あべ静江

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
あべ 静江
出生名 阿部 静江(あべ しずえ)
生誕 (1951-11-28) 1951年11月28日(70歳)
出身地 日本の旗 日本三重県松阪市中町
学歴 東海学園女子短期大学
ジャンル 歌謡曲
職業 歌手女優
活動期間 1973年 -
レーベル キャニオン・レコード
CBSソニー

あべ 静江(あべ しずえ、本名:阿部 静江(読み同じ)[1]1951年11月28日 - )は、日本歌手女優三重県松阪市中町出身[2]血液型はA型。高田高校卒業、東海学園女子短期大学(現在の東海学園大学短期大学部)中退。独身。

一般社団法人日本歌手協会理事。歌手デビュー時の所属事務所はシンコーミュージック(現・シンコーミュージック・エンタテイメント)[3]。現在の所属事務所はバルシカ。業務提携はフジプランニング。ニックネームは「しーちゃん」[1]

略歴[編集]

小学生時代から子役として名古屋のテレビ局でドラマに出演していたが、中学時代にいったん芸能界から退く[4]三重県立松阪工業高等学校定時制に進学するが、8ヶ月で高田高校に編入学した[4]

高校卒業後、東海学園女子短期大学に進学すると在学中に東海ラジオの人気DJとなり、周りからの説得を受けて歌手デビューが決まる。

1973年5月25日、“フリージアの香り”のキャッチフレーズで、キャニオン・レコードから『コーヒーショップで』で歌手デビュー。同デビュー曲はオリコンでベスト10内にランクされ、自身最大のヒット曲となった。同年12月31日放映の第15回日本レコード大賞では同曲で新人賞を受賞した。

1973年9月25日の『みずいろの手紙』も続けてヒット。翌1974年12月31日には、当曲で『第25回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。シングル16枚、アルバム8枚を発表した。

映画『トラック野郎・爆走一番星』、テレビドラマ『真夜中のあいさつ』や『青春ド真中!』でのマドンナ(ヒロイン)役や[5]、『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』では千葉真一の恋人役を演じるなど女優としても活躍した。ギャグ漫画がきデカ』の主要キャスト「あべ先生」こと「あべ美智子」の役名・キャラクター設定はあべがモデルである。

2005年から一般社団法人日本歌手協会の理事を務めている。約200組の歌手が参加する歌謡祭の運営や現在(2022年)はコロナ禍における音楽文化の新事業について文化庁との話合いなどの活動をしている。

2007年8月には、NHK総合テレビ放映の『思い出のメロディー』で、同年8月1日に死去した作詞家阿久悠を追悼し『みずいろの手紙』を歌唱。ほか2010年4月20日には、同じくNHKテレビの『NHK歌謡コンサート』でデビュー曲の『コーヒーショップで』を披露するなど、懐メロの歌番組にも度々出演している。

2010年3月にAmebaでブログデビュー、同年6月にはTwitterデビューするなど、以降インターネット上でも積極的に活動している[1]

現在では映画、舞台、テレビ、CM等で活躍中。また、あべの出身地である三重県松阪市での地域イベントにも積極的に参加している。

かなりのゲームフリークで、Nintendo Switchを始めとしたゲーム機やその関連の充電器を常に持ち歩いている。

近年は「夢スター歌謡祭 春組対秋組歌合戦」で全国各地を回っており、江木俊夫おりも政夫らと共に司会を務めている。

2022年3月19日脳梗塞のため救急車で緊急搬送され入院[5]4月12日、リハビリ専門の病院へ転院[6]

人物[編集]

親族[編集]

母方の先祖(6代前)は津藩郷士松本安親[7]、高祖父は伊勢新聞創業者の松本宗一[8][9]、曽祖父は衆議院議員松本宗吾[10]、曾祖伯父は衆議院議員の松本恒之助。 伊勢新聞の仕事を手伝っていた祖父は戦中に上海に渡り事業で成功したが、敗戦により無一文で日本に戻り、直後から引揚者の支援活動をした[3]

