バトル級駆逐艦

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バトル級駆逐艦
「アラマダ」(1942年度型)
「アラマダ」(1942年度型)
基本情報
種別 駆逐艦
命名基準 戦闘の名
運用者  イギリス海軍
 オーストラリア海軍
 パキスタン海軍
 イラン海軍
建造数 イギリスの旗 24隻
オーストラリアの旗 2隻
前級 Cr級
次級 ウェポン級
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バトル級駆逐艦英語: Battle class destroyer)は、イギリス海軍が運用していた駆逐艦の艦級。1942年度計画による前期型と1943年度計画による後期型にわけられる。ただし当初予定されていた大量建造は、第二次世界大戦の終結により実現しなかった。またオーストラリア海軍も準同型艦2隻を建造した[1][2][3]

来歴[編集]

戦間期のイギリス海軍は、駆逐艦の艦砲を対空・対水上の両用砲とした場合、砲塔機構が複雑化して機力補助が必須となり、また重心上昇から復原性低下にもつながることを懸念しており、爆撃機は駆逐艦よりも戦艦などの高価値目標に集中するものと想定していたこともあって、駆逐艦への両用砲の搭載には消極的であった。しかし第二次世界大戦劈頭のノルウェーおよびダンケルク撤退作戦での戦訓から、この想定の誤りが明らかになり、両用砲の搭載が模索されることとなった[1]

1940年、この要請に対して、海軍装備部長はまず既存の艦砲の最大仰角を55度に増すことで対応し、第5次戦時急造艦隊(S級)より装備化された。しかしこれはあくまで彌縫策に過ぎず、急降下爆撃機に対抗するには少なくとも更に20度の仰角増大が必要であった。陸軍の高射砲は最大仰角85度に対応していたことから、この砲架も試験されたものの、動揺する艦上での操砲困難が指摘され、断念された。一方、これらの砲架と組み合わせるための砲としては、従来の45口径12cm砲(QF 4.7インチ砲Mk.IX)より弾道特性が良好で、1発あたりの弾量も重い[脚注 1]45口径11.4cm砲(QF 4.5インチ砲)の開発が進められていた[1]

1940年10月21日、戦術・幕僚業務課長(Director of Tactical and Staff Duties Division, DTSD)は、今後駆逐艦に搭載する長射程砲は全て両用砲とすべきである、と表明した。DTSDの構想では、この種の大仰角砲2基とともに、40mm機銃2基および20mm機銃4基が予定されていた。1942年度計画駆逐艦の検討にあたり、1941年4月9日に第三海軍卿補(Deputy Controller)が主宰した会議において、この問題が議論されることとなった[1]

6月22日には3つの設計案が作成された。このうち造艦局長(DNC)が作成した連装砲3基搭載の案が採択されたが、DNCは4.5インチ連装砲3基として試算していたのに対し、検討の過程で4.7インチ連装砲2基に変更され、10月9日には幕僚要求事項が認可された。しかしその後も検討が重ねられており、まず実戦部隊からの要望によって、前方火力強化のため艦砲が艦首側に集中配備されることとなった。また1942年2月の決定により、同年度以降の艦では4.5インチ砲を搭載することとされたことから、本級の搭載砲も4.5インチ連装砲に変更された。ただし搭載数は2基のままとされた。これに基いて建造されたのが本級であり、まず1942年度計画で16隻が建造された。また1943年度計画での建造艦についても抜本的な検討が重ねられたが、結局本級を元に装備を改正した後期型となり、24隻の建造を予定したが、第二次世界大戦の終結によって8隻のみが竣工した[1]

ただし本級はあまりに大きく高価であり、艦隊駆逐艦を全て本級とすることは不可能だった。このため、海軍はハイ・ロー・ミックス運用を採択し、1942年度計画では、本級とともにCh・Co・Cr級が、また1943年度計画では、戦時急造駆逐艦と同規模の中間的駆逐艦としてウェポン級が建造された[1]

設計[編集]

