モカ

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モカ
المخا
Mocha, Mokha
モカ(1996年)
モカ(1996年)
位置
モカ (Mocha) の位置の位置図
モカ (Mocha) の位置
座標 : 北緯13度19分 東経43度15分 / 北緯13.317度 東経43.250度 / 13.317; 43.250
行政
イエメンの旗 イエメン
  タイズ県
 町 モカ
その他
等時帯 イエメン標準時 (UTC+3)
夏時間 なし

モカ(英字転写:MokhaMochaアラビア語: المخا‎、Al Mukha、アル=ムハー)は、イエメン共和国都市である。 アラビア半島南西端にあり、紅海に面している。 アデンホデイダが建設されるまでは、イエメンの主要港だった。

歴史[編集]

コーヒーで栄えた時代のモカ(1692年

15世紀、珈琲豆の積出が始まった。 コーヒーノキの原産地はエチオピアであるが、これを世界に広めたのはアラビア半島の商人達で、モカはコーヒー発祥の地とされている。

16世紀オスマン帝国に征服された。 帝国は紅海を通行する船舶にモカでの納税を義務付けたという。

17世紀、モカは珈琲取引で絶頂期を迎え、砦を中心に城壁が築かれた。 約400人のユダヤ人が貿易に携わっていた[1]ザイド派が支配するようになる。

18世紀ペストの大流行によって人口の半分を失い、以降衰退が止まる事は無かった[1]

19世紀前半まで、イギリス・オランダ・フランスはモカに工場を持ち、珈琲等の輸出を行った。

1820年12月、イギリスの東インド会社所属のフランスのフリゲート艦が、北と南の砦を攻撃・破壊した。 これはイギリスのモカ市政府への要望を通すための攻撃だった。

1835年ムハンマド・アリー朝(エジプト)のイブラーヒーム・パシャの攻撃によって海岸近くの城壁と砦が破壊され[1]、征服された。 この頃にはエチオピアが自国の珈琲豆を直接輸出しており、価格がモカ経由の1/3だった事から、モカの立場は低下していた[2]

19世紀末のトルコ人統治者の館

1839年、イギリスがアデンを中心とする南イエメンを征服すると、モカの港湾機能はアデンに取って代わられた。

1849年、オスマン帝国に再征服される。

1909年頃、城壁が破壊された[3]

1918年イエメン王国の一部としてオスマン帝国から独立した。

1962年、イエメン王国が滅亡し、イエメン・アラブ共和国(北イエメン)が建国した。

1990年、南北イエメンが統一し、イエメン共和国が建国した。

2015年3月、内戦が始まり、フーシ派に占領された。[4]

現在、コーヒー豆集散地の機能は無く[5]漁業と小規模な観光で成り立つ。

モカコーヒー[編集]

モカコーヒー: Mokha coffeeMocha coffee)あるいは単にモカ とは、イエメンの首都サナアの外港であるモカからかつてコーヒー豆が多く積み出されたことに由来する、コーヒー豆の収穫産地を指すブランドである[5]

かつてモカの港からは、イエメン産のコーヒー豆の他、対岸のエチオピア産の豆も一緒に輸出されたため、両国産のコーヒー豆を合わせて「モカ」と呼んでいる。

2008年5月日本で、エチオピア産コーヒー生豆から基準値を超える有害成分が検出された事から輸入が規制され、日本国内では非常に手に入りにくくなった[6]

イエメン産とエチオピア産[編集]

イエメン産のコーヒー豆は特に「モカ・マタリ」 (Mokha Mattari) ともいい、イエメン北西部の高地産である。さわやかな香りと強い酸味のある味わいが特徴で、かつて「コーヒールンバ」に唄われていたためか、日本でも人気が高い。「No.9」というのが、欠点豆の混入が比較的少ない等級であるが、ブラジルのNo.2抔と比べると数倍から十倍ほどの欠点豆があり、焙煎に際しては、入念なハンドピックが必要である。

エチオピア産は、シダモ (Sidamo)、ハラー (Harrah)、ディマ、レケンプティなど、収穫地名をつけて販売されることが多い。焙煎・抽出後のコーヒーは苦みが少ない代わりに酸味が非常に強く、フルーティーな香りがある。

モカコーヒーは、フルーティーな香りと強い酸味が特長で、比較的高価なモカ・マタリはストレートで飲まれることが多いが、エチオピア産はブラジルなど苦みが強い豆とブレンドされることが多い。特に苦みの強い、ジャワ産ロブスタ種とのブレンドは、モカジャバとして親しまれている。

日本での「モカ」と文化[編集]

音楽
コーヒールンバ」(歌:西田佐知子、1961年発売)
一杯のコーヒーから」(歌:霧島昇・ミス・コロムビア、1939年発売)
喫茶店の片隅で」(歌:松島詩子、1951年発売、1960年再発売)
焙煎したコーヒー豆のような、赤みを帯びた焦げ茶色をモカと言うこともある。

脚注[編集]

  1. ^ a b c Iben Safir, (vol. 1), Jacob Saphir, Lyck, 1866, pp. 110a– 111a (Hebrew)
  2. ^ Johann Ludwig Burckhardt (John Lewis Burckhardt), Travels in Nubia 1819.
  3. ^ Michael Friedländer, Hermann Burchardt: Mitteilungen aus seinen letzten Briefen (Messages from his last letters), published in Journal: Ost und West (Illustrated monthly magazine for all of Judaism), issue 2 / February 1910, Berlin, p. 108 (German).
  4. ^ “Key waterway under threat as Houthi militiamen advance”. Saudi Gazette. (2015年3月24日). オリジナル2015年4月2日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150402133812/http://www.saudigazette.com.sa/index.cfm?method=home.regcon&contentid=20150325238084 2015年3月25日閲覧。 
  5. ^ a b 「イエメンモカの多彩な表情を楽しむ」、『SALUS 2013年9月号』 (東京急行電鉄株式会社) 第150巻31頁、2013年 
  6. ^ 輸入食品に対する検査命令の実施について(中国産鶏肉及びその加工品並びにエチオピア産生鮮コーヒー豆)

関連項目[編集]