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2020年9月26日 (土) 07:16時点における版

日本の旗 日本政党
新社会党
委員長 岡崎宏美
書記長 長南博邦[1]
成立年月日 1996年1月1日
前身政党 日本社会党左派[2]
本部所在地
〒101-0051
東京都千代田区神田神保町2-10 三辰工業ビル3階
衆議院議席数
0 / 465   (0%)
(2019年5月現在)
参議院議席数
0 / 242   (0%)
(2019年5月現在)
都道府県議数
0 / 2,609   (0%)
(2019年5月現在)
市区町村議数
17 / 29,839   (0%)
(2019年5月現在)
党員・党友数
3,500人
(2017年3月29日現在[3]
政治的思想・立場 社会主義反資本主義
反戦平和主義非武装中立
環境主義反核脱原発
機関紙 『週刊新社会』[4]
シンボル 赤・青・緑の三色の鳩
法人番号 1010005002279 ウィキデータを編集
公式サイト 新社会党
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新社会党(しんしゃかいとう、英語: New Socialist Party of Japan)は、日本の政治団体。1996年3月、社会民主党から独立して結成された。社会主義を掲げている。略称は新社党社会党

概説

政策的には日本国憲法の護持・非武装中立社会主義経済を主張。

社民主義を「大資本の支配を前提にして軍事力の行使を是認」と資本主義の枠内にみなして批判、「資本主義を温存する(資本主義社会の枠内での)『福祉国家』ではなく社会主義国家を」と主張するなど、かつての労農派マルクス主義社会党左派の流れをくみ、理論的には向坂逸郎の死後分裂した社会主義協会(坂牛派・細川派)の色彩が強い。

これまでの選挙では主に社民党候補を推薦しているが、東京都知事選挙民主党無所属浅野史郎を支援したり、廿日市市長選挙で自由民主党と共同で現職やその後継候補を推薦したりしている。国政選挙でも「よりまし」として愛媛などのように[注釈 1]民主党系候補を支援することもあった。第24回参議院議員通常選挙では、日本共産党の候補も推薦している。

党員数が少ないため独自の運動を展開するのは困難な状態にあるが、労働運動では全労協(特に国労の一部など)、連合の一部(自治労日教組、旧全国一般など)、全労連の一部(京都総評、兵庫労連など)と共闘関係。護憲運動では「憲法を生かす会」を組織。

機関紙として「週刊新社会」を発行している。

党史

結党

日本社会党は1995年に自民・さきがけとともに村山内閣を発足した際、それまで反対してきた自衛隊日米安保条約小選挙区制原発などを容認する姿勢に転換した。社会党は前年成立した細川内閣においても与党であったが、小選挙区比例代表並立制導入などを目的とした公職選挙法改正案(政治改革法案)採決で党内から相当数の造反者を出していた。この方針転換により党内からの反発が相次いだ。

1996年1月1日、日本社会党参議院議員矢田部理らは新社会党を結成、衆議院議員2人(小森龍邦岡崎宏美)、参議院議員3人(矢田部・栗原君子山口哲夫)が参加した。国会における会派の名称は衆・参ともに「新社会党・平和連合」とした。矢田部らは離党届を提出したが、社民党は受理せず除名処分とした。委員長に矢田部、副委員長に岡崎と小森、書記長に山口(元釧路市長)が就任した。社会党元副委員長の和田静夫は顧問に就任、しかしその後自由連合に鞍替えした。新党護憲リベラルを経て憲法みどり農の連帯を結成したいとう正敏らも入党。元々護憲リベラルのメンバーと小森は「新党民主フォーラム」という護憲新党準備団体を共同で結成しており、親和性が高かった。他には元議員として上野建一稲村稔夫、地方議員では当時中野区議会議員だった江原栄昭(後に都委員長に就任)らが入党している。

国政選挙での連敗

1996年の衆議院総選挙1998年の参議院選挙といずれも全員落選し、国会での議席を失った。また、いずれの選挙でも得票率が2%に満たず、政党要件を喪失。これまで受けていた政党交付金も支給されなくなった。なお、主な資金源は交付金であったが、この制度については特に憲法上問題とはしていなかった。交付金打ち切り後は党費・個人・団体献金・機関紙購読料などが主な資金源である。

2000年の衆議院総選挙2001年の参議院選挙でも議席回復に失敗。また、反基地闘争で共闘関係にある沖縄社会大衆党の新垣重雄を東京都選挙区で推薦したが、当選には至らなかった。2003年の衆議院総選挙では、初めて社民党と本格的な選挙協力を行い、無所属で候補を擁立したが及ばなかった。2004年の参議院選挙でも公認候補を立てず、原和美らを無所属で擁立した。しかし、他党候補の推薦を除き、当選者は得られなかった。原は2005年の衆議院総選挙2009年の衆議院総選挙でも兵庫1区より無所属で立候補したが、落選した。

