吸血鬼

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吸血鬼:フィリップ・バーン=ジョーンズ画(1897)

吸血鬼(きゅうけつき、: vampire)は、民話伝説などに登場する存在で、生命の根源とも言われるを吸い、栄養源とする蘇った死人または不死の存在[1]。その存在や力には実態が無いとされる[2]

狼男フランケンシュタインの怪物と並び、世界中で知られている怪物のひとつ。また、用語の転用として、不当に人々から利益を搾り取る人間なども指す[3][4]

概要

ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』、シェリダン・レ・ファニュの『カーミラ』など、多くの創作において登場してきた。を超えた者、または生と死の狭間に存在する者、不死者のとされる。凶悪な犯罪者の通称としても使われる[1]。ヴァンパイア、バンパイヤ、ヴァンピールなどとも書かれる。

一般に吸血鬼は、一度死んだ人間がなんらかの理由により不死者として蘇ったものと考えられている。現代の吸血鬼・ヴァンパイアのイメージは、ヨーロッパにルーツがある伝承のイメージが強い[5]。吸血鬼の伝承は古くから世界各地で見られ、古代ギリシアラミアーエンプーサ古代バビロニアのアフカルを皮切りにテッサリアの巫女、ブルーカ(ポルトガル)、ドルド(ドイツ[5]東ヨーロッパのヴァンパイアに加え、アラビアグール中国キョンシー等がある。この場合、吸血鬼という名称が用いられているが、人間の血を吸う行為は全ての吸血鬼伝承に共通するものではない。

多くの吸血鬼は人間の生き血を啜り、血を吸われた人も吸血鬼になるとされている。

発祥

カタレプシー(蝋屈症)を死亡と信じた人々によって埋葬されの中で蘇生した人や、死蝋など埋葬された時の条件によって腐りにくかった死体への錯誤、あるいは黒死病の蔓延によるの流布により生まれたとされる[1]

語源

諸説有るが、1730年代における英語の出版物に「vampyre」の文字があるため、それ以前の時期から使われていた語とされている。一般的にはリトアニア語の「Wempti(飲む)」由来とされる他、トルコ語の「uber魔女)」[6]セルビア・クロアチア語の「Pirati(吹く)」も提唱される。

ただしヴァンパイアという言葉が一般的に使用されるようになる18世紀[5]以前から世界各地に吸血鬼伝説があり、それぞれの名前で呼ばれている[1]。中国では、キョンシー以外にも、古来より「吸血鬼」という語があり、これは血を吸う悪霊・亡者という様な意味であったが、転じて現代では欧米風のヴァンパイアの意味としても使われている[7]。日本で初めて「VAMPIRE」の訳語に「吸血鬼」を当てたのは、「人類学雑誌 1915年4月号」に寄稿された、南方熊楠の「詛言について」であるとされる。その後、1920年代を通じて、「吸血鬼」という用語が、「VAMPIRE」の訳語として、日本に定着した。

伝承の吸血鬼

一度死んだ人間が蘇ったもの、生きているもの、幽霊のように実体が無いもの、魔女や悪魔精霊妖怪などの人間ではない存在、狼男、変身能力を持った人間、吸血動物睡眠時遊行症者が該当する[1]

古くから血液は生命の根源であると考えられており、死者が血を渇望するという考えも古くから存在する。例えばアステカでは人間の心臓と血液を捧げる血の儀式があり、キリスト教では血が神聖視され[1]、古代ギリシアの叙事詩『オデュッセイア』では、オデュッセウス降霊の儀式を行う際に生け贄の子羊の新鮮な血を用いるくだりがある。このようなイメージが吸血鬼を生み出したと考えられる。

吸血鬼伝承の形態は、全ての民間伝承がそうであるように地域や時代によって一定しないが、一度は葬られた死者が、ある程度の肉体性を持って活動し、人間・家畜・家屋などに害悪を与えるという点では、おおむね一致している。