父親はラジオ三重の専属ミュージシャン[11]ヴァイオリンピアノギターアコーディオンなどを演奏出来た。母親は前々身のラジオ三重時代から親しまれていた東海ラジオの専属歌手[11]松本ひさ[12]。第4回NHKのど自慢大会で優勝してデビューする筈だったが静江を身篭ったので断念した。両親に結婚を反対されて駆け落ちし[13]、1951年11月28日に伊勢赤十字病院であべが生まれた[3]

子供時代[編集]

当時の実家は中町商店街(現よいほモール)の阿部小間物店[注釈 1]。12歳年下の弟がいる[3]

祖父の影響で[注釈 2]、小さい頃から正義感が強く自分の意思をはっきりと持つタイプだった[3]。幼い頃から少女歌手として、両親に連れられて慰問先でよく歌を歌っていた。また、小学生になると自分で子役になることを決めて活動を始めた。

中学卒業後は「社会勉強になる」という祖父の薦めで定時制工業高校に進学し、学校は楽しかったが生活パターンや同級生の学ぶ姿勢に感化された[注釈 3]ことから、8ヶ月で高田高校に編入学した[4][3]

高田高校では、校内弁論大会で生徒の覇気のなさを訴えたのをきっかけに弁論部に誘われ、その活動に熱中した[4]。他校に出向いた弁論大会では、ヤジに応酬して制限時間を過ぎても話し続けたために、力づくで演壇からおろされたこともあったという[4]4年制大学志望だったが、父親に反対されて東海学園女子短期大学へ進学[11]

歌手デビューまで[編集]

短大1年生の頃に将来芸能界で活動することを考えて、名古屋のテレビタレントセンター(通称・TTC)の試験に合格。TTCで1年間話し方、パントマイム、狂言[注釈 4]などを一流の講師陣から学んだ。本人は「この1年間は私の財産になりました」としている[3]。短大在学中に東海ラジオエフエム愛知の2社でDJを務めた[3]。人気DJとなり、仕事の楽しさを知ったことから短大2年生の夏に大学を中退[3]

当時の東海ラジオの制作部長が父親のミュージシャン仲間で、歌手もしていたあべの少女時代を知っていたこともあって歌手デビューの話が持ち上がる[11]。当時担当した番組『ヤングランド』のディレクターが、あべのためにバンド「欲求不満フォークソング・ボーイズ」[注釈 5]に曲作りを依頼[3]

1972年の年末の番組で同バンドの生演奏をバックにあべの歌が放送され、後日その歌唱テープが業界人たちにも知られることとなった[3]。あべ自身、その時は歌手活動に興味が無かったということだったが、「東海ラジオでの2年間の契約が終わったら辞めていい」と説得されたことで、その後デビューを決めることになる[11]

デビュー時[編集]

デビューと同時に上京し、白金(港区)のマンションで一人暮らしを始めた。ただし、その後も名古屋のラジオ番組に出演するため東京と名古屋を往復し、歌番組にも出演して忙しく、一人暮らしを満喫できなかった[3]

当時所属したシンコーミュージックには、チューリップ甲斐バンドなどがいた。同事務所では、一年に一度所属タレントやスタッフ皆で海外への慰安旅行が恒例だった。慰安旅行で特に印象的だったのは、20代半ばで訪れたエジプトでピラミッドを見学したこと[3]。また若い頃、チューリップのリーダー・財津和夫との交際が噂されたが、これは慰安旅行時の様子を彼の女性ファンたちが誤解したのが原因[注釈 6]

