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本手帳所持者は[[短期雇用特例被保険者]]とされ、失業時には[[特例一時金]]が給付される。
本手帳所持者は[[短期雇用特例被保険者]]とされ、失業時には[[特例一時金]]が給付される。


== 外国への出稼ぎ ==
=== 外国への出稼ぎ ===
かつて米国や中国に[[家政婦]]や[[売春婦]]として出稼ぎに行く女性もおり、特に[[中国]]へ行く女性は「唐ゆきさん([[からゆきさん]])」と呼ばれた。
かつて米国や中国に[[家政婦]]や[[売春婦]]として出稼ぎに行く女性もおり、特に[[中国]]へ行く女性は「唐ゆきさん([[からゆきさん]])」と呼ばれた。


== 外国からの出稼ぎ ==
=== 外国からの出稼ぎ ===
近年では[[中国]]や[[韓国]]、[[フィリピン]]、[[ブラジル]]、[[ペルー]]、[[パキスタン]]などの[[開発途上国]]や[[中進国]]からの出稼ぎ者が多い([[ニューカマー]])。また、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]や[[カナダ]]、[[オーストラリア]]などの[[先進国]]とされる国々から、[[英語]]教師や[[ホステス]]、[[露天商]]として出稼ぎに来る例も近年目立っている。
近年では[[中国]]や[[韓国]]、[[フィリピン]]、[[ブラジル]]、[[ペルー]]、[[パキスタン]]などの[[開発途上国]]や[[中進国]]からの出稼ぎ者が多い([[ニューカマー]])。また、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]や[[カナダ]]、[[オーストラリア]]などの[[先進国]]とされる国々から、[[英語]]教師や[[ホステス]]、[[露天商]]として出稼ぎに来る例も近年目立っている。

==フィリピン人による海外出稼ぎ==
フィリピンからはこれまで多くの国民が海外に渡って働き、母国の家庭に送金してきた<ref name="nikkei20160217m7">日本経済新聞(2016年2月17日)朝刊第7面「フィリピン人、出稼ぎ鈍化 昨年の外貨送金、伸び低水準 雇用拡大で国内回帰背景」</ref>。フィリピンの人口の1割に相当する1000万人がアメリカや中東諸国などをはじめとする母国の外で暮らす(永住者も含む)。フィリピン人の多くは英語が堪能であるため、世界中で働き、その外貨送金が国内の消費や成長を支えてきた<ref name="nikkei20160217m7"/>。しかしその経済構造が2015年以降変わりつつある<ref name="nikkei20160217m7"/>。フィリピン中央銀行によると2015年1月から11月の同国への銀行経由の外貨送金額は前年同期比3.6パーセント増の228億ドル(約2兆6000億円)であり、ここ数年6パーセント程度の増加を示していたのに比べると鈍化しており、2001年以来の低さになる<ref name="nikkei20160217m7"/>。またフィリピン海外雇用庁によると、2014年に出稼ぎのため出国した国民は183万2668人であり、過去最多を記録した2013年に比べ3600人減った<ref name="nikkei20160217m7"/>。この背景としては、年率6パーセントという新興国の中でも高い経済成長を続ける同国においては、国内雇用の拡大により、労働者の国内回帰が進んでいることがある<ref name="nikkei20160217m7"/>。コールセンターなどの受託業務産業が拡大し、100万人を超える雇用を生み出したほか、他のサービス産業も活発化しているからである<ref name="nikkei20160217m7"/>。それでもフィリピンの人口が年率2パーセント前後の増加を示していることから考えると、国内の労働市場ですべての労働人口を吸収するのは難しく、フィリピンの出稼ぎが大きく減るとは考えられていない<ref name="nikkei20160217m7"/>。また、日本の船舶会社である[[日本郵船]]がフィリピンに商船大学を設立して乗務員を確保していることからも明らかなように、英語に堪能な人材の引き合いは世界各地で根強い<ref name="nikkei20160217m7"/>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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*[[外国人タレント]]
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*[[外国人労働者]]
*[[外国人労働者]]
*[[外国人犯罪]]
*[[家庭内労働者]]
*[[ジャパゆきさん]]
*[[ジャパゆきさん]]
*[[ルーシー・ブラックマンさん事件]]
*[[ルーシー・ブラックマンさん事件]]

