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「数河高原」の版間の差分

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'''数河高原'''(すごうこうげん)とは、[[岐阜県]][[飛騨市]][[古川町]]数河(旧:[[吉城郡]]古川町数河)の[[集落]]に位置する[[高原]]地帯{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=421}}。集落は[[国道41号]]沿いに位置し、飛騨市の中心部からは約13&nbsp;[[キロメートル|km]]離れている<ref name="数河辺地">{{Cite web|url=http://www.city.hida.gifu.jp/img/data/gian/h30-02/gian30.pdf|title=議案第30号 数河辺地に係る公共的施設の総合整備計画の策定について|accessdate=2021-05-16|publisher=飛騨市|date=2018-02-26|format=PDF|website=飛騨市公式ウェブサイト|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210516142047/http://www.city.hida.gifu.jp/img/data/gian/h30-02/gian30.pdf|archivedate=2021-05-16}}</ref>。気象条件は[[日本海側気候]]に属し<ref name="数河辺地"/>、真夏の平均気温は20[[セルシウス度|℃]]前後と、冷涼な気候である<ref name="SUGO">{{Cite web|url=http://sugo-kougen.com/know/|title=SUGOを知る|accessdate=2021-05-13|publisher=数河高原観光協会|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210513160107/http://sugo-kougen.com/know/|archivedate=2021-05-13}}</ref>。[[飛騨国|飛騨]]地域でも屈指の[[豪雪地帯]]で<ref name="岐阜新聞2021-02-15"/>、年間累積[[降雪|降雪量]]は10&nbsp;[[メートル|m]]を超える<ref name="高山こくどうニュースレター"/>。


一帯は夏の[[避暑地]]として知られ<ref name="数河について">{{Cite web|url=https://hida-sugo.com/about/|title=数河について|accessdate=2021-05-12|publisher=株式会社 数河未来開発|website=飛騨数河|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210512135657/https://hida-sugo.com/about/|archivedate=2021-05-12}}</ref>、[[観光地]]{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=421}}・[[リゾート]]地として開発されているほか、[[ラグビー]]の合宿地としても知られている<ref name="中日新聞1988-08-17"/>。[[2012年]](平成24年)には、[[第67回国民体育大会|ぎふ清流国体]]のラグビーフットボール会場となった<ref>{{Cite web|url=https://www.kankou-gifu.jp/kyouiku/spot/3850/|title=教育観光スポット > 数河高原ラグビー合宿・大会|accessdate=2021-05-16|publisher=[[一般社団法人]] 岐阜県観光連盟|website=[https://www.kankou-gifu.jp/ ぎふの旅ガイド]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210516124541/https://www.kankou-gifu.jp/kyouiku/spot/3850/|archivedate=2021-05-16}}</ref>。
'''数河高原'''(すごうこうげん)とは、[[岐阜県]][[飛騨市]]古川町に位置する高原地帯。一帯は飛騨市の[[観光地]]、リゾート地のひとつである。


本項目では、数河高原の位置する'''古川町数河'''(ふるかわちょうすごう)や、付近に位置する国道41号の'''数河峠'''(すごうとうげ)についても併せて解説する。
標高がおよそ 1,000m あり、夏は[[避暑地]]としても知られている。また、周辺にはゴルフ場やスキー場、キャンプ場、温泉、ホテルなど施設が充実しており、年間を通してスポーツを楽しむことができる。近年は高速道路の開通などによりアクセスが容易になりつつある。


== 周辺施設 ==
== 地理 ==
'''数河'''(すごう)は、[[古川国府盆地|古川盆地]]の北部に位置し{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=421}}、[[神通川|宮川]]の一次[[支川]]である'''戸市川'''{{Efn2|戸市川は、[[一級水系|一級河川]]・[[神通川]](宮川)水系の川<ref name="岐阜県河川調書">{{Cite report|和書|language=ja|date=2021-04-01|url=https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/248397.pdf#page=29|title=河川調書|format=PDF|publisher=岐阜県|page=27|accessdate=2021-05-22|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210522150722/https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/248397.pdf#page=29|archivedate=2021-05-22}}</ref>。河川延長は約8,500&nbsp;m<ref name="岐阜県河川調書"/>、[[流域面積]]は20.5&nbsp;[[平方キロメートル|km{{sup|2}}]]{{Sfn|岐阜県|2014|p=23}}。上流端は古川町数河の府県野・小島で<ref name="河川大事典"/>、飛騨市内で宮川に合流する{{Sfn|岐阜県|2014|p=4}}。}}{{Sfn|岐阜県|2014|p=23}}(といちがわ)<ref name="岐阜県河川調書"/><ref name="河川大事典">{{Cite book|和書|title=河川大事典|publisher=(編集・発行)[[日外アソシエーツ]]株式会社、(発売元)株式会社[[紀伊國屋書店]]|date=1991-02-21|page=659|url=https://www.nichigai.co.jp/cgi-bin/nga_search.cgi?KIND=BOOK2&ID=A1017|edition=第1版第1刷|isbn=978-4816910173|NCID=BN05929061}}</ref>源流部の山間小盆地にある集落で、'''上数河'''と'''下数河'''に区分される{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=1229}}。このうち、高原上に位置する地区が上数河である{{Sfn|平凡社|1980|p=1006}}。北は流葉山{{Efn2|流葉山は、旧神岡町と旧宮川村の境に位置する山{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=542}}。}}{{Sfn|平凡社|1980|p=1005}}(ながれはやま、[[標高]]1,423&nbsp;m{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=542}})から{{Sfn|平凡社|1980|p=1005}}、高山(こうやま、標高1,336&nbsp;m<ref name="look">{{Cite web|url=http://sugo-kougen.com/look/|title=sugoを見る|accessdate=2021-05-13|publisher=数河高原観光協会|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210228034711/http://sugo-kougen.com/look/|archivedate=2021-02-28}}</ref>)への[[尾根]]で{{Sfn|平凡社|1980|p=1005}}、旧[[宮川村 (岐阜県)|宮川村]]に接する{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=1229}}。東は旧[[神岡町 (岐阜県)|神岡町]]に接している{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=1229}}。
* [[飛騨ハイランド]](ゴルフ場、スキー場、飛騨数河温泉)

* [[スターシュプール緑風リゾートひだ流葉]](スキー場)
標高は約900 - 1,000&nbsp;mで、[[シラカンバ|シラカバ]]が自生している{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=421}}。集落の面積は縦25[[町 (単位)|町]]{{Efn2|25町=2,727.27&nbsp;[[メートル|m]]。}}・横1町56[[間]]{{Efn2|1町56間=210.91&nbsp;m。}}<ref name="斐太後風土記"/>。[[高山市|高山]]への距離は6[[里]]12町<ref name="斐太後風土記"/>(国道41号経由で約28&nbsp;km)<ref name="アクセス"/>。かつては笋([[チシマザサ|根曲笹]]の[[タケノコ|筍]]){{Efn2|name="タケノコ"|『斐太後風土記』によれば、毎春に1,500貫(約6[[トン]])のタケノコが数河から産出され、「菅生筍」として現在の高山市、飛騨市(古川町・神岡町)などで販売されていた記録がある<ref name="中日新聞2016-08-18"/>。昭和30年代ごろまでは多く採られていたが、若者の流出や会社勤めの住民が増加したことにより、生産量が減少していた<ref name="中日新聞2016-08-18"/>。}}と菅の筵{{Sfn|平凡社|1980|p=1005}}、ないし農業を生業としていた村だったが、[[1968年]](昭和43年)に地内を通過する国道41号が開通{{Efn2|name="R41開通"|国道41号は1966年(昭和41年)3月1日に[[一般国道]]として指定され{{Sfn|岐阜県戦後50年世相史|1994|p=802}}、1968年11月22日に全通した{{Sfn|岐阜県戦後50年世相史|1994|p=287}}。}}して以降、主に[[中京圏|中京]]地区の資本により、[[スキー場]]が進出するなど、観光・レジャー基地として開発が進められ、観光地として発展していった{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=421}}。「'''飛騨の[[軽井沢]]'''」と呼ばれる場合もある<ref>{{Cite journal|和書|journal=[[國文學]] 解釈と教材の研究|author=[[臼田甚五郎]]|year=1969|title=猿聟 民俗文学の探訪(9)|volume=14|page=174|month=01|issue=1|publisher=[[學燈社|学燈社]]|DOI=10.11501/8099223|ISSN=0452-3016}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=食はず女房その他|publisher=[[おうふう|桜楓社]]|year=1972|page=92|author=臼田甚五郎|ASIN=B000J95VYW}}</ref>{{Sfn|ふるさと神岡を語る会|2004|p=2}}。
* [[パルクすごう]](閉鎖したスキー場)