吸血鬼の姿

ぶよぶよした血の塊のようなものであるか、もしくは生前のままであるとされることが多い。両者とも、一定の期間を経れば完全な人間になるとされることもある。また、様々な姿に変身することが出来るとされる。吸血鬼は、虫に変身する、ネズミに変身する、に変身するなどの手段を用いて棺の隙間や小さな穴から抜け出し、真夜中から夜明けまでの間に活動するものとされた。また、地域によって異なるが、特定の月齢曜日、キリスト教の祭日などの日には活動できないとされる場合が多い。吸血する際は、長い牙が出現するとされている。また、最近では、獲物である人間を惹きつけるために、美しい容姿を持つとされることが多い。

吸血鬼となる理由

死者が吸血鬼となる場合は、生前に犯罪を犯した、神や信仰に反する行為をした、惨殺された、事故死した、自殺した、葬儀に不備があった、何らかの悔いを現世に残している、などの例が挙げられる。また、これらの理由以外にも、まったく不可解な理由によって吸血鬼になることもあり、東ヨーロッパでは葬られる前の死体をがまたぐと吸血鬼になるとされた[5]。そのため吸血鬼の存在が強く信じられた地域では、墓に大量の黍を捲く、にんにくを置く、茨を置く、一定期間墓の周りで火を焚き続ける、などの予防措置がほぼ全ての死者に対して行われた。

吸血鬼がその活動によって与える害悪としては、眼を見る・名前を呼ぶ・何らかの方法により血や生気を吸うなどの手段により人を殺す、家畜を殺したり病気にする、家屋を揺さぶる、生前の妻と同衾し子供を産ませるなどの例がある。

近年では、吸血鬼に生き血を吸われた人間や、吸血鬼に殺された人間が吸血鬼になるとされることも多い。

ヨーロッパの伝承

ドイツでは胞衣を纏ったまま生まれた者は死後ナハツェーラーと成ると言われる[1]。ヨーロッパにおいて吸血鬼伝承の多くが残る地域はバルカン半島スラヴ人地域であるが、伝承そのものは、ほぼヨーロッパ全土に存在し、東はアナトリア半島カフカスヴォルガ川沿岸地域にまで確認することが出来る。古代ギリシア語ラミアーは、ラテン語に入ってから女吸血鬼全般を意味するようにもなった。またロシアではウプイリという、人間の顔をした巨大コウモリ(美男や美女に変身できる)が伝承されている。

スラブの人々は4世紀ごろには既に吸血鬼の存在を信じていた。スラヴの民話によると、吸血鬼は血を飲み、銀を恐れる(ただし銀によって殺すことはできない)とされた。また首を切断して死体の足の間に置いたり、心臓に杭を打ち付けることで吸血鬼を殺すことができると考えられていた。

現在の吸血鬼に対する考え方は古代ルーマニアから続いているものである。古代ルーマニアは古来からの宗教や文化が、キリスト教やスラヴ民族と混ざりあう過程を経験した。異なる宗教と文化における矛盾、外からの人々の流入により新たな疫病が持ち込まれ不可思議な死が増加したことに対する答えとして吸血鬼伝承が生まれたと考えられている。この民話では吸血鬼によって殺された者は吸血鬼として復活することになっており、何らかの手段で殺されるまで新たな吸血鬼を増殖させることになる。この段階では吸血鬼は知性のない動物のような悪魔として扱われている。

カトリック教会地域における吸血鬼伝承は12世紀ごろから急激に消滅し、それ以降「夜間活動する死者」の伝承は、肉体性をまったく持たないもの、すなわち日本語で言う幽霊のようなものへと変化している。また、東ヨーロッパやバルカン半島においては、エンプーサ[8]モルモー[8]ヴルコラク[9]ストリゴイヴコドラククドラクなど様々な吸血鬼伝承が存在している。

