三田駅 (東京都)
![]() |
三田駅 | |
---|---|
![]() A9番出入口(2019年8月27日撮影) | |
みた Mita | |
東京都港区芝五丁目34-10(浅草線) 北緯35度38分48.8秒東経139度44分50秒座標: 北緯35度38分48.8秒 東経139度44分50秒 東京都港区芝五丁目18-8(三田線) 北緯35度38分53.4秒東経139度44分55.7秒 | |
所属事業者 | 東京都交通局(都営地下鉄) |
電報略号 | 三(駅名略称) |
駅構造 | 地下駅 |
ホーム |
1面2線(浅草線) 2面2線(三田線、2層式) |
乗降人員 -統計年度- |
(浅草線)112,555人/日 (三田線)109,806人/日 (合計)222,361人/日 -2018年- |
開業年月日 | 1968年(昭和43年)6月21日 |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | ●[1]浅草線 |
駅番号 | A08[1] |
キロ程 | 8.0km(西馬込起点) |
◄A 07 泉岳寺 (1.1km) (1.5km) 大門 A 09► | |
所属路線 | ●[1]三田線 |
駅番号 | I04[1] |
キロ程 | 4.0km(目黒起点) |
◄I 03 白金高輪 (1.7km) (0.6km) 芝公園 I 05► | |
乗換 |
田町駅 (JR山手線・JR京浜東北線) |
三田駅(みたえき)は、東京都港区芝五丁目にある、東京都交通局(都営地下鉄)の駅である。
概要[編集]
浅草線と三田線が乗り入れており、それぞれ駅番号として、浅草線にA 08、三田線にI 04が制定されている。
また、東日本旅客鉄道(JR東日本)山手線・京浜東北線田町駅は乗換駅となっており、当駅A4出口が田町駅の三田口に隣接する形になっている。しかし、JR田町駅では乗換案内は行っておらず、連絡運輸は定期券に限定されている。
歴史[編集]
- 1968年(昭和43年)6月21日:都営地下鉄1号線の三田駅が開業し、日本国有鉄道(国鉄)田町駅と乗り換え業務を開始。
- 1973年(昭和48年)11月27日:都営地下鉄6号線の三田駅が開業。当初は終着駅だった。
- 1978年(昭和53年)7月1日:都営地下鉄1号線を浅草線に、都営地下鉄6号線を三田線に改称。
- 2000年(平成12年)9月26日:三田線が目黒駅まで延伸し、中間駅になる。同時に三田駅務区が廃止となり、日比谷駅務管理所管内日比谷駅務区の被管理駅となる(浅草線業務は引き続き五反田駅務区管轄)。
- 2015年(平成27年)4月1日:浅草線業務が五反田駅務管理所五反田駅務区から日比谷駅務管理所日比谷駅務区に移管される。
- 2016年(平成28年)4月1日:駅務区制から駅管区制に移行されて、日比谷駅務管理所管内日比谷駅務区の被管理駅から日比谷駅管区の被管理駅となる
駅構造[編集]
浅草線は第一京浜(国道15号)、三田線は日比谷通りそれぞれの真下にあり、連絡通路で相互に連絡している。両駅は近接しているものの、連絡通路に高低差があることから、乗り換えには約3分程度を要する。なお、連絡通路には両線の発車標が設置されている。A9出口付近に定期券発売所がある。
浅草線は島式ホーム1面2線を有する地下駅で、地下2階にある。
三田線は単式ホーム1面1線が2つある地下駅で、目黒方面が地下2階、西高島平方面が地下3階と、2層式のホームになっている。このような構造となった要因は、直上の東京都保有地(かつての都電三田電車営業所の敷地も含む)にスペースを収めたことと、建設当時は東京急行電鉄池上線・泉岳寺線と相互直通運転を行う計画で、浅草線と並行して泉岳寺方面に延伸可能な設計としたためである。しかし、この延伸計画は消滅し、結局白金高輪で東京メトロ南北線(開業は帝都高速度交通営団時代)と区間を共用して目黒まで延伸し、東急目黒線と相互直通運転を行う形をとった。なお、三田線が目黒まで延伸される前は2層式のホームがともに西高島平方面のりばとなっており、案内掲示板等で先発列車の発車ホームを確認する必要があった。
