コンテンツにスキップ

荒川強啓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あらかわ きょうけい
荒川 強啓
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 北海道札幌市[1]
生年月日 (1946-05-16) 1946年5月16日(78歳)
最終学歴 東北学院大学法学部法律学科
所属事務所 オフィス・トゥー・ワン
職歴山形放送アナウンサー
活動期間 1969年4月 -
ジャンル 報道・情報
公式サイト 所属事務所によるプロフィール
出演番組・活動
出演経歴おはよう!ナイスデイ
JNNニュースの森
荒川強啓 デイ・キャッチ!』など

荒川 強啓(あらかわ きょうけい、1946年5月16日[2] - )は、日本フリーアナウンサーラジオパーソナリティオフィス・トゥー・ワン所属。元山形放送アナウンサー。

来歴・人物

[編集]

北海道札幌市出身[1]仙台高等学校東北学院大学法学部法律学科卒業[3]フジテレビ、地元の北海道放送(HBC)、山形放送(YBC)を受験した結果、YBCのみ合格[3]

大学卒業後の1969年4月、YBCにアナウンサーとして入社[4]1975年には、才能を持つ地方のDJを発掘する『飛び出せ!全国DJ諸君』でDJ賞を受賞。1982年に同社退社後、フリーアナウンサーへ転身、当初はフジテレビで活躍していた。

1985年に自身の番組を持つも1年で打ち切りにする上層部のやり方に腹を立て、その後はTBSテレビ・ラジオ)で活躍するようになる[5]1986年4月から1989年3月まではラジオパーソナリティを、1989年4月から1994年9月まではテレビの報道キャスターを務めた。1994年10月に、TBSの新社屋・ビッグハットが完成したのを機に、ラジオパーソナリティに戻る。1995年3月から開始したTBSラジオの報道情報番組『荒川強啓 デイ・キャッチ!』のメインパーソナリティを、2019年3月29日(6250回)まで24年にわたり務めた。

同番組終了直後の2019年4月15日には、『大竹まこと ゴールデンラジオ』(文化放送)に、また2019年4月17日には『Skyrocket Company』(TOKYO FM)に、さらに2019年4月18日には『DAYS』(ニッポン放送)に初めてゲスト出演した。

また、2019年8月以降のスペシャルウィーク期間中に、文化放送で『荒川強啓 ナイトキャッチ』という報道系の特別番組のパーソナリティを務めている。『荒川強啓 ナイトキャッチ~老後資金問題を考える~』として放送された初回(同年8月29日)では、『デイ・キャッチ!』時代のコメンテーター陣から、青木理小西克哉をゲストに迎えていた。

吉永小百合とプロ野球横浜DeNAベイスターズの大ファンである。ベイスターズファン代表としてのテレビ出演も多く、1998年の日本一の時は歓喜していた。また、『月刊ベイスターズ』(現在は休刊)2007年9月号よりコラム「BAY・キャッチ」を担当していた。アンチ巨人でもある。

野村克也美輪明宏声真似が得意で、『荒川強啓 デイ・キャッチ!』でしばしば披露していた[6]

出演番組

[編集]

過去(山形放送)

[編集]
  • まるほんヤングナイト
  • ダイナミックサタデー2:00

過去(フリー転身後)

[編集]

報道・情報番組

期間 番組名 役職
1982年4月1日 1985年3月29日 おはよう!ナイスデイフジテレビ 司会
1985年4月1日 1986年3月28日 荒川強啓のらくらくTOKIO(フジテレビ)
1989年4月 1990年3月 テレポート6TBS メインキャスター
1990年4月 1993年3月 JNNニュースの森(TBS) 平日メインキャスター
1993年4月 1994年9月 ビッグモーニング(TBS) 総合司会

バラエティ・ラジオ番組・その他

映画

[編集]

関連項目

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b 荒川強啓”. allcinema. 2020年3月17日閲覧。
  2. ^ a b 野村宏平、冬門稔弐「5月16日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、134頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  3. ^ a b c d DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、20頁。
  4. ^ 荒川強啓”. OFFICE TWO-ONE. 2020年3月17日閲覧。
  5. ^ なおYBCラジオはTBSラジオをキー局とするJRNに加盟している
  6. ^ 6月19日 #11 放送後記”. 荒川強啓 デイ・キャッチ!(TBSラジオ)番組オフィシャルサイト (2011年6月19日). 2015年7月17日閲覧。

外部リンク

[編集]