「数河」の地名は「[[菅生]]」で、かつてこの地の[[湿原#低層と高層|高層湿原]]に茂っていた[[スゲ属|菅]]{{Sfn|平凡社|1980|p=1005}}と、冬に山で取れる[[シナノキ|科の木]]の皮で、菅[[莚]]を作ることを本業にしていたことに由来している{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=421}}。この数河以外にも、神岡町(現:飛騨市)や[[益田郡]][[馬瀬村]](現:[[下呂市]])にも「数河」という名前の村(後の大字)があった{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=421}}。

=== 数河峠 ===
{{Ja_Route_Sign|41|align=left}}'''{{ウィキ座標|36|18|09.0|N|137|13|19.7|E||数河峠}}'''(すごうとうげ)は、国道41号(旧古川町と旧神岡町の境)にある[[峠]]<ref name="中日新聞2001-08-06">『中日新聞』2001年8月6日朝刊岐阜県版岐阜「【岐阜県】国道41号数河峠 長い下り坂ブレーキ利きにくく トラック横転事故多発 県警 過積載など取り締まり」(中日新聞社)</ref>(標高896&nbsp;m)<ref>『中日新聞』1998年11月18日朝刊飛騨版「【岐阜県】除雪車など10台試運転 高山国道工事事務所 雪シーズンに備える」(中日新聞社)</ref>。[[国道41号]]最大の難所である<ref name="中日新聞2001-08-06"/>。かつては道幅6[[尺]](約1.8&nbsp;m)程度で路面状況も悪かったが、国道としての供用に伴い、飛騨地方における南北の幹線道路としての役割を果たすようになった{{Sfn|ふるさと神岡を語る会|2004|p=2}}。

古川町市街地との標高差は約400&nbsp;mで<ref name="中日新聞1999-02-06">『中日新聞』1999年2月6日朝刊岐阜総合面17頁「【岐阜県】99年ぎふ 現場から 今冬の大雪や寒波で路面変化 凍結、圧雪でスリップ事故多発 飛騨地方 地元ドライバーも目立つ スタッドレスタイヤ、四駆 過信や誤解は禁物 要注意の峠道 対策に頭悩ます警察」(中日新聞社 高山支局・上條憲也)</ref>、約20&nbsp;kmにわたり、急勾配(6&nbsp;[[パーミル|‰]])の[[つづら折り|ヘアピンカーブ]]が続く<ref name="中日新聞2001-08-06"/>。特に、高山方面に向かって長い下り坂が続くため、スピードの出し過ぎ{{Efn2|長い下り坂で過熱したブレーキが利きにくくなったことによる事故が多かった<ref name="中日新聞2001-08-06"/>。}}などによる重大[[交通事故|事故]]が多発し<ref>『中日新聞』2001年7月20 日朝刊飛騨総合面21頁「【岐阜県】事故に気をつけ気を付けて 古川署 数河峠に交通指導所」(中日新聞社)</ref>、冬場の積雪時には、大型車([[タイヤチェーン]]未装着)によるスリップ事故{{Efn2|スリップ事故は凍結状態の坂道で多発していた<ref name="中日新聞1999-02-06"/>。}}<ref name="中日新聞1999-02-06"/>・立ち往生<ref>『[[朝日新聞]]』2006年2月14日中部朝刊岐阜版全県第一地方面31頁「大型車立ち往生、相次ぐ 記録的大雪、飛騨地方の峠道 目立つチェーン未装着/岐阜県」([[朝日新聞名古屋本社]]・高山支局 村瀬信也)</ref>や、カーブでの横転事故なども発生している<ref>『中日新聞』1999年5月22日朝刊飛騨版「【岐阜県】交通事故多発現場を視察し危険個所点検 古川署など」(中日新聞社)</ref>。また、事故が発生すると[[レッカー車|レッカー]]作業のため、道路を[[通行止め]]にする必要があり、他の車への影響も非常に大きかった<ref name="中日新聞1999-02-06"/>。そのため、[[岐阜県警察]]の交通企画課や<ref name="中日新聞2001-08-06"/>、地元の[[飛騨警察署|古川・神岡の両警察署(いずれも現在の飛騨警察署)]]、[[中部地方整備局|高山国道工事事務所]]により<ref>『中日新聞』2000年8月26日朝刊飛騨総合面19頁「【岐阜県】運輸業者招いて対策会議 古川、神岡両署 数河峠の大型車両事故多発で」(中日新聞社)</ref>、速度違反・過積載の取り締まりや注意喚起、警戒標識・看板の設置などといった安全対策が重点的に取られていた<ref name="中日新聞2001-08-06"/>。また、[[2010年代]]以降も[[歩道]]<ref>{{Cite web|url=https://www.cbr.mlit.go.jp/takayama/syoukai/pdf/h23/H23_1117_toichi.pdf|title=お知らせ 歩道を使って快適に通行 飛騨市古川町数河地内 歩道整備工事|accessdate=2021-05-16|publisher=国土交通省 中部地方整備局|date=2010-04-28|format=PDF|website=「高山国道事務所」公式ホームページ|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210516124342/https://www.cbr.mlit.go.jp/takayama/syoukai/pdf/h22/h22_0428.pdf|archivedate=2021-05-16}}</ref>・[[登坂車線]]の整備<ref name="高山こくどうニュースレター">{{Cite web|url=https://www.cbr.mlit.go.jp/takayama/syoukai/pdf/news/takayama_nr2311.pdf|title=『高山こくどうニュースレター』2011年11月号「冬季の交通難所である数河峠の登坂車線が降雪前に供用」|accessdate=2021-05-14|publisher=[[国土交通省]] [[中部地方整備局]]|author=高山国道事務所|date=2011-11|format=PDF|website=[https://www.cbr.mlit.go.jp/takayama/ 「高山国道事務所」公式ホームページ]|pages=1-2|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210514113859/https://www.cbr.mlit.go.jp/takayama/syoukai/pdf/news/takayama_nr2311.pdf|archivedate=2021-05-14}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.cbr.mlit.go.jp/takayama/syoukai/pdf/h23/H23_1117_toichi.pdf|title=お知らせ 冬期の交通難所である数河峠の登坂車線が降雪前に開通 ~飛騨市古川町戸市において登坂車線が繋がります~|accessdate=2021-05-14|publisher=国土交通省 中部地方整備局|date=2011-11-17|format=PDF|website=「高山国道事務所」公式ホームページ|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210514113246/https://www.cbr.mlit.go.jp/takayama/syoukai/pdf/h23/H23_1117_toichi.pdf|archivedate=2021-05-14}}</ref>や、峠手前の路面(登坂車線と走行車線)の塗り分け(色彩心理の応用){{Efn2|数河峠手前(古川町戸市)のヘアピンカーブ2か所では、高山方面から来た車が峠道を上る途中、減速が不十分でカーブを曲がり切れずに起こす事故が多かった<ref name="中日新聞2010-03-08"/>。そこで、飛騨警察署の交通課長が登坂車線を緑、走行車線を赤に舗装し、車を登坂車線に誘導して速度を落とさせようと提案し、実現した試みである<ref name="中日新聞2010-03-08"/>。}}といった安全対策がなされている<ref name="中日新聞2010-03-08">『中日新聞』2010年3月8日朝刊岐阜県版14頁「安心 危険 塗り分け 国道41号で飛騨署 色彩心理を応用 無事故へ効果期待」(中日新聞社 記者:平野誠也)</ref>。