2016年4月29日 (金) 01:51時点における版

出稼ぎ(でかせぎ、スペイン語: Dekasegiポルトガル語: Decasségui)とは、所得の低い地域や就職先の少ない地域に在住する者が、単身で所得が高く就職先も多い地域で就労すること。公文書では「出かせぎ」と表記されている(平成22年の国政調査票の添付書類より)。概念的には、出稼ぎにより得た所得の一部を残してきた家族に送金する場合が多いとされている。

概要

北海道庁が発行した「出稼ぎハンドブック[1]によると、出稼労働者とは「1ヶ月以上1年未満居住地を離れて他に雇用されて就労する者であって、その就労期間終了後は、居住地に帰る者をいう。(居住地を離れるとは、自宅以外の場所で寝泊まりすることをいい、就労先の遠近を問わない。)」と定義している。

雇用保険法第62条第1項第5号に基づき、北海道をはじめとする特定地域では、赴任する職場が決まったら最寄りのハローワーク出稼労働者手帳の交付を受けることができる。出稼労働者は、雇用保険制度においては季節的に雇用される者として短期雇用特例被保険者とされる。

日本における出稼ぎ

日本における出稼ぎは、戦前は農村や山村などにおいて製炭などに従事する労働力を他村から受け入れることがあった。戦後高度成長期1970年代まで)に顕著となり、主に東北地方北陸・信越地方などの寒冷地方の農民が、冬季などの農閑期首都圏をはじめとする都市部の建設現場などに働き口を求めて出稼ぎに行くことが多かった。出稼労働者の所得確保の一方で、高度成長に伴う旺盛な需要により労働者不足に悩む都市部への重要な供給源となった。また出稼ぎを題材にした映画や楽曲が多数作られた。(ああ野麦峠吉幾三津軽平野など)

新潟県出身の田中角栄が首相になると、出稼ぎをしなくても雪国で暮らせるようにしようにと日本列島改造論が唱えられ、全国で公共事業が増えた。その結果、出稼労働者は、1972年度の54万9千人をピークに次第に減少している[2]

2003年8月に独立行政法人労働政策研究・研修機構が実施した「出稼労働者就労実態調査票」によると、北海道、青森県、岩手県、秋田県、山形県、新潟県、石川県、兵庫県、長崎県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県の12道県のハローワークが作成した「出稼労働者台帳」(2003年3月末現在有効なもの)に記載された出稼労働者数は41,620人であった[3]

2010年度は1万5千人にまで減少し、出身地域別の内訳は、北海道32.0%、東北60.7%、九州・沖縄4.7%、その他2.6%である[2]

2011年度には送出地の北海道・青森・岩手・沖縄のハローワークに出稼労働者就労支援員(送出地担当)が配置されていた[2]。その目的は「地元における安定した就労を促進しつつ、やむを得ず出稼就労する者に対しては職業相談員によるきめ細やかな職業相談を実施するとともに、受入事業所の指導等を実施」することであり、2015年度も北海道・青森・岩手等に配置されている[4]

2015年時点において工場季節工として働く出稼労働者はいるが、多くの工場では請負労働者派遣に切り替えが進んでおり、直接雇用である出稼労働者の給与はかつてほどは高くない。また、2000年以降は本来の意味における出稼ぎをしている人はほとんどおらず、昨今では出稼ぎという言葉自体が死語となりつつある。

