金剛頂経
『金剛頂経』(こんごうちょうぎょう、こんごうちょうきょう[2]梵: Vajraśekhara Sūtra/Tantra, ヴァジュラシェーカラ・スートラ/タントラ)は、大乗仏教の密教部経典。
後に『初会金剛頂経』(しょえこんごうちょうきょう)と分類される経典、すなわち『一切如来の真実を集めたものと名付ける大乗経典』(梵: Sarvatathāgata-tattvasaṃgrahaṃ-nāma-mahāyāna-sūtraṃ)、略して『真実摂経』(しんじつしょうきょう、梵: Tattvasaṃgraha Sūtra/Tantra, タットヴァサングラハ・スートラ/タントラ))を編纂したグループが、その後次々と作製・編纂していった「金剛頂経」系テキストの総称である。
通常は、不空の『金剛頂経瑜伽十八会指帰』(大正蔵869)の説明に従い、全十八会(部)・十万頌とする。
概要
[編集]日本では、普通に「金剛頂経」という時は『初会金剛頂経』(『真実摂経』)、特に、不空訳『金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経(大教王経)』(大正蔵865)のことを指す。
『初会金剛頂経』(『真実摂経』)は金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)の典拠となる経典で、真言宗や天台宗では密教の「即身成仏」の原理を明確に説いているとしている。真言宗(東密)では特に根本経典(最も重要な経典)とされ、この『金剛頂経』と『大日経』の密教経典を「両部の大経」という。
真言宗で唱えられている『理趣経』(『百五十頌般若』 梵: Adhyardhaśatikā prajñāpāramitā)は、「金剛頂経」系テキストの内、第六会に含まれる『理趣広経』とよばれる文書の略本である。
空海(774年〜835年)は、唐の長安において青龍寺の恵果(746年〜805年)の弟子となり、密教の伝法灌頂を授かり、『初会金剛頂経』の教理と実践方法を伝授(大日如来―金剛薩埵―龍猛―龍智―金剛智―不空―恵果―空海と付法)される。806年に日本に初めて、『初会金剛頂経』に基づく実践体系を伝えている。
「金剛頂経」は龍猛が南天竺の鉄塔のなかで感得したという伝説がある。この経典は大日如来が18の異なる場所で別々の機会に説いた10万頌(じゅ)に及ぶ大部の経典の総称であり、単一の経典ではない。
漢訳経典
[編集]『初会金剛頂経』(『真実摂経』)の漢訳としては、
- 金剛智三蔵(ヴァジュラボーディ/670年頃〜741年)がサンスクリット語から漢訳した『金剛頂瑜伽中略出念誦経(略出念誦経)』4巻(大正蔵866)
- 不空三蔵(アーモガヴァジュラ/705年〜774年)が漢訳した『金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経(大教王経)』3巻(大正蔵865)
- 施護(せご)が漢訳した『一切如来真実摂大乗現証三昧大教王経(現証三昧大教王経)』30巻(大正蔵882)
がある。
サンスクリット原典、チベット語訳も現存し、それらは漢訳では施護訳と対応する。7世紀中頃から終わりにかけて、南インドでその基本形が成立し、次第に施護訳にみられるような完成形態に移行したとされる。
初会金剛頂経(真実摂経)
[編集]『初会金剛頂経』(『真実摂経』)は、
- 金剛界品
- 降三世品
- 遍調伏品
- 一切義成就品
この初会の四大品の構成では、まだ五仏(五智如来・金剛界五仏)や五部族との対応関係が整っておらず、チベットのみに伝わる第二会・第三会に相当するテクスト『金剛頂大秘密瑜伽タントラ』の段階になると、それが明確に説かれるようになる[3][4]。
四大品 | 五部族 | 五仏 |
---|---|---|
金剛界品 | 如来部 | 大日如来 |
降三世品 | 金剛部 | 阿閦如来 |
遍調伏品 | 宝部 | 宝生如来 |
一切義成就品 | 蓮華部 | 無量寿如来 |
羯磨部 | 不空成就如来 |
十八会の構成
[編集]不空の『金剛頂経瑜伽十八会指帰』(大正蔵869)に概要が説明されている「金剛頂経」全十八会の構成は以下の通り。
この内、半数以上が現存する経典と同定されている[5]。
- 初会 - 「一切如来真実摂大乗現証大教王」(『真実摂経』『大教王経』)
- 第二会 - 「一切如来秘密主瑜伽」(『金剛頂大秘密瑜伽タントラ』後半部[3])
- 第三会 - 「一切経集瑜伽」(『金剛頂大秘密瑜伽タントラ』前半部[3])
- 第四会 - 「降三世金剛瑜伽」(『降三世大儀軌王』[6][7])
- 第五会 - 「世間出世間金剛瑜伽」(『一切悪趣清浄タントラ』[5])
- 第六会 - 「大安楽不空三昧耶真実瑜伽」(『理趣広経』[8])
- 第七会 - 「普賢瑜伽」(『理趣広経』[8])
- 第八会 - 「勝初瑜伽」(『理趣広経』[8])