[[2018年]]([[平成]]30年)7月7日正午ごろに国道41号で大規模な土砂崩れが発生し<ref>『中日新聞』2018年7月8日朝刊岐阜県版10頁「県内初の大雨特別警報 長引く避難「不安」 古川の国道41号 土砂崩れ相次ぐ」(中日新聞社)</ref>、周辺の山から土砂10,000&nbsp;[[立方メートル|m{{sup|3}}]]が流入したことで、一時通行不能になった{{Efn2|登坂車線を含めた復旧は約1か月後<ref name="中日新聞2019-07-29"/>。}}<ref name="中日新聞2019-07-29">『中日新聞』2019年7月29日朝刊岐阜県版12頁「豪雨災害復旧状況 数河住民に説明会 古川で国など」(中日新聞社 記者:横田浩𤋮)</ref>。その後、2019年([[令和]]元年)6月には、国が道路脇にコンクリート製の土砂流出防止枠を設置したり、県が崩落部分に谷止め工を行ったりした<ref name="中日新聞2019-07-29"/>。

== 歴史 ==
[[江戸時代]]は[[飛騨国]]吉城郡小島郷の'''数河村'''で、[[天正]]14年([[1586年]])から[[金森氏]]領になり、[[元禄]]5年([[1692年]])以降は[[天領|幕府領]]になった{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=421}}。[[1771年]]([[明和]]8年)に木地挽を雇い入れようとし、下流5村{{Efn2|野口村・末真村・岩丸村・戸市村{{Sfn|平凡社|1980|p=1005}}・西村{{Sfn|平凡社|1980|p=1006}}。}}と争いとなったが、最終的には数河村側が譲歩することで決着した{{Sfn|平凡社|1980|p=1006}}。[[1844年]]([[天保]]15年)には、数河村など6村が山内打込[[惣村|惣]]入会維持の証文を取り交わしている{{Sfn|平凡社|1980|p=1006}}。

[[1875年]]([[明治]]8年)に、数河村が[[細江村]]の大字'''数河組'''となり、[[1889年]](明治22年)には細江村大字数河となった{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=421}}。さらに[[1956年]](昭和31年)4月1日、細江村が(旧)古川町・[[小鷹利村]]と合併して(新)古川町が発足した<ref>{{Cite book|和書|title=令和元年 岐阜県統計書|publisher=(編集・発行)岐阜県環境生活部統計課|date=2020-07|url=https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/204926.pdf#page=5|format=PDF|chapter=1 土地・気象 > 5 市町村廃置分合改称等の沿革|accessdate=2021-05-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201125081323/https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/204926.pdf#page=5|archivedate=2021-05-13}} - 岐阜県ホームページの「[https://www.pref.gifu.lg.jp/page/62494.html 岐阜県統計書 令和元年]」より閲覧可能。</ref>ことに伴い、古川町大字数河となった{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=421}}。[[2004年]]([[平成]]16年)2月1日には、古川町が同じ吉城郡の[[河合村 (岐阜県吉城郡)|河合村]]・宮川村・神岡町と合併し、[[飛騨市]]が誕生<ref>{{Cite web|url=https://www.soumu.go.jp/gapei/hensen_gihu.html|title=市町村合併資料集 > 市町村名逆引き一覧(平成11年3月31日時点の市町村名がどう変わるか) (岐阜県)|accessdate=2021-04-09|publisher=[[総務省]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210409152047/https://www.soumu.go.jp/gapei/hensen_gihu.html|archivedate=2021-04-09}}</ref>したことに伴い、数河も「古川町数河」から「飛騨市古川町数河」となっている<ref>{{Cite web|url=https://www.city.hida.gifu.jp/uploaded/attachment/2487.pdf|title=町字名新旧対照表(古川町)|accessdate=2021-04-09|publisher=飛騨市|format=PDF|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210409152342/https://www.city.hida.gifu.jp/uploaded/attachment/2487.pdf|archivedate=2021-04-09}}</ref>。

数河は江戸時代から[[明治]]・[[大正|大正時代]]にかけ、隣村との交流がほとんどない[[陸の孤島]]で、道路状態が悪かったために車が使えず、大きな荷物は馬につけて運んでいた{{Sfn|ふるさと神岡を語る会|2004|p=1}}。

=== 観光地としての歴史 ===
[[1960年]]([[昭和]]35年)には神岡町流葉山一帯、宮川村ニコイ高原とともに[[奥飛騨数河流葉県立自然公園]]に指定された{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=421}}。1963年(昭和38年)には[[奥飛観光開発]]([[名古屋鉄道|名鉄]]系企業)による「'''数河高原スキー場'''」が営業を開始し<ref name="読売新聞1999-12-19"/>、1973年(昭和48年)には[[スキー場]]・[[ゴルフ場]]・[[ホテル]]を併設した「'''飛騨ハイランド'''」(経営:飛騨ハイランド観光)が設立された<ref name="中日新聞2005-12-16">『中日新聞』2005年12月16日朝刊飛騨版18頁「スキー場営業は宿泊客に限定へ 飛騨ハイランド」(中日新聞社 記者:島崎諭生)</ref>。スキー場の開発を草分けに、[[民宿]]が付随して発展していき<ref name="中日新聞1988-08-17">『中日新聞』1988年8月17日朝刊岐阜第二総合面「“ラグビーの数河”定着 合宿、年々2、3000人増 メッカ菅平に追いつけ追い越せ」(中日新聞社)</ref>、1968年の国道41号開通<ref group="注" name="R41開通"/>以降、観光地として栄えた{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=421}}。

また、藤井清喜(ふじい せいき){{Efn2|1998年には、藤井の功績を称えて彼の胸像が建てられている<ref name="藤井清喜">『朝日新聞』2002年6月14日中部朝刊岐阜第二面31頁「藤井清喜(ふじい・せいき)さん 県ラグビーフットボール協会副会長(ひと) /岐阜」(朝日新聞名古屋本社・高山支局)</ref>。}}<ref name="藤井清喜"/>([[1979年]]当時:岐阜県[[ラグビー|ラグビーフットボール]]協会副理事長)が冷涼な気候に着目し、1979年(昭和54年)5月に数河高原の民宿3軒のオーナーに対し、ラグビー合宿地としての受け入れを要請<ref name="中日新聞2003-08-18">『[[中日新聞]]』2003年8月18日朝刊岐阜県版16頁「2003 ぎふ 現場から数河からラグビーの灯消すな 古川 人気低下響きチーム減少 合宿受け入れ25年 ことしは86チーム 『常連』大切に 芝生管理や食事充実図る」([[中日新聞社]] 記者:斉藤泰宏)</ref>。民宿側も冬場のスキー客だけでなく、閑散期となる夏場の固定客を確保するため、藤井からの申し出を受けて手作りのラグビー場を整備するなどしたほか、古川町もグラウンド5面を建設するなど、受け入れに積極的に協力した<ref name="中日新聞2003-08-18"/>。そのような受け入れ策が実り、[[大阪]]・[[京都]]の強豪チームや[[四国]]・[[九州]]などの遠方のチームなども合宿に訪れるようになり、ラグビーのメッカとされていた[[菅平高原|菅平]]([[長野県]])に倣い「'''岐阜の菅平'''」の名が定着するようになった<ref name="中日新聞1988-08-17"/>。

