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栗山長次郎

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栗山 長次郎(くりやま ちょうじろう、1896年明治29年)9月7日[1] - 1971年昭和46年)7月8日[2][3])は、昭和期のジャーナリスト政治家実業家衆議院議員

経歴

東京府出身[2][3]。栗山清次郎の長男として生まれる[4]。1917年(大正6年)青山師範学校を卒業[2][3]。その後、アメリカ合衆国に留学し、1923年(大正12年)ユタ大学を卒業[2][3]。さらに、ハーバード大学大学院で政治学経済学を学んだ[2][3][4]

毎日新聞社に入社し、政治記者、海外特派員、ニューヨーク支局長、同社工務局長、同業務局長、同新聞輸送社長などを務めた[2][3][4]

1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙東京都第2区から日本自由党公認で出馬して初当選[2][3]。以後、東京都第7区から出馬して第25回総選挙まで再選され[5]、衆議院議員に連続4期在任した[2][3]。この間、第2次吉田内閣文部政務次官衆議院観光事業振興方策樹立特別委員長、同外務委員長、日本自由党政調会外務部長、同渉外部長、民主自由党総務などを務めた[2][3]。その後、第26回第27回総選挙に立候補したがいずれも次点で落選した[6]

その他、三洋商会監査役、図書印刷取締役などを務めた[3][4]

脚注

  1. ^ 衆議院『第九十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1946年、2頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『新訂 政治家人名事典』113頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』130頁。
  4. ^ a b c d 『人事興信録 第15版 上』ク21頁。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』135、137頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』138頁。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会
先代
仲内憲治
日本の旗 衆議院外務委員長 次代
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