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ビラップス加入後チームは結束し、怪我や病に苦しんだネネの躍進、ベンチ陣の奮闘もあり54勝28敗 第2シードでシーズンを終えた。
ビラップス加入後チームは結束し、怪我や病に苦しんだネネの躍進、ベンチ陣の奮闘もあり54勝28敗 第2シードでシーズンを終えた。
開幕前にキャンビーをサラリー軽減だけのために放出した事もあり誰もが予想だにしなかった結果だった。
開幕前にキャンビーをサラリー軽減だけのために放出した事もあり誰もが予想だにしなかった結果だった。
プレーオフでは24年ぶりにカンファレンスファイナルに進出した。ちなみにこの思わぬ展開に会場の問題が発生。第4戦が行なわれる5月25日の[[ペプシ・センター]]はすでにアメリカのプロレス団体[[WWE]]が前年の8月に仮予約し、4月の段階で正式に抑えていた。最終的に試合の5日前、オーナーのクランケが強権発動によりナゲッツの試合が行なわれることになったが、WWEのチェアマンであった[[ビンス・マクマホン]]は「クランケはオーナーのくせに自分のチームの進出を信じていなかった」と批判。結局、WWEは当日はナゲッツの対戦相手であった[[ロサンゼルス・レイカーズ]]の本拠地[[ステイプルズ・センター]]で公演を行ない、TV収録大会であったためナゲッツを皮肉するストーリラインを展開。なお、ステイプルズ・センターの利用料はナゲッツ側が負担した。
プレーオフでは24年ぶりにカンファレンスファイナルに進出した。

== シーズンごとの成績 ==
== シーズンごとの成績 ==
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2009年7月9日 (木) 04:36時点における版

  • チームの通算成績と情報

デンバー・ナゲッツDenver Nuggets)は、アメリカ合衆国コロラド州デンバー市に本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。ウェスタン・カンファレンス、ノースウェスト・ディビジョン所属。海抜約1,600メートルのデンバーに本拠を置くナゲッツは、NBAのチーム中最も高地にあるチームとして知られる。

歴史

デンバー・ロケッツ

1949年にNBAのチームとしてデンバーを本拠に活動したデンバー・ナゲッツという同名のチームがあったが、このナゲッツは1シーズンで解散しており、今のナゲッツと直接の関係はない。現在のデンバー・ナゲッツは、NBAに対抗する形で存在したもう一つのリーグABAに所属したデンバー・ロケッツとして始まった。

ABAのデンバー・ロケッツは中堅どころのチームとして最初の数シーズンを過ごした。当時はNBAにヒューストン・ロケッツというチームがあり、リーグの経営状態悪化からチームのNBA入りが現実味を帯び始めると、デンバー・ロケッツの経営陣は新たな名称の検討に入った。採用された「ナゲッツ」はかつてデンバーに存在したチーム名と同じものであり、19世紀の金銀採掘ブームの折りに金や銀の塊を指した nugget から採られた。

デンバー・ナゲッツ

1974年に名を改めたデンバー・ナゲッツは、ラリー・ブラウンに率いられたABA末期には65勝19敗、60勝24敗の成績を残す強豪になっており、ABA最後のシーズンにはリーグを制した。1976年にNBAに加入したのちも数年間はディビジョン首位に位置する有力チームだった。

1980年代初期のナゲッツはリーグで最も得点力のあるチームだった。デビッド・トンプソンアレックス・イングリッシュダン・イッセルキキ・バンダウェイは平均得点がそれぞれリーグ上位に入ることもあったものの、プレイオフでは長く勝ち残れなかった。

1990年代初頭には20勝62敗にまで落ち込む低迷期に入った。この頃にはマクムード・アブドゥル=ラウーフディケンベ・ムトンボが中心選手だった。1994年のナゲッツはシーズンを42勝40敗で終え、プレイオフでは63勝19敗でウェスタンカンファレンス第1シードだったシアトル・スーパーソニックスを1回戦で破る大番狂わせを演じた。(第8シードが第1シードを破ったのは初、その後もロックアウトで短縮されたシーズンの8位、ニックスヒートを、07年にゴールデンステイト・ウォリアーズダラス・マーベリックスを破ったのを含めて3度しかない。)しかし90年代末期には、11勝71敗とリーグ史上最低に近い勝率に終わるなど、再び低迷期に入った。