エスカレーターは三田線改札口 - ホーム間と浅草線・三田線連絡通路内に、エレベーターは浅草線泉岳寺寄り改札口 - ホーム間と三田線芝公園寄り改札口 - ホーム間に設置されている。この他、A3出入口に直結するアミタにはエスカレーターとエレベーターが、A8出入口にはエスカレーターが、三田線芝公園寄り改札口の反対側にはエレベーター専用出入口が設置されている。
トイレは、浅草線泉岳寺寄り改札口の反対側と三田線ホームに設置されている。3番線ホーム設置のものを除き、「だれでもトイレ」が設置されている。
A1からA10まで10か所の出入口があるほか、三田ステーションビル「アミタ」にも直結している。さらに、三田線の駅からはNECスーパータワーに直結した出入口がある他、三菱自動車工業本社が入居する第一田町ビルと第二田町ビルに直結した出入口がある。なお、第二田町ビル脇には、連絡通路を経由した2か所の地上への出入口が設置されている。
のりば[編集]
番線 | 路線 | 行先 |
---|---|---|
1 | ![]() |
西馬込・![]() |
2 | 押上・![]() | |
3 | ![]() |
白金高輪・目黒・![]() |
4 | 日比谷・巣鴨・西高島平方面 |
利用状況[編集]
- 都営地下鉄[利用客数 1]
- 浅草線 - 2018年度の1日平均乗降人員は112,555人(乗車人員:56,185人、降車人員:56,370人)である。浅草線内では押上駅、泉岳寺駅、大門駅に次ぐ第4位。
- 三田線 - 2018年度の1日平均乗降人員は109,806人(乗車人員:54,979人、降車人員:54,827人)である。三田線内では神保町駅次ぐ第2位。
年度別1日平均乗降人員[編集]
近年の1日平均乗降人員は下表の通り。
年度 | 都営地下鉄 | |||
---|---|---|---|---|
浅草線 | 三田線 | |||
1日平均 乗降人員 |
増加率 | 1日平均 乗降人員 |
増加率 | |
2003年(平成15年) | 84,308 | −0.6% | 76,561 | −0.5% |
2004年(平成16年) | 83,239 | −1.3% | 76,386 | −0.2% |
2005年(平成17年) | 85,126 | 2.3% | 78,268 | 2.5% |
2006年(平成18年) | 88,086 | 3.5% | 80,791 | 3.2% |
2007年(平成19年) | 94,212 | 7.0% | 87,784 | 8.7% |
2008年(平成20年) | 96,567 | 2.5% | 92,265 | 5.1% |
2009年(平成21年) | 96,720 | 0.2% | 93,702 | 1.6% |
2010年(平成22年) | 94,933 | −1.8% | 92,331 | −1.5% |
2011年(平成23年) | 91,208 | −3.9% | 88,881 | −3.7% |
2012年(平成24年) | 93,072 | 2.0% | 91,406 | 2.8% |
2013年(平成25年) | 94,813 | 1.9% | 93,919 | 2.7% |
2014年(平成26年) | 97,251 | 2.6% | 96,226 | 2.5% |
2015年(平成27年) | 101,939 | 4.8% | 100,132 | 4.1% |
2016年(平成28年) | 106,281 | 4.3% | 103,825 | 3.7% |
2017年(平成29年) | 109,196 | 2.7% | 106,988 | 3.0% |
2018年(平成30年) | 112,555 | 3.1% | 109,806 | 2.6% |
年度別1日平均乗車人員(1968年 - 2000年)[編集]
年度 | 浅草線 | 三田線 | 出典 |
---|---|---|---|
1968年(昭和43年) | [備考 1]6,420 | 未 開 業 |
