ダウラギリ
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| ダウラギリ | |
|---|---|
| 標高 | 8,167 m |
| 所在地 | |
| 位置 | 北緯28度41分47秒 東経83度29分43秒座標: 北緯28度41分47秒 東経83度29分43秒 |
| 山系 | ヒマラヤ山脈 |
| 初登頂 | スイス・オーストリア隊(1960年5月13日) |
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ダウラギリの位置(ネパール)
ダウラギリの位置(アジア)
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ダウラギリ(Dhaulagiri)は、ネパール北部のヒマラヤ山脈のダウラギリ山系にある標高8,167 m世界で7番目に高い山である。ダウラギリはサンスクリット語で「白い山」という意味である。
目次 |
概要 [編集]
ダウラギリは、1808年に初めてヨーロッパの人々に知られるようになり、カンチェンジュンガの存在が知られるまでの約30年間、世界一高い山と考えられていた。
登山 [編集]
初登頂は、1960年5月13日に、クルト・ディムベルガーらスイス・オーストリアの登山隊によって成し遂げられた。これは、飛行機を利用した初のヒマラヤ登山でもある。この際に使用した飛行機(Pilatus PC-6)は、山に近づく際に破損したため山の中に捨てられた。 南東稜はメスナーをはじめとする有力登山家が悉く敗退。危険度が非常に高く「自殺ルート」と呼ばれていたが、1978年に群馬岳連隊の山田昇が初登頂している。 南壁は屈指の難ルートとして知られ、1999年にトマジ・フマルが単独登攀を成功させたものの、登頂に至らず撤退している。
登頂史 [編集]
- 1960年5月13日 - クルト・ディムベルガーらが初登頂。無酸素。
- 1970年 - 緒方道彦
- 1978年 - 山田昇が南東稜ルートで初登頂。無酸素。 イェジ・ククチカが冬季初登頂。
- 1981年 - 禿博信
- 1985年 - エアハルト・ロレタン
- 1990年 - クシストフ・ヴィエリツキ
- 1994年 - 小西政継
- 1995年 - カルロス・カルソリオ
- 1996年5月1日 - 厳弘吉
- 1997年 - 小西浩文
- 1998年 - フアニート・オヤルサバル
- 2008年5月1日 - エドゥルネ・パサバン
- 2009年5月 - 栗城史多
- 2009年5月21日 - 呉銀善
- 2012年5月 - マリオ・パンツェリ、竹内洋岳 いずれもこの登頂で8000m峰全14座登頂達成
遭難史 [編集]
- 1998年5月16日 - フランスの登山家シャンタル・モーデュィト(Chantal Mauduit)が雪崩に巻き込まれて死亡。
- 1999年10月24日 - イギリスの登山家ジネット・ハリソン(Ginette Harrison)が雪崩に巻き込まれて死亡。
- 2010年9月28日 - 日本人登山隊が雪崩に巻き込まれる。日本人1人死亡、日本人2名、シェルパ1人が行方不明[1]。
出典 [編集]
- ^ “ヒマラヤ遭難捜索打ち切り”. 読売新聞. (2010年10月15日) 2010年10月15日閲覧。
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