僧
| 仏教 |
|---|
| 基本教義 |
| 縁起 四諦 八正道 三法印 四法印 諸行無常 諸法無我 涅槃寂静 一切皆苦 波羅蜜 |
| 人物 |
| 釈迦 十大弟子 龍樹 |
| 信仰対象 |
| 仏の一覧 |
| 分類 |
| 原始仏教 部派仏教 大乗仏教 密教 神仏習合 修験道 |
| 宗派 |
| 仏教の宗派 |
| 地域別仏教 |
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| 聖典 |
| 経蔵 律蔵 論蔵 |
| 聖地 |
| 八大聖地 |
| 歴史 |
| 原始 部派 上座部 大乗 |
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僧(そう)は三宝の1つで、「仏教の戒律を守る、男性の出家 比丘 ,女性の出家者 比丘尼(びくに), の集団」を言う。サンスクリット語ではサンガ(saṃgha संघ)であり、それを音写したのが「僧伽」である。[1]今日では個人を「僧」と呼ぶことが多いが、原義として、僧とは具足戒を受け、これを守る出家修行者たちの集団をいう。 [2]
古代インドでは、仏教に限らず、婆羅門以外の出家者・遊行者のことを、一般に「沙門」と呼ぶが、その中でもこの仏教の「僧伽」の正式な構成員は、男性であれば「比丘」(びく、「乞食」の意)、女性であれば「比丘尼」(びくに)と呼び表される。
目次 |
サンガ(僧伽)とは[編集]
僧伽(サンガ)は、一般に「僧団」と言いかえることもできるが、釈迦当時の時代はもちろん、現代においても上座部仏教、大乗仏教を問わず、在家信者を含まない純粋な、出家者たちの共同体である。しかしながら、日本仏教の各宗派の教団は、教義上、平安時代以降は具足戒を保つ複数の出家者が存在しないため、定義上、僧伽(サンガ)ではない。
比丘・比丘尼[編集]
比丘・比丘尼は、出家者における男女の区別によるが、いずれも具足戒をうけた出家修行者を指す。その元の言葉は「乞食」を意味している。出家者として全く生産に従事しない比丘・比丘尼は、他者から布施されるものによって、生活を維持している。衣は糞掃衣を着し、食は托鉢によって得たものを食し、住は森林や園林に生活したのが、これら出家者であり、現在でも比較的これらに近い生活形態は、東南アジアの上座部仏教圏で見られる。
沙弥・沙弥尼[編集]
僧伽に属してはいるが、具足戒(波羅提木叉)をまだ授けられておらず、僧伽の正式なメンバーとなっていない「見習い僧・小僧」は、男性(少年)であれば「沙弥」(しゃみ)、女性(少女)であれば「沙弥尼」(しゃみに)と呼ばれる。
仏教の在家信徒は、「五戒」を守ることが求められるが、この沙弥・沙弥尼には、代わりに「十戒」が授けられる。彼らは通常、20歳になって、具足戒(波羅提木叉)を授けられることで、正式な僧伽のメンバー(比丘・比丘尼)となる。
一般にいわれる僧侶とは[編集]
日本、特に現代では、平安時代以降の教義上、具足戒は無戒で僧職を営む祭祀者が大多数を占めるので、慣習として彼らのことも一般に僧侶と呼ぶ。しかし、上述した比丘・比丘尼の定義からすれば、彼らを僧侶と呼ぶのは誤りである。
歴史[編集]
かくして仏教教団は、各地に成立し、それぞれ活動を行っていた。このような集団を現前僧伽と呼ぶ。ところが、5人から20人位までの集団である現前僧伽の活動が活発になると、僧伽自身の統制、さらに相互の連絡等の必要が生じ、やがて四方僧伽と呼ばれるような僧伽全体の組織が必要となってきた。
大乗仏教においては、在来の僧を「声聞僧伽」(しょうもんそうぎゃ)と呼び、大乗の僧を「菩薩僧伽」と呼ぶ。[3]悟った聖者の集団を「聖者僧伽」と呼び、三宝の一つとしての僧はこの聖者僧伽であるともなされ、一般の僧を「凡夫僧伽」「世俗僧伽」ともいう。[3]
後世、大乗仏教には、仏・法・僧の三宝を一体と見る一体三宝(同体三宝)の見方が現れ、それまでの別体三宝観と別の見方が主張された。