[東京都統計 1] |
1969年(昭和44年) | 11,011 | [東京都統計 2] | |
1970年(昭和45年) | 13,177 | [東京都統計 3] | |
1971年(昭和46年) | 15,120 | [東京都統計 4] | |
1972年(昭和47年) | 16,090 | [東京都統計 5] | |
1973年(昭和48年) | 17,063 | [備考 2]8,888 | [東京都統計 6] |
1974年(昭和49年) | 20,277 | [東京都統計 7] | |
1975年(昭和50年) | 21,407 | [東京都統計 8] | |
1976年(昭和51年) | 14,808 | 7,329 | [東京都統計 9] |
1977年(昭和52年) | 15,400 | 7,948 | [東京都統計 10] |
1978年(昭和53年) | 15,233 | 7,860 | [東京都統計 11] |
1979年(昭和54年) | 15,604 | 8,134 | [東京都統計 12] |
1980年(昭和55年) | 16,142 | 9,466 | [東京都統計 13] |
1981年(昭和56年) | 16,704 | 10,312 | [東京都統計 14] |
1982年(昭和57年) | 17,258 | 10,608 | [東京都統計 15] |
1983年(昭和58年) | 18,126 | 11,473 | [東京都統計 16] |
1984年(昭和59年) | 18,608 | 12,014 | [東京都統計 17] |
1985年(昭和60年) | 18,644 | 12,132 | [東京都統計 18] |
1986年(昭和61年) | [備考 3]38,573 | [備考 4]32,581 | [東京都統計 19] |
1987年(昭和62年) | 19,634 | 12,350 | [東京都統計 20] |
1988年(昭和63年) | 19,951 | 12,808 | [東京都統計 21] |
1989年(平成元年) | 20,567 | 13,570 | [東京都統計 22] |
1990年(平成 | 2年)20,863 | 14,323 | [東京都統計 23] |
1991年(平成 | 3年)22,000 | 15,003 | [東京都統計 24] |
1992年(平成 | 4年)[備考 3]42,781 | [備考 4]37,151 | [東京都統計 25] |
1993年(平成 | 5年)[備考 3]42,211 | [備考 4]36,792 | [東京都統計 26] |
1994年(平成 | 6年)[備考 3]41,356 | [備考 4]36,277 | [東京都統計 27] |
1995年(平成 | 7年)21,352 | 14,281 | [東京都統計 28] |
1996年(平成 | 8年)21,384 | 14,655 | [東京都統計 29] |
1997年(平成 | 9年)21,959 | 14,893 | [東京都統計 30] |
1998年(平成10年) | 22,337 | 15,167 | [東京都統計 31] |
1999年(平成11年) | 21,609 | 14,653 | [東京都統計 32] |
2000年(平成12年) | 21,677 | 15,929 | [東京都統計 33] |
年度別1日平均乗車人員(2001年以降)[編集]
年度 | 浅草線[備考 3] | 三田線[備考 4] | 出典 |
---|---|---|---|
2001年(平成13年) | 22,170 | 17,534 | [東京都統計 34] |
2002年(平成14年) | 22,167 | 17,723 | [東京都統計 35] |
2003年(平成15年) | 21,145 | 16,874 | [東京都統計 36] |
2004年(平成16年) | 20,255 | 16,534 | [東京都統計 37] |