21世紀に入り、アントニオ・マクダイスニック・ヴァン・エクセルを中心に一時勝率5割近くまで戻したものの、ヴァン・エクセルは2000-01シーズン途中で、マクダイスは2001年6月にマーカス・キャンビーらと交換で移籍した。2001年8月にバンダウェイがジェネラルマネージャーに就任したが、2001-02シーズンは17勝65敗まで落ち込んだ。

アンソニーの時代

しかし、翌シーズンにはドラフトでカーメロ・アンソニーを獲得、続くシーズンにはジョージ・カール監督を迎えてナゲッツは再び5割以上の勝ち星を上げるチームになっている。 2005-06シーズンは、地区優勝を決めて第3シードとなったが、プレイオフ1回戦の相手、第6シードのロサンゼルス・クリッパーズより勝率が悪かったため、ホームコートアドバンテージを得ることができず、1-4で敗退、バンダウェイはチームを去った。

2006-07シーズン12月、ニックス戦でJ.Rスミスフレグラントファールをしたジェイソン・コリンズをアンソニーが殴ったため、15試合の出場停止処分が下った。チームはその危機を救うべく、76ersからリーグ屈指のガード、アレン・アイバーソンアンドレ・ミラーらとのトレードで獲得。アンソニー復帰後の4月には10勝1敗を記録し、アンソニーとアイバーソンはリーグで最も得点をあげるデュオとなった。

2007-08シーズンには1980年代以来となる50勝32敗の好成績を収めたが、このシーズンのウェスタンカンファレンスのプレーオフ進出争いは異常に過熱し、ナゲッツは50勝をあげながらも第8シードとなり、シーズン勝率首位のロサンゼルス・レイカーズの前にスイープ負けを喫した。

ちなみに、ナゲッツは近年ディフェンスが弱いためDのないデンバー(DENVER)をエンバー(ENVER)と言われてしまっている。

2008-09シーズン11月、開幕直後A・アイバーソンをトレードでデトロイト・ピストンズに放出。代わりに2004年のNBAファイナルMVPを受賞したC・ビラップスを獲得。 ビラップス加入後チームは結束し、怪我や病に苦しんだネネの躍進、ベンチ陣の奮闘もあり54勝28敗 第2シードでシーズンを終えた。 開幕前にキャンビーをサラリー軽減だけのために放出した事もあり誰もが予想だにしなかった結果だった。 プレーオフでは24年ぶりにカンファレンスファイナルに進出した。ちなみにこの思わぬ展開に会場の問題が発生。第4戦が行なわれる5月25日のペプシ・センターはすでにアメリカのプロレス団体WWEが前年の8月に仮予約し、4月の段階で正式に抑えていた。最終的に試合の5日前、オーナーのクランケが強権発動によりナゲッツの試合が行なわれることになったが、WWEのチェアマンであったビンス・マクマホンは「クランケはオーナーのくせに自分のチームの進出を信じていなかった」と批判。結局、WWEは当日はナゲッツの対戦相手であったロサンゼルス・レイカーズの本拠地ステイプルズ・センターで公演を行ない、TV収録大会であったためナゲッツを皮肉するストーリラインを展開。なお、ステイプルズ・センターの利用料はナゲッツ側が負担した。

