バスク自治州

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バスク自治州
Euskadi a (バスク語)
País VascoEuskadi (スペイン語)
—  自治州  —
Euskal Autonomia Erkidegoa b (バスク語)
Comunidad Autónoma del País Vasco (スペイン語)
バスクの旗
バスクの紋章
紋章
賛歌:エウスコ・アベンダレン・エレセルキア
スペイン北部におけるバスク自治州の位置(赤)
座標: 北緯42度50分 西経2度41分 / 北緯42.833度 西経2.683度 / 42.833; -2.683
国名 スペイン
州都 ビトリア=ガステイス
アラバ県, ビスカヤ県, ギプスコア県
行政
 - 種別 自治権委譲(立憲君主制憲政下)
 - 議会 バスク自治州政府
 - レンダカリ イニゴ・ウルクル (バスク民族主義党(EAJ/PNV))
面積
 - 計 7,234km2 (2,793.1mi2)
域内順位 14位 (スペイン中1.4%)
人口 (2008)
 - 計 2,155,546人
 - 人口密度 298人/km² (771.7人/mi²)
 - 順位 7位 (スペイン中4.9%)人
バスク人呼称
 - 英語 Basque
 - カスティーリャ語 vasco(男性形)、vasca(女性形)
 - バスク語 euskaldun
電話番号 +34 94-
ISO 3166コード ES-PV
自治州法 1979年10月25日
公用語 バスク語カスティーリャ語
議席割り当て
バスク自治州議会 75人
代議院 19人(350人中)
元老院 15人(264人中)
ウェブサイト バスク州政府(バスク語)
a. ^ Also Euskal Herria, according to the Basque Statute of Autonomy .
b. ^ Also Euskal Herriko Autonomia Erkidegoa, according to the Basque Statute of Autonomy.

バスク自治州バスク語: Euskadi [eus̺kadi], スペイン語: País Vasco [paˈiz ˈβasko], 英語: Basque Country, フランス語: Pays Basque)は、スペイン自治州の一つである。スペインの北部、ピレネー山脈の西側に位置し、北は大西洋ビスケー湾に面している。アラバ県ビスカヤ県ギプスコア県を含む。

スペイン1978年憲法(現行憲法)によって、バスク自治州はスペインにおいて強力な自治権を得た。行政区分としてのバスク自治州はゲルニカ憲章(バスク自治憲章 : スペイン領バスクに住むバスク人の発展のための枠組みを提供する基本的な法的文書)に基づいているが、バスク人が多く住むナバーラ地域はバスク自治州から除外され、独立したナバーラ州となった。バスク自治州には公式な州都は存在しないが、バスク議会やバスク自治州政府の本部はアラバ県のビトリア=ガステイスに置かれている。もっとも人口が多い都市はビスカヤ県ビルバオである。

名称[編集]

バスク人の居住地という文化的領域としてのバスク地方またはバスク国(バスク語 : Euskal Herria)と、行政区分としてのバスク自治州との混同には注意が必要である。文化的領域としてのバスク地方は、バスク語ではエウスカル・エリア(Euskal Herria)またはエウスカディ(Euskadi)と呼ばれ、カスティーリャ語ではバスク語由来のエウスカディと、英語ではバスク・カントリー(Basque Country)と呼ばれる。エウスカル・エリアは「バスク語の話されるくに」を意味し、エウスカディはバスク民族主義の始祖サビノ・アラナの造語である[1]

行政区分としてのバスク自治州は、バスク語ではエウスカディと呼ばれ、カスティーリャ語ではパイス・バスコ(País Vasco)またはバスク語由来のエウスカディと、英語ではバスク・カントリーと呼ばれる。バスク語・カスティーリャ語のエウスカディ、英語のバスク・カントリーは文化的領域・行政区分のそれぞれを指す場合があるが、エウスカル・エリアは文化的領域のみを指す。

地理[編集]

