竹内洋岳

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竹内 洋岳(たけうち ひろたか、1971年1月8日 - )は、日本登山家で、世界で29人目で日本人初の8000メートル峰全14座の登頂者[1]。身長180cm、体重65kg。東京都出身。立正大学卒業。株式会社ICI石井スポーツ所属。立正大学客員教授。

経歴[編集]

祖父の手ほどきで、幼少より登山スキーを始め、高校、大学の山岳部で国内の登山の経験を積み、20歳で初めての8000m峰登山を経験した。

1995年日本山岳会隊に参加して、マカルー(8,463m)東稜下部より登頂し、初めて8000m峰を登頂する。翌1996年には、エベレスト(8,848m)とK2(8611m)に連続登頂し、その後8000m峰を専門に登山活動を展開する。

2001年以降は、ドイツ人登山家のラルフ・ドゥイモビッツや、オーストリア人女性登山家のゲルリンデ・カルテンブルンナー(Gerlinde Kaltenbrunner)を主なパートナーとし、各国の登山家と少人数の国際隊を組み、酸素シェルパを使用しない軽量装備でスピーディに高峰への登頂を行う速攻登山で複数の8000m峰を登頂している。竹内は、このような登頂方法をHAM(High Altitude Marathon、超高所耐久登山)と呼称している。

2007年パキスタンガッシャーブルムII峰(8,035m)で雪崩に巻き込まれ、腰椎破裂骨折の重傷を負う。当初、救助は不可能と思われたが、各国登山隊のレスキューで奇跡的に生還した。帰国後に背骨にチタンシャフトを埋め込む手術を受け、もう登山への復帰は絶望的と言われながらも、リハビリにより、1年後には、事故のあったガッシャーブルムII峰へ再び挑み登頂を果たし、ブロード・ピーク(8,047m)への継続登山にも成功した。

その後も8000m峰全14座制覇を目指し登山を続け、2012年5月26日(日本時間)に最後の1座となっていたダウラギリへの登頂に成功し、全14座の登頂を成し遂げた。これは名塚秀二山田昇らの9座を上回る日本人最多記録であり、2012年5月現在、日本人唯一の8000m峰全14座登頂者である。8000m峰11座への無酸素登頂も、日本人最多記録である。

2002年に結婚し、二児の父親である。 熊本大学大学院自然科学研究科 准教授の竹内裕希子は実妹である。

登山論[編集]

登山については、「ほかのスポーツだったら、普通に行なわれていることが登山ではそうではないことがあるじゃないですか」という言葉のように、スポーツとしての側面を認めている。

登山の「無酸素」「単独登頂」といった単語の意味が独り歩きしている現状は、水泳陸上競技のような「タイムを競う」といった明確な目的のもとに、ドーピング禁止といったルールが明文化されている他のスポーツの現状とはあまりにかけ離れている[2]

好事家の間でしばし議題となる「登山はスポーツか」という問いについては、「登山はスポーツでなくてはならないと思うんです」、「スポーツとは記録が伴うものだけれど、登山は、それがあいまいなところがある。『スポーツではないのだから』という考えが、逃げになってしまう」と続けている[2]

この考えを反映させてか、2012年のダウラギリ登頂の際にはSPOTサテライトメッセンジャーというGPSを使用しインターネット上にリアルタイムで位置情報を発信。万人に見える形で登頂のプロセスを公開し透明性を高めている。

登山歴[編集]