シーズンごとの成績

Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率

シーズン % プレーオフ 結果
デンバー・ロケッツ (ABA)
(通算勝敗に含まない)
1967-68 45 33 .577 ディビジョン準決勝敗退 ニューオーリンズ 3, デンバー 2
1968-69 44 34 .564 ディビジョン準決勝敗退 オークランド 4, デンバー 3
1969-70 51 33 .607 ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝敗退
デンバー 4, ワシントン 3
ロサンゼルス 4, デンバー 1
1970-71 30 54 .357 タイブレークゲーム敗退 テキサス 115, デンバー 109
1971-72 34 50 .405 ディビジョン準決勝敗退 ペイサーズ 4, デンバー 3
1972-73 47 37 .560 ディビジョン準決勝敗退 ペイサーズ 4, デンバー 1
1973-74 37 47 .440 タイブレークゲーム敗退 サンディエゴ 131, デンバー 111
デンバー・ナゲッツ (ABA)
(通算勝敗に含まない)
1974-75 65 19 .774 ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝敗退
デンバー 4, ユタ 2
ペイサーズ 4, デンバー 3
1975-76 60 24 .714 ABA準決勝勝利
ABAファイナル決勝敗退
デンバー 4, ケンタッキー 3
ニューヨーク 4, デンバー 2
デンバー・ナゲッツ (NBA)
(通算勝敗に含む)
1976-77 50 32 .610 カンファレンス準決勝敗退 ブレイザーズ 4, ナゲッツ 2
1977-78 48 34 .585 カンファレンス準決勝勝利
NBAカンファレンス決勝敗退
ナゲッツ 4, バックス 3
ソニックス 4, ナゲッツ 2
1978-79 47 35 .573 1回戦敗退 レイカーズ 2, ナゲッツ 1
1979-80 30 52 .366
1980-81 37 45 .451
1981-82 46 36 .561 1回戦敗退 サンズ 2, ナゲッツ 1
1982-83 45 37 .549 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ナゲッツ 2, サンズ 1
スパーズ 4, ナゲッツ 1
1983-84 38 44 .463 1回戦敗退 ジャズ 3, ナゲッツ 2
1984-85 52 30 .634 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ナゲッツ 3, スパーズ 2
ナゲッツ 4, ジャズ 1
レイカーズ 4, ナゲッツ 1
1985-86 47 35 .573 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ナゲッツ 3, ブレイザーズ 1
ロケッツ 4, ナゲッツ 2
1986-87 37 45 .451 1回戦敗退 レイカーズ 3, ナゲッツ 0
1987-88 54 28 .659 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ナゲッツ 3, ソニックス 2
マーベリックス 4, ナゲッツ 2
1988-89 44 38 .537 1回戦敗退 サンズ 3, ナゲッツ 0
1989-90 43 39 .524 1回戦敗退 スパーズ 3, ナゲッツ 0
1990-91 20 62 .244
1991-92 24 58 .293
1992-93 36 46 .439
1993-94 42 40 .512 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ナゲッツ 3, ソニックス 2
ジャズ 4, ナゲッツ 3
1994-95 41 41 .500 1回戦敗退 スパーズ 3, ナゲッツ 0
1995-96 35 47 .427
1996-97 21 61 .256
1997-98 11 71 .134
1998-99 14 36 .280
1999-2000 35 47 .427
2000-01 40 42 .489
2001-02 27 55 .329
2002-03 17 65 .207
2003-04 43 39 .529 1回戦敗退 ウルブズ 4, ナゲッツ 1
2004-05 49 33 .598 1回戦敗退 スパーズ 4, ナゲッツ 1
2005-06 44 38 .537 1回戦敗退 クリッパーズ 4, ナゲッツ 1
2006-07 45 37 .549 1回戦敗退 スパーズ 4, ナゲッツ 1
2007-08 50 32 .610 1回戦敗退 レイカーズ 4, ナゲッツ 0
通算勝敗 1212 1380 .468
プレイオフ 43 79 .352