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
キャニオン・レコード
1 1973年
5月25日
A面 コーヒーショップで 阿久悠 三木たかし 馬飼野俊一 A-166
B面 ひまわり
2 1973年
9月25日
A面 みずいろの手紙 三木たかし A-184
B面 恋人たちがいる舗道
3 1974年
1月25日
A面 突然の愛 A-199
B面 もの想い 馬飼野俊一
4 1974年
5月10日
A面 透きとおった哀しみ 山上路夫 A-216
B面 愛の記念日
5 1974年
8月25日
A面 秋日和 阿久悠 三木たかし ボブ佐久間 A-229
B面 公園の昼下り
6 1974年
12月10日
A面 生まれたままの姿で 及川恒平 大野克夫 瀬尾一三 A-242
B面 モジリアニの少女 喜多条忠 すぎやまこういち
7 1975年
6月10日
A面 雨をみていた人 さいとう大三 森田公一 あかのたちお A-261
B面 朝もやの駅
8 1975年
9月25日
A面 私は小鳥 財津和夫 A-282
B面 さようなら二人の昨日
こんにちは私の明日
財津和夫 玉木宏樹
9 1976年
3月25日
A面 心の音 林哲司 A-300
B面 白い雪 そんな雪が私は好き
10 1976年
7月25日
A面 いたずら書き 財津和夫 C-10
B面 TOO HAPPY 野走英美 長谷川きよし 乾裕樹
11 1977年
2月25日
A面 ゆらめき 中里綴 杉田二郎 青木望 C-39
B面 まぶしすぎる春
12 1977年
7月25日
A面 長距離電話 藤公之介 佐藤健 林哲司 C-58
B面 別れしな
CBS・ソニー
13 1978年
10月21日
A面 椿姫 ちあき哲也 川口真 06SH-407
B面 さよならの交差点 竜真知子
14 1979年
5月21日
A面 再会の雨 千家和也 06SH-525
B面
15 1979年
7月21日
A面 ヘイ! セニョリータ 島エリナ Gerd Thumser 川口真 06SH-574
B面 ロンドンへの想い 竜真知子 川口真 船山基紀
キングレコード
16 1993年
11月26日
01 危険なクラス会 荒木とよひさ 杉本真人 桜庭伸幸 KIDS-166
02 夜明けはまだ
自民党
17 2010年
10月13日
01 いちばん、好きだから ecoyuri 鍵一大 PPVA-8178

アルバム[編集]

オリジナル・アルバム[編集]

ベスト・アルバム[編集]

  1. あべ静江 ゴールデン・ベスト241974年10月/C-8003)
  2. あべ静江 DISCOGRAPHY1976年11月/AF-6003)
  3. プレイバック・シリーズ あべ静江1987年11月21日/D28P-6169)
  4. Myこれ!クション あべ静江・BEST2001年11月21日/PCCA-01607)
  5. あべ静江 SINGLEコンプリート2007年7月18日/PCCA-02497)
  6. Myこれ!Lite あべ静江2010年4月21日/PCCS-00105)
  7. ザ・プレミアムベスト あべ静江2012年11月21日/PCCA-03751)
  8. あべ静江 アンソロジー〜Memories for 40years〜2014年5月21日/PCCA-04019)

ライブ・アルバム[編集]

  1. あべ静江リサイタル「青春の愛と哀しみ」より1974年8月25日/C-3047)
  2. あべ静江イン・コンサート「私は小鳥」1975年9月10日/C-3060)

出演[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

ラジオ[編集]

  • しーちゃん、かんこのもう一曲歌いましょ! (2007年4月〜)
  • つりと私
  • あべ静江と太田美知彦のYou & Me(2018年4月 - 、八王子FM
  • 1・2・3 四日市メガリージョン!!3(東海ラジオ

バラエティ[編集]

人形劇[編集]

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1974年(昭和49年)/第25回 みずいろの手紙 15/25 にしきのあきら
注意点
  • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。

NHKみんなのうた出演歴[編集]

初放送年月 曲目 再放送
1979年(昭和54年)10月 - 11月 嵯峨野巡礼 2012年(平成24年)3月26日

CM[編集]

著書[編集]

家族・親族[編集]

