秋川リサ

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秋川 リサ(あきかわ リサ、1952年5月12日[1] - )は、日本ビーズ作家女優タレント。本名は伊藤 リサ[1]オレンジボックス所属。身長172cm。血液型はB型[1]。1男、1女あり。元女優の伊藤麻里也は娘[1]

来歴[編集]

  • 東京都渋谷区笹塚出身。父親がドイツ系アメリカ人アメリカ軍の軍人)で母親が日本人。母子家庭で育つ。文化学院高等部英語科卒業[1]
  • 15歳でテイジンのモデルとしてデビュー。
  • 16歳でファッション月刊誌「服装」の専属モデルを2年間務める。
  • 17歳で資生堂専属モデルを4年間務める。高校時代、水着の撮影のために1ヶ月間学校を休んだため、帰国した秋川は学校からの厳罰を覚悟したが、特例で学校に残れるように配慮を受けた。しかし資生堂と繊維会社との専属契約をすませていた彼女は、アルバイトOKの高校に転入することに[2]
  • 1970年『anan』のレギュラーモデルとして活躍し、その名前が広く知られる。また、初代テイジン水着キャンペーンガールに選ばれ、1973年まで務める。
  • 1972年「サントリー」「マツダ」「国鉄」現在のJRの専属コマーシャルモデルを務める。同年、1972年、三宅一生 ニューヨークコレクションに参加。また、高田賢三パリコレクションにも参加。また、劇団東京キッドブラザーズ「猿のカーニバル」で舞台初主演。その後、オンシアター自由劇場で「遥かなる鼓笛」(串田和美 作 演出)出演より4年間で5本の作品に出演。
  • 21歳で結婚[3]。その後、離婚。
  • 1973年、「立木リサ」名義で4年間、日本テレビ「11pm」のMCを愛川欽也と務める。
  • 1984年、ハウス食品の専属コマーシャルモデルを務める。
  • 1987年、映画初主演『オン・ザ・ロード』監督は和泉聖治。
  • 32歳で再婚。1986年に男子、1987年に女子を出産。その後、離婚。

人物[編集]

  • 2001年からビーズアートの教室を開き、本などを出版している。
  • 認知症の母を自宅で介護していたが、ある日、母の部屋で数冊の大学ノートを見つける。家計簿かなと思いそのノートを見ると、そこには「娘なんて産まなきゃよかった」「生活の面倒を見ているからって、偉そうに」などの言葉があった。秋川にとっては幼い頃から言われ続けてきた言葉であったが、文章として見ると愕然とした。その後母の徘徊頻度は上がり、これらのことが重なり秋川は母を特別養護老人ホームに入居させる。この経験を秋川は「母の日記」という本にまとめた[4][5]
  • 父親は当時、日本に駐留していたアメリカ軍の技術者で、秋川が生まれる前に日本を去っていたため、両親は正式に結婚していなかった。幼少期はハーフに対する差別が日本にまだあったため「混血」「合いの子」などと称され、いじめを受けた。それでも祖母が「日本人は単一民族だという誇りがあるから、血が混ざった子どもが生まれれば差別や区別されるのは当たり前。まして、親は正式に結婚してないのだから嫌われてもしかたないわね」と言い聞かせたおかげで自分の置かれた立場に納得してくじけずにいられた。モデルという仕事にたどり着いたのも「人と違う風貌を武器にして、人と違う個性を生かしなさい」「自立した女性になりなさい」という祖母のアドバイスによる[2]
  • 2017年9月の取材では、それより10年以上前の時点から『ごはん会』という行事を開催している。「子どもと母がいなくなって、部屋が4つも空いちゃったのよ。うちは3階建てで私はずっと1階にいて、あるとき3階のリビングに行ってみたら、ゴキブリが餓死してたの。生命力のあるゴキブリが餓死する家なんてまずいでしょ。当時はバーやレストランに集まってワイワイガヤガヤやっていたんだけど、家をきれいに維持するためにも、ゴキブリが生きていけるようにするためにも(笑)人を呼んだほうがいいかなって。それに自分の“生存確認”をみんなにしてもらおうと思ったの。“みんな”というのは近所の人やバーで知り合った若者たち。異文化交流も兼ねて、月に数回は家に集まって食事会をしています」とごはん会について雑誌のインタビューで詳しく語っている[2]

