ブラム・ストーカー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 文学 |
|---|
![]() |
| ポータル |
| 各国の文学 記事総覧 |
| 出版社・文芸雑誌 文学賞 |
| 作家 |
| 詩人・小説家 その他作家 |
| お知らせ |
| このテンプレートの解説ページができました。使用されるべき記事が決まりましたので一度ご確認ください。 |
ブラム・ストーカー(Abraham "Bram" Stoker、本名:エイブラハム・ストーカー、1847年11月8日 - 1912年4月20日)はイギリス時代のアイルランド人である小説家である。怪奇小説の古典、『吸血鬼ドラキュラ』で有名。『吸血鬼ドラキュラ』は吸血鬼ものの定番となった。
[編集] 略伝
1847年11月8日、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国のアイルランド・ダブリンでアイルランド政庁の公務員である父母の3人目として生まれた。6人の兄弟がいる。病弱で7歳まで歩けなかった。16歳、ダブリン大学のトリニティ・カレッジに入学。オスカー・ワイルドと知り合いでクリスマスにワイルドの両親に招かれた(後にワイルドの恋人だったフローレンス・アン・レモン・バルコム(女優)と結婚する)。劇に興味を持ち劇評を書いたりしてヘンリー・アーヴィングに知り合う。大学卒業後政庁に就職も文筆活動は継続。カレッジの先輩シェリダン・レ・ファニュの女吸血鬼小説『カーミラ』を読む。30歳、アーヴィング劇団の秘書になった。アーヴィングのライシーアム劇場のビーフ・ステーキ・クラブの運営も手伝う。43歳、アーヴィングの家でハンガリーのブダペスト大学の東洋言語学教授アルミニウス・ヴァーンベーリに出会う。ある図書館で『ワラキア公国とモルダヴィア公国の物語』に「串刺し公」ヴラド・ツェペシュの記述をみつけた。1897年に『吸血鬼ドラキュラ』を出版。ただちにアーヴィングが演劇化したこともありこの小説はよく売れた。その収入はアーヴィングの死後、ライシーアム劇場が焼失した際の処分の為の費用に使われたという。1912年4月20日死去。
[編集] 作品リスト
- 吸血鬼ドラキュラ
- ドラキュラの客
- 判事の家
- 牝猫
- 金髪
- 蛇の道
- 日没の下
- ヘンリー・アーヴィングの思い出
[編集] 関連書
- 桂千穂 訳『ドラキュラの客』 国書刊行会


