ローツェ
| ローツェ | |
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| 標高 | 8,516 m |
| 所在地 | |
| 位置 | 北緯27度58分 東経86度56分座標: 北緯27度58分 東経86度56分 |
| 山系 | ヒマラヤ山脈(クーンブ・ヒマール) |
| 初登頂 | 1956年5月18日 |
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ローツェの位置(ネパール)
ローツェの位置(アジア)
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ローツェ(Lhotse)は、ヒマラヤ山脈のエベレストの南に連なる山。標高は8,516mで世界第4位。主峰の他に8,414m の東峰と8,383 mのシャール峰がある。ローツェはチベット語で「南峰」の意で、エベレストの南峰であることを意味する。
目次 |
登頂史 [編集]
ローツェの登頂は、1956年5月18日にエルンスト・ライスとフリッツ・ルフジンガーが率いるスイスの登山隊によって成し遂げられた。1979年5月12日にはオーストリア隊のZepp MaierlとRolf Walterがシャール峰への登頂に成功し、2001年5月23日にロシアのEugeny Vinogradsky・Serguei Timofeev・Alexei Bolotov・Petr Kuznetsovの4人が東峰に登頂している。
1988年12月31日に、ポーランドの登山家クシストフ・ヴィエリツキ(Krzysztof Wielicki)が登頂した。これが最初の冬場の8000メートル峰登頂になった。
2003年10月までに243人が登頂に成功し、イェジ・ククチカら11人が命を落としている。
年表 [編集]
- 1956年5月18日 - スイス隊が初登頂。
- 1965年 - 日本隊がシャール峰に挑戦し、8,100 m地点まで登る。
- 1977年5月11日 - ドイツのMichel Dacherが無酸素初登頂。
- 1979年5月12日 - オーストリア隊がシャール峰初登頂。
- 1988年12月31日 - ポーランドのクシストフ・ヴィエリツキが冬場の登頂に成功。
- 1990年5月 - トモ・チェセンがアルパインスタイルで南壁初登頂に成功と主張するも、様々な疑惑が噴出[1]。
- 1994年 - フランスのChantal Mauduitが女性として初めての登頂。
- 2001年5月23日 - ロシア隊が東峰初登頂。
- 2002年10月3日 - 明治大学隊の三谷統一郎ら4人が日本人初登頂。5日後に二次アタック隊4人も登頂。うち、天野和明が無酸素登頂。
- 2004年 - 渡辺玉枝が当時女性最高齢(64歳)で登頂し、第9回植村直己冒険賞を受賞した。
- 2006年12月27日 - 日本山岳会東海支部隊が南壁ルート冬季初登頂し、第10回秩父宮記念山岳賞を受賞した。
- 2009年5月20日 - 日本山岳会竹内洋岳がクラシックルートを無酸素で登頂。
西壁 [編集]
ローツェは北の鞍部を経てエベレストにつながっている。ローツェの西側面は「ローツェ・フェース」として知られている。鞍部を通りエベレストへと向かう登山家は、この高さ1,125 mに及ぶ氷壁を登らなければならない。この氷壁は通常で40度から50度、時々80度以上になる勾配を持つ。登山者とシェルパは、氷壁の適当な位置にロープを固定しユマールを一定のリズムで操作しなければならない。氷壁の上には「イエロー・バンド」「ジュネーブのシュプール」と呼ばれる2つの岩場がある。
南壁 [編集]
ローツェ南壁は標高差が3,300 mあり、世界屈指の大岩壁である。登攀は極めて難しいとされる。ラインホルト・メスナーら世界の名だたるアルピニスト達の挑戦を退け、イェジ・ククチカやニコラ・ジャジェールらのクライマーが、ここに眠っている。過去、1990年5月にスロベニアのトモ・チェセンが単独・無酸素で45時間20分かかり初制覇したとされるほか、同年秋にソ連隊17人中の2人が南壁の別ルートから登頂を果たしたのみであった[2]。2006年12月27日に、田辺治を隊長とする日本山岳会東海支部のパーティが、冬季としては史上初の南壁登攀を達成した[3]。ただし、体力を消耗していたため登頂は断念した[4]。
参考文献 [編集]
- トモ・チェセン 『孤独の山―ローツェ南壁単独登攀への軌跡』 近藤等訳、山と溪谷社、1998年10月。ISBN 4635178110。
脚注 [編集]
- ^ 『孤独の山』 補遺「疑惑の系譜」 p161~
- ^ アルパインクライミングホームページ(2001年3月27日の記事)
- ^ (社)日本山岳会東海支部(ローツェ南壁登山隊2006)
- ^ あと41メートル…無情の頂 読売新聞 2007年1月10日
関連項目 [編集]
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