戦時急造駆逐艦は、特にQ級以降は基本設計をほとんど変更せず、基準排水量1,700トン級、全長110メートル級という基本諸元も連綿と踏襲されてきていた。これに対し本級は、大重量の両用砲を搭載する必要から、一気に基準排水量2,300トン級、全長115メートルと大型化した。また上記の経緯より、実戦部隊からの要望を受けて、前方火力強化のため艦砲を艦首側に集中配備するため、船首楼を延長して艦橋構造物を後方に移動し、印象的な艦容となった[3]。当初計画では、対空射撃の安定性の観点からフィンスタビライザーの装備が予定されていたが、艦内容積の有効活用のため、「カンパーダウン」「フィニステル」の2隻以外では省かれることとなった[1]

艦型の拡大に対応して、50,000馬力の出力が求められたことから、機関部はL級の発展型とされた[1]。蒸気温度は700 °F (371 °C)、圧力は400 lbf/in2 (28 kgf/cm2)と、一躍高温高圧化が図られている。ただしボイラーはアドミラルティ式3胴型水管ボイラー、タービンはパーソンズ式オール・ギヤード・タービンという基本構成は踏襲され、ボイラー2缶の方針も堅持された[4]

なお後期型では、缶室と機械室のシフト配置化も検討されていた。これは1941年にアメリカ海軍キアニー」が被雷した際に優れた生残性を示したことに触発されたものであったが、設計を大規模に変更することによる不確定要素を避けるために見送られ、同年度のウェポン級以降の採用となった[1]

電源としては、タービン主発電機(出力200キロワット)2基とディーゼル停泊発電機(出力100キロワット)3基を搭載した[1]

装備[編集]

センサー[編集]

レーダーは戦時急造駆逐艦と同様、早期警戒用の291型と目標捕捉用の293型の組み合わせが原則とされた。ただし293型のみでも十分な対空捜索能力を備えていた上に、ドイツ軍のレーダーが291型と同じ周波数を使っており、逆探知される恐れが指摘されたことから、1945年1月、293型を搭載している艦には291型を搭載しないよう勧告がなされた[1]

本級では、Ch級以降の戦時急造駆逐艦と同様に、レーダーを含む目標情報を集中処理する区画としてのAIO(Action Information Organisation)、293型など目標捕捉レーダーの情報を射撃指揮に直接活用するためのTIU-2(Target Indication Unit)の専用区画であるTIR、通信・通信傍受情報を処理するQD区画と、これら全ての情報システムを実装している[1]

武器システム[編集]

「ジャトランド」 (1943年型)
「トブルク」(豪海軍仕様)

艦砲としては、前期型では45口径11.4cm砲(QF 4.5インチ砲Mk.III)を連装のRP.10 Mk.IV砲架と組み合わせて搭載した。これは最大仰角80度と、イギリス駆逐艦の搭載砲としては初の完全な両用砲であった。また後期型では砲架をRP.10 Mk.IV*に改正した。これらはいずれも遠隔機力操縦remote power control, RPC)の導入が図られており、方位盤からの砲架の遠隔操縦に対応した[5]。また軽量なMk.VI砲架の完成に伴い、1943年度艦の後期建造分ではこちらに換装する予定であったが、これらの艦は建造自体が中止されたため、実現しなかった。ただしオーストラリア海軍向けの建造分ではこちらが採用されている[1]

方位盤としては、前期型ではCr級で装備化されたMk.VI両用方位盤(275型レーダー装備)が搭載された。ただし本級では、新型のフライプレーン照準算定機が搭載されている。また後期型では、従来からイギリス側が熱望していたアメリカ製のMk.37方位盤が搭載されている[1]

これらの両用砲に加えて、前期型では夜戦時の星弾用として、煙突後方に高角・平射両用の40口径10.2cm単装砲(QF 4インチ砲Mk.XIX)を搭載することとされていたが、実際には「アルマダ」「バーフルーア」「カンパーダウン」「ホーグ」「トラファルガー」の5隻でのみ搭載されており、後に56口径40mm単装機銃2基に換装された。また後期型ではこれを45口径11.4cm砲(QF 4.5インチ砲Mk.IV)と単装平射砲であるRP.50 Mk.V*砲架の組み合わせに変更し、対水上火力の強化を図った[1][5]

