ザイド派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

ザイド派(ザイドは、アラビア語: زيدية‎、DMG方式: Zaidīya、英語: Zaidiyyah, Zaidism)は、9世紀に成立したイスラム教シーア派の一分派である。フサイン・イブン・アリーの孫ザイド・イブン・アリーとその子孫をイマーム(最高指導者)として認める[1]

この点、第4代正統カリフアリー・イブン・アビー・ターリブと妻ファーティマとの子孫のみを正当なイマームとみなす、他のシーア派の大多数と異なる[2]

864年カスピ海南岸タバリスターンアラヴィー朝(別名ザイド朝)を建て[2]928年まで存続させた。

893年にはイエメンにラッシー朝を築いた。イエメンのイマームは1962年イエメン王国崩壊まで継続した[2]。ザイド派武装組織フーシは、2015年1月イエメン政府の実権を完全に掌握した[3]

特徴[編集]

法学理論に関しては、ザイド・イブン・アリーが残した『マジュムーア・ル=フィクフ』(アラビア語: مجموع الفِقه, Majmu’ al-Fiqh)に記載された教えに従う。ザイド派のフィクフ(イスラーム法学)は、ハナフィー学派に似ている[4]スンニ派に属する同学派の創始者であるとされるアブー・ハニーファ英語版は、ザイド派の主張に好意的であり、寄進することすらした[5]

神学理論に関しては、ムゥタズィラ学派と全く同じではないが非常に近い。両派の間にはイマームの権威を認めるか認めないかという違いがある以外に相違点は少ない(ムゥタズィラ学派は認めない)。シーア派の中では非常にスンニ派に似ている[6]。なぜなら、ザイド主義はスンニ派の学者と教理と法理論を共有するからである[7]

信仰に関しては、ウマイヤ朝が暴政を行い堕落しているとして反乱軍を率いたザイド・イブン・アリーこそがイマームを継ぐべき正統者だと信じる。ムハンマド・バーキルは政治的な行動を起こしておらず、ザイドに従った者たちは真のイマームは堕落した支配者と戦わねばならぬと信じた[8] アブー・ハニーファは、ウマイヤ朝カリフに対して反乱を起こしたザイドに賛意を表明するファトワーという声明を出した。また、民衆に蜂起に参加しザイドに資金援助するよう促しもした[9]

他のシーア派ムスリムとは対照的に、ザイド派は、フサイン以降のイマームの無謬性を信じない。また、イマームが父から息子へと引き継がれなければならないとも信じない。しかし、ハサン・イブン・アリーフサイン・イブン・アリーの兄弟のどちらかの子孫には、イマームとなりうる資質が備わっていると信じる。シーア派の主流は、イマームが父から息子へと必ず受け継がれなければならないとは信じない。このことは、二代目のイマームだったハサン・イブン・アリーから、ハサンが死ぬと、弟のフサイン・イブン・アリーへとイマームの権威が移動したことでもわかる。

歴史[編集]

8世紀-11世紀マグレブのザイド派政権、イドリース朝の勢力範囲。
9世紀-11世紀アラビア半島中央部のザイド派政権、アッ=ダウラ・ウハイディリーヤアラビア語版の勢力範囲。
9世紀-10世紀タバリスターンのザイド派政権、アラヴィー朝の勢力範囲。
Zaydi regions in red.

ザイド派政権[編集]

中東イスラーム世界史上、ザイド派とみなされる人物又はグループが地方政権を樹立した例がいくつかある。以下に示すように、それらは主に、イエメンタバリスターンマグレブの三地域に成立した。

イドリース朝
モロッコを中心にしたマグレブに成立したイドリース朝は、ハサン・イブン・アリーの孫であるイドリース・イブン・アブドゥッラーフベルベル人の支持を得て建国した。
アッ=ダウラ・ウハイディリーヤ
9世紀アラビア半島中央部のアル=ヤマーマアラビア語版という地域は、一時期、アッバース朝に反乱を起こしたアラブ人の一部族であるウハイディル族英語版(バヌー・ウハイディル)に支配されていた(867年-)。この首長国アッ=ダウラ・ウハイディリーヤアラビア語版は少なくとも11世紀中葉まで存続した。[10]
アラヴィー朝
アラヴィー朝は、ザイド・イブン・アリーの息子アル=ハッサンの子孫とされるハッサン・イブン・ザイド英語版ペルシア語版をアミールとして、864年タバリスターンデイラマーンにおいて自立した政権[11]。928年にスンナ派のサーマーン朝によりアミールが殺されるまで続き、約40年後にギーラーン地方で再興、1126年まで続いた。
ハンムード朝
ベルベル人の一部族、ハンムード族(バヌー・ハンムード)によるハンムード朝フランス語版は、11世紀イベリア半島アンダルシアに群居したターイファ諸王朝の一つで、マラガを40年ほどの間支配した(1016年-1058年)。
イエメン・ムタワッキリテ王国
イエメン・ムタワッキリテ王国は、1918年から1962年までザイド派の多い北イエメンに存在した王国。

ザイド派運動の始まりはアブー・ジャルードのセクト(Jaroudiah)であったから[12]タバリスターンアラヴィー朝ブワイフ朝[13]、そしてアル=ヤマーマの王朝[14]イエメンのシーア派諸王朝英語版のように、初期のザイド派政権の多くはこのセクトの支持者であった。一方で、イドリース朝[15]やその他の、8世紀から10世紀に興亡したマグレブのシーア派政権[16][17][18][19][20][21]はこのセクトの支持者ではない。