ルーマニアで最も一般的な吸血鬼はストリゴイ(自殺者、犯罪者、魔女、吸血鬼に殺された者、番目の息子、猫に飛び越えられた死体片思いの末に結婚出来ずに死んだ者が成る)である。私生児の親から生まれた私生児が死後成ると言われており、またブルガリアではウボウル・ヴァピール・ヴルコラク、ポーランドではウピオル、ロシアではウピルが知られている[1]

その他の伝承

マレーシアではを飛ぶ頭と首のペナンガラン(宗教的な苦行の最中に誤って首を切り落とした女性が成る)、インドネシアでは強姦されて妊娠した女性が甦り、男性の血を吸うスンダル・ボロンが伝えられている[1]。また、同じくマレーシアとインドネシアには、ポンティアナックと呼ばれる白い服を着た女性の吸血鬼の存在が伝えられている。

ヴィクトリア朝以降の吸血鬼

永遠の若さをもつとされるのはヴィクトリア朝時代に入ってからである。現在の吸血鬼の多くは、不老不死で知性的な、多くの不思議な力を持つ者として描かれる。吸血鬼は霧、オオカミあるいはコウモリに変身することができるとされる。また、古来から鏡には人間の魂を映し出す力があると信じられていた為、肉体と魂の結びつきが弱いとされる吸血鬼は、鏡にその実像が映らないとされる。

吸血鬼退治

吸血鬼の存在を信じていた人々にとっては現実に差し迫った脅威であり、とくに農村部などにおいては、不可解な事件が発生した際に、多くの吸血鬼退治が現実に行なわれた。この吸血鬼退治は、ごくわずかではあるが20世紀になってからも行なわれたことが資料によって確認されている。

具体的な退治方法としては、首を切り落とす、心臓に杭を打つ、死体を燃やす、銀の弾丸もしくは呪文を刻んだ弾丸で撃つ、などの方法が挙げられる。また、葬儀をやり直す、死体を聖水やワインで洗う、呪文などを用いて壜や水差しに封じ込める、などの死体を損壊しない方法がとられることもあった。

吸血鬼退治は、聖俗の両権力から不当に死体を損壊する不道徳な行為であると考えられていたらしく、吸血鬼退治に関する禁令が出ることもしばしばであり、少なくとも近世以降は、吸血鬼という概念は知識階層にはあまり真に受けられるものではなくなっていたことが窺える。ただし農村部などでは、農民の反発を恐れた地方領主や役人が吸血鬼退治を看過することはとくに珍しいことではなく、禁令はたいていの場合無視されていた。

現代の吸血鬼事件

21世紀になった現代でも、一部の地域では吸血鬼伝説が色濃く残っている。

2004年1月、ルーマニア南部の寒村で、76歳で他界したペトラ・トーマンが、埋葬後に親族の男性6人によって掘り起こされ、心臓を切り取られるという事件があった。この行為は現代では犯罪であり、数日後、警察によって捜査、立件された。ペトラ・トーマンは生前は村人に親しまれ尊敬された人物であった。しかし、死後、親族がペトラ・トーマンがよみがえって血を吸った夢を見たといい、また、親族の数人が病気になった。このため、親族の一部はペトラ・トーマンが吸血鬼になったと信じ、前述の凶行に及んだ。切り出した心臓を焼いて灰にし、その灰を病気になった親族に飲ませたところ、悪夢もみなくなり、病気も全快したと犯行に及んだ親族は主張した。

このように一族や地域コミュニティに病気が発生したとき、その原因を一族の死者に求める民俗はヨーロッパに広く見られる。死者の復活を防止するために心臓を抜き出して焼き、死者の首を切断したり、歩けないように足を折って足の位置を変える(足を胸の上に置くなど)、焼いた心臓の灰を病気になった人に飲ませるなどの行為を行う。ヨーロッパだけでなく、ヨーロッパからの移民が多いアメリカでも19世紀までしばしばこうした行為が行われた。

