ドゥー県
フランス > フランシュ=コンテ地域圏 > ドゥー県
| ドゥー県 Doubs |
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ドゥー県の紋章
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| 位置 | |
| 概要 | |
| 県番号 | 25 |
| 地域圏 | フランシュ=コンテ |
| 県庁所在地 | ブザンソン |
| 郡庁所在地 | モンベリアル ポンタルリエ |
| 郡 | 3 |
| 小郡 | 35 |
| コミューン | 594 |
| 統計 | |
| 人口 国内51位
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(1999年) 499,062人 |
| 人口密度 | 95人/km2 |
| 面積¹ | 5,234 km2 |
| ¹ 「French Land Register data」(1平方キロ以上の湖沼、エスチュアリー、氷河などの水面積除く。 | |
ドゥー県 (Doubs) は、フランスのフランシュ=コンテ地域圏の県である。ドゥー川に由来する。
目次 |
地理 [編集]
ジュラ県、オート=ソーヌ県、テリトワール・ド・ベルフォール、スイスのヴォー州、ヌーシャテル州、ジュラ州と接する。標高の平均的な石灰岩質のジュラ山脈の中にあり、県最高地点はモン=ドールの1463mである。県は自然区分として、3つに分類される。水によってつくられた荒涼とした西部のソーヌ川平野、中央部の石灰岩質の台地、東部の山地帯は高地だが標高はそれほど高くない。
氷河と川に切り開かれた湖が点在する(湖の総面積は718ヘクタール)。
ドゥー県の動物は比較的豊富で、オオヤマネコの数が増えてきている。他にウシのモンベリアール種、ウマのコントワ種、ライチョウ、シャモア、ハヤブサ、オコジョが見られる。県内の草花ではゲンチアナがよく見られる。
気候 [編集]
海から遠く離れているドゥー県はその影響を受けておらず、大陸性気候である。冬には雪と霜があり、夏は旱魃や猛暑が頻発する嵐で中断する。
ドゥー県はフランス有数の寒い県であるが、標高のわりに温暖である。年間の気温の振幅は約70℃ある。
歴史 [編集]
ガリア人の一部族、セクアニ族(en)が暮らしていたが、その後ローマ帝国に5世紀まで支配され、ウェソンティオ(Vesontio、現在のブザンソン)に首都が置かれていた。フランシュ=コンテには非常に早くキリスト教が伝えられていた。212年に殉教したとされる聖フェレオルと聖フェルジューの兄弟が、ブザンソンに教会を建てた。
ブルグンド族に征服された後、この地はアルル王国に併合され、封建時代が始まった。10世紀にブルゴーニュ伯領が成立すると、フランス王国と神聖ローマ帝国の係争地となった。女伯ジャンヌ2世がフランス王フィリップ5世と結婚すると、伯領はフランスに属した。そのために、ブルゴーニュ伯領と歴史を共有するブルゴーニュ公国は、独立を維持していた。
シャルル豪胆公の一人娘マリーが、マクシミリアン(のちの神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世)と結婚した。1477年、ルイ11世の侵攻にもかかわらず、フランシュ=コンテ全体がハプスブルク家領となった。16世紀と17世紀にプロテスタントが、強固なカトリックの牙城であるフランシュ=コンテへ入ってきた。三十年戦争では、ザクセン=ヴァイマル軍とスウェーデン軍の侵攻で荒廃した。1678年、ナイメーヘンの和約でスペイン支配から脱し、フランシュ=コンテはフランスへ復帰した。高度な自治を与えられ、経済的な繁栄を享受した。
ドゥー県が誕生したのは、フランス革命後の1790年3月4日である。1793年には独立国家マンドゥール共和国に併合され、その後モンベリアール公国が併合された。
第二次世界大戦中、ロモン(fr)のマキがレジスタンス運動を繰り広げた。
行政 [編集]
ドゥー県はブザンソン郡、モンベリアール郡、ポンタルリエ郡で構成され、594のコミューンがある。
経済 [編集]
ベルフォール=モンベリアールの都市圏は主に自動車産業やTGVに依存した、地域の経済の中心である。ブザンソンは機械産業の中心である。
ギャラリー [編集]
外部リンク [編集]
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