9条ネットの発足と2007年参院選

2007年の参議院選挙では、平和運動団体である「キリスト者平和ネット」や「みどりのテーブル」の一部の活動家などと合同で、確認団体9条ネット」を立ち上げ、栗原を含む9人の比例区候補と、元神戸市議で党副委員長兼兵庫県本部委員長の原和美を選挙区候補として計10人の擁立を発表した。しかし、選挙結果は比例代表273,755票(得票率0.46%)で、議席獲得には至らなかった。原を擁立した兵庫以外の選挙区では民主党・社民党系候補や野党系無所属候補を支援し、東京都選挙区から立候補した無所属川田龍平[注釈 2]、愛媛選挙区から立候補した無所属友近聡朗(民主・社民・国民新党と共同推薦)らの当選に尽力した。

2010年代

2010年の第22回参議院議員通常選挙では社民党と共闘し、原が社民党に移籍、比例代表から立候補した[5]。原は選挙前に社民党幹事会で入党が了承されたが新社会党への離党届は受理されずに執行部預かりとなり、選挙後は新社会党と社民党の二重党籍となっている。原は個人得票で4位に留まり落選した[6]

党幹部でメディア露出も頻繁だった原を社民党に移籍させたことや、それに伴い本来規約で禁止されている多重党籍を執行部が積極的に認めていることなどについては批判もあり、2011年、新社会党結党以来初の中央執行委員長選挙になった。本部に批判的な江原栄昭が出馬したが落選し、松枝佳宏が当選した(選挙結果は、松枝得票率が74.7%、江原得票率が20.3%、白票3.8%、無効票1.2%で投票率は77.9%)。2012年6月、委員長の松枝と社民党党首の福島瑞穂が会談し、来る衆議院選挙と参議院選挙において社民党と選挙協力を行う旨の協定を取り交わした[7]。同年12月の東京都知事選挙には支持候補として日本未来の党、共産党、社民党、東京・生活者ネットワークとともに前日本弁護士連合会長で新人の宇都宮健児を擁立した[8]

2013年1月の委員長選挙において、江原ら本部に批判的な党員53名が推す細川正が立候補したが、松枝(兵庫県本部推薦)が再選された(選挙結果は、松枝の得票率が81.4%、細川正の得票率が18.6%、白票が5.5%、無効票が0.2%で投票率は81.0%)。2013年参議院議員選挙では、社民党、社大党、みどりの風の候補を推薦・支持し、また無所属の山本太郎を支援した。

2014年衆議院議員選挙では社民党支持を決定した[9]

2015年も委員長選挙となり、前回に引き続き松枝と細川の一騎打ちとなったが、松枝佳宏が三選した(選挙結果は、松枝の得票率が79.7%、細川の得票率が15.9%、無効票4.4%で投票率は81.0%)。なお、中央執行委員長選挙では都道府県別の党員数は公表しているにも関わらず、投票数は明らかにしておらず、江原や細川らは批判している。

2016年参議院議員選挙では、選挙区は1人区の野党統一候補を中心に、社民党、民進党、共産党、無所属候補を推薦・支持[注釈 3]し、比例代表は社民党を支援した。また、その直後の2016年東京都知事選挙でも野党統一候補の支持に回った[10]

2017年衆議院議員選挙では、衆院選では17年ぶりに公認候補擁立(兵庫9区、菊地憲之・党兵庫県本部書記長)を発表。野党共闘の枠組みに加わることを表明した[11]。その後民進党は共闘を放棄して希望の党への合流を図ったが、共産党[12]と社民党[13]は菊地の推薦を決めた。民進党からリベラル系議員が分離する形で結成された立憲民主党は全国的には野党共闘の枠組みに参加したが、菊地の推薦は行なっていない。ただし、菊地は無所属での立候補とし[14]、代わりに、新社会党は兵庫8区で共産党の堀内照文(前職、比例重複)を推薦、の体制で選挙を戦ったが、両者ともに落選した。