西はカンタブリア州カスティーリャ・イ・レオン州、南はラ・リオハ州、東はフランスナバーラ州と接しており、北は大西洋ビスケー湾に面している。エブロ川がラ・リオハ州との自然州境を形成している。東西に並行する2本のバスク山脈によって、バスク自治州は地理的に3地域に分けることができる。ビスケー湾に面した北部の「大西洋岸」、地中海に流れ込むエブロ川流域にあたる南部の「エブロ谷」、両者の中間に当たる中部の高原地帯である。バスク自治州の最高峰はアイツコリ山(1,551m)である。

大西洋岸

山地からビスケー湾に流れ込むネルビオン川ウロラ川オリア川などの小河川が流れる谷によって形成されている。海岸部は起伏が激しく、高い崖や小さな入江で構成されている。ビルバオ・アブラ湾、ビルバオ河口、ウルダイバイ河口、フランスとの国境を形成しているビダソア=チングディ湾などの地形が特徴である。

中間部

ふたつの山脈の間の地域はアラバ平原と呼ばれる高原によって占められており、州都ビトリア=ガステイスが位置している。河川は山地からエブロ川に向かって流れ、主な河川にはサドラ川やバジャス川などがある。

エブロ谷

南部の山地からエブロ谷にかけての地域はリオハ・アラベサと呼ばれ、他のエブロ谷地帯と地中海沿岸的特徴的特性を共有しており、この地域で収穫されたブドウからリオハ・ワインが生産されている。

気候[編集]

バスク山脈が分水嶺となり、バスク自治州の気候は明確に区分される。ビスカヤ県やギプスコア県北部の谷、アラバ県のアジャラ谷などはエスパーニャ・ベルデ(スペインの北部大西洋岸地域)の一部であり、海洋性気候が支配的である。一年中湿度が高く、過ごしやすい気温であり、年間降水量は約1,200mmである。

中央部は大陸性気候の影響が大きいが、北部の海洋性気候も混じり合い、乾燥して暖かい夏季と寒く降雪のある冬季をもたらす。エブロ谷は純粋な大陸性気候であり、冬季は寒く乾燥し、夏季はとても温かく観光する。降水量は春季と秋季がピークであるが、希少かつ不規則であり、年間300mm程度の少なさである。

地域[編集]

[編集]

バスク自治州はアラバ県ビスカヤ県ギプスコア県の3県で構成される。アラバ県の県都はビトリア=ガステイスである。カスティーリャ語ではビトリア、バスク語ではガステイスと呼ばれ、正式名称は二言語の都市名をつなげたビトリア=ガステイスである。ビスカヤ県の県都はビルバオである。カスティーリャ語ではビルバオ、バスク語ではビルボと呼ばれ、正式名称はカスティーリャ語のビルバオである。ギプスコア県の県都はドノスティア=サン・セバスティアンである。カスティーリャ語ではサン・セバスティアン、バスク語ではドノスティアと呼ばれ、正式名称は二言語の都市名をつなげたドノスティア=サン・セバスティアンである。

県名 県都名
カスティーリャ語 バスク語 正式名称 カスティーリャ語 バスク語
Álava(アラバ) Araba(アラバ) Vitoria-Gasteiz Vitoria(ビトリア) Gasteiz(ガステイス)
Vizcaya(ビスカヤ) Bizkaia(ビスカイア) Bilbao Bilbao(ビルバオ) Bilbo(ビルボ)
Guipúzcoa(ギプスコア) Gipuzkoa(ギプスコア) Donostia-San Sebastián San Sebastián(サン・セバスティアン) Donostia(ドノスティア)

自治体[編集]

人口最大の都市ビルバオ

バスク自治州でもっとも人口の多い自治体はビルバオであり、約35万人である。バスク自治州の人口は約215万人だが、半分の約100万人はビルバオ都市圏に住み、人口上位の10自治体のうち6自治体がビルバオ都市圏にある。