出演[編集]

バラエティ[編集]

ほか多数

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

  • オン・ザ・ロード(1982年4月17日、ジョイパックフィルム・ムービー・ブラザーズ / 松竹)
  • ウィークエンド・シャッフル(1982年10月23日、らんだむはうす・幻児プロダクション・JOYPACK FILEM / ジョイパックフィルム) - 三宅とも子 役
  • 探偵物語(1983年7月16日、角川春樹事務所 / 東映) - 直木幸子(クラブのママ) 役(ステージで「私はマンボ」を歌った。)
  • 逃がれの街(1983年10月15日、日本テレビ・田中プロモーション / 東宝) - 三沢夫人 役
  • さびしんぼう(1985年4月13日、アミューズ・シネマ・シティ・東宝映画 / 東宝) - 大村先生 役
  • 嵐の季節 THE YOUNG BLOOD TYPHOON(1995年5月13日、INDEX GUN OFFICE)
  • 洗礼(1996年2月24日、ビデオチャチャンプ・バップ・東北新社 / アルゴ・ピクチャーズ)

舞台[編集]

  • ミツコ〜ウィーンの伯爵夫人〜 (松竹)
  • マクベス (松竹)
  • イノゼーズオフ (松竹)
  • にんじん (松竹)
  • 華麗なる男爵夫人 (松竹)
  • グッバイチャーリー (東宝)
  • 大草原の小さな家 (バンダイ)
  • ブルーエンジェル (ホリプロ 脚本:Pam Gems 演出:加藤直)
  • 洪水の前 (いずみたくフォーリーズ:1982年 脚本:矢代静一 演出:藤田敏夫 音楽:いずみたく 主演:まり役)
  • キネマの天地 (松竹 1987年4月 大阪公演)
  • ラ・カージュ・フォール (東宝 1985年2月 帝国劇場)
  • 逢魔が変暦 (松竹 1988年10月 新橋演舞場)
  • いかれた主婦 (ハウス食品:1990年)
  • もっと泣いてよフラッパー (Bunkamura:1993年1994年:Bunkamuraシアターコクーン)
  • 源氏物語 (1993年11月 作:紫式部 脚本・演出:村井秀安)
  • 大阪から来た女 (松竹:2001年11月 作・演出:斉藤雅文 演出:藤山直美 大阪松竹座・新橋演舞場)
  • 椿姫 (松竹:2004年4月:大阪松竹公演)

オリジナルビデオ[編集]

  • 傷だらけの愛(1995年4月21日、シネマバラダイス)

テレビCM[編集]

写真集[編集]

著書[編集]

  • 私のラマーズ法出産と育児ノート(1987年12月、講談社
  • 秋川リサの子育てはいつだって現在進行形(1989年9月、鎌倉書房)
  • 娘・麻里也とともにアトピーと闘って(1995年3月、ティ・アイ・エス)
  • 秋川リサのビーズワーク(2002年5月、日本ヴォーグ社)
  • 母の日記 (2014年7月、NOVA出版)

レコード[編集]

  • 私のレコード(1973)
作詞:秋川リサ/作曲:高橋信之/編曲:高橋信之/プロデュース:加藤和彦
(c/w 私のレコードB面用)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 『テレビ・タレント人名事典(第6版)』 日外アソシエーツ、2004年6月、18頁。ISBN 978-4-8169-1852-0
  2. ^ a b c 週刊女性2017年9月26日号
  3. ^ <リサの独白>
  4. ^ 「娘なんて産まなければ」母の日記に衝撃 秋川リサさん 朝日新聞 2016年5月10日
  5. ^ 秋川リサ、壮絶介護を綴る…87歳認知症の母との日々 サンケイスポーツ 2014年7月16日

外部リンク[編集]