現状

党員の高齢化に伴い、離党・死亡などによって党員数・党費の減少に歯止めが掛かっていない。党員数は、結党時より半減している。

現在も一定の地方議員を擁するものの、党公認の議員引退後に後継の公認候補を擁立できないなど(野田市ほか)、退潮傾向が目立っている。国政については長らく議席がないが、野党共闘(特に社共共闘)を進め、その中で党勢拡大と議席回復を狙っている。地方では、千葉県兵庫県熊本県などに系列の労働組合などの団体を中心とする支持があり、ある程度の勢力を保っている。地方議員数は2019年現在17名。熊本県では2019年まで唯一党公認の県議を擁し(荒尾市選挙区)、6期連続当選していたが(うち4回無投票当選)、第19回統一地方選挙前半戦の熊本県議選で落選、最後の議席を失った。また神戸市議会議員選挙東灘区選挙区に元衆院候補菊地憲之を公認候補として擁立したが落選した。同統一地方選挙では後半戦も振るわず、習志野市で離党した公認現職[15]明石市で引退した公認現職の後継候補をそれぞれ立てられなかったほか、2議席回復を狙った芦屋市では前回落選した元職が返り咲いたものの、7期務めた現職が次点落選し、議席増はならなかった。第19回統一地方選挙は全体として結党以来最低の結果に終わった。東松山市議会議員選挙には元職で党元参院公認候補だった村田文一が12年ぶりに無所属で立候補し、党はこれを推薦。村田は当選した[16]

沖縄県では沖縄社会大衆党と友党関係にあるため、新社会党独自の勢力はない。また新社会党結成の契機となった村山内閣首班村山富市の地元で、社会民主党日本社会党以来の勢力をある程度維持している大分県や、小さいながらも日本労働党の勢力がある福岡県などでも非常に弱い。広島県教職員組合は新社会党支持を打ち出している。また、衆議院選挙において中選挙区制時代の広島3区で当選していた小森龍邦は、部落解放同盟書記長であったが、1993-94年に盛んだった政治改革論議で、細川連立内閣との協力を重視していた他の幹部と意見を異にし、社会党を含む連立与党が提出した政治改革法案に反対票を投じ、その責任を取る形で解放同盟に書記長辞任願いを出し受理された。実質的には解任だったともいわれる。その後小森は解放同盟広島県連顧問就任。現在も広島県の部落解放運動を事実上指揮していると言われる。

他党の評価

現在の社民党についての評価は、変節しているという評価ではあるが、護憲派による平和共同候補擁立を軸に選挙共闘を積極的に呼びかけ、それに応じない場合も自主的に支援・投票し続けている。また、社民党との将来の合併を見越して「社会党」への改称を試みたが、多くの党員の反対により否決された。一方、当時社民党の幹事長だった又市征治は「『戻ってらっしゃい』と言っている。『村山政権のときに安保・自衛隊を認めた』と、馬鹿みたいな話をまだしている。」(稲村守「社民党幹事長、九条ネットネット代表を交え討論-平和憲法60周年滋賀集会」(『社会通信』No.1002 2007年6月15日号)に引用された又市幹事長の談話)と新社会党を批判している。

2010年参院選に、前副委員長の原和美を擁立することを社民党が決定したことで、新社会党が社民党に合流することにつながるのではないかという声があがったが、社民党の重野安正幹事長は「そういう議論はみじんもありません」と否定している[17]。こうした社民への協力、さらには再合流路線には、党内の反発は根強く、「選挙のたびに毎回、社民党の下請けをし続けるだけでは、新社会党の存在意義はうすれるばかり」という批判もある[18]

また、日本共産党に対しても積極的に共闘を呼びかけてきたが、これまではぞんざいに扱われることが多く[19][20]、一部地方選挙での協力関係にとどまってきた。しかし、共産党が安保法制廃止の一点共闘を打ち出してからは、国政選挙でも他の野党とともに共産党候補を推薦している。

党勢

地方政治

  • 単独与党の自治体:0
    • 党員市町村長:0名

地方組織

結党当初はほぼ全都道府県に地方組織(都道府県本部)があったが、その後青森県本部、宮城県本部、栃木県本部は中央本部傘下の支部に格下げ(後に青森県支部は消滅)、岩手県本部、富山県本部、福井県本部、滋賀県本部、和歌山県本部、福岡県本部、大分県本部については「準備会」と称するものがあるのみになっており[22]、いずれも政治団体届出には至っていない。沖縄県では沖縄社会大衆党と友党関係にあり、結党以来新社会党の地方組織が作られたことはない。長野県石川県三重県宮崎県にも地方組織はない。

財政

2011年政治資金収支報告書によれば、党費収入は約2400万円、機関紙発行等の事業収入は約7300万円である。

歴代新社会党委員長一覧

正式な職名は新社会党中央執行委員長。現在の委員長は岡崎宏美。

委員長 在任期間
1 矢田部理 1996年 - 2002年
2 小森龍邦 2002年 - 2005年5月29日
3 栗原君子 2005年5月29日 - 2011年7月24日
4 松枝佳宏 2011年7月24日 - 2017年4月23日
5 岡崎宏美 2017年4月23日 - (現職)