松本家(母方)
阿部家(父方)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 大正元年創業で羽織帯揚げ帯締めなどの和装小物、化粧品などを扱っていた[14][15]
  2. ^ 幼いあべが日常のちょっとしたことで判断を迷うと、祖父から「自分で決めてから出直して来なさい」といつも言われていた。
  3. ^ 日中働きながら懸命に学ぼうとしている年上の同級生たちを目の当たりにし、何となく学生生活を送っている自分を恥じた。
  4. ^ 狂言の講師は、和泉流十九世宗家・和泉元秀(和泉元彌の父)だった。
  5. ^ チェリッシュを脱退した奥山敬造と、つボイノリオによるバンド。
  6. ^ 先述の通り事務所関係者を含めてあべや財津和夫が同じ飛行機で海外に旅立ち、後日再び皆で同じ飛行機で空港に降り立った。しかし慰安旅行とは知らない財津の女性ファンたちから、“2人だけで旅行に行った”と勘違いされたという。噂になった頃あべは「財津さんみたいな華やかな方とまさか噂になるなんて光栄です」、財津は「いえいえ、こちらこそ(笑)」と会話したという[3]

出典[編集]

  1. ^ a b c し〜ちゃん”. Amebaブログのあべ静江のプロフィールより. 2022年3月1日閲覧。
  2. ^ 「みずいろの手紙」刊行 あべ静江さん半生つづる 夕刊三重が出版夕刊三重. (2016年6月21日)2016年6月21日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 週刊現代2022年3月5日号「私の地図」第511回・あべ静江p78-80
  4. ^ a b c d e 「弁論大会に燃えた高校時代」毎日新聞2014年6月30日、13頁(「学校と私」)
  5. ^ a b あべ静江が脳梗塞で緊急搬送 収録でスタジオ入るも番組Pが中止判断、入院も意識はっきり快方へ”. 日刊スポーツ (2022年3月20日). 2022年3月20日閲覧。
  6. ^ “脳梗塞のあべ静江が回復 リハビリ専門の病院へ転院”. サンスポ (産経デジタル). (2022年4月12日). https://www.sanspo.com/article/20220412-7ACNBCWWHFOD7BWDTBR6LTINIU/ 2022年4月12日閲覧。 
  7. ^ a b 新・津市人物伝 【香良洲町】 「伊勢新聞」の創業者 松本 宗一三重ふるさと新聞(2013年6月6日 AM 4:55)
  8. ^ a b 鏡開きや歌声で祝う 本紙創刊140周年の祝賀会、あべ静江さんゲスト出演 三重伊勢新聞.(2018-01-18)
  9. ^ a b 歌手・女優 あべ静江さん 歌で人に希望を与えた母東京新聞.(2018年1月28日付)
  10. ^ a b あべ静江、家に閉じこもりストライキ!名曲『みずいろの手紙』を歌うことに抵抗した理由テレ朝POST(2018.04.24)
  11. ^ a b c d e あべ静江『みずいろの手紙』は「男性依存の歌」と“収録拒否”、10年封印し続けた過去”. 週刊女性PRIME. 主婦と生活社 (2021年6月26日). 2021年6月28日閲覧。
  12. ^ 東海ラジオ放送『東海ラジオ放送二十年史』(東海ラジオ放送、1979年11月20日)233頁
  13. ^ あべ静江有名人データベース PASONICA JPN
  14. ^ ⑤どこに あるのかな…この色紙~♪あべ静江オフィシャルブログ「みずいろの手紙」(2012-04-30 18:16:08)
  15. ^ 昨日は☆フルコース~♪あべ静江オフィシャルブログ「みずいろの手紙」(2015-01-13 07:48:37)
  16. ^ 2009年7月15日にCD版がリリースされた(規格品番:PCCS-00072)。
  17. ^ 2009年7月15日にCD版がリリースされた(規格品番:PCCS-00073)。
  18. ^ 2008年7月16日にCD版がリリースされた(規格品番:PCCS-00030)。
  19. ^ 松本恒之助『人事興信録』データベース
  20. ^ 松本宗吾『人事興信録』データベース
  21. ^ 昨日…母が 亡くなりました。。。あべ静江オフィシャルブログ「みずいろの手紙」(2013-04-17 09:51:59)
  22. ^ 昨日・7月24日は~♪あべ静江オフィシャルブログ「みずいろの手紙」(2012-07-25 15:51:19)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]