WWFインターナショナル・タッグ王座
WWFインターナショナル・タッグ王座(WWF International Tag Team Championship)は、かつてWWF(ワールド・レスリング・フェデレーション)が認定していたプロレスのタッグチーム王座である。現WWEの初期、1969年に団体名がWWWF(ワールド・ワイド・レスリング・フェデレーション)であった時代に創設された。その後の1971年6月、同王座の上位に位置する世界タイトルであるWWWF世界タッグ王座が誕生した。
概要
もともとは WWWFインターナショナル・タッグ王座として、WWWFの本拠地であったアメリカ合衆国北東部のニューヨーク州ニューヨークやペンシルベニア州ピッツバーグを中心に防衛戦が行われていた。当時のWWWFにおける最高位のタッグ王座であったが、1972年にNWFのピッツバーグ地区買収に伴い王座空位となる。その後、13年の歳月が経過した1985年に、当時WWF(1979年にWWWFより改称)と業務提携を結んでいた新日本プロレスにおいて、WWFインターナショナル・タッグ王座として復活した。
1985年5月24日、神戸にて藤波辰巳&木村健吾とディック・マードック&アドリアン・アドニスの間で王座決定戦が行われ、リングアウト勝ちで藤波組が勝利を収めて新王者チームとなった。以後、マードック&アドニス、キングコング・バンディ&バッドニュース・アレン、ハクソー・ヒギンズ&ケリー・ブラウンなどのチームを相手に防衛戦が行われた。
王座復活から5ヶ月後、1985年10月31日付けで新日本プロレスとWWFの契約が終了したことに伴い王座を返上。10月4日に札幌中島スポーツセンターで行われたフォン・エリックス(ケビン・フォン・エリック&ケリー・フォン・エリック)との両者リングアウトによるドロー防衛が最後のタイトルマッチとなった。その後は現在も空位の状態であることから「封印王座」として取り扱われている。なお、同王座と同様にWWFインターナショナル・ヘビー級王座とWWFジュニアヘビー級王座も返上・封印されている。
なお後年、WWFがSWSと業務提携を結んだ際、依然として休眠状態にあったインターナショナル・ヘビー級、インターナショナル・タッグ、ジュニアヘビー級の3つの王座を、SWSで復活させようとするプランが持ち上がったが立ち消えとなり、SWSは団体独自の王座をSWS認定のもとに新設している。
歴代王者
歴代数 | レスラー | 防衛回 | 獲得日付 | 獲得した場所 |
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初代 | プロフェッサー・タナカ&ミツ・アラカワ | 1969年6月 | ブエノスアイレス | |
第2代 | ビクター・リベラ&トニー・マリノ | 1969年12月9日 | マディソン・スクエア・ガーデン | |
非公式 | ブルーノ・サンマルチノ&バットマン | 1969年12月13日 | ペンシルベニア州ピッツバーグ | |
第3代 | ザ・モンゴルズ(ジート・モンゴル&ベポ・モンゴル) | 1970年6月15日 | マディソン・スクエア・ガーデン | |
第4代 | ブルーノ・サンマルチノ&ドミニク・デヌーチ | 1971年6月18日 | ペンシルベニア州ピッツバーグ | |
第5代 | ザ・モンゴルズ(ジート・モンゴル&ベポ・モンゴル) | 1971年7月02日 | ペンシルベニア州ピッツバーグ | |
第6代 | ターザン・タイラー&ルーク・グラハム | 1971年11月12日 | ペンシルベニア州ピッツバーグ | |
第7代 | ジート・モンゴル&ジョニー・デ=ファジオ | 1971年12月18日 | ペンシルベニア州ピッツバーグ | |
1972年、NWFのピッツバーグ地区買収により王座空位 | ||||
第8代 | 藤波辰巳&木村健吾 | 4 | 1985年5月24日 | 神戸ワールド記念ホール |
1985年10月31日、WWFとの業務提携終了に伴い王座返上 |