支持・友好団体

カテゴリー 団体
労働組合
大衆組織
政党

脚注

注釈

  1. ^ ただしこの候補者は9条ネットの推薦候補であり、新社会党が9条ネットに参加していたゆえの支援であった。
  2. ^ 2009年12月、みんなの党に入党。
  3. ^ 1人区では滋賀県選挙区のみ、自主投票。

出典

  1. ^ 千葉県野田市議会議員(8期、1986年2001年2002年2018年)。2001年、第19回参議院議員通常選挙千葉県選挙区に新社会党公認で立候補するも落選。おさなみ議会報告(PDF、『週刊新社会』号外 野田市版1818号 2018年5月発行)、長南博邦のホームページ2018年12月24日閲覧。
  2. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)『新社会党』 - コトバンク
  3. ^ "平成28年政治資金収支報告書" (PDF) (Press release).
  4. ^ デジタル大辞泉プラス『週刊新社会』 - コトバンク
  5. ^ “社民、参院比例に新社会党幹部の擁立検討”. 読売新聞. (2010年2月21日). http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100220-OYT1T01260.htm 2010年4月13日閲覧。 
  6. ^ 第22回参議院議員選挙 比例区社民党 。ザ・選挙 JANJAN全国政治家データベース(2010年7月17日閲覧)。
  7. ^ “新自由主義への対抗軸を掲げる 社民党と新社会党が選挙協力協定”. 社会新報(社民党機関誌). (2012年7月4日). http://www5.sdp.or.jp/news/newslist120704.htm 2012年7月17日閲覧。 
  8. ^ 2012年11月29日付 朝日新聞夕刊東京版1ページ
  9. ^ 解散総選挙にあたって新社会党公式サイト
  10. ^ 〝オール護憲〟共同の鳥越俊太郎東京都知事候補の当選に全力を挙げる - 新社会党
  11. ^ 大義ない火事場泥棒選挙 野党共闘で勝利を - 新社会党『週刊新社会』9月26日号
  12. ^ 2017年10月3日(火) 共産・新社が選挙協定 兵庫 堀内、菊地予定候補を相互推薦 - 日本共産党『しんぶん赤旗』9月26日号
  13. ^ 長野2区に新人=社民【17衆院選】 - 時事通信社
  14. ^ “【衆院選】共産、兵庫9区で取り下げ 新社会と協力で合意”. 産経新聞. (2017年10月2日). https://www.sankei.com/west/news/171002/wst1710020085-n1.html 
  15. ^ 習志野市議会では党結成以来議席を有し、かつて4議席を擁していた。2007年の選挙では公認候補2名が当選していたが、2011年の選挙で公認現職1名が当選するも1名落選、2015年の選挙では公認を現職1名(京成電鉄労働組合)に絞り、革新系無所属新人候補を推薦。両名とも当選し、会派「新社会党・無所属の会」(会派別名簿2019年3月29日 習志野市議会)を結成、辛うじて勢力を維持した。2019年3月の選挙直前に公認現職が離党したため公認候補がいなくなり、革新系無所属現職の推薦のみとなった。再び両名とも当選し、革新系無所属現職は党名を称する一人会派「新社会の会」、離党した現職(党推薦もなし)は別の一人会派「市民の会」を届け出、共闘を解消(会派別名簿2019年5月8日 習志野市議会)。公認候補が立てられなかったため、党の議席は2019年の選挙をもって0となった。
  16. ^ 議員紹介(50音順) 村田文一東松山市役所議会事務局 村田は既に党籍はなく、「所属政党 無所属」となっている。
  17. ^ “社民はどっち向き? 参院選で新社会党元副委員長擁立、原子力安全委員人事には一転賛成”. MSN産経ニュース. (2010年3月25日). http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100325/stt1003252240014-n1.htm 
  18. ^ 労働者運動資料室管理人 2013年2月5日火曜日 新社会党委員長選挙公報(2013)抜粋 細川正候補の主張より
  19. ^ 「政党間共闘の条件は存在しない」 共産党が新社会党の申し入れに回答
  20. ^ 「9条ネット」とはどんな団体ですか?しんぶん赤旗2007年5月1日号 但し長生村においては、共産党は新社会党系の村長を支持していた
  21. ^ 新社会党/議員新社会党
  22. ^ 全国の新社会党新社会党

関連項目

外部リンク