真福寺 (岡崎市)

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真福寺
真福寺 (岡崎市).jpg
参道
所在地 愛知県岡崎市真福寺町薬師山6
位置 北緯35度0分19.84秒
東経137度11分8.86秒
座標: 北緯35度0分19.84秒 東経137度11分8.86秒
山号 霊鷲山(りょうじゅせん)靈鷲山
院号 降劒院
宗派 天台宗
本尊 水体薬師如来
創建年 伝・推古天皇2年(594年
開基 伝・聖徳太子物部真福(願主)
正式名 霊鷲山降劒院真福寺
靈鷲山降劒院眞福寺
別称 三河薬師
札所等 三河白寿十八観音9番
三河国准四国八十八箇所70番
東海四十九薬師霊場36番
文化財 木造慈恵大師坐像(重要文化財)
塑造仏頭(県文化財)
法人番号 3180305000170
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境内の紅葉
多宝塔(室町時代)
仁王門
慈恵大師坐像(重要文化財)

真福寺(しんぷくじ)は愛知県岡崎市真福寺町薬師山にある天台宗の寺院。山号は霊鷲山(りょうじゅせん)。詳しくは霊鷲山降劒院真福寺と称する。通称・三河薬師。本尊は水体薬師と通称する薬師如来竹膳料理で知られる。岡崎観光きらり百選に選定されている。

歴史[編集]

伝承では聖徳太子建立46か寺の一とされ、推古天皇2年(594年)、物部守屋の子の物部真福(まさち)が願主となって建立したという。また『聖徳太子伝古今目録抄』でも、物部真福が父物部守屋のために真福寺を建立したとされる[1]

聖徳太子建立のことは伝承の域を出ないが、当寺には奈良時代にさかのぼる塑像の頭部が伝来しており、創建はかなり古く、真福寺東谷遺跡の寺院跡は三河最古の古代寺院跡とされる[2]。かつては物部氏氏寺とされる北野廃寺が移転してきたものと考えられていたが、発掘調査により現在では否定されている[3]。真福寺東谷遺跡からは建物跡や、白鳳時代の北野廃寺系瓦塔須恵器陶器などが見つかっている[4]

仁平元年(1151年)に全山焼失した。現存する仁王門などは明応3年(1494年)に復興したものである。

文化財[編集]

重要文化財[編集]

  • 木造慈恵大師(じえだいし)坐像 - 「慈恵大師」「元三大師」として信仰を集める良源の肖像。文永11年(1274年)、仏師法橋□快の銘がある。「法橋」の後の一字はチョウ(「大」の下に「周」)と読む説もある。

愛知県指定有形文化財[編集]

  • 塑造仏頭 - 奈良時代。江戸時代に本堂内から発見された。仁平元年(1151年)の火災で焼け残った仏像の頭部と推定され、真福寺の当初の本尊ではないかとも言われている。

岡崎市指定文化財[編集]

所在地[編集]

愛知県岡崎市真福寺町薬師山6

交通アクセス[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『聖徳太子伝古今目録抄』
  2. ^ 「岩津」日本大百科全書(ニッポニカ)
  3. ^ 小嶋廣也「西尾市古新田遺跡出土瓦の再検討」(財)愛知県教育サービスセンター愛知県埋蔵文化財センター 2004.3
  4. ^ [1]
  5. ^ a b c d e f g 岡崎市指定文化財目録”. 岡崎市. 2013年5月29日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]