近距離用の対空兵器としては、S級以降標準となったヘイズメイヤー式のFCS連動56口径40mm連装機銃が採用された。ただし従来の駆逐艦では船体軸線上に1基のみの搭載であったのに対し、本級前期型では、艦砲を船首楼側に集中配置し、中部・後部甲板に広大なスペースが確保されたことから、ここに4基という多数を搭載した。また後期型では、新開発のSTAAG(Stabilized Tachymetric Anti-Aircraft Gun)式56口径40mm連装機銃3基に変更されたが、生産遅延のため、当初はSTAAG 2基とMk.V 1基の構成となっていた。この他、これらを補完して、70口径20mm連装機銃と同単装機銃2基ずつが搭載されていたが、近接防空火力強化の要請から、後に39口径40mm単装機銃(2ポンド・ポンポン砲)に換装した[1]

対艦兵器は、1927年度のA級以降のイギリス駆逐艦では21インチ4連装魚雷発射管2基が基本とされてきた。1935年度のI級から37年度のK級で一時期5連装2基に増備されたものの、戦時急造駆逐艦では再び4連装2基に差し戻されており、前期バトル級でも踏襲された。しかしツェルベルス作戦においてドイツ海軍の戦艦「シャルンホルスト」のドーバー海峡突破を許したことへの反省や、太平洋戦域での戦訓から雷装強化が要請されるようになった。大日本帝国海軍の駆逐艦「島風」が5連装発射管を搭載していたことも踏まえて、後期バトル級では5連装発射管2基に増備されることとなった。当初は発射管の機力稼働化も検討されたものの、重量マージンの問題から実現しなかった[1]

A/D改修[編集]

1954年から1955年にかけて、各艦隊司令官はレーダーピケット艦の整備が火急の要であると認識するようになっていた。イギリス海軍では、1940年代後半に一度艦隊航空管制護衛艦(Fleet Aircraft Direction Escort, FADE)としてレーダーピケット艦の整備を計画したものの断念した経緯があったが、これらの要請に応えて検討を再開することとなった。FADEの検討では専用艦の新造は困難とされており、既存の艦を改装することとなった。前期バトル級は設計上の不都合が指摘されたことから、1955-65年度の中期計画では、ウェポン級と後期バトル級が改装対象として選定された。後期バトル級の改修は「エジンコート」「アイシン」「バローサ」「コラナ」の4隻を対象として[6]、1958年より着手された[1]

この改修はFADEと同様に、単なるレーダーピケット艦ではなく、地上基地や航空母艦から来援する戦闘機に対する航空管制をも目的としたものであり、航空管制(Aircraft Detection, A/D)艦と称された。改修内容は下記のようなものであった[1]

これらのバーターとして、艦首の2連装4.5インチ砲塔×2基と艦尾のスキッド対潜迫撃砲を除く兵装は全て撤去された[6]

なお、同時に改修されたウェポン級や、その代替となったリアンダー級フリゲートでは、レーダーピケット艦の必須装備である965型レーダーは搭載されたものの、航空管制用の諸装備は搭載されなかったことから、A/D改修を受けた後期バトル級4隻は「唯一の本物の艦隊ピケット艦」とも評される[1]

諸元表[編集]