[[1990年代]]ごろまでは冬の[[スキー]]客や、夏の(高校・大学)ラグビー[[部活動|部]]の合宿からの需要が高かった<ref name="中日新聞2003-10-04">『中日新聞』2003年10月4日朝刊岐阜総合面29頁「楽市楽座 中身濃い自然体験を提供」(中日新聞社)</ref>が、数河峠の交通量は[[1978年]](昭和53年)をピークに減少<ref name="中日新聞1990-07-25">『中日新聞』1990年7月25日夕刊二面2頁「ひと・ゆうかんさろん・人/ 高原の魅力高め 人の流れ数河へ」(中日新聞社)</ref>。また、[[東海北陸自動車道]]や[[安房峠道路]]の開通による交通の流れの変化に加え<ref name="中日新聞1990-07-25"/>、スキー人口の減少や{{Efn2|スキー人口は[[1980年代]]後半からのスキーブームを契機に増加し、「[[ロマンスの神様]]」([[広瀬香美]])がヒットした[[1993年]](平成5年)にピーク(1,860万人)を迎えたが、以降は減少傾向にあり、2011年は630万人に減少している<ref name="中日新聞2013-01-11"/>。}}<ref name="中日新聞2000-01-16">『中日新聞』2000年1月16日朝刊岐阜総合面23頁「2000 ぎふ 現場から スキー客なぜ増えない? 飛騨地方の関係者はため息 アクセス問題あり サービスPR不足 人口拡大策も課題」(中日新聞社 高山支局・有川正俊)</ref>、奥[[美濃国|美濃]]地方{{Efn2|東海北陸自動車道の飛騨地方延伸(1999年11月)以降はスキー客の増加が期待されたが、実際には飛騨地方よりアクセスの良い奥美濃地方に客が流れていた<ref name="中日新聞2000-01-16"/>。}}・[[富山県]]内のスキー場との競合のあおりを受け<ref name="中日新聞2002-11-29"/>、[[2003年]](平成15年)3月23日には「パルクすごうスキー場」(旧:数河高原スキー場)が営業を終了<ref name="中日新聞2003-03-24"/>。加えて、[[2000年代]]にはラグビー人気低下の影響を受け<ref name="中日新聞2003-08-18"/>、合宿に訪れるラグビーチームの減少などにも悩まされるようになった<ref name="中日新聞2003-10-04"/>ほか、過疎化や農業の低迷が進み<ref name="中日新聞2006-11-09">『中日新聞』2006年11月9日朝刊飛騨版16頁「『お助け水』使いワサビ栽培 古川・数河 地元住民 地域おこしに利用 料理を開発し特産品に」(中日新聞社 記者:島崎諭生)</ref>、[[田|休耕田]]も増加するようになった<ref>『中日新聞』2008年4月8日朝刊飛騨版16頁「名産に育てワサビ 古川 数河の生産組合、初の収穫」(中日新聞社 記者:古池康司)</ref>。

2000年代以降は、[[グリーンツーリズム]]の開催や<ref name="中日新聞2003-10-04"/>、地元の休耕田で栽培・収穫した[[ソバ]]を用いた「数河そば」の提供<ref>『毎日新聞』2009年4月25日中部朝刊岐阜地方版18頁「数河そば:飛騨にこだわる男性、念願の開店へ 過疎化、高齢化進む古川町で /岐阜」([[毎日新聞中部本社]]・岐阜支局 記者:奈良正臣)</ref>、「お助け水」と呼ばれる[[湧水]]{{Efn2|「お助け水」とは、高山(こうやま)の中腹<ref name="look"/>(洞穴)<ref name="朝日新聞2006-12-10"/>から下数河に湧き出る湧水<ref name="look"/>。水温12℃<ref name="look"/>の軟水<ref name="朝日新聞2006-12-10"/>。かつて日照りに困っていた村人たちが高山の山頂で雨乞いをしたところ、雨の代わりに湧き出したという伝承があり、地元住民だけでなく、遠方([[東濃]]地方・[[名古屋市|名古屋]]方面)から汲みに来る者もいる<ref name="look"/>。2004年ごろから、[[木村飲料]]が「お助け水」を加工したミネラルウォーターを「飛騨湧水」の商品名で販売している<ref name="朝日新聞2006-12-10">『朝日新聞』2006年12月10日中部朝刊岐阜版全県第一地方面31頁「「お助け水」で育てワサビ 飛騨市の住民ら、名水活用 地域おこしに期待 /岐阜県」(朝日新聞名古屋本社・高山支局 山内明)</ref>。}}を用いた休耕田での[[ワサビ]]{{Efn2|ワサビは(2006年から)20年ほど前には数河地区の各地に自生していたが、乱獲のためかほとんど採れない状態になっていた<ref name="朝日新聞2006-12-10"/>。}}栽培<ref name="中日新聞2006-11-09"/>、特産品であるタケノコ<ref group="注" name="タケノコ"/>を加工した[[缶詰]]「飛騨 菅生(すがふ)竹の子」の販売など、[[地域おこし]]に力を入れている<ref name="中日新聞2016-08-18">『中日新聞』2016年8月18日朝刊飛騨版12頁「名産タケノコもう一度 古川・数河地区の住民ら 缶詰考案 地域おこし目指す」(中日新聞社 記者:浜崎陽介)</ref>。

=== 数河高原スキー場 ===
'''数河高原スキー場'''は、奥飛観光開発が1963年に営業を開始したスキー場で<ref name="読売新聞1999-12-19"/>、1993年時点で「スノーランドすごうスキー場」に改称していた<ref>『中日新聞』1993年1月18日朝刊岐阜総合面11頁「【岐阜県】声援受け大回転誓う 古川 すごうジュニアスキー大会」(中日新聞社)</ref>。標高約1,000&nbsp;m<ref name="毎日新聞1999-12-19"/>、全長1,500&nbsp;m(2コース)、面積約20&nbsp;[[ヘクタール|ha]]<ref name="中日新聞2002-11-29"/>m、雪質はパウダースノー<ref name="毎日新聞1999-12-19"/>。営業期間は12月中旬 - 3月末で<ref>{{Cite book|和書|title='91オールスキー場完全ガイド|publisher=[[立風書房]]|date=1990-10-30|page=458|edition=第1刷発行|series=立風ベストムック|isbn=978-4651855097|ncid=BN12312141|id={{国立国会図書館書誌ID|000000061404}}|quote=すごう高原スキー場}}</ref>、ファミリーやスノーボーダー向けのスキー場だった{{Efn2|スキー以外の[[ウィンタースポーツ|スノースポーツ]](スノーボード・スノーモービル・4輪バギーなど)も可能だった<ref name="毎日新聞1999-12-19"/>。}}<ref name="中日新聞2002-11-29"/>。[[1995年]](平成7年)には、本格的な[[ハーフパイプ]]([[スノーボード]]専用コース:全長100&nbsp;m・斜度13.3[[度 (角度)|°]])を新設し、同シーズンは入場者数が過去最高(56,000人)を記録した<ref>『中日新聞』1996年12月7日朝刊飛騨版「【岐阜県】古川のスノーランドすごう 14日にオープンへ 関係者ら集い安全祈願祭」(中日新聞社)</ref>。

