マクムード・アブドゥル=ラウーフ
![]() 京都ハンナリーズ時代 (2011年) | |
引退 | |
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ポジション | PG/SG |
基本情報 | |
アラビア語 | محمود عبد الرؤوف |
国籍 |
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生年月日 | 1969年3月9日(53歳) |
出身地 | ミシシッピ州 ガルフポート |
身長(現役時) | 183cm (6 ft 0 in) |
体重(現役時) | 73kg (161 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | ルイジアナ州立大学 |
ドラフト | 1990年 3位 |
選手経歴 | |
1990-1996 1996-1998 1998-1999 2000-2001 2003-2004 2004-2005 2006-2007 2008-2009 2009-2011 |
デンバー・ナゲッツ サクラメント・キングス ![]() バンクーバー・グリズリーズ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
Stats ![]() | |
マクムード・アブドゥル=ラウーフ(Mahmoud Abdul-Rauf, 1969年3月9日 - )は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。ミシシッピ州ガルフポート出身。改名前の名前はクリス・ジャクソン(Chris Wayne Jackson)。身長185cm、体重74kg。ポジションはガード。
経歴[編集]
1991年にイスラム教へ改宗したため名前を「アブドゥル=ラウーフ」に変えた。1990年のNBAドラフトでデンバー・ナゲッツに指名された後[1]、1996年までナゲッツでプレイ、チームの主力として活躍した。1993-94シーズンには平均19.2得点、2.8リバウンド、4.2アシストと成績を伸ばし、MIP賞(最も改善されたプレイヤーに与えられる賞)を獲得した。1993年にはオールスターのイベント、スラムダンクコンテストに出場した。1994年と1996年にはフリースロー成功率がNBAトップとなった。
その後、サクラメント・キングス、バンクーバー・グリズリーズでプレイした。NBAを離れた後、ヨーロッパでもプレイした[2]。
NBAを引退してから、生まれ故郷のミシシッピ州ガルフポートにモスクを建設してイマーム(指導者)となった。彼の目的はモスクをドラッグや犯罪から逃れるためのシンボルとすることにあった。
サウジアラビアに渡り現役復帰し、2009年、日本のbjリーグ、京都ハンナリーズに入団[3]。ヘッドコーチは同時期にともにNBAでプレーしたデービッド・ベンワーである(ナゲッツ時代の1993-94カンファレンスセミファイナルではベンワーが所属するユタ・ジャズと対戦した)。2009-10シーズンはベスト5に選出。
アメリカ国歌の問題[編集]
試合開始前のアメリカ国歌斉唱のときに立ち上がらなかったことでも知られている(星条旗は抑圧や、専制政治の象徴とイスラム教徒に見られていた)。
1996年3月12日、NBAは彼を1試合出場停止にしたが、2日後にリーグと彼は妥協して国歌が演奏されている最中、イスラム教の選手がイスラムの祈りを立ったまますることができるようになった。
雑学[編集]
- ゲイリー・ペイトンのトラッシュトークの標的とされて、元の名前の「クリス・ジャクソン」を繰り返し囁かれたことがある。
- 非常に神経質な選手でフリースロー練習でボードやリングに当たらない真っ直ぐな弾道に拘ると言う練習方法でフリースロー成功率は高かった。
所属チーム[編集]
- 1989-90 ルイジアナ州立大学
- 1990-96 デンバー・ナゲッツ
- 1996-98 サクラメント・キングス
- 1998-99 フェネルバフチェ (トルコリーグ)
- 1999-00 プレイせず
- 2000-01 バンクーバー・グリズリーズ
- 2001-03 プレイせず
- 2003-04 PBCウラル・グレート (ロシア)
- 2004-05 Sedima Roseto (イタリア)
- 2006-07 アリス・テッサロニキ(ギリシャ)
- 2008-09 アル・イテハド(サウジアラビア)
- 2009-11 京都ハンナリーズ(日本)
トレード[編集]
- 1990年 - 1990年のNBAドラフトで全体3番目にデンバー・ナゲッツから指名
- 1996年6月13日 - サクラメント・キングスにトレード
- 1998年 6月18日 - トルコリーグのフェネルバフチェと2年契約を結ぶ。
- 1999年 6月22日 - 引退発表
- 2000年 8月20日 - フリーエージェントでバンクーバー・グリズリーズと契約
脚注[編集]
- ^ “1990 NBA Draft”. Basketball-reference.com. 2015年5月3日閲覧。
- ^ Shapiro, Mark (1998年6月19日). “Abdul-Rauf Leaves NBA For Turkey”. Chicago Tribune 2015年4月22日閲覧。
- ^ “Abdul-Rauf to return to Hannaryz”. The Japan Times. (2010年7月31日) 2015年4月22日閲覧。
外部リンク[編集]
- 選手の通算成績と情報 NBA、Basketball-Reference、Eurobasket、RealGM
- 京都ハンナリーズ-マクムード・アブドゥル=ラウーフ- (日本語)