イスマーイール派

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イスマーイール派アラビア語: الإسماعيليون al-Ismāʿīliyyūnペルシャ語اسماعیلیان Esmāʿiliyān)、別名7イマーム派8世紀に起こったイスラム教シーア派の一派である。グノーシス的な神秘主義的教説を特徴とする。

信仰[編集]

イスマーイール派の教義は、グノーシス主義や新プラトン主義のような隠れた知を強調した、前イスラーム的信仰体系の影響を受けている[1]。誰にでも可能なクルアーンの外部的な解釈と、イマームだけが知ることのできる秘教的な内的真理を区別している。イマームは神からの包括的な知を与えられることから、次代のイマームは現イマームの指名によって継承される。

また、イスマーイール派は7代目イマームから始まったことから、7を象徴的な数字として特別視する。イスマーイール派の世界観では、歴史は7000年周期で循環し、各周期は預言者や仲介者の出現によって始まるという。

イスマーイール派の信徒は、自らの信仰を意図的に隠すことを実践している[1]。金曜礼拝はモスクではなく、ジャマーアト・ハーナと呼ばれる集会所で行われる。

歴史[編集]

シーア派主要分派の系統

イスマーイール派はムハンマド・イブン・イスマーイール英語版を第7代イマームとする教団である。765年に第6代イマームの長男であるイスマーイール・イブン・ジャアフィル英語版の血族がイマームを継ぐべきとの立場から、十二イマーム派と分かれた。

899年ファーティマ朝の開祖ウバイドゥッラーは、自分はイスマーイールの子孫であり真のイマームであると主張した。その後のファーティマ朝の勢力拡大とともにイスマーイール派も活発化し、イスラーム世界を掌握した[1]。 その後11世紀頃にドゥルーズ派が分裂し、「東方派」「西方派」「アラムート派」の三派に分かれた。

19世紀以降、ニザール派のイマームはアーガー・ハーンと呼ばれるようになった。

派生した派閥[編集]

ドゥルーズ派
1021年に行方不明になったファーティマ朝の第6代カリフのハーキムを信奉する一派。シリア北部、レバノンの山岳部に拠点を持つ。
アラムート派(ニザール派、改革イスマーイール派とも)
1094年ファーティマ朝の内紛において、アル=ムスタアリー・ビッラー英語版に敗れて投獄されたニザール英語版の息子がイラン高原アラムート英語版に立てた一派。11世紀末にはハサン・サッバーフの指示によって50件におよぶ暗殺を敢行し、暗殺教団(アサッシン派)として伝説となった[1]。13世紀以後は穏健的な方針を持つ一派として存続し、21世紀初頭において世界全体に1500万人の信者を持つ[1]。現在のイマームはアーガー・ハーン4世であり、アーガー・ハーン建築賞を主催している。分派としてインドにホージャー派がある。
アフガニスタンバダフシャーン州タジキスタンゴルノ・バダフシャン自治州などにはパミール人がおり、アーガー・ハーンに従っている。一方、アフガニスタンバグラーン州は地元の宗教指導者のサイイド・マンスール・ナーディリーに従っている。
ムスタアリー派
ファーティマ朝の内紛において勝利したムスタアリー(Taiyabi)の一派。その後、ハーフィズィー派が分裂。インド亜大陸に定着したムスタアリー派はボーホラー派と呼ばれる[1]
ハーフィズィー派
ムスタアリーと対立して分裂した一派。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f ヒレンブランド 2016, pp. 171-175.

参考文献[編集]

関連項目[編集]