クーファ

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クーファ
クーファの大モスク(2014年)
クーファの位置(イラク内)
クーファ
クーファ
Location in Iraq
座標: 北緯32度02分 東経44度24分 / 北緯32.033度 東経44.400度 / 32.033; 44.400
イラクの旗 イラク
県(州) ナジャフ県
等時帯 GMT+3

クーファKūfa كوفة)はイラク都市ナジャフ県に属する。2003年当時の人口は約110,000人[1]。現在のクーファの市街地は、7世紀に建設されたクーファ遺跡の近郊に位置する[2]。町の名前はアラビア語で「円形の砂丘」、ナバタイ語で「赤い砂」を意味する[3]

歴史[編集]

7世紀前半、バスラに続くイスラーム勢力2番目のミスル(軍営都市)として、予言者ムハンマドの教友サアド・イブン・アビー・ワッカースによって建設された町がクーファの始まりである[2]。建設年については636年/7年638年/9年639年/40年と諸説ある[4]。外郭は正方形に近い形で、モスクと知事の庁舎が町の中心となり、アラブ遊牧民が部族単位で居住区を形成していた[4]。ウマイヤ朝初期までに約140,000人のアラブ人がクーファに移住したと考えられ[5]、後に現地の人間もクーファに居住するようになり、商工業に従事する住民が増加した[4]

第4代カリフアリーによって首都に定められたが、アリーの死後に首都としての機能を喪失する[1]ウマイヤ朝期のクーファはイラク北部などの北方地域に勢力を拡大するための軍事拠点となる[3]。そして、クーファにはアリーを信奉するシーア派の人間が多く集まり、反乱・反政府運動の温床となった[2]。ウマイヤ朝の創始者ムアーウィヤの死後にクーファの市民はアリーの遺児フサインを擁して決起を試みたが、反抗は失敗する[6][7]685年には過激シーア派のカイサーン派に属するムフタールが、アリーの別の遺児ムハンマドを擁してクーファで反乱を起こし、ウマイヤ朝から派遣された総督を追放した。ムフタールの勢力は一時は南イラク全域に広がったが、687年に反乱は鎮圧された。

ウマイヤ朝打倒の契機となったアッバース革命で、クーファは革命の中心地となった[8][9]749年アッバース朝の創始者サッファーフはクーファでカリフに即位し、町はアッバース朝の首都に定められた。751年タラス河畔の戦いでアッバース朝の捕虜となった中国人・杜環は、「阿倶羅」の名称でクーファについての記録を残している。『通典』に引用されている杜環の旅行記『経行記』にはクーファに関する具体的な記述がされ、クーファについて最も早い時期に書かれた貴重な史料となっている[10]

アッバース朝の2代目のカリフ・マンスールは体制に批判的な人間が集まるクーファを敬遠し、新都の建設を考えた[11]。マンスールによってアッバース朝の新都としてバグダードが建設されるとクーファの政治的・軍事的重要性は低下するが、イスラーム諸学の中心地としての地位を保ち続ける[2]。クーファはイスラーム法学の研究の中心地のひとつであり、クルアーン(コーラン)解釈学の始まりの場所でもある[1]。クーファの出身者の一人に、ハナフィー学派の創始者アブー・ハニーファがいる[1]。また、アラビア文字の書体であるクーフィー体の名前は、クーファに由来している[3]

14世紀に旅行家イブン・バットゥータがクーファを訪れたとき、町は治安の悪化によって荒廃していた[12]。イブン・バットゥータの『大旅行記』には、町の大モスク、廃墟となった知事の庁舎について述べられている。

1979年6月にイラク政府によってシーア派の指導者であるムハンマド・サーディク・アッ=サドルが軟禁された際、クーファでシーア派住民による抗議活動が起きた[13]イラク戦争後はシーア派の指導者ムクタダー・アッ=サドルの拠点とされ、イラク政府、アメリカ軍との間で戦闘が発生した[1]

建築物[編集]

7世紀に建立された大モスクは数度の改修工事が施され、金のドームを有し、サファヴィー朝期のタイルで装飾されている。初期のモスクは長方形に区切られた広場の周りに濠が巡らされていただけで、壁は存在していなかった[14]。モスクの南側には幅100mほどの吹きさらしの柱廊が存在していたと言われ、南側に植えられた木に向かって礼拝を行っていた[14]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 大野「クーファ」『世界地名大事典』3、343頁
  2. ^ a b c d 太田「クーファ」『岩波イスラーム辞典』、332頁
  3. ^ a b c 花田「クーファ」『新イスラム事典』、209頁
  4. ^ a b c 嶋田「クーファ」『アジア歴史事典』3巻、57頁
  5. ^ 佐藤『イスラーム世界の興隆』、88頁
  6. ^ 佐藤『イスラーム世界の興隆』、98-100頁
  7. ^ 前嶋『イスラムの時代 マホメットから世界帝国へ』、134-136頁
  8. ^ 佐藤『イスラーム世界の興隆』、124頁
  9. ^ 小杉泰『イスラーム帝国のジハード』(興亡の世界史, 講談社, 2006年11月)、202頁
  10. ^ 『シルクロード事典』(前嶋信次、加藤九祚共編、芙蓉書房、1975年1月)、409-410頁
  11. ^ 前嶋『イスラムの時代 マホメットから世界帝国へ』、175頁
  12. ^ バットゥータ『大旅行記』3巻、14頁
  13. ^ チャールズ・トリップ『イラクの歴史』(大野元裕監修, 世界歴史叢書, 明石書店, 2004年2月)、326-327頁
  14. ^ a b 前嶋、石井『イスラムの世界』、10,11,119頁

参考文献[編集]

  • 太田敬子「クーファ」『岩波イスラーム辞典』収録(岩波書店, 2002年2月)
  • 大野元裕「クーファ」『世界地名大事典』3収録(朝倉書店, 2012年11月)
  • 佐藤次高『イスラーム世界の興隆』(世界の歴史, 中央公論社, 1997年9月)
  • 嶋田襄平「クーファ」『アジア歴史事典』3巻収録(平凡社, 1960年)
  • 花田宇秋「クーファ」『新イスラム事典』収録(平凡社, 2002年3月)
  • 前嶋信次、石井昭編著『イスラムの世界』(世界の文化史蹟, 講談社, 1978年4月)
  • 前嶋信次『イスラムの時代 マホメットから世界帝国へ』(講談社学術文庫, 講談社, 2002年3月)
  • イブン・バットゥータ『大旅行記』3巻(家島彦一訳注, 東洋文庫, 平凡社, 1998年3月)

外部リンク[編集]

  • ウィキメディア・コモンズには、クーファに関するカテゴリがあります。