ザイド派のコミュニティは、12,13世紀から、イエメンのイマームか、若しくは、それに対抗するイランのイマームを認めるようになった[22]

脚注[編集]

  1. ^ ザイド派 ザイドは Zaydīyah ブリタニカ国際大百科事典小項目事典
  2. ^ a b c 宮田律 『イスラム紛争の深層』時事通信出版局、1998年5月、p.15
  3. ^ イエメン:シーア派武装組織が掌握…暫定統治機構開設へ”. 毎日新聞 (2015年2月7日). 2015年2月15日閲覧。
  4. ^ Article by Sayyid 'Ali ibn 'Ali Al-Zaidi, A short History of the Yemenite Shi‘ites (2005)
  5. ^ The Princeton encyclopedia of Islamic political thought - Page 14, Gerhard Böwering, Patricia Crone, Mahan Mirza - 2012
  6. ^ Telling the truth for more than 30 years - Sunni-Shi’i Schism: Less There Than Meets the Eye”. WRMEA. 2013年11月30日閲覧。
  7. ^ Yemen: The Bradt Travel Guide - Daniel McLaughlin - Google Books. Books.google.co.uk. http://books.google.co.uk/books?id=eQvhZaEVzjcC&pg=PA23&lpg=PA23&dq=zaydi+similar+sunni&source=bl&ots=96bFji-P6i&sig=ONpfAz9lKJ-V63G1gDGhwp0Rme4&hl=en&ei=wMreTNOZA4WAhAfJ_8jQDQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1&ved=0CBUQ6AEwADge#v=onepage&q&f=false 2013年11月30日閲覧。. 
  8. ^ Islamic dynasties of the Arab East: state and civilization during the later medieval times by Abdul Ali, M.D. Publications Pvt. Ltd., 1996, p97
  9. ^ Ahkam al-Quran By Abu Bakr al-Jassas al-Razi, volume 1 page 100, published by Dar Al-Fikr Al-Beirutiyya
  10. ^ Madelung, W. "al-Uk̲h̲ayḍir." Encyclopaedia of Islam. Edited by: P. Bearman, Th. Bianquis, C.E. Bosworth, E. van Donzel and W.P. Heinrichs. Brill, 2007. Brill Online. 7 December 2007 [1]
  11. ^ Article by Sayyid 'Ali ibn 'Ali Al-Zaidi, A short History of the Yemenite Shi‘ites (2005) Referencing: Iranian Influence on Moslem Literature
  12. ^ Sayyid 'Ali ibn 'Ali Al-Zaidi, A short History of the Yemenite Shi‘ites (2005)p.50, 51
  13. ^ Walker, Paul Ernest (1999), Hamid Al-Din Al-Kirmani: Ismaili Thought in the Age of Al-Hakim, Ismaili Heritage Series, 3, London; New York: I.B. Tauris in association with the Institute of Ismaili Studies., p. 13, ISBN 1-86064-321-3 
  14. ^ Madelung, W. "al-Uk̲h̲ayḍir." Encyclopaedia of Islam. Edited by: P. Bearman, Th. Bianquis, C.E. Bosworth, E. van Donzel and W.P. Heinrichs. Brill, 2007. Brill Online. 7 December 2007 [2]
  15. ^ Hodgson, Marshall (1961), Venture of Islam, Chicago: University of Chicago Press, p. 262 
  16. ^ Ibn Abī Zarʻ al-Fāsī, ʻAlī ibn ʻAbd Allāh (1340), Rawḍ al-Qirṭās: Anīs al-Muṭrib bi-Rawd al-Qirṭās fī Akhbār Mulūk al-Maghrib wa-Tārīkh Madīnat Fās, ar-Rabāṭ: Dār al-Manṣūr (1972発行), p. 38 
  17. ^ حين يكتشف المغاربة أنهم كانوا شيعة وخوارج قبل أن يصبحوا مالكيين !”. Hespress.com. 2013年11月30日閲覧。
  18. ^ Introduction to Islamic Theology and Law - Ignác Goldziher - Google Books. Books.google.com.au. http://books.google.com.au/books?id=6zeStDQZOSgC&pg=PA218&dq=Idrisid+dynasty+zaydi&as_brr=3&cd=1#v=onepage&q=Idrisid%20dynasty%20zaydi&f=false 2013年11月30日閲覧。. 
  19. ^ Encyclopedia of Religion and Ethics - James Hastings - Google Books. Books.google.com.au. http://books.google.com.au/books?id=XBwOF6jXBdIC&pg=PA844&dq=Idrisid+dynasty+zaidi&as_brr=3&cd=1#v=onepage&q=&f=false 2013年11月30日閲覧。. 
  20. ^ The Institute of Ismaili Studies - The Initial Destination of the Fatimid caliphate: The Yemen or The Maghrib?”. Iis.ac.uk. 2013年11月30日閲覧。
  21. ^ 25. Shi'ah tenets concerning the question of the imamate”. Muslimphilosophy.com. 2013年11月30日閲覧。
  22. ^ Article by Sayyid 'Ali ibn 'Ali Al-Zaidi, A short History of the Yemenite Shi‘ites (2005) Referencing: Encyclopedia Iranica
[ヘルプ]
シーア派主要分派の系統