名古屋{{Efn2|1985年(昭和60年)ごろには、[[名鉄バスセンター]]から毎日21時にスキー場への直行バスが運転されていた<ref>{{Cite book|和書|title='86オールスキー場完全ガイド|publisher=立風書房|date=1985-11-01|page=380|edition=第1刷発行|isbn=978-4651855097|id={{国立国会図書館書誌ID|000001779723}}|quote=数河高原スキー場}}</ref>。}}をはじめ、[[岐阜市]]や[[北陸地方|北陸]]方面からの家族連れや、若者でにぎわっていた<ref name="毎日新聞1999-12-19">『毎日新聞』1999年12月19日中部朝刊岐阜地方版「「町の活性化に必要」しにせスキー場が再出発--古川町、地元業者引き継ぐ /岐阜」(毎日新聞中部本社・岐阜支局 記者:奈良正臣)</ref>が、その後はスキー客の大幅な減少が続き{{Efn2|「スノーランド」時代は年間約26,000人の利用者がいたが<ref name="中日新聞2002-11-29"/>、奥飛観光開発の撤退直前の入場客数は10,000人台([[バブル景気|バブル期]]の3分の1程度)と低迷していた<ref name="読売新聞1999-12-19"/>。}}、[[1999年]](平成11年)秋には奥飛観光開発が経営から撤退<ref name="毎日新聞1999-12-19"/>。スキー場周辺の宿泊施設(約20件)にとって、撤退は死活問題であることから、地元のスキー場存続を望む声は強く、奥飛観光開発や古川町・数河高原観光協会による協議の結果、地元の民宿経営会社が営業を継承することになった{{Efn2|奥飛観光開発は町の仲介を受け<ref name="毎日新聞1999-12-19"/>、リフト(2基)・レストラン・無料休憩所などの施設を、すべて無償で民宿経営会社に貸与していた<ref name="読売新聞1999-12-19"/>。}}<ref name="毎日新聞1999-12-19"/>。古川町からリフトなどの[[固定資産税]]補填分として、年間250万円の補助を受け<ref name="中日新聞2002-11-29"/>、1999年12月18日以降は<ref name="読売新聞1999-12-19">『読売新聞』1999年12月19日中部朝刊岐阜第二地方面29頁「古川・数河高原スキー場の“灯”守る 大手撤退 地元企業が経営引き継ぐ=岐阜」(読売新聞中部本社)</ref>、数河高原観光協会の経営する「パルクすごうスキー場」として営業していたが、その後も客足は低迷{{Efn2|毎週月曜日に女性や子供のリフト料金を無料とするなどの営業施策で誘客を目指したが<ref name="毎日新聞1999-12-19"/>、1999年度の利用者は約9,400人、2001年度は(大雪により伸び悩み)約8,500人<ref name="中日新聞2002-11-29"/>。}}<ref name="中日新聞2002-11-29">『中日新聞』2002年11月29日朝刊岐阜総合面25頁「『パルクすごう』今季限り 古川のスキー場 観光努力も客足伸びず 「新市」内に5スキー場 町村合併で影響必至?」(中日新聞社)</ref>。年間約250万円の赤字が続いたことや、古川町の飛騨市への合併(2004年2月)後、市内の他のスキー場との競合が予想されたことから<ref name="中日新聞2002-11-29"/>、2003年3月23日限りで営業を終了し{{Efn2|「パルクすごう」としてのリニューアル当時は3年間様子見する予定だったが、1年間営業を延長し、地元の旅館などの支援で不リフト設置・イベントなどを続けていた<ref name="中日新聞2002-11-29"/>。}}、閉鎖した<ref name="中日新聞2003-03-24">『中日新聞』2003年3月24日朝刊広域岐阜版16頁「スキー客 名残惜しむ 古川の「パルクすごう」 利用減り最後の営業」(中日新聞社)</ref>。

閉鎖後の2005年(平成17年)以降、地元の有志らがスキー場跡地などを用い、[[スノーモービル]]を一般客に貸与する「数河モービルランド」を運営している<ref>『中日新聞』2005年2月23日朝刊東濃総合面17頁「モービル、雪原疾走 閉鎖スキー場で貸します 飛騨」(中日新聞社 記者:島崎諭生)</ref>。また、旧駐車場(国道41号沿い)に「タンナカ高原の水」の無料水汲み場が設置されている<ref name="富山新聞2008-09-15"/>。

=== 飛騨ハイランド ===
'''飛騨ハイランド'''は、{{ウィキ座標|36|17|22.14|N|137|12|15.28|E||飛騨市古川町数河80-1}}<ref name="飛騨ハイランド">{{Cite web|url=https://travel.rakuten.co.jp/ski/290/|title=飛騨ハイランド・スキー場|accessdate=2021-05-16|publisher=[[楽天グループ|楽天]]|website=[[楽天トラベル]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210516125213/https://travel.rakuten.co.jp/ski/290/|archivedate=2021-05-16}}</ref>に所在していたリゾート施設である。2021年現在は'''飛騨数河リゾート&カントリークラブ'''(ゴルフ場<ref name="飛騨数河カントリークラブ">{{Cite web|url=https://www.hidasugo.jp/|title=飛騨数河リゾート&カントリークラブ|accessdate=2021-05-13|publisher=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210513141024/https://www.hidasugo.jp/|archivedate=2021-05-13}}</ref>・[[別荘]]地<ref>{{Cite web|url=https://hidasugo.jp/villa/|title=飛騨数河リゾート別荘地|accessdate=2021-05-13|publisher=飛騨数河リゾート&カントリークラブ|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210513141403/https://hidasugo.jp/villa/|archivedate=2021-05-13}}</ref>、温泉施設<ref>{{Cite web|url=https://www.hidasugo.jp/facilities/|title=施設ご案内|accessdate=2021-05-13|publisher=飛騨数河リゾート&カントリークラブ|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210513141600/https://www.hidasugo.jp/facilities/|archivedate=2021-05-13}}</ref>)として営業している。

1973年に開設され、積雪時にはスキー場、非積雪時にはゴルフ場として運営されていた<ref name="中日新聞2005-12-16"/>が、スキー場は併設する「飛騨ハイランドホテル」宿泊客以外の利用者が少なかったことから、2005年 - 2006年シーズン以降は同ホテルの宿泊客だけを対象に営業していた<ref name="中日新聞2005-12-16"/>。その後、[[世界金融危機 (2007年-2010年)|景気悪化]]の影響で来場者数が落ち込み、資金繰りが悪化したことから、運営会社の「飛騨ハイランド観光」が[[2010年]](平成22年)3月17日付で[[東京地方裁判所|東京地裁]]に[[民事再生法]]の適用を申請<ref name="中日新聞2010-03-20">『中日新聞』2010年3月20日朝刊第二社会面34頁「「飛騨ハイランド」民事再生法を申請」(中日新聞社)</ref>。再生計画案に基づいて同月7月下旬に設立された新会社「飛騨数河リゾート」がゴルフ場やスキー場、ホテルなどの全事業を継承することとなり<ref>『中日新聞』2010年9月1日朝刊岐阜総合面19頁「飛騨ハイランド 再建計画案を認可 東京地裁 債権者過半数が同意」(中日新聞社 記者:平野誠也)</ref>、ゴルフ場は同年9月1日から「飛騨数河カントリークラブ」に名称を変更した<ref>{{Cite web|url=https://www.golf-view.net/top/related_new/5650|title=飛騨数河CC・関連記事|accessdate=2021-05-16|publisher=[https://www.golf-view.net/top/company 株式会社 ゴルフビュー]|year=2010|website=[https://www.golf-view.net ゴルフ会員権の公開市場「G-OPEN」]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210516130225/https://www.golf-view.net/top/related_new/5650|archivedate=2021-05-16}}</ref>。なお、スキー場は[[2011年]](平成23年)以降、[[修学旅行]]生のみに利用を限定し<ref name="中日新聞2013-01-11">『中日新聞』2013年1月11日朝刊飛騨版16頁「ウオッチひだ 飛騨地域のスキー場事情 “厳冬経営”企画で打開 雪山ハイクやリフト無料化」(中日新聞社)</ref>、「飛騨ハイランドホテル」は同年時点で廃業している<ref>{{Cite web|url=http://www.city.hida.gifu.jp/uploaded/attachment/1799.pdf|title=道路網構想研究会資料 > 平成23年 飛騨市観光客入り込み数 (平成24年2月 プレス発表資料)|accessdate=2021-05-18|publisher=飛騨市観光課|date=2012-02|format=PDF|website=飛騨市公式ウェブサイト|page=2|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210518112040/http://www.city.hida.gifu.jp/uploaded/attachment/1799.pdf|archivedate=2021-05-18}} - 集計期間は2011年(1月 - 12月)で、「飛騨ハイランドホテルが廃業」と記載されている。</ref>。