# 自治体 県名 人口
1 ビルバオ ビスカヤ県 354,145人
2 ビトリア=ガステイス アラバ県 226,490人
3 ドノスティア=サン・セバスティアン ギプスコア県 186,122人
4 バラカルド ビスカヤ県 100,369人
5 ゲチョ ビスカヤ県 83,000人
6 イルン ギプスコア県 59,557人
7 ポルトゥガレテ ビスカヤ県 51,066人
8 サントゥルツィ ビスカヤ県 47,320人
9 バサウリ ビスカヤ県 45,045人
10 エレンテリア ギプスコア県 38,397人

歴史[編集]

バスク自治の象徴である「ゲルニカの木」(ゲルニカ)

フランコ時代[編集]

1833年からスペイン1978年憲法制定とバスク自治州発足まで、アラバ県ビスカヤ県ギプスコア県の3県はカスティーリャ語ではプロビンシアス・バスコンガダス(バスクの県)という名称で知られていた[2]スペイン内戦中の1936年10月、バレンシアに移転した共和国議会でゲルニカ憲章(バスク自治憲章)が承認されたが、この時点でナバーラとアラバの一部はフランシスコ・フランコ人民戦線側にあり、自治憲章に明記されたのはアラバ、ギプスコア、ビスカヤの3県のみだった[3][4]。現在のバスク自治州の前身であるバスク自治政府が発足し、ホセ・アントニオ・アギーレが初代レンダカリ(政府首班)に就任したが、フランコ軍のバスク占領時に廃止されて短命に終わった。スペイン内戦ではフランコ軍の後押しを受けたドイツ軍によるゲルニカ空爆などが行われ、バスク自治政府は支配領域をすべて失って亡命政府となった[5]。亡命政府はバルセロナ、パリ、ニューヨークと拠点を変え、自治権を剥奪されたバスク地方ではバスク語の使用が禁止された。第二次世界大戦後、亡命政府は国際連合やユネスコなどにフランコの圧政・弾圧を訴えたが、1950年代初頭には国際連合やアメリカ合衆国が相次いでフランコとの協力体制を構築し、亡命政府の主張は訴えられなかった。このため、実力行使による事態打開のためにバスク祖国と自由(ETA)が結成された[6]

1950年代にはビスカヤ県とギプスコア県で工業発展が開始され、1960年代にはアラバ県に広がった[7]。国内移民の流入が続き、物価上昇に苦しんだ労働者によるデモやストライキ運動が各県に広がった[8]。1960年代以降には外国資本が導入されるようになり、アルトス・オルノスなどの製鉄企業が発展した[9]。バスク地方の生活水準は上昇し、1975年にはビスカヤ県の個人所得がスペインの50県中1位となったが、逆に自然破壊や環境問題が浮上した。また、都市部の人口集中が顕著になり、経済発展とともにバスク民族意識が薄れ始めた[10]

バスク自治州発足後[編集]

1978年にはスペイン1978年憲法(現行憲法)が制定され、1979年にはアラバ県、ビスカヤ県、ギプスコア県の3県で構成されるバスク自治州が発足した。バスク自治州政府の行政機構は既にゲルニカ憲章で定義されており、1979年10月25日に行われた住民投票で過半数を得て承認された。この結果正式な自治政府が誕生し、教育・警察・厚生などの分野で大幅な自治権が認められた[11]。今日では世界でもっとも地方分権化が進んだ地域のひとつとされ、ザ・エコノミスト誌は「ヨーロッパのどこよりも高い自律性を持つ」としている[12]。1980年にはバスク自治州議会議員選挙が行われ、バスク民族主義党が第一党に、バスク自治州政府としての初代レンダカリ(バスク自治政府時代も含めれば第3代)にカルロス・ガライコエチェアが選出された。

スペイン憲法はスペイン以外の「国家」を認めておらず、スペイン国民の永続的な統合を基盤に置いているため、スペイン憲法制定に際する国民投票の際に、バスク地域はもっとも棄権率が高く[13]、棄権者・無記入表・反対票の合計は65.4%にも達した[14]バスク民族主義党(PNV)は大衆に対して棄権を容認しており、スペイン憲法がバスクの支持なしに強要されたとした。多くのバスク人は彼らが是認していないスペイン憲法に束縛されることはないと考えている。