 イギリス海軍  オーストラリア海軍[8][9]
1942年型 1943年型
就役当初 A/D改修艦[6]
基準排水量 2,315トン 2,480トン 2,780トン[7] 2,436トン
満載排水量 3,290トン 3,430トン 3,450トン
全長 379フィート (116 m)
全幅 40.25フィート (12.27 m) 40.50フィート (12.34 m) 41.00フィート (12.50 m)
喫水 常備時:12.75フィート (3.89 m)
満載時:15.3フィート (4.7 m)
ボイラー アドミラルティ型三胴式水管ボイラー×2基
(400 lbf/in2 (28 kgf/cm2), 370℃)
主機関 パーソンズ・ギヤード蒸気タービン×2基
出力 50,000 shp
(37 MW)
推進器 スクリュープロペラ×2軸
最大速力 34.00ノット (62.97 km/h) 35.75ノット (66.21 km/h) 35ノット (65 km/h)
乗組員 平時:247名
戦時:308名
平時:232名
戦時:268名
268名 アンザック:320名[脚注 2]
トブルク:290名
兵装 45口径11.4cm砲(QF 4.5インチ砲Mk.III)×4門
連装砲塔Mk.IV×2基
45口径11.4cm砲
(QF 4.5インチ砲Mk.III)×4門
連装砲塔Mk.VI×2基
40口径10.2cm単装高角砲
QF 4インチ砲Mk.XIX)×1基[脚注 3]
45口径11.4cm単装砲
(QF 4.5インチ砲Mk.V)×1基
シーキャットGWS.22 PDMS
4連装発射機×1基
56口径40mm連装機銃
ヘイズメイヤーMk.IV砲座×4基
56口径40mm連装機銃
STAAG Mk.II砲座×2基
56口径40mm連装機銃
STAAG Mk.II砲座×3基
56口径40mm連装機銃
utility Mk.V砲座×1基
56口径40mm単装機銃
Mk.VII砲座×4-6基
56口径40mm単装機銃
Mk.VII砲座×2基
70口径20mm連装機銃×1基 56口径40mm単装機銃
Mk.VII砲座×6基
533mm 4連装魚雷発射管×2基 533mm 5連装魚雷発射管×2基 533mm 5連装魚雷発射管×2基
爆雷投下軌条×2基
爆雷投射機×4基
スキッド対潜迫撃砲×1基に後日換装
スキッド対潜迫撃砲×1基
レーダー 291型 早期警戒用 965型 早期警戒用
278型 高角測定用
293型 目標捕捉用
ソナー 144型 捜索用 174型/177型 捜索用
147型 攻撃用 170型 攻撃用

同型艦[編集]

前期型は1943年後半から1945年中頃にかけて起工されたが、当時のイギリスで建造された駆逐艦と同様に武装の供給遅延に悩まされ、戦争の終結までに少数しか進水できず、全隻は必要ないことが判明した。その結果、海軍本部は1945年9月に16隻の発注をキャンセルし、すでに建造中の「モンス」「オムダルマン」「ソンム」「リバー・プレート」「セント・ルシア」「サン・ドミンゴ」「ウォータールー」は解体された。それに加えて、「アルベエラ」「ジャトランド」「ナミュール」「オーデナーデ」「イープル」「ヴィミエラ」の6隻は後日の建造に備え、保管された[脚注 4]。また、終戦に伴い建造中の後期型の多くは1945年12月に建造中止となり、後期型で就役したのは8隻のみである。

バトル級駆逐艦の場合は1950年に考慮する機会があったものの、「イープル」と「ヴィミエラ」がデアリング級駆逐艦に改設計されたうえで、それぞれ「ディスダイン」と「ダナエー」に改名され建造が再開されたが、それ以外の4隻は1957年から1961年にかけて廃棄された。また「ダナエー」は進水前に建造中止となり解体され、「ディスダイン」のみが「デライト英語版」に改名[脚注 5]したうえで就役した。

