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(あく)とは、文化宗教によって定義が異なるものの、概ね人道に外れた行いや、それに関連する有害なものを指す概念である。

目次

[編集] 日本語における「悪」

日本語における「悪」という言葉は、もともと剽悍さや力強さを表す言葉としても使われ、否定的な意味しかないわけではない。例えば、源義朝の長男・義平はその勇猛さから「悪源太」と称されている。鎌倉時代末期における悪党もその典型例であり、力の強い勢力という意味である。

元々は「悪源太義平」にみられる「突出した」の意をもつ。突出して平均から外れた人間は、広範囲かつ支配的な統治、あるいは徴兵した軍隊における連携的な行動の妨げになり、これゆえ古代中国における「悪」概念は、「命令・規則に従わないもの」に対する価値評価となった。一方「善」概念は、「皇帝の命令・政治的規則に従うもの」に対する価値評価である。

古事記』において、「悪事」は「マカゴト」と読ませる(古代の解釈では、悪の訓読みは「マカ」となる)。対して、「善事」は「ヨゴト」と読む。

なお現在の日本での悪概念は、西欧の価値観に近いものとはなっているが、依然として相違を含んでいる。

[編集] 善と悪

悪はと対比される。

人間が善悪を意識、判断する場面は様々だが、家庭での躾から、教育スポーツ法律など、秩序を必要とするあらゆる場面で見出せる。生活に即したものとして宗教で、娯楽や伝承として物語の上で取り上げられることも多い。その際は、善をすすめ悪を除外すること(勧善懲悪)、善と悪との対決などがしばしば注目される。

善と悪は解釈や判断によって入れ替わる場合もあるため、人間は善であり、かつ悪であるという両立した存在であると見なせる。[要出典]規則(ルール)や規範という形で存在するものは、このような混乱を避けるためによく用いられる手段である。

[編集] 宗教と悪

宗教はしばしば戒律で悪を規定する。それに基づいて禁止されている事柄(タブー)は、その始祖や開祖に関するものや、それが発達した文化圏における生活規範をモチーフにしたものなどがある。中東のゾロアスター教は光(善)と闇(悪)で世界を捉えており、のちの一神教における悪魔の対立という概念に影響を与えたとされる。一神教ではユダヤ教十戒やキリスト教の七つの大罪などが有名である。

[編集] 参考文献

  • 魂の殺人 アリス・ミラー
  • 平気でうそをつく人たち M・スコット・ペック
  • 悪について エーリッヒ・フロム

[編集] 関連項目

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