臨済義玄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 臨済義玄 | |
|---|---|
| ?-867年 | |
|
中国河北省正定県南城門内の臨濟義玄像 |
|
| 諡号 | 慧照禅師 |
| 尊称 | 臨済将軍 |
| 生地 | 曹州南華県(山東省) |
| 宗派 | 臨済宗 |
| 寺院 | 真定府臨済院 |
| 師 | 黄檗希運 |
| 弟子 | 興化存奬 |
| 著作 | 『臨濟慧照禅師語録』 |
臨済義玄(りんざい ぎげん、諡号:慧照禅師、?-867年)は中国唐の禅僧で、臨済宗の開祖。正しい表記は臨濟義玄だが、漢字制限(当用漢字、常用漢字、所謂教育漢字)により現表記となる。
曹州南華県(山東省)出身で俗姓は邢氏。
[編集] 生涯
当初、経論を学ぶも満ち足りず、禅宗へ転向して黄檗希運に師事し、所謂黄檗三打の機縁で大悟した。
その後河北省の有力軍閥である成徳府節度使王紹懿(禅録では王常侍)の帰依を受け、真定府の臨済院に住み、興化存奬を初めとする多くの弟子を育て、北地に一大教線を張り、その門流は後に臨済宗と呼ばれるようになった。
その宗風は馬祖道一に始まる禅風を究極まで推し進め、中国禅宗史の頂点を極めた。その家風は「喝」(怒鳴ること)を多用する峻烈な禅風であり、徳山の「棒」とならび称され、その激しさから「臨済将軍」とも喩えられた。
[編集] 語録
その語録である『臨済録』(臨濟慧照禅師語録)は「語録の王」として、中国・日本で再三にわたって開版された。本書には、簡潔な描写の中に臨済の直截的な確信に満ちた姿が驚くべき臨場感をともなって活写されている。
- 『臨濟録』(『大正新脩大蔵経』巻47、『古尊宿語録』巻2、『續古尊宿語要』巻1)
[編集] 伝記
| 師:黄檗希運 | 禅宗(臨済宗) | 弟子:興化存奬 |