2005年(平成17年) | 20,370 | 16,652 | [東京都統計 38] |
2006年(平成18年) | 43,512 | 40,523 | [東京都統計 39] |
2007年(平成19年) | 46,590 | 43,852 | [東京都統計 40] |
2008年(平成20年) | 48,071 | 46,112 | [東京都統計 41] |
2009年(平成21年) | 48,236 | 46,793 | [東京都統計 42] |
2010年(平成22年) | 47,299 | 46,241 | [東京都統計 43] |
2011年(平成23年) | 45,527 | 44,415 | [東京都統計 44] |
2012年(平成24年) | 46,268 | 45,791 | [東京都統計 45] |
2013年(平成25年) | 47,153 | 47,049 | [東京都統計 46] |
2014年(平成26年) | 48,479 | 48,202 | [東京都統計 47] |
2015年(平成27年) | 50,811 | 50,183 | [東京都統計 48] |
2016年(平成28年) | 53,044 | 51,997 | [東京都統計 49] |
2017年(平成29年) | 54,527 | 53,586 | [東京都統計 50] |
2018年(平成30年) | 56,185 | 54,979 |
- 備考
駅周辺[編集]
駅前を交通量の多い第一京浜(国道15号)が通り、三菱自動車工業や日本電気、森永製菓をはじめとしていくつかの大企業の本社が点在し、高層・超高層のビルが多い。また、慶應義塾大学や戸板女子短期大学をはじめとして学校などの教育施設も多いため、学生街の様相も呈し、飲食店など商業施設も集積している。港区の他のエリアと同様、近隣にボツワナやハンガリー、イタリアなど多数の大使館も立地する。
隣接する田町駅の芝浦口方面は埋め立て地であり、倉庫やオフィスが多く立地するのとは対照的に、高級住宅やマンションが立地するほか、駅周辺にも高層高級マンションが建設されている。
交通[編集]
官公施設[編集]
大使館[編集]
医療機関[編集]
- 一般財団法人船員保険会 品川シーズンテラス健診クリニック
教育施設[編集]
- 慶應義塾大学 三田キャンパス
- 東京工業大学 キャンパスイノベーションセンター
- 芝浦工業大学 芝浦キャンパス
- 聖徳大学 サテライトキャンパス
- 戸板女子短期大学
- 慶應義塾女子高等学校
- 東京工業大学附属科学技術高等学校
- 正則高等学校
- 東京女子学園中学校・高等学校
- 普連土学園中学校・高等学校
- 東京都立三田高等学校
- 慶應義塾中等部
- 港区立三田中学校
- 港区立芝小学校
- 港区立芝浦小学校
- 東京インターナショナルスクール
- 読売理工医療福祉専門学校
- 三田幼稚園
- みなと幼稚園
宗教施設[編集]
企業[編集]
- 森永製菓 本社
- 森永乳業 本社
- 三菱自動車工業 本社
- 日本電気 本社
- 三井住友信託銀行 芝営業部(旧・中央三井信託銀行 本店)
- バンダイナムコホールディングス 本社
- バンダイナムコエンターテインメント 本社
- 長谷工コーポレーション 本社
- 廣済堂 本社
- NTTレゾナント 本社
- ジャパンタイムズ 本社
- トヨタテクノクラフト 本社
- 東京トヨペット 本社
- ヤナセ 本社
- TBWA\HAKUHODO 本社
- あすか製薬 本社
- 日本レジャーチャンネル 本社
郵便局[編集]
- 港芝四郵便局
- 港芝浦郵便局
銀行[編集]
- みずほ銀行 芝支店
- 三菱UFJ銀行
- 田町支店
- 三田支店
- 田町支店内に三田支店がある[注 1]。
- りそな銀行 田町支店
- 三井住友銀行 三田通支店
- 三井住友信託銀行 芝営業部
- 芝信用金庫 三田支店
- さわやか信用金庫 東京港支店
- 大東京信用組合田町駅前支店
- 中央労働金庫田町支店
宿泊施設[編集]
- セレスティンホテル
- アパホテル三田駅前
- ホテル三田会館