2003年、自治州内与党のバスク民族主義党はイバレチェ計画英語版[15]を通じて、バスク自治州議会にスペイン憲法改正を提案した。この改正法案は長期間の審議が行われ、バスク自治州議会議員の絶対多数で承認されたが、スペイン社会労働党(PSOE)と国民党(PP)(スペインの二大政党)は、スペイン国会に対して審議を容認せず、結局国会では否決されている。

政治[編集]

バスク自治州政府[編集]

バスク自治州議会(ビトリア=ガステイス)

現在の法律は、3県(アラバ県ビスカヤ県ギプスコア県)の連合体としてバスク自治州を設定している。これらの地域は1200年にカスティーリャ王国によって征服されたが、カスティーリャ王はバスクやピレネー地域の慣習上の権利に由来する制度的システムを認め、これらの地域は独自の法律や制度によって自らを管理した。この制限のある自治は19世紀半ばのカルリスタ戦争で大きく揺らぐこととなり、徴税権や行政特権の数々と引き換えに、1839年に部分的に自治が縮小され、1876年には完全に自治が撤廃された。フランシスコ・フランコ独裁政権下ではビスカヤ県やギプスコア県などの徴税権や行政特権などが取り上げられたが、フランコ死後のスペイン1978年憲法(現行憲法)で再び認められた。

1978年憲法では各地域の「歴史的権利」を認め、中央集権体制と異なる国家のアイデンティティ(バスク、カタルーニャ、ガリシア)との妥協を試みている。カスティーリャ・イ・レオン州バレンシア州なども含めて、スペインのすべての地域に自治行政や州議会が付与され、バスク自治州、カタルーニャ州ガリシア州は歴史的特異性を認められた。この憲法で行政区分としてのバスク自治州が発足したが、ナバーラ地方は単独でナバーラ州を構成することとなった。まだバスク自治州はそれぞれの地域の徴税権を有しているが、その意思決定はスペインと欧州連合(EU)によって制限されている。この複雑なシステムの下、バスク自治州議会はそれぞれの州の大部分の地域を管理し、バスク自治州政府によって働きを調整される。

バスク自治州は独自の州警察(エルツァインツァ)、教育制度、保健制度、ラジオ局/テレビ局を有している。これらの権限はゲルニカ憲章で定義され、スペイン国会によってバスク自治州に委譲された[16][17]。バスク議会とバスク自治州政府が置かれるビトリア=ガステイスは事実上の州都だが、バスク自治州に公式な州都は存在しない[18][19]。バスク自治州議会は3県から選出された25人の議員からなり、議会は通常の手続きによってバスク自治州政府を取りまとめるレンダカリ(バスク自治州政府首班[20])を選出する。レンダカリはゲルニカのオークの木の下で就任の宣誓を行う。初めてレンダカリが選出された1936年から2009年まで、すべてのレンダカリはバスク民族主義党(PNV)から選出されてきたが、バスク民族主義党単独で過半数を得られない場合は他の政党と連立を組んで組閣した。1982年から1990年代末まで、バスク祖国と自由(ETA)に近いとされるバタスナはバスク自治州議会に出席することを拒否していた。2009年にはバスク社会党(PSE-PSOE)のパチ・ロペスがレンダカリとなり、初めてバスク民族主義党以外からレンダカリが生まれた。2012年からはバスク民族主義党のイニゴ・ウルクルがレンダカリを務めている。2012年のバスク自治州議会議員選挙では、バスク民族主義党が第1党となり、ビルドゥバスク連帯)、ソルトゥ、アルテルナティーバがバスク民族主義党に続いた。