なお、前期型のうち2隻がパキスタン海軍、1隻がパフラヴィー朝時代のイラン海軍に譲渡されている。


仕様 # 艦名 艦名の由来 造船所 起工 進水 就役 その後
前期型
[脚注 6]
D80 バーフラー
HMS Barfleur
バルフルール岬の海戦 スワン・ハンター英語版 1942年
10月28日
1943年
9月14日
1944年
9月14日
1958年に予備役編入。
1966年、スクラップとして解体
D77 トラファルガー
HMS Trafalgar
トラファルガーの海戦 1943年 1944年
1月12日
1945年
7月23日
1963年に退役。
1971年にスクラップとして解体。
D18 セントキッツ
HMS St. Kitts
セントキッツの海戦英語版 1943年
9月8日
1944年
10月4日
1946年
1月21日
1957年退役。
1962年2月19日にスクラップとして売却。
D14 アラマダ
HMS Armada
アルマダの海戦 ホーソン・レスリー 1942年
12月29日
1943年
12月9日
1945年
7月2日
1960年に退役。
1965年にスクラップとして解体
D70 ソルベイ
HMS Solebay
ソールベイの海戦 1943年
2月3日
1944年
2月22日
1945年
9月25日
1962年4月に退役。
1967年にスクラップとして売却。
D84 セインツ
HMS Saintes
セインツの海戦 1943年
6月8日
1944年
7月19日
1946年
9月27日
1962年5月に退役。
1972年、スクラップとして解体。
D32 キャンパーダウン
HMS Camperdown
キャンパーダウンの海戦 フェアフィールド英語版 1942年
10月30日
1944年
2月8日
1945年
6月18日
1970年にスクラップとして解体
D55 フィニステル
HMS Finisterre
フィニステレ岬の海戦 1942年
12月8日
1944年
6月22日
1945年
9月11日
1965年に退役。
1967年、スクラップとして解体
D74 ホーグ
HMS Hogue
ラ・オーグの海戦 キャメル・レアード 1943年
1月6日
1944年
4月21日
1945年
7月24日
1959年、インド海軍軽巡洋艦「マイソール」と衝突事故を起こす。
重大な損傷を負いシンガポールに係留。1962年にスクラップとして解体。
D44 ラゴス
HMS Lagos
ラゴスの海戦 1943年
8月8日
1944年
8月4日
1945年
11月2日
1960年に退役。
1967年、スクラップとして解体
D47 ギャバード
HMS Gabbard
ギャバード沖の海戦英語版 スワン・ハンター英語版 1944年
2月2日
1945年
3月16日
1946年
12月10日
1953年に英海軍より退役。1957年にパキスタン海軍に譲渡され、バドル(PNS Badr)に改名。
1985年にパキスタン海軍より退役。後に解体。
D24 グラヴェリンズ
HMS Gravelines
グラヴリンヌ沖海戦 キャメル・レアード 1943年
8月10日
1944年
11月20日
1946年
6月14日
1961年、スクラップとして解体
D60 スルイス
HMS Sluys
スロイスの海戦 1943年
11月24日
1945年
2月28日
1946年
9月30日
1967年1月26日、イラン海軍に譲渡されアルテミスArtemiz)に改名。
1985年にダマヴァンドDamavand)に改名。1990年より非稼働状態と言われる。
D79 カディス
HMS Cadiz
カディスの戦い英語版 フェアフィールド英語版 1943年
5月10日
1944年
9月16日
1946年
4月12日
1956年にパキスタン海軍へ譲渡されカイバル(PNS Khaibar)と改名。
第三次印パ戦争中の1971年12月4日、カラチ沖にてインド艦隊を迎撃するがインド海軍ミサイル艇の攻撃により撃沈。
D65 セントジェームズ
HMS St. James
聖ジェームズの日の海戦英語版 1943年
5月20日
1945年
6月7日
1946年
7月12日
1961年、スクラップとして解体
D31 ヴィゴ
HMS Vigo
ビーゴ湾の海戦 1943年
9月11日
1945年
9月27日
1946年
11月9日
1959年10月1日に退役。
1964年、スクラップとして解体
後期型
[脚注 7]
D86 エジンコート
HMS Agincourt
アジャンクールの戦い ホーソン・レスリー 1943年
12月12日
1945年
1月29日
1947年
6月25日
1972年退役。
1974年、スクラップとして解体。
D17 アラメイン
HMS Alamein
エル・アラメインの戦い 1944年
3月1日
1945年
5月12日
1947年
3月20日
1959年退役。
1964年、スクラップとして解体。
D22 アイシン
HMS Aisne
エーヌの戦い英語版 ヴィッカース・
アームストロング
1943年
8月26日
1945年
5月12日
1947年
3月20日
1968年退役。
1970年、スクラップとして解体。
