アブー・ハニーファ

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Abū Ḥanīfah
أبو حنيفة نعمان بن ثابت بن زوطا بن مرزبان
ابوحنیفه
Abu Hanifa Name.png
イスラームの書法で書かれているNuʿmān ibn Thābit ibn Zūṭā ibn Marzubān
称号 偉大なイマーム
生誕 西暦699年9月5日ごろ (80 Hijri)
ウマイヤ朝クーファ
死去

767年6月14日(767-06-14)(67歳)

(150 Hijri)
アッバース朝バグダード
民族 ペルシア人[1][2][3][4]
時代 イスラム黄金時代
地域 クーファ[1]
宗教 イスラム教
主な関心 法律学
主な着想 イスティフサーン英語版
主な著作 『至高の法学』(Al-Fiqh al-Akbar)

アブー・ハニーファAbū Ḥanīfa699年9月5日頃 - 767年6月14日)は、スンナ派ムスリム神学者法学者である[5]。後に、スンナ派四大法学派の1つ、ハナフィー法学派の名祖となった[5]

アブー・ハニーファはイラク地方クーファで生まれ、両親ともムスリムであった[5]。若い頃にヒジャーズ地方で遊学した[5]。法学者として高名になるにつれ、法学者個人の推論(ファキーフ・ズー・ラアイ, faqīh dhū raʾy)に重きを置くようになった[5]。神学理論においても同様の傾向が見られ、アブー・ハニーファの神学理論を奉じる一派は、後にマートゥリーディー派という正統派スンナ派神学英語版学派の1つを形成した[5]。なお、シーア派においてもアブー・ハニーファの思想が高く評価されることがあり、特にザイド派にはその傾向が強い[6]

名前[編集]

イスムやナサブも含めた名前は、アブー・ハニーファ・ヌウマーン・ブン・サービト・ブン・ズーター・ブン・マルズバーン(アラビア語: أبو حنيفة نعمان بن ثابت بن زوطا بن مرزبان‎, Abū Ḥanīfa al-Nuʿmān b. Thābit b. Zūṭā b. Marzubān)といい[7]、特にスンナ派ムスリムの間ではしばしば尊敬の念をこめて、イマーム・アブー・ハニーファ[8]、イマーム・アーザム(al-Imām al-aʿẓam、もっとも偉大なイマーム)、スィラージ・アーインマ(Sirāj al-aʾimma、諸イマームの灯火)と呼ばれることがある[5][3][9]

生涯[編集]

アブー・ハニーファの少なくとも父系の先祖は、その名前からイラン系(ペルシア系)であったと推定される。イスラーム法学関連の文献で見られるアブー・ハニーファの名前は、上述のようにアブー・ハニーファ・ヌウマーン・ブン・サービト・ブン・ズーター・ブン・マルズバーンである。11世紀の歴史家ハティーブ・バグダーディー英語版は、「イマーム・アブー・ハニーファの孫、イスマーイール・ビン・ハマドはアブー・ハニーファの名前をサービト・ビン・ヌウマーン・ビン・マルズバーンとした」と記すとともに、アブー・ハニーファがペルシア帝国人の末裔であると主張している[3][4]。アブー・ハニーファの名前に複数の文献間で不一致が見られることについて、少なくとも、イスマーイールが伝えたアブー・ハニーファの祖父と曾祖父の名前に関しては、祖父ズーターがイスラームを受け入れるにあたってアラブ名(ヌウマーン)を採用したためと考えられている。祖父の名前「ズーター」はイラン系人の名前である。曾祖父の名前「マーフ」はペルシア語で天体の月を意味する。また、曾祖父の別名「マルズバーン」がサーサーン朝における地方太守を表す称号であるため、アブー・ハニーファの父系先祖はイラン系(ペルシア系)、しかも高貴な家柄であったと考えられている[3][4]

アブー・ハニーファは、ウマイヤ朝カリフアブドゥルマリク・ブン・マルワーンが支配していた頃のクーファに生まれた[10][11]。その父、サービト・ブン・ズーターはカーブル出身の商人で、息子が生まれた当時、40歳であった。祖父ズーターはカーブル(一説によると二サーまたはテルメズ)から奴隷としてクーファにやってきた後、解放されてアラブのタイム部族英語版隷属庇護民(マウラ)になった人物である[12]

アッバース朝カリフのマンスールは、アブー・ハニーファに司法長官[注釈 1]のポストを用意し、西暦763年にその旨を打診したが、アブー・ハニーファは固辞し、王権に依存しないことを選んだ[13]

アブー・ハニーファはこのとき、自分はこの職に向いていないとマンスールに答えた。自らの発案を拒否されたマンスールは激昂し、お前は嘘をついているとなじった。アブー・ハニーファはこれに答えて、「私が嘘をついているとしますならば、私の主張は二重に正しいことになります。殿はどうして、嘘つきに司法長官という輝かしい役目をお与えになろうとするのですか?」と言った。この返答は逆鱗に触れ、マンスールはアブー・ハニーファを捕らえさせた上、牢獄に閉じ込めた[14]。それでも牢獄を訪れてアブー・ハニーファの教えを請う法学者が絶えなかったとされる。