=== タンナカ高原の水 ===
タンナカ高原(宮川町種蔵)<ref name="岐阜新聞2021-02-15">{{Cite news|title=隠れた名水「タンナカ高原の水」の秘密 飲むと「違い分かる」体調改善の声も|newspaper=[[岐阜新聞]]|date=2021-02-15|url=https://www.gifu-np.co.jp/news/20210215/20210215-44891.html|publisher=岐阜新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210215052023/https://www.gifu-np.co.jp/news/20210215/20210215-44891.html|archivedate=2021年2月15日}}</ref><!--<ref>『読売新聞』2011年11月6日東京朝刊富山版地方面29頁「飛騨の湧き水「糖尿病の薬の効果促進」 元富山大客員教授が調査=富山」([[読売新聞北陸支社]])</ref>-->は、[[富山県]][[富山市]]で「森井歯科医院」を経営する森井徹雄が所有する高原地帯(標高1,000 - 1,300&nbsp;m){{Sfn|森井歯科医院}}で、[[落葉広葉樹林|落葉広葉樹]]([[ブナ]]・シラカバ・[[トチノキ|トチ]]・[[ミズナラ]]など)による[[天然林|自然林]]が広がっている<ref>{{Cite web|url=http://www.okuhidagensui.com/?mode=f3|title=タンナカ高原|accessdate=2021-05-14|publisher=宮川興産株式会社|website=奥飛騨原水 宮川興産株式会社 【公式サイト】|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210514125824/http://www.okuhidagensui.com/?mode=f3|archivedate=2021-05-14}}</ref>。林道脇の岸壁(標高1,200&nbsp;m)から湧き出る湧水は、'''奥飛騨原水'''<ref name="中日新聞2006-06-20"/>、'''タンナカ高原の水'''<ref name="岐阜新聞2021-02-15"/>、'''高原水'''<ref name="数河について"/>と呼ばれる。

この湧水は、弱アルカリ性の[[軟水]]で、[[ミネラル]]([[カルシウム]]・[[カリウム]]など)が多く含まれる<ref name="岐阜新聞2021-02-15"/>。この水は、タンナカ高原に降った雨や雪解け水が<ref name="地酒蔵"/>、[[先カンブリア時代]]の[[地層]]である「飛騨[[片麻岩]]」の地層<ref>{{Cite web|url=http://www.trust-k-koubou.com/okuhidagensuinotokuchou.pdf|title=《奥飛騨原水の特徴》|accessdate=2021-05-14|publisher=[http://www.trust-k-koubou.com/ トラストK工房]|format=PDF|page=2|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210514125630/http://www.trust-k-koubou.com/okuhidagensuinotokuchou.pdf|archivedate=2021-05-14}}</ref>に染み込み、数百年 - 数千年以上後に湧出したものである<ref name="地酒蔵">{{Cite web|url=https://www.jizake-japan.com/item/j0902mya-okhd-p/|title=秘境の地“タンナカ高原”で発見された 数千年とも言われる時を経て湧出した奇跡の水 奥飛騨原水 宮川興産 岐阜県|accessdate=2021-05-14|publisher=[https://www.jizake-japan.com/inf/inf-company.html 株式会社 未来堂]|website=ぎふの銘酒を厳選 飛騨美濃 地酒蔵|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210514125423/https://www.jizake-japan.com/item/j0902mya-okhd-p/|archivedate=2021-05-14}}</ref>。

上馬場和夫([[帝京平成大学]]東洋医学研究所[[教授]] / 元[[富山大学]]和漢医薬額総合研究所客員教授)や森井らによる調査の結果、[[抗酸化物質|抗酸化作用]]の可能性が示唆されている<ref>{{Cite journal|和書|journal=第14回日本補完代替医療学会学術集会 アンチエイジングとEBM プログラム・抄録集|author=上馬場和夫|author2=金杰|author3=森井徹雄|year=2011|title=タンナカ高原の湧水による血糖低下薬の効果増強作用|page=65|month=11|url=http://www.jcam-net.jp/data/pdf/14040.pdf|publisher=日本補完代替医療学会|format=PDF|accessdate=2021-05-14}}</ref>ほか、抗[[糖尿病]]効果([[インスリン]]分泌促進薬の効果増強)が確認されている<ref>{{Cite journal|和書|journal=第16回日本補完代替医療学会学術集会 機能性食品とエイジング プログラム・抄録集|author=上馬場和夫|author2=森井徹雄|year=2013|title=タンナカ高原の湧水による血糖低下薬の効果増強作用 その2その2|page=85|month=11|url=http://www.jcam-net.jp/data/pdf/16047.pdf|publisher=日本補完代替医療学会|format=PDF|accessdate=2021-05-14}}</ref>。

2005年(平成17年)からは、この水を加熱殺菌したものがミネラルウォーターとして販売されているほか、2006年(平成18年)には水源地の地主である森井が、旧「パルクすごうスキー場」駐車場<ref name="中日新聞2006-06-20"/>(国道41号沿い)<ref name="富山新聞2008-09-15">『[[富山新聞]]』2008年9月15日県内総合面「タンナカの天然水 人気 無料開放、1日に300人 国道41号沿い 富山の森井さん」([[北國新聞|北國新聞社]]富山支局)</ref>に無料の水汲み場(約3.5&nbsp;km離れた水源地からパイプで導水)を設置<ref name="中日新聞2006-06-20">『中日新聞』2006年6月20日朝刊飛騨版16頁「宮川のわき水 数河峠に水くみ場 土地所有者や地元民 水源からパイプ敷設 無料開放」(中日新聞社 記者:島崎諭生)</ref>。県内外から多くの人が水を汲みに訪れているほか、高山市の酒造店がこの水を使った[[日本酒]](深山菊「奥飛騨原水仕込み ひやおろし」)を秋の限定酒として販売し、人気を博している<ref name="中日新聞2018-02-02">{{Cite news|title=【岐阜】古川に人呼ぶ湧き水 地権者の森井さん「どんどん利用して」|newspaper=中日新聞|date=2018-02-02|author=浜崎陽介|url=https://tabi.chunichi.co.jp/odekake/180202odekake_2.html|accessdate=2021-05-14|publisher=中日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210514122330/https://tabi.chunichi.co.jp/odekake/180202odekake_2.html|archivedate=2021年5月14日}}</ref>。

== 世帯数と人口 ==
2015年[[国勢調査]]によれば、[[世帯]]数は71世帯で、[[人口]]は176人である<ref name="jinko2015">{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00200521&bunya_l=02&tstat=000001080615&cycle=0&tclass1=000001094495&tclass2=000001094520&stat_infid=000031522102&cycle_facet=tclass1%3Acycle&tclass3val=0|title=平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2017-01-27|accessdate=2019-03-23|language=ja}}</ref>。