  • 1991年 9~10月 - シシャパンマ(8,027m)北面7500m地点まで。立正大山岳部中国登山隊。
  • 1995年 5月22日- マカルー(8,463m)登頂。東稜下部初登攀から登頂。日本山岳会マカルー登山隊1995(重広恒夫隊長)。
  • 1996年
    • 5月17日- 世界最高峰エベレスト(8,848m)登頂。ノースコルから。立正大学山岳部登山隊(山崎幸二隊長)
    • 8月14日- K2(8,611m)登頂。南南東リブから。日本山岳会青年部登山隊(山本篤隊長)。12日に登頂した谷川太郎らと合わせて史上最多の1チーム12人の大量登頂。
  • 1999年 5月9 日- リャンカンカンリ(7,535m)初登頂。日本リャンカンカンリ登山隊(伊丹紹泰隊長)
  • 2001年 6月30日- ナンガ・パルバット(8,125m)登頂。キンスフォッファールートから無酸素。国際公募隊。チームメンバーは、ラルフ・ドゥイモビッツを含む国際公募隊
  • 2003年 4~5月- カンチェンジュンガ(8,586m)北面7500m地点まで。チームメンバーは、ラルフ・ドゥイモビッツ、ガリンダ・カールセンブラウナー、デービッド・ゴードゥラー、ミッチー・ワルサー、ベイカー・グスタファッソン
  • 2004年
    • 4~5月 - シシャパンマ(8,027m)南西壁6500m地点まで[3]。チームメンバーは、ラルフ・ドゥイモビッツ、ガリンダ・カールセンブラウナー、ロバート・ボッシュ
    • 5月28日 - アンナプルナ(8,091m)登頂。北面から無酸素アルパインスタイル。チームメンバーは、ラルフ・ドゥイモビッツ、ガリンダ・カールセンブラウナー[4]
    • 7月25日 - ガッシャーブルムI峰(8,080m)登頂。無酸素。チームメンバーは、ラルフ・ドゥイモビッツを含む国際公募隊
    • 7月 - ガッシャーブルムII峰(8,035m)悪天候のため登山を中止。チームメンバーは、ガリンダ・カールセンブラウナー
  • 2005年
    • 5月7日- シシャパンマ(8,027m)登頂。南西壁から無酸素アルパインスタイル。登頂後、北面へ初トラバース。チームメンバーは、ラルフ・ドゥイモビッツ、ガリンダ・カールセンブラウナー
    • 5月- エベレスト(8,848m)北西壁スーパークーロワール断念後、中央ロンブク氷河側よりノースコル経由で7700m地点まで。7700m付近で意識を失い救出される。チームメンバーは、ラルフ・ドゥイモビッツ、ガリンダ・カールセンブラウナー
  • 2006年
    • 5月14日- カンチェンジュンガ(8,586m)登頂。南面クラシックルート無酸素。チームメンバーは、ラルフ・ドゥイモビッツ、ガリンダ・カールセンブラウナー、ベイカー・グスタファッソン、アンドリュー・ロック
    • 5月- ローツェ(8516m) カンチェンジュンガ登頂後すぐにヘリでローツェBCに移動、ワンプッシュで登頂を狙うも頂上直下8450mで敗退。チームメンバーは、ラルフ・ドゥイモビッツ、ガリンダ・カールセンブラウナー
  • 2007年
    • 5月19日 - マナスル(8,163m)登頂。北東面クラシックルート無酸素。チームメンバーは、ラルフ・ドゥイモビッツを含む国際公募隊
    • 6~7月 - ガッシャーブルムII峰登頂中に雪崩に巻き込まれ、同行者2名死亡。自身も腰椎破裂骨折などの重傷を負う。国際公募隊
  • 2008年
    • 7月8日- ガッシャーブルムII峰(8,035m)登頂。クラシックルート無酸素。チームメンバーは、ベイカー・グスタフッソン、平出和也
    • 7月31日- ブロード・ピーク(8,047m)登頂。クラシックルート無酸素ワンプッシュ。チームメンバーは、ベイカー・グスタフッソン、平出和也
  • 2009年 5月20日 - ローツェ(8,516m)登頂。クラシックルート無酸素。パートナーはラルフ・ドゥイモビッツ、ガリンダ・カールセンブラウナー、デービッド・ゴードゥラー
  • 2010年 8〜9月 - チョー・オユー(8,201m)ノーマルルート7700m地点まで。
  • 2011年9月30日 - チョー・オユー(8,201m)登頂 ノーマルルート 無酸素。チームメンバーは、中島健郎
  • 2012年5月26日 - ダウラギリ(8,167m)登頂 ノーマルルート 無酸素。チームメンバーは、中島健郎 ダウラギリの登頂によって、日本人初の8000m峰全14座の完全登頂を達成。

エピソード[編集]

  • 1996年のエベレスト遠征では、当初登頂予定のなかった山崎隊長が満足な装備を持たないまま隊員の制止を振り切って山頂に向かい、行方不明になる事件が発生した。山崎は他の隊が捨てた酸素ボンベを使い、無事に登頂して帰還したが、ベースキャンプでは既に死亡と判断して簡易葬も営んだ上に、日本に報告済みだったため大騒動となっている。
  • 2001年のナンガ・パルバット国際公募隊で常に先頭に立ってルート工作を行い、その力強さから『コマツ』のニックネームで呼ばれた。
  • 2010年 自身初の一般公募による公募隊を結成して、8000m峰13座目となるチョー・オユー登頂を目指した。
  • 2010年 8〜9月8000m峰13座目となるチョー・オユー(8,201m)へのアタックにおいて『7700m地点で雪崩の危険を感じながらも10歩進んでしまった事を、プロの登山家として後悔している』と、自身のトークショー等で公言している。
  • 2012年 7月8日14時より巨人×阪神(東京ドーム)の始球式を務めた。「丸いものが苦手」と公言している球技が大の苦手の竹内に白羽の矢が向けられたユニークな始球式となった。
  • 2012年10月13日にカシオ計算機は、アウトドアウオッチ“PROTREK(プロトレック)”の新製品として、機能性とデザイン性を追求した最上級ライン“MANASLU※(マナスル)”より、プロ登山家 竹内洋岳の8,000m峰14座登頂達成を記念したスペシャルモデル『14 Summiter Limited Model (14サミッター・リミテッド・モデル) PWX-8000T』を世界限定で300個発売。その後完売となった。
  • 2012年、第17回「植村直己冒険賞」を授与される。
  • 2013年4月1日に竹内の母校、立正大学の客員教授に就任。
  • 2013年8月27日、日本人として初の8000m峰14座完全登頂を成し遂げたことが、文部科学大臣より「世界記録更新と同等の功績」という位置づけに認められ、『文部科学大臣顕彰、スポーツ功労者顕彰』を授与される。
  • 2013年12月7日、『第15回秩父宮記念山岳賞』を授与される。授賞会場には、浩宮皇太子殿下もご臨席された。