バスク自治州政府首班(レンダカリ
在任期間 名前 出身政党
1980-1985 カルロス・ガライコエチェア バスク民族主義党(PNV)
1985-1999 ホセ・アントニオ・アルダンサ・ガロ バスク民族主義党(PNV)
1999-2009 フアン・ホセ・イバレチェ バスク民族主義党(PNV)
2009-2012 パチ・ロペス バスク社会党(PSE-PSOE)
2012- イニゴ・ウルクル バスク民族主義党(PNV)

領土問題[編集]

歴史的にはナバーラ州バスク地方の一部である。バスク自治州政府は長い間、ナバーラ州域もバスク自治州に含めた地図を使用してきたが、これに対してナバーラ州政府が抗議し、裁判所はナバーラ州政府に有利な判決を下した。この結果、バスク自治州政府はナバーラ州域を赤色の空間に置き換えた地図を使用している。ナバーラは歴史的にバスク地方に含まれ、バスク民族主義者はナバーラ地方がバスクの核であると主張している。アラバ県はトレビニョカスティーリャ・イ・レオン州)とバジェ・デ・ビジャベルデカンタブリア州)というふたつの他州の飛び地を有している。ナバーラ州とバスク自治州との法的な接続はしばしば政治的な議論の対象となる。ゲルニカ憲章にはナバーラ地方がバスク自治州に加わることを想定した文言があり、その場合にはバスク自治州政府とバスク自治州議会を現在のビトリア=ガステイスからナバーラ地方のパンプローナに移すとしている。

人口[編集]

バスク自治州の人口は約215万人であり、スペインの自治州内における順位は第7位、スペイン全体に占める割合は4.9%である。バスク自治州でもっとも人口が多い自治体はビルバオであり、州人口の半分の約100万人はビルバオ都市圏に住む。人口上位の10自治体のうち、6自治体(ビルバオ、バラカルドゲチョポルトゥガレテサントゥルツィバサウリ)がビルバオ都市圏にある。

バスク自治州の人口のうち、28.2%は州外で生まれて州内に移住した[21]。20世紀の100年間を通してスペインの他地域から移住者がやってきており、特にガリシア州カスティーリャ・イ・レオン州からの移住者が多い。20世紀末にはかなりの人口が出身地に戻ったが、特に南アメリカなど国外からの移民が増加している[21]

経済[編集]

ビルバオのBBVA本社

19世紀にビルバオ周辺で豊かな鉄鉱石の鉱床が発見されたため、産業は伝統的に製鉄業造船業に集中していた。19世紀から20世紀半ばにかけて、ビルバオ河口はバスク地方における産業革命の中心地となった。1970年代と1980年代の経済危機の時代にこれらの伝統的な産業は停滞し、かわってサービス産業や新技術産業が成長している。現在、バスク自治州の工業部門で大きな割合を占めているのは、ビスカヤ県とギプスコア県の谷に存在する工作機械産業、ビトリア=ガステイスの航空機械工業、ビルバオのエネルギー産業である。バスク自治州に本拠を持つ大企業としては、金融業のビルバオ・ビスカヤ・アルヘンタリア銀行(BBVA、本社ビルバオ)、エネルギー業のイベルドローラ(本社ビルバオ)、鉄道車両のCAF(本社ギプスコア県ベアサイン)、モンドラゴン協同組合企業、風力発電機のガメサ(本社ビトリア=ガステイス)が挙げられる。

バスク自治州の1人あたり所得はスペインの州の中でもっとも高い。2010年における1人当たりGDPは31,314ユーロであり、スペインの平均よりも33.8%高く、欧州連合(EU)の平均よりも40%高い[22][23]。2012年におけるバスク自治州の失業率は約14.56%であり[24]、スペイン全体の失業率(24.6%)を大きく下回っている[24]。2013年の、バスク自治州の公的債務はGDPの13.00%(1人あたり8,825ユーロ)であり[25]、スペイン全体の93.90%(1人あたり960,676ユーロ)を大きく下回った[26]。2009年にはバスク自治州の経済は3.3%縮小したが、スペイン全体の縮小率3.6%を下回った。