n/a アルブエラ
HMS Albuera
アルブエラの戦い 1943年
9月
1945年
8月28日
1945年12月に建造中止。
D68 バローサ
HMS Barrosa
バロッサの戦い英語版 ジョン・ブラウン 1943年
12月28日
1945年
1月17日
1947年
2月14日
1968年に退役。
1978年にスクラップとして解体。
D43 マタパン
HMS Matapan
マタパン岬沖海戦 1943年
3月11日
1945年
4月30日
1947年
9月5日
1977年に退役。
1979年にスクラップとして解体
D97 コラナ
HMS Corunna
コルーニャの戦い英語版 スワン・ハンター英語版 1944年
4月12日
1945年
5月29日
1947年
6月6日
1967年に退役。
1975年、スクラップとして解体
n/a オーデナーデ
HMS Oudenarde
アウデナールデの戦い 1944年
10月
1945年
9月11日
1945年12月に建造中止
リバープレート
HMS River Plate
ラプラタ沖海戦 1945年
4月
1945年12月に建造中止
D09 ダンカーク
HMS Dunkirk
ダンケルクの戦い
(ダイナモ作戦)
アレクサンダー・
スティーブンス
英語版
1944年
7月19日
1945年
8月27日
1946年
11月27日
1963年に退役。
1965年にスクラップとして解体
D62 ジャトランド
HMS Jutland
[脚注 8]
ユトランド沖海戦
[脚注 9]
1945年 1946年
2月20日
1947年
7月30日
1965年、スクラップとして解体
n/a セントルシア
HMS St. Lucia
セントルシア沖海戦英語版 1945年 1945年12月に建造中止
n/a ベル・イスル
HMS Belle Isle
ベル=イル占領 フェアフィールド英語版 1943年
11月
1946年
2月7日
1945年12月に建造キャンセル
ドックを開けるため進水段階まで建造され、進水後に解体。
n/a オムダーマン
HMS Omdurman
オムダーマンの戦い 1944年
3月
1945年12月に建造中止。
n/a ジャトランド
HMS Jutland
ユトランド沖海戦 ホーソン・レスリー 1944年
8月
1945年
11月2日
1945年12月に建造中止。
n/a モンス
HMS Mons
モンスの戦い英語版 1945年
6月
1945年12月に建造中止。
n/a ポイスティアーズ
HMS Poictiers
ポワティエの戦い 1944年
2月
1946年
1月4日
1945年12月に建造キャンセル
ドックを開けるため進水段階まで建造され、進水後に解体。
n/a ナムール
HMS Namur
ナミュール攻囲戦 キャメル・レアード 1944年
4月
1945年
6月12日
1945年12月に建造中止。
n/a ナヴァリノ
HMS Navarino
ナヴァリノの海戦 1944年
5月
1945年
9月21日
n/a サン・ドミンゴ
HMS San Domingo
サン・ドミンゴ沖の海戦英語版 1944年
12月
1945年12月に建造中止。
n/a ソンム
HMS Somme
ソンムの戦い 1944年
12月
n/a タラヴェラ
HMS Talavera
タラベラの戦い英語版 ジョン・ブラウン 1944年
8月
1945年
8月27日
1945年12月に建造中止
n/a トリンコマリー
HMS Trincomalee
トリンコマリーの海戦英語版 1945年
2月
1946年
1月8日
1945年12月に建造キャンセル
ドックを開けるため進水段階まで建造され、進水後に解体。
n/a ウォータールー
HMS Waterloo
ワーテルローの戦い フェアフィールド英語版 1945年
6月
1945年12月に建造中止。
n/a イープル
HMS Ypres
イーペルの戦い 1945年12月の建造中止に伴い、起工キャンセル。1946年9月5日にデアリング級駆逐艦ディスダイン (HMS Disdain)」として起工。
後に艦名を「デライト (HMS Delight, D119)英語版」に改名し、1953年10月9日に就役。
n/a ヴィミエラ
HMS Vimiera
ビメイロの戦い英語版 キャメル・レアード 本艦はいったんキャンセルされた後、デアリング級駆逐艦ダナエー (HMS Danae)」として発注されるが、1945年12月に建造キャンセル。
豪海軍型 D59 アンザック
HMAS Anzac
オーストラリア・ニュージーランド軍団 ウィリアムズタウン造船所英語版 1946年
9月23日
1948年
8月20日
1951年
3月14日
1966年12月から1967年3月にかけて、練習艦に改装。1974年10月4日に退役。
1975年11月24日、スクラップとして売却[8]
D37 トブルク
HMAS Tobruk
トブルク包囲戦 コッカトゥー島造船所英語版 1946年
8月5日
1947年
12月20日
1950年
5月8日
1960年10月20日に退役。
1972年、スクラップとして売却[9]

