R級駆逐艦 (2代)

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R級駆逐艦
基本情報
種別 駆逐艦
命名基準 "R"で始まる英単語
運用者  イギリス海軍
 インド海軍
就役期間 イギリス 1942年 - 1965年
建造数 8隻
前級 Q級
次級 S級
要目
基準排水量 1,650トン
全長 109.12 m
最大幅 10.97 m
吃水 2.9 m
ボイラー 水管ボイラー×2缶
主機 蒸気タービン
推進器 スクリュープロペラ×2軸
出力 40,000馬力
電源 タービン主発電機 (155 kW)×2基
停泊発電機 (50 kW)×2基
待機発電機 (10 kW)×1基
速力 36.75ノット
航続距離 4,070海里 (20kt巡航時)
燃料 重油615トン
乗員 175~225名
兵装45口径12cm単装砲×4基
39口径40mm4連装機銃×1基
70口径20mm単装機銃×6基
・53.3cm4連装魚雷発射管×2基
爆雷投射機×4基
爆雷×70発→130発
FCS ・Mk.II(W)方位盤 (対空用)
・DCT方位盤 (対水上用)
FKC射撃盤 (対空用)
AFCC射撃盤 (対水上用)
レーダー ・290型 早期警戒用
272型 目標捕捉用 (後日装備)
・285型 射撃指揮用
ソナー ・128型→144型 捜索用
・147型 攻撃用 (後日装備)
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R級駆逐艦英語: R-class destroyer)はイギリス海軍駆逐艦の艦級。1940年度戦時緊急予算に基づく第4次戦時急造艦隊として8隻が建造され、1942年から1943年にかけて順次に就役した。全艦が第二次世界大戦を戦い抜いたのち、3隻がインド海軍に売却されたほか、4隻は15型フリゲートに改装され、水中高速潜時代の対潜戦を担うこととなった[1][2][3]

来歴[編集]

第二次世界大戦の勃発を受けてイギリス海軍戦時緊急計画を発動し、駆逐艦の急造に着手した。まず、1940-1年度計画で建造を予定していた中間的駆逐艦(J級に準じた設計)の建造を前倒しして、O級P級が建造された。その後、新しい戦時要求の反映や急造に適した設計への変更を図った新しい設計案が作成され、第3次戦時緊急計画に基づき、1940年1月3日にQ級として発注された。そして3月27日、第4次戦時緊急計画艦も同じ設計を採用することとなり、これによって発注されたのが本級である[3]

しかし5月のナチス・ドイツのフランス侵攻を受けて情勢は更に急迫しており、ドイツ軍によるイギリス本土侵攻すら懸念される状況となった。ノルウェーおよびダンケルク撤退作戦において損傷を受けた艦の修理に各造船所が忙殺されたこともあり[2]、5月20日の会合で、1940年中に竣工できない艦の建造を棚上げすることが決定され、本級とブラックスワン級スループの一部が対象となった。バトル・オブ・ブリテンの戦況好転を受けて、9月9日、建造中断は解除された[3]

設計[編集]

上記の経緯から設計はQ級とほぼ同様であり、J級以来の単煙突・船首楼型という船型のほか、Q級で導入された燃料搭載量の増大や復原性の改善、艦尾のトランサム・スターンも踏襲された。ただし本級では、熱帯海域での活動を考慮した艤装がなされている[3]

機関もQ級と同様で、アドミラルティ式3胴型水管ボイラー(蒸気圧力300 lbf/in2 (21 kgf/cm2)、温度332.2℃)、パーソンズ式オール・ギヤード・タービンによる2軸推進、出力40,000馬力である[4]

装備[編集]

装備もQ級と同様、中間的駆逐艦(O級・P級)の構成が踏襲されており、艦砲としては45口径12cm砲(QF 4.7インチ砲Mk.IX)4基を搭載した。射撃指揮装置はQ級と同様で、対空用には285型レーダーを備えたMk.II(W)方位盤とFKC射撃盤、対水上用には基線長3.66メートルの測距儀を備えたDCT方位盤とAFCC射撃盤が用いられていた[3]

