。

万博のタイムカプセル(万博開催から5000年後に開封予定)には、楽曲発表時に吉永が歌唱し、その後三波の代表曲となった経緯とカプセルの製作を松下電器産業(現:パナソニック)を行ったという事情もあり、吉永小百合盤と三波春夫盤が収められている[2][3]

坂本九盤は作曲した中村八大が編曲しており、1968年の「第19回NHK紅白歌合戦」では坂本九が本曲を歌唱した。またボニージャックス盤のB面は石川進の「オバQ万博へ行く」だった。

曲の使用[編集]

収録曲[編集]

三波春夫盤[編集]

  1. 世界の国からこんにちは
  2. 万国博覧会音頭

坂本九盤[編集]

  1. 世界の国からこんにちは
    • 編曲:中村八大
  2. これが音楽
    • 作詞:永六輔、作曲・編曲:中村八大

吉永小百合盤[編集]

  1. 世界の国からこんにちは
  2. みどりの広場

山本リンダ盤[編集]

  1. 世界の国からこんにちは
  2. バットネ(歌:千昌夫他)

叶修二盤[編集]

  1. 世界の国からこんにちは
  2. インストルメンタル

弘田三枝子盤[編集]

  1. 世界の国からこんにちは
  2. 若さが燃えてる

クラウン盤[編集]

  1. 世界の国からこんにちは(歌:西郷輝彦
  2. 世界の国からこんにちは(歌:倍賞美津子

ボニージャックス盤[編集]

  1. 世界の国からこんにちは
  2. オバQ万博へ行く(歌:石川進

カバー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「タイアップの歌謡史」(速水健朗著、洋泉社刊)、P69。
  2. ^ 吉永が所属していた日本ビクターと、三波が所属していたテイチクは、いずれも松下グループだった。
  3. ^ パナソニックの公式ホームページには、吉永盤のみ記述されているが、2個収められたカプセルのうち1個を、2000年に点検のために行われた第1回目の開封で公開した際の報道映像では、吉永盤と三波盤との各1枚が収められていたことが紹介されていた(日本テレビ「ドラマちっくニュース『ドラマを見ればニュースがわかる』」2017年2月17日放送分 など) 。

関連項目[編集]