=== 人口の変遷 ===
人口の推移(平成以降は国勢調査による)<!--- 10人あたり1pxでグラフ作成しています。--->。1995年・2000年は吉城郡古川町数河、2005年以降は飛騨市古川町数河である。
{|
|-
|[[1788年]]([[天明]]8年){{Efn2|男性133人+女性104人(家数62){{Sfn|平凡社|1980|p=1005}}。}}
|style="text-align:right"|237人||{{Sfn|平凡社|1980|p=1005}}
|<div style="width:46.3px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|[[1773年]]([[安永]]2年){{Efn2|男性136人+女性95人(家数63){{Sfn|平凡社|1980|p=1005}}。}}
|style="text-align:right"|231人||{{Sfn|平凡社|1980|p=1005}}
|<div style="width:46.3px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|[[1975年]]([[昭和]]50年){{Efn2|101世帯{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=1229}}。世帯・人口など統計上の数字は、原則として昭和50年の国勢調査を基本としている{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=8}}。}}
|style="text-align:right"|445人||{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=1229}}
|<div style="width:46.3px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|[[1995年]](平成7年){{Efn2|男性156人+女性167人(94世帯)<ref name="jinko1995"/>。}}
|style="text-align:right"|323人||<ref name="jinko1995">{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00200521&bunya_l=02&tstat=000001064072&cycle=0&tclass1=000001064137&tclass2=000001064130&stat_infid=000023630218&cycle_facet=cycle&tclass3val=0|title=平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 - 町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2014-03-28|accessdate=2021-05-13|language=ja}}</ref>
|<div style="width:46.3px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|[[2000年]](平成12年){{Efn2|男性142人+女性134人(100世帯)<ref name="jinko2000"/>。}}
|style="text-align:right"|276人||<ref name="jinko2000">{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&query=%E5%B2%90%E9%98%9C%E7%9C%8C%E3%80%80%E5%B0%8F%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E9%9B%86%E8%A8%88&layout=dataset&toukei=00200521&bunya_l=02&year=20000&stat_infid=000025137737&metadata=1&data=1|title=平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 - 町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2014-05-30|accessdate=2021-05-13|language=ja}}</ref>
|<div style="width:43.4px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|[[2005年]](平成17年){{Efn2|男性117人+女性115人(86世帯)<ref name="jinko2005"/>。}}
|style="text-align:right"|232人||<ref name="jinko2005">{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&query=%E5%B2%90%E9%98%9C%E7%9C%8C%20%E5%B0%8F%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E9%9B%86%E8%A8%88&layout=dataset&toukei=00200521&bunya_l=02&tstat=000001007251&cycle=0&stat_infid=000025513888&cycle_facet=cycle&metadata=1&data=1|title=平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 - 町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2014-06-27|accessdate=2021-05-13|language=ja}}</ref>
|<div style="width:42.4px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|[[2010年]](平成22年){{Efn2|男性96人+女性95人(75世帯)<ref name="jinko2000"/>。}}
|style="text-align:right"|191人||<ref name="jinko2010">{{Cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&query=%E5%B2%90%E9%98%9C%E7%9C%8C%20%E5%B0%8F%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E9%9B%86%E8%A8%88&layout=dataset&toukei=00200521&bunya_l=02&tstat=000001039448&cycle=0&stat_infid=000012671729&cycle_facet=cycle&metadata=1&data=1|title=平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 - 町丁・字等|publisher=総務省統計局|date=2012-01-20|accessdate=2021-05-13|language=ja}}</ref>
|<div style="width:47.6px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|-
|[[2015年]](平成27年){{Efn2|男性94人+女性71人<ref name="jinko2015"/>。}}
|style="text-align:right"|176人||<ref name="jinko2015"/>
|<div style="width:46.6px;height:10px;background:#9999ff"></div>
|}

== 農業 ==
村高は[[元禄検地]]の際は106[[石 (単位)|石]]余(反別49町9[[反]]余)、[[安永]]検地の際は129石余{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=421}}、『[[天保郷帳|飛騨国郷帳]]』によれば129石8[[斗]]1[[升]]3[[合]]<ref>{{Cite book|和書|title=飛騨国郷帳|publisher=[[江戸幕府]]|year=1834|page=25|url=https://www.digital.archives.go.jp/gallery/0000000361|series=[[天保郷帳]]|accessdate=2021-05-13}} - [[国立公文書館]]デジタルアーカイブより。コマ番号25の見開き右側に「数河村」の記述がある。</ref>。

江戸時代 - [[明治]]時代はタケノコ<ref group="注" name="タケノコ"/>が最大の産物だった<ref name="中日新聞2016-08-18"/>。『斐太後風土記』([[大正]]4 - 5年)によれば、[[米]]15石・[[ヒエ]]125石{{Efn2|1773年(安永2年)の村明細帳によれば、田14町4反余はすべて稗田で、焼き畑は5町9反余とされている{{Sfn|平凡社|1980|p=1005}}。}}・[[オオムギ|大麦]]10石・[[コムギ|小麦]]5石・[[ダイズ|大豆]]20石・[[アワ]]7石2斗・ソバ8石・[[アサ|麻]]36[[貫|貫目]]・大[[繭]]20貫目・小繭100貫目([[生糸]]600目)などを生産していた<ref name="斐太後風土記">{{Cite book|和書|title=斐太後風土記 下|publisher=[[大日本地誌大系]]刊行会|year=1916|pages=24-25|author=富田礼彦|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952769/20|series=大日本地誌大系|volume=第13巻|doi=10.11501/952769}}</ref>。特産品は猿頭木・菅莚・タケノコ<ref group="注" name="タケノコ"/>など{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=421}}。また、栃・[[クリ|栗]]・[[ナラ|楢]]などの実を夫食として重用していた{{Sfn|平凡社|1980|p=1006}}。

== 学区 ==
小学校は[[飛騨市立古川西小学校]]、中学校は[[飛騨市立古川中学校]]の通学区域で、数河地区からは両校への[[スクールバス]]が運転されている<ref>{{Cite web|url=http://www.school-hida.jp/furukawachu/htdocs/?action=common_download_main&upload_id=1486|title=古川スクールバス運行ダイヤ表 3号車 数河線 夏季 (4/1~11/30)|accessdate=2021-05-17|publisher=飛騨市教育委員会|date=2020-03-31|format=PDF|website=[[飛騨市立古川中学校]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210225045636/http://www.school-hida.jp/furukawachu/htdocs/?action=common_download_main&upload_id=1486|archivedate=2021-05-17}}</ref>。かつて[[古川町立数河小学校]]<ref name="古川西小"/>・[[古川町立数河中学校]]<ref name="古川中"/>があったが、前者は[[1969年]]度(昭和44年度)に古川西小学校へ統合され<ref name="古川西小">{{Cite web|url=http://www.school-hida.jp/furunishisho/htdocs/?action=common_download_main&upload_id=124|title=学校沿革史|accessdate=2021-05-17|publisher=飛騨市教育委員会|format=PDF|website=[[飛騨市立古川西小学校]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210226072205/http://www.school-hida.jp/furunishisho/htdocs/?action=common_download_main&upload_id=124|archivedate=2021-05-17}}</ref>、[[廃校]]になった{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=421}}。また、後者も[[1966年]](昭和41年)4月に古川中学校と統合され<ref name="古川中">{{Cite web|url=http://www.school-hida.jp/furukawachu/htdocs/?action=common_download_main&upload_id=29|title=沿革|accessdate=2021-05-17|publisher=飛騨市教育委員会|format=PDF|website=飛騨市立古川中学校|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210517054620/http://www.school-hida.jp/furukawachu/htdocs/?action=common_download_main&upload_id=29|archivedate=2021-05-17}}</ref>、廃校になっている<ref>{{Cite web|url=hthttp://www.school-hida.jp/furukawachu/htdocs/|title=沿革|accessdate=2021-05-17|publisher=飛騨市教育委員会|website=飛騨市立古川中学校|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210517111342/http://www.school-hida.jp/furukawachu/htdocs/|archivedate=2021-05-17}}</ref>。