交通[編集]

ビルバオ空港

バスク自治州は交通の要衝であり、スペイン中央部、スペイン北部、ヨーロッパの他国の中継点となっている。

道路

道路交通の大動脈は、ビルバオからドノスティア=サン・セバスティアンを経由してフランス国境までを結ぶAP-8号線と、ドノスティア=サン・セバスティアンからビトリア=ガステイスを経由してスペイン中央部までを結ぶA-1号線である。この他の主要な高速道路には、ビルバオとサラゴサを結ぶAP-68号線などがある。

鉄道

バスク自治州政府所有のエウスコ・トレンビデ・サレア(バスク鉄道ネットワーク)がバスク自治州における鉄道インフラの維持と新設にあたっている。バスク自治州政府所有のバスク鉄道は狭軌の路線を持つ鉄道会社であり、ビルバオ都市圏内やドノスティア=サン・セバスティアン都市圏内、ビルバオとドノスティア=サン・セバスティアンの都市間鉄道路線を運行している。エウスコ・トランはビルバオ(ビルバオ・トラム)とビトリア=ガステイスでトラム(路面電車)を運行している。メトロ・ビルバオ(地下区間を有する都市鉄道)はビルバオ都市圏で2路線を運行している。

レンフェ(スペイン国鉄)はビトリア=ガステイスとドノスティア=サン・セバスティアンやビルバオ、ビルバオとスペイン中央部を結ぶ広軌の路線を運行している。セルカニアスはビルバオ(セルカニアス・ビルバオ)とドノスティア=サン・セバスティアンで通勤鉄道を運行している。スペイン狭軌鉄道(FEVE)はビルバオとバルマセダの間で都市鉄道を運行しており、またビルバオとスペイン北部の他州を結ぶ路線を運行している。

バスク自治州3県の県都を結ぶ高速鉄道ネットワークのバスクYが建設中であり、2017年に完成予定である。バスクYはフランスのアンダイエでフランスの高速鉄道網と接続する予定である[27]。バスク地方の山がちな地形のため、バスクYの路線の大部分はトンネルか橋梁を走行し、総建設費は10億ユーロとなる予定である。

空港

バスク自治州にはビルバオ空港ビトリア空港サン・セバスティアン空港の3つの空港がある。もっとも重要な空港はビルバオ空港であり、多くの国際便を有している。2007年の年間乗客数は約420万人だった。

港湾

ビルバオ港パサイア港英語版がバスク自治州の2大港湾である。このほかに、ベルメオオンダロアなどに中小規模の漁港がある。ビルバオ港はバスク自治州やスペイン北部にとどまらず、スペイン国内で最も重要な港湾の一つであり、スペイン第4位の約3,800万トンの物資移動がある。ビルバオとイギリスのポーツマスとの間にはフェリーの路線がある。

社会[編集]

言語[編集]

1030年のイベリア半島

バスク自治州の公用語はバスク語カスティーリャ語(スペイン語)の二言語である。バスク語が話される領域は行政区域としてのバスク自治州の範囲よりも広く、ナバーラ州フランス領バスクにまで広がっている。バスク語が話される領域は、その歴史の中で拡大も縮小も経験している。12世紀以後はバスク語領域が徐々に衰退し[28]、20世紀の大部分ではバスク語の社会言語学的状況は深刻に低下した。これらは大量の移民の流入、バスク語学校教育の事実上の消滅、フランシスコ・フランコ独裁政権下のスペインにおける国家的言語政策などが理由である。フランコ死去後の1982年にバスク自治憲章が制定されると、バスク語学校と新しい教育制度のおかげで、バスク語の衰退傾向は徐々に隆盛傾向に転じた。ギプスコア県の大部分の地域、ビスカヤ県の中部と東部、アラバ県の北端でバスク語は強い存在感を示しているが、ビスカヤ県西部、アラバ県の大部分に存在するバスク語話者は、カスティーリャ語に次ぐ第二言語としてバスク語を使用している。