メディア[編集]

書籍など[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]


関連図書[編集]

  • 『Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 742号』, 2009年 12/10号文藝春秋 ナンバーノンフィクション 「死の稜線を越えて」, 文=小堀隆司
  • 『Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 781号』, 2011年 7/7号文藝春秋 メンタルバイブル 「心を「研ぎ澄ます」, 文=塩野米松
  • 『Tarzan 594号』,2012年1月12日号 マガジンハウス 「Here Comes Tarzan!」, 取材・文=鈴木一朗, 写真=藤尾真琴
  • 『山と溪谷』,2012年1月号 山と溪谷社 「高所登山 ヒマラヤ8000メートル峰の世界」, 写真・文=中島ケンロウ
  • 『NumberDo』,2012年Summer 文藝春秋 緊急インタビュー 竹内洋岳「14座制覇の瞬間、僕は思った」, 文=小堀隆司, 写真=中島ケンロウ
  • 『スポーツ報知』,2012年5月30日「号外」
  • 『週刊ヤングジャンプ』,2012年7月5日号 集英社 「日本人初!8000m峰14座全山登頂達成!」「全山登頂達成までの歩み」
  • 『スポーツ報知』,2012年7月20日掲載 「なぜ竹内洋岳さんは偉業を達成できたのか」
  • 『Tarzan 609号』,2012年8月23日号 マガジンハウス 「登山家・竹内洋岳を読み解く」, 取材・文=鈴木一朗, 写真=藤尾真琴
  • 『週刊文春』,2012年8月30日号 文藝春秋 「阿川佐和子のこの人に会いたい」, 構成=柴口育子
  • 『週刊プレイボーイ』,2012年3rd. Sep. no36 集英社 「ホンモノの冒険で人生を変える!」, 取材・文=世良光弘, 浅野恵子
  • 『GONG格闘技』,2012年10月号 イースト・プレス 「アスリートに訊け!」, 取材・文=松山郷, 村岡隆範
  • 『メンズノンノ』,2012年10月号 集英社 「あの人に会いたい」
  • 『サンデー毎日』,2012年9.23月号 毎日新聞社 「すみきちのぶっちゃけ堂」
  • 『モノマガジン』,2012年10.16月号 ワールドフォトプレス 「竹内洋岳 インタビュー」
  • 『VOLT』,2012年10.22月号 徳間書店 「中井美穂のアスリート対談」
  • 『ゲーテ』,2012年12月号 幻冬舎 「命綱をはずせ! 挑戦する男たち常識を覆し、新しい時代を切り拓いていく人物のインタビュー集」
  • 『Number』,2012年12月6日号 文藝春秋
  • 『日経ビジネスアソシエ』,2012年12月10日号 日経BP
  • 『PEAKS』,No.40 「竹内洋岳のロングインタビュー」枻出版社
  • 『日経新聞夕刊』,2013年4月8日から5日連続掲載 「こころの玉手箱」
  • 『月刊致知』,2013年6月号 「特集 一灯照隅」致知版社 
  • 『月刊事業構想』,2013年6月号 「アスリートの闘い方」日本ビジネス出版 
  • 『日経新聞夕刊』,2013年5月31日掲載 「学びのひろば」
  • 『朝日新聞夕刊』,2013年8月15日掲載 「華麗な人」
  • 『BE-PAL』,2013年9月号 「クルマを変えて、ジンセイを変えよう」
  • 『SKAY WARD』,2013年9月号 「AT HIS PEAK」
  • 『週刊新潮』,2013年10月17日号 「掲示板」

脚注・出典[編集]

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  1. ^ 日本人初の快挙、8000m峰14座登頂 竹内洋岳、日本経済新聞 2012年5月26日
  2. ^ a b 読売新聞登山はスポーツか」(WebArchiveによるキャッシュ) 2010年8月27日
  3. ^ パートナーが落石で負傷したために撤退
  4. ^ 途中でデニス・ウルブコ、シモーネ・モロが合流

関連項目[編集]

外部リンク[編集]