- 春日旅館
- ヴィラフォンテーヌ 田町
- JALシティ 田町東京
- トレストイン田町
- グレイスリー田町
- チサンホテル浜松町
娯楽・スポーツ施設[編集]
- 港区スポーツセンター
- 東京ポートボウル
その他[編集]
- 三田ステーションビル「アミタ」
- 森永プラザ
- 三田NNホール
- 笹川記念会館
- ザ・イトヤマタワー
- 住友不動産三田ツインビル
- ラ・トゥール三田
- カテリーナ三田
- ポロロッカ芝店
- 芝パークタワー
- ハンファビル
- グランパーク
- 大丸ピーコック グランパーク店
- 芝浦アイランド
バス路線[編集]
最寄り停留所は、第一京浜上などにある三田駅前、田町駅前、浅草線三田駅前、三田線三田駅前、田町駅西口となる。以下の路線が乗り入れ、東京都交通局、フジエクスプレスにより運行されている。
- 三田駅前
- 田町駅前
- 浅草線三田駅前
- 港区コミュニティバス「ちぃばす」
- 田町ルート:六本木ヒルズ行、田町駅東口行
- 芝ルート:新橋駅行、田町駅東口・みなとパーク芝浦行
- 高輪ルート:品川駅東口行
- 三田線三田駅前
- 港区コミュニティバス「ちぃばす」
- 田町ルート:田町駅東口行
- 芝ルート:田町駅東口・みなとパーク芝浦行
- 田町駅西口
- 港区コミュニティバス「ちぃばす」
- 田町ルート:田町駅東口行
- 芝ルート:田町駅東口・みなとパーク芝浦行
駅名の由来[編集]
三田三丁目にある「御田八幡神社」の「御田」がいつしか「三田」になったのが由来。古くは「御田」と呼ばれていたこの地が戦国時代の頃には「荏原郡三田郷」になり、江戸時代に「荏原郡三田村」に変更され、最終的に「三田」になったものである。
だが、一説にはこの地に「屯田(みた)」や「御田八幡神社」の「神田(みた)」が広がっており、それが「三田」になったともいう。
JR田町駅と駅名が違うのは、田町駅の三田口に駅が設置されたためである。当駅は田町駅とともに三田とは離れていたが、三田側の住民や施設関係者の請願によって名付けられた。なお、開業前は「田町」「芝」「芝田町」などが候補に挙げられていた。
都営地下鉄や東京地下鉄(東京メトロ)では「駅の設置場所をできるだけそのまま駅名にする」のが原則であるため、大門駅や国立競技場駅など、「前」を付けない駅名が見られる。
付記[編集]
- イギリスのロックバンド、ポリスが1978年に発表した楽曲「So Lonely」のプロモーションビデオ撮影に当駅が使われている。
隣の駅[編集]
脚注[編集]
記事本文[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
利用状況[編集]
- 地下鉄の1日平均利用客数
- 地下鉄の統計データ
- 東京都統計年鑑
- ^ 昭和43年
- ^ 昭和44年
- ^ 昭和45年
- ^ 昭和46年
- ^ 昭和47年
- ^ 昭和48年
- ^ 昭和49年
- ^ 昭和50年
- ^ 昭和51年
- ^ 昭和52年
- ^ 昭和53年
- ^ 昭和54年
- ^ 昭和55年
- ^ 昭和56年
- ^ 昭和57年
- ^ 昭和58年
- ^ 昭和59年
- ^ 昭和60年
- ^ 昭和61年
- ^ 昭和62年
- ^ 昭和63年
- ^ 平成元年
- ^ 平成2年
- ^ 平成3年
- ^ 平成4年
- ^ 平成5年
- ^ 平成6年
- ^ 平成7年
- ^ 平成8年
- ^ 平成9年
- ^ 平成10年 (PDF)
- ^ 平成11年 (PDF)
- ^ 平成12年
- ^ 平成13年
- ^ 平成14年
- ^ 平成15年
- ^ 平成16年
- ^ 平成17年
- ^ 平成18年
- ^ 平成19年
- ^ 平成20年
- ^ 平成21年
- ^ 平成22年
- ^ 平成23年
- ^ 平成24年
- ^ 平成25年
- ^ 平成26年
- ^ 平成27年
- ^ 平成28年
- ^ 平成29年
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
|
|