2006年にバスク自治州で16歳以上の全住民を対象に行われた社会言語学調査[29]によると、30.1%は流暢なバスク語話者であり、18.3%はバスク語を話すことができ、51.5%はバスク語を話すことができないという結果となった。流暢なバスク語話者の割合はギプスコア県(49.1%)でもっとも高く、アラバ県(14.2%)でもっとも低かった。流暢な話者の割合は1991年が24.1%、1996年が27.7%、2001年が29.5%であり、年々増加している。流暢な話者の割合は16歳-24歳までの年代(57.5%)がもっとも高く、65歳以上は25.0%にとどまっている。バスク語で初等教育・中等教育を行う学校として、イカストラがある。

文化[編集]

料理[編集]

皿に盛られたピンチョス

スペイン国内の他地域とは異なる文化的特徴を持ち、ピンチョスに代表されるバスク料理でも知られている。シェフのフェラン・アドリアは、「食事の平均的な質やレストランの質という観点では、ドノスティア=サン・セバスティアンが世界でもっとも優れた町かもしれない」と述べている[30]。もっとも人気があるのは魚料理であり、マルミタコ(カツオとジャガイモの煮込み)などが定番である。その他の代表的な料理には干鱈のピル・ピルソース風、イカの墨煮、ビルバオ風シラスウナギなどがある[31]。ピンチョス(バルで出される軽食 : 特定料理の名称ではない)なども含め、バスク料理自体が観光資源となっている。

スポーツ[編集]

バスク自治州ではサッカーバスケットボール自転車競技などが盛んである。サッカークラブにはビルバオアスレティック・ビルバオ(全国リーグ優勝8回・全国カップ優勝24回)、ドノスティア=サン・セバスティアンのレアル・ソシエダ(リーグ優勝2回・カップ優勝2回)、ビトリア=ガステイスデポルティーボ・アラベスなどのクラブがあり、いずれもリーガ・エスパニョーラに所属している。アスレティック・ビルバオはメンバーをバスク人のみで構成していることが特徴である。

バスケットボールクラブにはビトリア=ガステイスのサスキ・バスコニア(リーグ優勝1回・カップ優勝5回)、ビルバオのCBビルバオ・ベリー、ドノスティア=サン・セバスティアンのギプスコア・バスケットクラブなどがあり、いずれもACBに所属している。自転車競技チームにはかつてUCIプロチームエウスカルテル・エウスカディが存在し、北京オリンピック個人ロード金メダルのサムエル・サンチェスなどが所属していたが、資金難のために2013年に解散した。エウスカルテルはバスク人のためのチームであり、所属選手は基本的にはバスク人に限定されていた。

バスク地方の伝統的なスポーツとしては、16世紀頃に始まったハイ・アライ(ペロタ・バスカ)がある。ハイ・アライはテニスやスカッシュに似た球技であり、ギャンブルの要素も加わっている[32]。1900年のパリオリンピックでは正式競技として開催され、その後はバルセロナオリンピックなどの3大会で公開競技として開催された。その他の民族スポーツとしては、イディ・プロバック(巨大な石を制限時間内に引っ張る競技)、セガ・アプストゥア(刈り取った牧草の重量を競う草刈り競技)、エリ・キロラク(巨大な石を肩まで担ぐ石の担ぎ上げ競技)、アイスコラリ(斧だけを用いて丸太を切断する丸太切り競技)、ソカ・ティラ(綱引き競技)、チンガス(両手に鉄の塊を持って歩く競技)などがある[33][34]

脚注[編集]