脚注[編集]

  1. ^ ただし、L級M級の50口径12cm砲(QF 4.7インチ砲Mk.XI)よりは軽い。
  2. ^ ※練習艦に改修後は、乗員169名 + 訓練生109名
  3. ^ ※最初の5隻のみ装備。後日撤去
  4. ^ この方針はタイガー級巡洋艦オーディシャス級航空母艦などにも採用され、戦後14年経ってから完成した艦もあった。
  5. ^ 「ダナエー」と同様に建造中止とされたデアリング級駆逐艦の艦名を襲名した。
  6. ^ 1942年度発注
  7. ^ 1943年度発注
  8. ^ 建造当初の艦名はマルプラケット(HMS Malplaquet)であるが進水後に、1945年12月に建造中止となった姉妹艦の艦名を襲名する形で改名。
  9. ^ 建造当初の艦名は、マルプラケの戦いに由来

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t Friedman 2012
  2. ^ Gardiner 1980, pp. 42–43
  3. ^ a b 中川 1994, pp. 112–115
  4. ^ 阿部 1994
  5. ^ a b Campbell 1986, pp. 52–55
  6. ^ a b c Sandy McClearn (2003年). “BATTLE Class radar picket destroyer” (英語). 2017年2月16日閲覧。
  7. ^ a b Gardiner 1996, p. 507
  8. ^ a b Royal Australian Navy - HMAS Anzac (II)
  9. ^ a b Royal Australian Navy - HMAS Tobruk (I)

参考文献[編集]

  • Brown, D.K. (2000). Nelson to Vanguard: Warship Design and Development, 1923-1945. Chatham Publishing. ISBN 978-1861761361 
  • Campbell, N. J. M. (1986). Naval Weapons of World War Two. Naval Institute Press. ISBN 978-0870214592 
  • Critchley, Mike (1981). British warships since 1945. Part 3, Destroyers. Maritime Books. ISBN 978-0950632391 
  • Friedman, Norman (2012). “New Destroyer Classes”. British Destroyers & Frigates: The Second World War & After. Naval Institute Press. pp. 108-131. ISBN 978-1473812796 
  • Gardiner, Robert (1980). Conway's All the World's Fighting Ships 1922-1946. Naval Institute Press. ISBN 978-0870219139 
  • Gardiner, Robert (1996). Conway's All the World's Fighting Ships 1947-1995. Naval Institute Press. ISBN 978-1557501325 
  • Marriott, Leo (1994). Royal Navy Destroyers Since 1945. Allan (Ian) Ltd. ISBN 978-0711018174 
  • Moore, G. (2003). “The 'Battle' Class destroyers”. Warship 2002-2003. Conway Maritime Press. ISBN 978-0851779263 
  • 中川, 務「イギリス駆逐艦史」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、ISBN 978-4905551478 
  • 阿部, 安雄「機関 (技術面から見たイギリス駆逐艦の発達)」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、164-171頁、ISBN 978-4905551478 

外部リンク[編集]