現代的な吸血鬼の特徴

腕力は人間を超え、体の大きさを自由に変えたり、コウモリやなどの動物、霧や蒸気に変身でき、どんな場所にも入り込む。また、催眠術フクロウ、コウモリ、狼、昆虫といった動物、などを操るとされる。トランシルヴァニアの伝説を元にしたブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』は現代の吸血鬼のイメージに強い影響を及ぼしており、従って東ヨーロッパの吸血鬼は現代のそれに近い。『ドラキュラ』の登場人物の一人であるヴァン・ヘルシング教授は、吸血鬼を「怪力無双、変幻自在、神出鬼没」と称する[1]

現代の吸血鬼が持つという特徴の源泉は東ヨーロッパにあった吸血鬼に限られない様々な魔物が持っていた特徴にある。教皇ベネディクトゥス14世はキリスト教啓蒙のために土着信仰を弾圧したが、それが却って埋もれていた魔物の説話を広めることになった。キリスト教布教以前に信じられていた魔物の特徴は以下のようなものである。

  • 日光を嫌うため、昼間は墓地や洞窟などに身を隠す(日光を浴びると灰になるというのは近年の映画作品において作られた設定である[10]
  • 緩い水流や穏やかな海面を歩いて渡る
  • ニンニクや匂いの強い香草等を苦手とする
  • 杭を心臓に打ち込めば死亡する(杭となる木は主にトネリコビャクシンクロウメモドキセイヨウサンザシ等が使われるほか、ロシアではポプラが用いられることもある)[11]
  • にみせかけの姿が映らない
  • 瞳が赤い
  • 美しい女性ばかりを好んで血を吸う
  • 赤ワインや生肉などを血の代用品としている

これらは吸血鬼の特徴に引き継がれ、ドラキュラ伯の逸話と結び付けられてヴァンパイア像の源泉になった[5]

吸血鬼とコウモリの関連は、大航海時代以降にアメリカ大陸熱帯雨林地域を踏破し太平洋を目指したスペイン人が発見した動物の血を吸うコウモリの種類を吸血コウモリ(ヴァンパイア)と名付けたことに由来する[5]

19世紀のロマン主義文学は、吸血鬼を異端として描き、その印象を確立する大きな役割を担った。その中でもシェリダン・レ・ファニュの小説『カーミラ』は女性の吸血鬼を描き「(女吸血鬼は)魅惑的でしたたか」という特徴を与えた。この影響からそのような性質の女性にヴァンプという俗称をつけるようになった[5]

ブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』は、ドイツなどヨーロッパにあった怪奇小説(ゴシック・ノヴェル)で描かれた魔物の特徴を取り込みつつ、キリスト教的な要素も加えて巧みに吸血鬼像を創り出した。前者からは「初めて訪問した家では、その家人に招かれなければ侵入できない」とし、後者の例である「十字架を非常に嫌い、護符聖餅も打ち払う効果を持つ」「十字架、聖水イコンのような宗教的象徴は、それ自体には効能が無くそれを持つ者の信仰が重要であり、また力のある吸血鬼には通用しないことがある[1]」という部分は当時のヨーロッパでは常識とも受け止められていた考えである[5]

その他に以下のような特徴が挙げられる。

  • 吸血鬼についての報告は複数の被害者の主観から語られるのみで、一向に詳細が見えてこない。吸血鬼とは実態が無い存在であり、それは吸血鬼の力と符合している[2]
  • 種などを見るとその粒を集めなければ気が済まない、結び目を解こうと躍起になるという習性を利用したものとされる[1]
  • 映画・漫画・小説などで吸血鬼は棺桶で寝起きするというのが定番のようになっている。