西暦767年にアブー・ハニーファは獄死する。どのようにして亡くなったかは判然としないが、マンスールに対する武装蜂起を示唆するファトワーをアブー・ハニーファが出したため、マンスールが毒殺したとする説がある[15]。同じ牢獄にはユダヤ教の一派、カライ派の創始者であるアナーン・ブン・ダーウードがつながれており、アブー・ハニーファは彼が助かるためには法廷で何を言えばよいか、方策を授けて命を救ったと言われている[16]

アブー・ハニーファはバグダードの一街区、アザミーヤ区英語版に葬られた。ハティーブ・バグダーディーによると、アブー・ハニーファの葬儀には5万人以上の人が集まり、押し寄せた群衆のために埋葬の直前に行われる儀式が6回も繰り返されたという。また、埋葬後、葬儀の参列者が哀悼の祈りを捧げる儀式がすべて終わるのに要した期間は、20日間であったという。

アブー・ハニーファの墓の周りには、ブワイフ朝の頃、1066年に巡礼に訪れる者たちのためにクッバ (ドーム)ドイツ語版が建てられて墓廟建築化した(アブー・ハニーファ・モスク英語版[17]。当該墓廟は、1508年にサファヴィー朝のシャー、イスマーイールにより、一度破壊され[18]、そのほかにもアブドゥルカーディル・ジーラーニー英語版の墓など、スンナ派の信仰を集めていた聖者廟や学者廟も同時に荒らされた。その25年後、オスマン帝国軍がバグダードを征服すると、スレイマン大帝はこれらを再建した[19]。21世紀現在のアブー・ハニーファの墓はアブー・ハニーファ・モスク英語版という宗教複合の中心をなしている。

思想[編集]

アブー・ハニーファの墓

アブー・ハニーファは自ら著作を書いていない[12]。アブー・ハニーファの発言の記録としては、次のものがある。

  • Fiqh al-Akbar
  • Fiqh al-Abasat
  • Kitaab-ul-Aathaar シャイバーニーとアブー・ユースフによって伝えられたアブー・ハニーファの言行、7万あまりを収録した言行録。
  • Aalim wa'l-muta‘allim
  • At Tareeq Al Aslam Musnad Imam ul A’zam Abu Hanifah
  • Kitaabul Rad alal Qaadiriyah

『至高の法学』(Al-Fiqh Al-Akbar)という書の著者は、アブー・ハニーファに帰せられているが、A.J. Wensick[20]、Zubair Ali Zai [21]が疑問を呈している。

アブー・ハニーファのイスラーム法学基礎論(ウスール・フィクフ)において、法発見の根拠とされるものを、重視されるものから順に並べると、次のようになる。

  1. クルアーン - 啓示
  2. ハディース - 預言者の言行
  3. イジュマー英語版 - 信者共同体の合意
  4. キヤース英語版 - 推論
  5. イスティフサーン英語版 - 法学者個人の見解
  6. ウルフ (イスラーム用語)英語版 - 慣習慣行、地方社会において掟と呼ばれているもの

当時の法学者の大多数はキヤースの発展とその適用範囲の拡大を認めていたが、これを法理論上の道具として確立したのはハナフィー法学派の知的営為がもたらした結果である。アブー・ハニーファ以前の学者もキヤースを用いていた可能性は高いが、公式にイスラーム法に組み入れたのはアブー・ハニーファが初めてとされる[22]

後世に与えた影響[編集]

ハナフィー法学派が住民の最大多数を占める地域が青緑色で示されている。トルコ、中東の北部、エジプトの大部分、中央アジア、インド亜大陸のほとんどがハナフィー派を奉じるムスリムの多い地域である。

アブー・ハニーファは、ハワーリジュ派シーア派などに比べて確立が遅れていた、イスラームの最大多数派の教理および規範を、彼らに反論するかたちで整備した。このうち、宗教的規範は、教義のフィクフ、法学として、のちに分野化する[12]。特にアブー・ユースフシャイバーニーナワウィーの3人がアブー・ハニーファの法学理論をまとめたとされる。こうした最大多数派の法学は、のちにマーリクやイブンハンバルなどの反論と分派を受けて、「ハナフィー法学派」とみなされるようになった。データの取り方にも色々あるが、ある統計によれば、伝統的なイスラーム教徒の45%(全ムスリムの41%)がハナフィー派に属すとされる[23]

また、アブー・ハニーファが整理した正統派教理(アキーダ)はアブー・ムカーティル・サマルカンディーアブー・ムティー・バルヒーのような中央アジア出身者に伝えられ、のちに中央アジアでマートゥリーディー派の神学に影響を与えた[12]