尚、就職先の少ない地方在住の若者が、大都市の大学専門学校に進学するケースや本来は出稼ぎとは言えない就職(常用雇用)のための上京も広義の出稼ぎとする場合がある。1960年代までは工場や中小企業などへの集団就職上京するケースが多かったが、近年は都市部の利便性や豊富な就職先等に憧れて上京するケースが多い。

出稼労働者手帳

2009年発行の出稼労働者手帳(透明になっている箇所に雇用保険被保険者証を差し込んで使う)

出稼労働者手帳(出稼手帳、出稼ぎ手帳)は、出稼労働者に対してハローワークが交付する手帳であり、本手帳の所持者は出稼労働者援護対策措置の対象者とされる。発行にあたっては、ハローワークが出稼労働者台帳番号、雇用保険被保険者番号、血液型を記入し、写真を貼付する。

その後労働者は市町村長から、氏名、性別、世帯主との続柄、本籍、現住所、電話番号、生年月日、世帯員の証明を受ける。有効期限は、発行日から3年間(証明書関係は原則として1年間有効)である。出稼ぎに出ている期間は、住民票は異動させない。

本手帳所持者は短期雇用特例被保険者とされ、失業時には特例一時金が給付される。

外国への出稼ぎ

かつて米国や中国に家政婦売春婦として出稼ぎに行く女性もおり、特に中国へ行く女性は「唐ゆきさん(からゆきさん)」と呼ばれた。

外国からの出稼ぎ

近年では中国韓国フィリピンブラジルペルーパキスタンなどの開発途上国中進国からの出稼ぎ者が多い(ニューカマー)。また、アメリカカナダオーストラリアなどの先進国とされる国々から、英語教師やホステス露天商として出稼ぎに来る例も近年目立っている。

フィリピン人による海外出稼ぎ

フィリピンからはこれまで多くの国民が海外に渡って働き、母国の家庭に送金してきた[5]。フィリピンの人口の1割に相当する1000万人がアメリカや中東諸国などをはじめとする母国の外で暮らす(永住者も含む)。フィリピン人の多くは英語が堪能であるため、世界中で働き、その外貨送金が国内の消費や成長を支えてきた[5]。しかしその経済構造が2015年以降変わりつつある[5]。フィリピン中央銀行によると2015年1月から11月の同国への銀行経由の外貨送金額は前年同期比3.6パーセント増の228億ドル(約2兆6000億円)であり、ここ数年6パーセント程度の増加を示していたのに比べると鈍化しており、2001年以来の低さになる[5]。またフィリピン海外雇用庁によると、2014年に出稼ぎのため出国した国民は183万2668人であり、過去最多を記録した2013年に比べ3600人減った[5]。この背景としては、年率6パーセントという新興国の中でも高い経済成長を続ける同国においては、国内雇用の拡大により、労働者の国内回帰が進んでいることがある[5]。コールセンターなどの受託業務産業が拡大し、100万人を超える雇用を生み出したほか、他のサービス産業も活発化しているからである[5]。それでもフィリピンの人口が年率2パーセント前後の増加を示していることから考えると、国内の労働市場ですべての労働人口を吸収するのは難しく、フィリピンの出稼ぎが大きく減るとは考えられていない[5]。また、日本の船舶会社である日本郵船がフィリピンに商船大学を設立して乗務員を確保していることからも明らかなように、英語に堪能な人材の引き合いは世界各地で根強い[5]

脚注

  1. ^ 北海道経済部労働局雇用労政課編集「出稼ぎハンドブック」2014年8月発行
  2. ^ a b c 厚生労働省:平成23年度出稼労働者パンフレット
  3. ^ 独立行政法人労働政策研究・研修機構2015年11月9日閲覧
  4. ^ 厚生労働省:平成27年度行政事業レビューシート(事業番号0520)2015年11月9日閲覧
  5. ^ a b c d e f g h i 日本経済新聞(2016年2月17日)朝刊第7面「フィリピン人、出稼ぎ鈍化 昨年の外貨送金、伸び低水準 雇用拡大で国内回帰背景」

関連項目