心地覚心

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

心地覚心
1207 - 1298
諡号 法灯禅師、法灯円明国師
生地 信濃国神林
没地 下総国匝瑳郡福聚寺
宗派 臨済宗普化宗
寺院 西方寺(後の興国寺
無門慧開
弟子 恭翁運良覚山心暁

心地覚心(しんち かくしん、承元元年(1207年) - 永仁6年10月13日1298年11月18日))は、鎌倉時代臨済宗信濃国(現在の長野県松本市神林)生まれ。姓は恒氏。無本とした。

[編集] 生涯

29歳の時に出家し、高野山真言密教を学び、金剛三昧院の退耕行勇に師事した。師に随い寿服寺にも住した。道元栄朝らに学んだ後、1249年に入して無門慧開1183年 - 1260年)の法を得て帰国。高野山に入り、師の著作である『無門関』を請来した。

1258年に西方寺(後の興国寺)の開山となり、紀伊由良に居を定め、宣教に励んだ。

亀山上皇1248年 - 1305年)の帰依を受け、新建の南禅寺の開山となることを求められたが、断ったという。亀山上皇、後醍醐天皇より法灯禅師法灯円明国師と諡された。

瑩山紹瑾1268年 - 1325年)ら、多くの曹洞宗の僧らと交渉をもったため、その密教化に影響を与えたとされる。

また、後世、尺八を愛好したとして、普化宗の祖ともされる。