賛否両論[編集]

アブー・ハニーファは、イスラーム文明で非常に偉大な法学者の1人であり、全人類を視野に入れた場合でも、最大の法思想家に数えられることもある人物である[17]。法学、法思想論以外にも影響を与えており、特にイスラーム神学への影響は甚大である[24]。その生涯を通して、最高の規範となる法学者であると人々に認知されてきた[25]。学派外の者たちにも、すばらしい業績を残し、驚くべき禁欲さで謙虚な人柄であったと考えられている[26]

アブー・ハニーファが批判されることもある[7]ザーヒリー派法学者のイブン・ハズムによれば、スフヤーン・ブン・ウヤイナは、「アブー・ハニーファ、バッティー・バスリー[27]マーリク・マディニーが手を加えてしまう前には、人々の間の問題は調和が取れていたのに」と述べたとされる[28]。また、ハンマード・ブン・サラマ英語版もアブー・ハニーファを非難している[29]。そのほか、ブハーリーはアブー・ハニーファの伝えたハディースを不良と判断している。ティルミズィーによると、アフマド・ブン・ハンバルは、不良のハディースでさえもアブー・ハニーファのラアイよりましだと述べたという。

アブー・ハニーファは、ムスリム共同体の歴史上、預言者ムハンマドの没後に生まれ、スンナ派のハディース六書が成立するまでの端境期の時代の人である。アブー・ハニーファはタービウーン英語版[注釈 2]の1人であると考えられている。その根拠は、彼がアナス・ブン・マーリク英語版を含む、少なくとも4人の教友(サハーバ)に会ったことがあり[10]、彼らから預言者の言行(ハディース)を伝え聞いたとされることにある[30][31]。ただし、彼は幼い頃に6名前後の教友にあったことがあるのは確かだが、ハディースを直接、伝え聞いたことはないという説もある[30]

アブー・ハニーファは預言者ムハンマドが亡くなったときから67年後に誕生しているので、ヒジュラ暦93年に亡くなったアナス・ブン・マーリク、同100年に亡くなったアブル・トゥファイル・アミール・ブン・ワシーラはアブー・ハニーファが成人した頃には存命していた。有名人の伝記や噂話を集めた本『ハイラ・ヒサーン』によると、アブー・ハニーファは16人のサハーバに会ったことがあるという[32]

しかしながら、ハディース伝承者としての評価は、上述の通り、芳しくない[7]

注釈[編集]

  1. ^ カーディー・クダート(al-qadi al-qudat、アル=カーディー=ル=クダート)。「裁判官(カーディー)の中の裁判官」を意味する。後に、カリフ・ハールーン・ラシードの代には、アブー・ハニーファの高弟アブー・ユースフがこの役職に就いた。
  2. ^ 預言者ムハンマドの没後に誕生し、サハーバの生き残りと同じ時代を生きたムスリム又はムスリマ。

出典[編集]

  1. ^ a b c A.C. Brown, Jonathan (2014). Misquoting Muhammad: The Challenge and Choices of Interpreting the Prophet's Legacy. Oneworld Publications英語版. pp. 24–5. ISBN 978-1780744209. 
  2. ^ Mohsen Zakeri (1995), Sasanid soldiers in early Muslim society: the origins of 'Ayyārān and Futuwwa, p.293 [1]
  3. ^ a b c d S. H. Nasr (1975), "The religious sciences", in R.N. Frye, The Cambridge History of Iran, Volume 4, Cambridge University Press. pg 474: "Abū Ḥanīfah, who is often called the "grand imam"(al-Imam al-'Azam) was Persian
  4. ^ a b c Cyril Glasse, "The New Encyclopedia of Islam", Published by Rowman & Littlefield, 2008. pg 23: "Abu Hanifah, a Persian, was one of the great jurists of Islam and one of the historic Sunni Mujtahids"
  5. ^ a b c d e f g Pakatchi, Ahmad and Umar, Suheyl, “Abū Ḥanīfa”, in: Encyclopaedia Islamica, Editors-in-Chief: Wilferd Madelung and, Farhad Daftary.
  6. ^ Abu Bakr al-Jassas al-Razi. Ahkam al-Quran. Dar Al-Fikr Al-Beirutiyya. pp. volume 1 page 100. 
  7. ^ a b c “ABŪ ḤANĪFA”. Encyclopaedia Iranica. http://www.iranicaonline.org/articles/abu-hanifa-noman-b 2018年2月1日閲覧。.  U. F. ʿAbd-Allāh, “Abu Hanifa,” Encyclopædia Iranica, I/3, pp. 295-301; an updated version is available online at "ABU’L-ḤASAN AHWĀZĪ" (accessed on 30 January 2014).
  8. ^ ABŪ ḤANĪFA, Encyclopædia Iranica
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発展資料[編集]