- 第九会 - 「一切仏集会挐吉尼戒網瑜伽」(『サマーヨーガ・タントラ』[9])
- 第十会 - 「大三昧耶瑜伽」
- 第十一会 - 「大乗現証瑜伽」
- 第十二会 - 「三昧耶最勝瑜伽」
- 第十三会 - 「大三昧耶真実瑜伽」(『秘密三昧大教王経』[5])
- 第十四会 - 「如来三昧耶真実瑜伽」
- 第十五会 - 「秘密集会瑜伽」(『秘密集会タントラ』[10])
- 第十六会 - 「無二平等瑜伽」(『無二平等最上瑜伽大教王経』[5])
- 第十七会 - 「如虚空瑜伽」
- 第十八会 - 「金剛宝冠瑜伽」
内容
[編集]大日如来が一切義成就菩薩(いっさいぎじょうじゅぼさつ)(釈尊(しゃくそん))の問いに対して、自らの悟りの内容を明かし、それを得るための実践法が主となっている。その悟りの内容を具体的に示したのが金剛界曼荼羅であり、その実践法の中心となるのが五相成身(ごそうじょうじん)観である。五相成身観とは、行者の汚れた心を、瑜伽の観法を通じて見きわめ、その清浄な姿がそのまま如来の智慧(ちえ)に他ならないことを知り、如来と行者が一体化して、行者に本来そなわる如来の智慧を発見するための実践法である。
注釈書
[編集]8世紀の瑜伽部密教の三大学匠といわれるブッダグヒヤ、アーナンダガルバ、シャーキヤミトラなどの注釈書がチベット訳として残る。
『金剛頂経(真実摂経)』のチベット語訳には注釈書が付随し、現存するものを挙げると、
- ブッダグヒヤ(Buddhaguhya)撰 『タントラ義入』
- シャーキャミトラ(Śākyamitra)撰 『コーサラの荘厳という真実の集成に対する注釈』
- アーナンダガルバ(Ānandagarbha)撰 『一切如来の真実の集成である大乗の現観と名づけるタントラの注・真実の燈明』
- プトゥン(Bu ston rin chen grub)撰 『瑜伽タントラの海に入る船』
の四つがある。
なおブッダグヒヤの『タントラ義入』にはパドマヴァジュラによる再注釈書『タントラ義入釈』がある。
参考文献
[編集]- 立川武蔵、山口しのぶ、森雅秀、正木晃 著、立川武蔵 編『マンダラ ─ 心と身体』財団法人千里文化財団、2006年7月5日。
- 立川武蔵「マンダラとは何か」3-21頁。
- 山口しのぶ「密教の仏たち」23-49頁。
- 森雅秀「マンダラの表現方法とその意味」51-72頁。
- 立川武蔵「空海の思想」73-88頁。
- 正木晃「『マンダラ塗り絵』の可能性 ――色とかたちに心を映す」89-113頁。
- 立川武蔵「現代的な意義」115-129頁。
- 津田真一[11] 『梵文和訳 金剛頂経』 春秋社、2016年。ISBN 439311342X
訳・注解(近年刊)
[編集]脚注・出典
[編集]- ^ 立川 2006, pp. 29–30.
- ^ 立川 2006, p. 29.
- ^ a b c d 乾仁志「中国における「金剛頂経」伝承:「略出経」を中心として」(PDF)『高野山大学密教文化研究所紀要』第8号、和歌山県 : 密教文化研究所、1994年12月、1-27頁、ISSN 09103759。
- ^ a b 宮坂宥峻「『金剛頂経』の構成について」『智山学報』第61巻、智山勧学会、2012年、B81-B93、doi:10.18963/chisangakuho.61.0_b81、ISSN 02865661。
- ^ a b c d 『金剛頂経』第二・三会と第十一会の関連性について - 徳重弘志
- ^ 酒井紫朗「金剛頂降三世大儀軌法王教中観自在菩薩心真言一切如来蓮花大曼翠羅品に就いて」『密教文化』第1950巻第12号、密教研究会、1950年、16-22頁、doi:10.11168/jeb1947.1950.12_16、ISSN 02869837。
- ^ 徳重弘志「四智讃の成立と展開」『印度學佛教學研究』第64巻第1号、日本印度学仏教学会、2015年、431-426頁、doi:10.4259/ibk.64.1_431、ISSN 00194344。
- ^ a b c 川崎一洋「『理趣広経』に説かれるパタの儀礼について」『印度學佛教學研究』第61巻第2号、日本印度学仏教学会、2013年、959-954頁、doi:10.4259/ibk.61.2_959。
- ^ 倉西憲一, 伊集院栞, 加納和雄, ピーター・ダニエル・サント「梵文和訳『サマーヨーガ・タントラ』第1章」『大正大学綜合佛教研究所年報』第41号、大正大学綜合仏教研究所、2019年3月、61-100頁、CRID 1050564288726161664、ISSN 0388645X。
- ^ 記念講演会 - ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
- ^ 著者は仏教学者で真言宗豊山派の僧侶
- ^ 編者は高野山大学教授、他は松長有慶・頼富本宏・奥山直司・今井浄円