創作の題材としての吸血鬼

18世紀以降、多くの東ヨーロッパの吸血鬼伝承及び事件が、西欧に伝えられ始める。これらの伝承や事件は既に低価格化していた出版物によって、一般の間でも流行した。吸血鬼の頻繁な活動が報告された17世紀から18世紀の間は未だ医学が十分に発達しておらず、疫病や迷信のはびこる時代でもあった。そのため不可解な死、カタレプシーや仮死状態からの甦生などが伝承化された。これらの伝承や事件の中には事実として報じられたものもあるが、現代の怪談や幽霊話と同様、信用するに足らないものであった。

文学的モチーフとしての吸血鬼は、バイロンの主治医ポリドリの作でバイロン作と伝えられた『吸血鬼英語版(The Vampyre)』を嚆矢とする(この作品についてのエピソードはメアリー・シェリーディオダティ荘の怪奇談義の項を参照)。この作品に登場する吸血鬼ルスヴン卿は、ハンサムな貴族然としており、美女の血を好み、何度死んでも蘇る不死者として描写される。そうしたルスヴン卿の貴族然とした吸血鬼像を受けて19世紀中頃に登場したのが安価で低俗な小説の通称ペニー・ドレッドフルの代表作である『吸血鬼ヴァーニー』である。主人公で吸血鬼のフランシス・ヴァーニー卿は、牙を持ち、犠牲者の首筋に2つの刺し傷を残したり、窓から侵入して乙女を襲う、催眠術を使えるなど、現代の標準的な設定の多くの基となっている。しかし、十字架やニンニクを嫌う、昼間は行動できないなどの設定はない。その後、1872年に登場したのが女吸血鬼カーミラを主人公とする『カーミラ』であり、しばしばカーミラは女吸血鬼の個人名として有名である。血液での湯浴みなどは、バートリ・エルジェーベト(エリザベート・バートリー)やジル・ド・レイといった実在の人物の逸話をモチーフにしている。

以上の吸血鬼像を踏襲しつつ、1897年に登場したのがルーマニアトランシルヴァニア)の領主ヴラド・ツェペシュをモチーフとしたブラム・ストーカー怪奇小説吸血鬼ドラキュラ』であり、上述された今日おける一般的な吸血鬼のイメージが確立された。また、吸血鬼ドラキュラはユニヴァーサルホラー映画などの映像化によってもよく知られ、ドラキュラは、男性吸血鬼の代名詞的存在になった。

ホラーからコメディまでさまざまな要素を加えながら、現在も吸血鬼文学の系譜は旺盛に拡大を続けている。

吸血鬼と呼ばれた実在の犯罪者

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 久保田悠羅・F.E.A.R『アンデッド-Truth In Fantasy 75』新紀元社、2007年、10-20頁頁。ISBN 978-4-7753-0528-7 
  2. ^ a b 加藤光也解説・立野正裕編 『イギリス文学-名作と主人公』 自由国民社、2009年。
  3. ^ 大辞泉(Yahoo!辞書)「吸血鬼」 Archived 2009年8月4日, at the Wayback Machine.
  4. ^ 吸血鬼(きゅうけつき)とは”. コトバンク. 2018年10月31日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h 那谷敏郎『「魔」の世界』講談社学術文庫、2003年、54-61頁頁。ISBN 4-06-159624-1 
  6. ^ 吸血鬼(きゅうけつき)とは”. 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説. コトバンク. 2018年10月31日閲覧。
  7. ^ 『吸血鬼の事典』(青土社)マシュー・バンソン英語版著 松田和也訳
  8. ^ a b 『ヴァンパイア―吸血鬼伝説の系譜』115頁。
  9. ^ 平賀英一郎『吸血鬼伝承 - 「生ける死体」の民俗学』、中央公論新社<中公新書>、2000年、p63、65。
  10. ^ 『ヴァンパイア―吸血鬼伝説の系譜』19頁。
  11. ^ 『ヴァンパイア―吸血鬼伝説の系譜』32頁。

関連書籍

関連項目

外部リンク