後世、中国や日本では僧団に属する個々の出家者を「僧」と言うようになった。
現代日本の伝統宗派と僧伽[編集]
日本では廃仏毀釈の影響下のなかで、富国強兵の政策を進めるために明治新政府の太政官布告123号「肉食妻帯蓄髪勝手たるべし」以降、国家仏教以来の権力者による妻帯の禁制がなくなると共に、本来の得度の意義や制度も失われて形骸化した儀式のみが残り、僧伽の原義とは全く反対の意味をもつ職業化したり世襲化した者が僧侶として公然と存在することができるようになった。そして、かれらが宗団を運営しているのが現状である。
平安初期の最澄上人の教義上、平安時代以降は具足戒の戒脈は途絶えており、具足戒を受持する出家者・修行者は(他国のサンガで受戒したごく少数者を除き)現代日本仏教各宗派では存在しない。それゆえ日本の伝統宗派に僧伽(サンガ)は存在しない。しかしながら、新しい解釈によって、これらの僧職者と檀家のみで構成される在家教団をサンガと見做すべきであるという意見もある。
四分律[編集]
中国、日本、台湾、韓国等の仏教において、歴史的に広く用いられてきた律である。比丘は二百五十戒を遵守する。現状において、日本では完全に僧伽が消滅しているため、律宗などで儀式上の必要から、形式的に受戒する場合、既に中国大陸では僧侶はいるが文化大革命によって正しい戒脈が途絶えてしまったため、『護戒牒』に見られるように戒脈の残る台湾等から戒師を招来する必要がある。
戒律の条項は以下の通りである。[4]
- 波羅夷法[四ヶ条] (これを犯した場合、僧伽を追放されるもの;「波羅夷罪」ともいう)
- 婬戒 : いかなる性行為も行なわない。
- 盗戒 : 盗心をもって与えられていないものを取らない
- 殺人戒 : 殺人を犯さない。
- 大妄語戒 : 未だその境地を得ていないのに悟りを得たなどと嘘をつかない。ただし自信過剰による思い上がりの場合は除く。
- 僧残法 [十三ヶ条]
- 不定法 [二ヶ条]
- 尼薩耆波逸提法 [三十ヶ条]
- 波逸提法 [九十ヶ条]
- 波羅提提舎尼法 [四ヶ条]
- 衆学法 [百ヶ条]
- 滅諍法 [七ヶ条]
剃髪[編集]
僧侶の規律として剃髪がある。頭を丸め(丸刈り)て悟りの境地へ達する"解脱"への第一歩とされる。剃髪の由来は、釈迦に倣ったものである。古代インドでは、頭髪を剃るのは最大の恥辱とされ、重罪を犯した者に対する一種の刑罰であったが、釈迦は自らの解脱のため進んで剃髪した。それに弟子たちも従ったものである。
なお、罪人の髪を剃る刑罰は、中国の髠刑や日本の天つ罪に対する禊など広く見られるものであった。
剃髪した僧侶が、還俗して髪を伸ばすことは蓄髪(ちくはつ)という[5]。
近年、浄土真宗をはじめとして、お寺以外に仕事を持っているなどで有髪の僧侶も見受けられるが、現代日本の伝統教団には一部を除き、平安時代以降は、教義上、具足戒を受ける習慣がなく、彼らは厳密には僧侶(比丘)ではないので問題はないとも言える。
大衆部の律には、釈尊は「四カ月に一度剃髪をされた[6]という伝承がある。
注記[編集]
- ^ 他の音写として「僧佉」「僧企耶」などがあり、漢訳して「衆和合」「衆」と呼ぶ。
- ^ 「サンガとは中国語で「衆」という意味である。「戒律を守る出家者」(比丘)が一処に和合すること、これをサンガというのである。」原文:「僧伽、秦に衆という。多くの比丘、一処に和合する。これを僧伽となずく」(『大智度論 』)
- ^ a b 僧伽(修行者たちの集まり=僧)の本質 - ニンマ派高僧トゥルシック・リンポチェによる「37の菩薩の実践」
- ^ 戒律の条項については、真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺HP [1]を参照した。
- ^ 「蓄髪」は単に「髪を伸ばすこと」また「その髪型」「髪を伸ばした人」という意味もあるが、現代ではあまり使われない表現。
- ^ 『摩訶僧祇律十八(復次佛住舎衛城。広説如上。爾時世尊四月一剃髪。世人聞佛剃髪故。送種種供養)』