当初計画では、これに加えて45口径10.2cm単装高角砲(QF 4インチ砲Mk.V)の搭載も予定されていたが、急降下爆撃機への有効性が疑問視されるようになったことから装備されず、対空兵器として39口径40mm4連装機銃(QF 2ポンド・ポンポン砲)と70口径20mm機銃6基、対艦兵器として21インチ4連装魚雷発射管2基を搭載して竣工した[3]。また後にポンポン砲や後部魚雷発射管を撤去して、56口径40mm単装機銃や70口径20mm機銃の増備が行われた[1]

なお本級では、竣工時から早期警戒用の290型レーダーが搭載されていたほか、1944年、「ロケット」など4隻を対象として、探照灯台上にラティス構造の後檣を設け、目標捕捉用の272型レーダーが搭載された[2]

同型艦[編集]

本級は戦没艦が無く、戦後3隻をインドに売却。リレントレスなど4隻は1951年~53年にかけてタイプ15改造を受けて高速フリゲートに転用された。

 イギリス海軍 退役/再就役後
# 艦名 造船所 就役 退役 再就役先 # 艦名 再就役 退役 その後
H09 ロザラム
HMS Rotherham
嚮導艦
ジョン・ブラウン 1942年
8月
1948年  インド海軍 D141 ラージプート
INS Rajput
1949年
7月27日
1976年 解体
H11 レースホース
HMS Racehorse
1942年
10月30日
1946年に予備役編入。1949年に退役後解体。
H15 レイダー
HMS Raider
キャメル・
レアード
1942年
11月15日
1948年  インド海軍 D115 ラーナ
INS Rana
1949年 1976年 解体
H32 ラピッド
HMS Rapid
1943年
2月20日
1951年6月より、
15型フリゲートへ改修
F138 艦名変更なし 1953年
10月
1965年 1981年、実艦標的として撃沈。
H41 リダウト
HMS Redoubt
ジョン・ブラウン 1942年
10月1日
1949年  インド海軍 D209 ランジート
INS Ranjit
1949年 1979年 解体
H85 リレントレス
HMS Relentless
1942年
11月30日
1947年11月より、
15型フリゲートへ改修
F185 艦名変更なし 1952年 1965年
8月
解体
H92 ロケット
HMS Rocket
スコッツ英語版 1943年
8月4日
1949年より、
15型フリゲートへ改修
F191 1951年 1962年
5月
解体
H95 ローバック
HMS Roebuck
1943年
6月10日
1952年より、
15型フリゲートへ改修
F195 1953年
5月
1962年 解体

ラージプート級駆逐艦[編集]

戦後、独立間もないインドへ売却された3隻はラージプート級駆逐艦とも称された。第三次印パ戦争に参戦の後1970年代後半には全艦退役した。本級の後継としてインド海軍が新たに導入したラージプート級駆逐艦は、ソビエト連邦海軍61型大型対潜艦(カシン型駆逐艦)を基に、インド海軍独自の運用要求を加味して設計された改良型で、ソビエト連邦において5隻が建造された。

参考文献[編集]

  1. ^ a b Roger Chesneau, Robert Gardiner (1980). Conway's All the World's Fighting Ships 1922-1946. Naval Institute Press. p. 42. ISBN 978-0870219139 
  2. ^ a b c 中川務「イギリス駆逐艦史」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、97頁、ISBN 978-4905551478 
  3. ^ a b c d e f Norman Friedman (2012). “The War Emergency Destroyers”. British Destroyers & Frigates: The Second World War & After. Naval Institute Press. pp. 86-107. ISBN 978-1473812796 
  4. ^ 阿部安雄「機関 (技術面から見たイギリス駆逐艦の発達)」『世界の艦船』第477号、海人社、1994年2月、164-171頁、ISBN 978-4905551478 

関連項目[編集]

  • ウィキメディア・コモンズには、R級駆逐艦 (2代)に関するカテゴリがあります。