  1. ^ 萩尾生「バスク地方とは」 萩尾生・吉田浩美編著『現代バスクを知るための50章』明石書店、2012年、24-28ページ
  2. ^ Esparza Zabalegi, Jose Mari (1990). Euskal Herria Kartografian eta Testigantza Historikoetan. Euskal Editorea SL. pp. 52–54, 58. ISBN 978-84-936037-9-3. 
  3. ^ 『未知の国スペイン』p.30
  4. ^ 『バスク民族の抵抗』p.47
  5. ^ 『バスク民族の抵抗』p.51
  6. ^ 『バスク民族の抵抗』pp.52-53
  7. ^ 『バスク』p.140
  8. ^ 『バスク』pp.141-142
  9. ^ 『バスク』p.153
  10. ^ 『バスク』p.154
  11. ^ 『未知の国スペイン』p.43
  12. ^ Spain and its regions | Autonomy games”. Economist.com (2007年9月20日). 2010年4月26日閲覧。
  13. ^ Archivo de Resultados Electorales”. .euskadi.net. 2010年4月26日閲覧。
  14. ^ 『バスク民族の抵抗』p.108
  15. ^ バスク地方のスペインからの独立を問う州民投票を行う計画。名称はレンダカリフアン・ホセ・イバレチェに由来する。
  16. ^ The Statute of Autonomy of the Basque Country (PDF)”. 2013年7月8日閲覧。
  17. ^ Statute of Autonomy of the Basque Country” (Spanish) (1978年12月18日). 2013年7月8日閲覧。
  18. ^ “Azkuna: "Vitoria no es la capital de Euskadi"”. El Correo. (2010年3月12日). http://www.elcorreo.com/vizcaya/v/20100312/politica/vitoria-capital-euskadi-20100312.html 2010年9月9日閲覧。 
  19. ^ Ayala, Alberto (2010年5月11日). “Vitoria no será capital por ley, por ahora”. El Correo. http://www.elcorreo.com/alava/v/20100511/politica/vitoria-sera-capital-ahora-20100511.html 2010年9月9日閲覧。 
  20. ^ レンダカリは「政府首班」の他に、「首相」「知事」「首長」「大統領」と訳されることもある。レンダカリに相当するカスティーリャ語はプレシデンテ(presidente)である。
  21. ^ a b El 28,2% de la población que vive en el País Vasco ha nacido fuera | País Vasco”. elmundo.es. 2010年4月26日閲覧。
  22. ^ Spanish regional accountsスペイン国立統計局(INE)
  23. ^ GDP per capita by province in the Basque Autonomous Community, 1980-2009(a)エウスタット(バスク統計局)、2010年12月8日参照
  24. ^ a b Paro en España El País
  25. ^ Deuda Pública del País Vasco”. 2014年4月23日閲覧。
  26. ^ Deuda Pública de España”. 2014年4月23日閲覧。
  27. ^ “EIB lends €1bn for Basque Y high speed network - Railway Gazette”. Railway Gazette International. http://www.railwaygazette.com/nc/news/single-view/view/eib-lends-EUR1bn-for-basque-y-high-speed-network.html 2012年6月28日閲覧。 
  28. ^ El largo camino del euskera”. Euskaltzaindia (1977年). 2013年7月3日閲覧。
  29. ^ IV. Inkesta Soziolinguistikoa Gobierno Vasco, Servicio Central de Publicaciones del Gobierno Vasco 2008, ISBN 978-84-457-2775-1
  30. ^ Carlin, John (2005年3月13日). “Is San Sebastián the best place to eat in Europe?”. The Observer. http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2005/mar/13/foodanddrink.shopping2 2010年9月9日閲覧。 
  31. ^ 『未知の国スペイン』pp.100-102
  32. ^ 『未知の国スペイン』pp.89-90
  33. ^ 『未知の国スペイン』p.91
  34. ^ 世界のスポーツ 民族スポーツ バスク地方大修館書店スポーツ資料館

参考文献[編集]

  • 大泉光一『バスク民族の抵抗』新潮社 1993年
  • 大泉陽一『未知の国スペイン –バスク・カタルーニャ・ガリシアの歴史と文化-』原書房 2007年
  • 渡部哲郎『バスク –もう一つのスペイン-』彩流社 1987年

外部リンク[編集]