主な選手

現役選手

デンバー・ナゲッツ ロースター
プレーヤー スタッフ
Pos. # 名前 国籍 年齢 身長 体重 出身
G 0 クリスチャン・ブラウン (Christian Braun) アメリカ合衆国 23 (2001/04/17) 6 ft 6 in (1.98 m) 209 lb (95 kg) カンザス大学 
G 5 ケンテイビアス・コールドウェル=ポープ (Kentavious Caldwell-Pope) アメリカ合衆国 31 (1993/02/18) 6 ft 5 in (1.96 m) 204 lb (93 kg) ジョージア大学 
F 31 ブラッコ・チャンチャー (Vlatko Čančar)  スロベニア 27 (1997/04/10) 6 ft 8 in (2.03 m) 236 lb (107 kg) スロベニア 
G 21 コリン・ギレスピー (Collin Gillespie)   アメリカ合衆国 24 (1999/06/25) 6 ft 3 in (1.91 m) 195 lb (88 kg) ビラノバ大学 
F 50 アーロン・ゴードン (Aaron Gordon) アメリカ合衆国 28 (1995/09/16) 6 ft 9 in (2.06 m) 225 lb (102 kg) アリゾナ大学 
G/F 9 ジャスティン・ホリデー (Justin Holiday) アメリカ合衆国 35 (1989/04/05) 6 ft 6 in (1.98 m) 180 lb (82 kg) ワシントン大学 
C 30 ジェイ・ハフ (Jay Huff)  アメリカ合衆国 26 (1997/08/25) 7 ft 1 in (2.16 m) 240 lb (109 kg) バージニア大学 
G 7 レジー・ジャクソン (Reginald Shon Jackson) アメリカ合衆国 34 (1990/04/16) 6 ft 3 in (1.91 m) 208 lb (94 kg) ボストン大学 
C 15 ニコラ・ヨキッチ (Nikola Jokić) キャプテン セルビア 29 (1995/02/19) 6 ft 11 in (2.11 m) 284 lb (129 kg) セルビア 
C 6 デアンドレ・ジョーダン (DeAndre Jordan) アメリカ合衆国 35 (1988/07/21) 6 ft 11 in (2.11 m) 265 lb (120 kg) テキサスA&M大学 
F 11 ブラクストン・キー (Braxton Key)  アメリカ合衆国 27 (1997/02/14) 6 ft 8 in (2.03 m) 225 lb (102 kg) バージニア大学 
G 27 ジャマール・マレー (Jamal Murray) カナダ 27 (1997/02/23) 6 ft 4 in (1.93 m) 215 lb (98 kg) ケンタッキー大学 
F/C 22 ジーク・ナジ (Zeke Nnaji) アメリカ合衆国 23 (2001/01/09) 6 ft 11 in (2.11 m) 240 lb (109 kg) アリゾナ大学 
G 24 ジェイレン・ピケット (Jalen Pickett) アメリカ合衆国 24 (1999/10/22) 6 ft 4 in (1.93 m) 202 lb (92 kg) ペン州立大学 
F 1 マイケル・ポーター・ジュニア (Michael Porter Jr.) アメリカ合衆国 25 (1998/06/29) 6 ft 10 in (2.08 m) 210 lb (95 kg) ミズーリ大学 
G/F 3 ジュリアン・ストローザー (Julian Strawther) アメリカ合衆国 22 (2002/04/18) 6 ft 7 in (2.01 m) 205 lb (93 kg) ゴンザガ大学 
F 4 ハンター・タイソン (Hunter Tyson) アメリカ合衆国 23 (2000/06/13) 6 ft 8 in (2.03 m) 215 lb (98 kg) クレムソン大学 
G/F 8 ペイトン・ワトソン (Peyton Watson) アメリカ合衆国 21 (2002/09/11) 6 ft 8 in (2.03 m) 200 lb (91 kg) UCLA 

記号説明


外部リンク


更新日:2009年07月9日


年代別主要選手

太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人

1960年代 (プレイオフ進出:2回)


1970年代 (プレイオフ進出:10回 ファイナル進出:1回)


1980年代 (プレイオフ進出:8回)


1990年代 (プレイオフ進出:3回)


2000年代 (プレイオフ進出:4回)

永久欠番

コーチ、その他

歴代ヘッドコーチ

殿堂入り

なし

チーム記録

デンバー・ナゲッツのチーム記録

外部リンク