豊楽寺
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(豊楽寺薬師堂から転送)
国宝 薬師堂 | |
所在地 | 高知県長岡郡大豊町寺内314 |
位置 | 北緯33度47分31.5秒 東経133度43分37.6秒 / 北緯33.792083度 東経133.727111度座標: 北緯33度47分31.5秒 東経133度43分37.6秒 / 北緯33.792083度 東経133.727111度 |
山号 | 太田山 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 薬師如来 |
創建年 | 伝・724年(神亀元年) |
開基 | 伝・行基、聖武天皇(勅願) |
正式名 | 大田山 大願院 豊楽寺 |
別称 | 柴折薬師 |
札所等 | 日本三大薬師 |
文化財 |
薬師堂(国宝) 薬師如来坐像、薬師如来及び両脇侍像・二天王像、阿弥陀如来坐像(国の重要文化財) |
法人番号 | 1490005005151 |
豊楽寺(ぶらくじ)は高知県長岡郡大豊町にある真言宗智山派の仏教寺院。山号は大田山。大田山大願院豊楽寺と号する。本尊は薬師如来。別名は柴折薬師で、日本三大薬師[1]の一つに数えられる。薬師堂は国宝に指定されている。
歴史
[編集]724年(神亀元年)、吉野川北岸の険しい丘に聖武天皇の勅願所として行基が開創したと伝わる。寺号は聖武天皇が薬師本願経説の一節「資求豊足身心安楽」より名付けたとされる。
伽藍
[編集]- 薬師堂
- 瑠璃光殿
- 大師堂
- 庫裏
文化財
[編集]国宝
[編集]- 薬師堂
- 12世紀頃(平安時代末期 - 鎌倉時代初期)建立の四国最古の建造物。入母屋造り、柿葺き、単層、桁行(正面)5間、梁間(側面)5間(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す)。内陣に如来像3体を安置。1952年に国宝指定。堂正面は中央3間を観音開きの板扉、両端間は連子窓に横板壁とする。側面は前端間を板扉とするほか横板壁、背面はすべて横板壁である。組物は舟肘木、垂木は疎垂木で全体に簡素な構えとする。堂内安置の薬師如来像の胎内に仁平元年(1151年)の年記とともに「五間四面薬堂造立」云々の記があり(「薬堂」は薬師堂の意)、これが薬師堂の建立時期を指すとも考えられる。建築史家の太田博太郎は、本建物の内陣(方3間)が、建物の中心ではなく後方寄りに設けられていること、内陣の柱と側柱(建物外周の柱)の柱筋が食い違っていることなどから、本建物の建立時期は平安時代までは上がらず、鎌倉時代初期とみている[2]。いずれにしても、四国における現存最古級の建築である。
重要文化財(国指定)
[編集]- 木造薬師如来坐像 - 像高131.5cm[3]。、薬師堂内陣中央に安置、平安時代後期
- 木造薬師如来及び両脇侍像・二天王立像 - 中尊薬師如来坐像の像高133.5cm、薬師堂内陣向かって右に安置、平安時代後期。寺伝では釈迦如来像であるが、像内の銘文から、元来は薬師如来像として仁平元年(1151年)に作られたものであり、この像が本来の薬師堂本尊であったことがわかる。両脇侍像と二天王像は2010年に追加指定された。
- 木造阿弥陀如来坐像 - 像高131.5cm、薬師堂内陣向かって左に安置、平安時代後期
拝観情報
[編集]周辺情報
[編集]脚注
[編集]- ^ 寺の説明板では、他に愛知県新城市の鳳来寺、福島県いわき市の常福寺となっている
- ^ 『国史大辞典』(吉川弘文館)第12巻、p.343
- ^ 像高は久野健編『仏像巡礼事典 新訂版』(山川出版社、1994)による
参考文献
[編集]- 『週刊朝日百科 日本の国宝 26』朝日新聞社、1997(豊楽寺の解説は岡本健児)
- 高知県高等学校教育研究会歴史部会/編 『高知県の歴史散歩』 山川出版社/刊 2006年 103-105ページ
- 大豊町文化財保護審議会/編『大豊の史蹟と文化財』大豊町教育委員会/刊 2005年
関連項目
[編集]外部リンク
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