== 文化 ==
{{OSM Location map
| coord = {{coord|36.2971|137.2068}} | zoom = 13
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| caption = 略地図 | auto-caption = 1
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| mark-coord1 = {{coord|36|17|47.96|N|137|11|14.17|E}}
| mark-title1 = 松尾白山神社
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| mark-coord2 = {{coord|36|17|47.51|N|137|11|49.75|E}}
| mark-title2 = 高山建築学校
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| mark-coord3 = {{coord|36|17|46.73|N|137|11|51.46|E}}
| mark-title3 = 白山神社(宮田白山神社)
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| mark-coord4 = {{coord|36|18|2.3|N|137|12|16.2|E}}
| mark-title4 = 数河高原ラグビー場(天然芝)
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| mark-coord5 = {{coord|36|17|22.14|N|137|12|15.28|E}}
| mark-title5 = 飛騨数河カントリークラブ
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| mark-coord6 = {{coord|36|17|55.7|N|137|12|52.7|E}}
| mark-title6 = 数河除雪センター
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| mark-coord7 = {{coord|36|17|58.39|N|137|13|2.18|E}}
| mark-title7 = 旧ドライブイン数河
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| mark-coord8 = {{coord|36|18|4.56|N|137|13|10.27|E}}
| mark-title8 = 「タンナカ高原の水」無料水汲み場(旧:数河高原スキー場駐車場)
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| mark-coord9 = {{coord|36|18|09.0|N|137|13|19.7|E}}
| mark-title9 = 数河峠
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}}

'''数河獅子'''(すごうじし)<ref name="数河獅子"/>と'''般若踊'''(はんにゃおどり)<ref name="般若踊">{{Cite web|url=https://www.pref.gifu.lg.jp/page/6844.html|title=般若踊[はんにゃおどり]|accessdate=2021-05-13|publisher=岐阜県|website=岐阜県公式ホームページ|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210513143028/https://www.pref.gifu.lg.jp/page/6844.html|archivedate=2021-05-13}}</ref>が伝承され、いずれも岐阜県の[[重要無形民俗文化財]]に指定されている{{Sfn|平凡社|1980|p=1006}}。数河獅子は、上数河の白山神社<ref name="数河獅子2"/>(宮田白山神社)<ref name="数河獅子">{{Cite web|url=https://www.pref.gifu.lg.jp/page/6843.html|title=数河獅子[すごうじし]|accessdate=2021-05-13|publisher=岐阜県|website=岐阜県公式ホームページ|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210513143040/https://www.pref.gifu.lg.jp/page/6843.html|archivedate=2021-05-13}}</ref>と、下数河の松尾白山神社で、毎年[[9月5日]]に1年交替で[[奉納]]される[[獅子舞]]で<ref name="数河獅子"/>、豊穣への感謝を込めて行われる祭りである<ref name="数河獅子2">{{Cite web|url=https://www.hida-kankou.jp/event/1337/|title=イベント > 数河獅子|accessdate=2021-05-13|publisher=飛騨市|website=[https://www.hida-kankou.jp/ 飛騨市公式観光サイト「飛騨の旅」]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210513143028/https://www.hida-kankou.jp/event/1337/|archivedate=2021-05-13}}</ref>。その起源は、[[大宝 (日本)|大宝]]年間([[701年]] - [[704年]])に数河に住んでいた[[新羅]]の僧が、獅子が乱れる姿を獅子舞にしたものを後世に残し、[[17世紀]]に現代の姿になったものとされている<ref name="読売新聞2000-09-06">『[[読売新聞]]』2000年9月6日中部朝刊岐阜地方版28頁「秋の訪れ 歓喜の数河獅子 古川の松尾白山神社に奉納=岐阜」([[読売新聞中部支社|読売新聞中部本社]])</ref>。

般若踊は、[[般若経]]を広めるために踊られたと伝えられており、緩やかで素朴な踊りが特徴である<ref name="般若踊"/>。

== 施設 ==
スキー場・[[キャンプ場]]・[[ゴルフ場]]・[[フィールドアスレチック]]・[[遊歩道]]などの[[レジャー]]施設が整備されている{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=421}}。また、付近に[[スターシュプール緑風リゾートひだ流葉|ひだ流葉スキー場]](神岡町)がある<ref>{{Cite web|url=http://www.chuokai-gifu.or.jp/sugo/ski/index.html|title=スキー・スノーボード|accessdate=2021-05-16|publisher=数河高原観光協会|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210516131009/http://www.chuokai-gifu.or.jp/sugo/ski/index.html|archivedate=2021-05-16}}</ref>。
* 白山神社<ref name="白山神社">{{Cite web|url=http://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=1310|title=白山神社|accessdate=2021-05-13|publisher=岐阜県神社庁|website=岐阜県神社庁公式ホームページ|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210513144517/http://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=1310|archivedate=2021-05-13}}</ref>(宮田白山神社)<ref name="数河獅子"/> - 上数河の神社<ref name="数河獅子"/><ref name="数河獅子2"/>{{Sfn|平凡社|1980|p=1006}}。所在地は{{ウィキ座標|36|17|46.73|N|137|11|51.46|E||飛騨市古川町数河字宮田1776番地}}、主祭神は[[イザナミ|伊邪那美命]]<ref name="白山神社"/>。
* [[高山建築学校]] - 所在地は{{ウィキ座標|36|17|47.51|N|137|11|49.75|E||飛騨市古川町数河1792番地}}<ref>{{Cite web|url=http://tass20xx.web.fc2.com/|title=高山建築学校|accessdate=2021-05-16|publisher=高山建築学校|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210516123048/http://tass20xx.web.fc2.com/|archivedate=2021-05-16}}</ref>。
* 松尾白山神社<ref name="松尾白山神社">{{Cite web|url=http://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=1311|title=松尾白山神社|accessdate=2021-05-13|publisher=岐阜県神社庁|website=岐阜県神社庁公式ホームページ|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210513144440/http://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=1311|archivedate=2021-05-13}}</ref> - 下数河の神社<ref name="数河獅子"/><ref name="数河獅子2"/>{{Sfn|平凡社|1980|p=1006}}。所在地は{{ウィキ座標|36|17|47.96|N|137|11|14.17|E||飛騨市古川町数河字宮廻2621番地}}、主祭神は[[大山咋神]]<ref name="松尾白山神社"/>。
* グラウンド6面([[芝|天然芝]]3面+[[人工芝]]ラグビー場1面+クレーグラウンド1面など) - ラグビーのほか、[[アメリカンフットボール]]、[[ソフトボール]]、[[サッカー]]、[[テニス]]、[[ラクロス]]などのスポーツで利用できる<ref name="SUGO"/>。
** 「平成グランド」(天然芝・150&nbsp;m×85&nbsp;m)<ref name="SUGO"/>は[[名古屋グランパスエイト]]([[Jリーグ]])の合宿でも用いられている<ref>『中日新聞』1997年5月18日朝刊飛騨総合面23頁「【岐阜県】古川でグランパス一軍合宿 来月9日から14日 地元有志がグラウンド整備」(中日新聞社)</ref>。1995年(平成7年)6月には古川町に、岐阜県内で唯一となる<ref>『中日新聞』1995年7月11日朝刊飛騨版「【岐阜県】グランパスエイト飛騨校開校で記念試合 古川でユースが熱戦」(中日新聞社)</ref>「名古屋グランパスエイトJrユース飛騨校」が開校している<ref>{{Cite book|和書|title=実践 そこにしかない地域経営|publisher=(発行所)時事通信出版局、(発売)[[時事通信社]]|date=2008-01-20|page=206|author=福田志乃|edition=初版}}</ref>。
* 飛騨数河リゾート&カントリークラブ<ref name="飛騨数河カントリークラブ">{{Cite web|url=https://www.hidasugo.jp/|title=飛騨数河リゾート&カントリークラブ|accessdate=2021-05-13|publisher=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210513141024/https://www.hidasugo.jp/|archivedate=2021-05-13}}</ref>
* {{ウィキ座標|36|17|55.7|N|137|12|52.7|E||数河除雪センター}}([[国土交通省]][[中部地方整備局]] 高山国道事務所)<ref>{{Cite web|url=https://www.cbr.mlit.go.jp/takayama/syoukai/pdf/h25/h25_1022.pdf|title=お知らせ 飛騨地域の除雪準備が完了!飛騨地区除雪出発式を開催します。|accessdate=2021-05-16|publisher=国土交通省 中部地方整備局|date=2013-10-22|format=PDF|website=「高山国道事務所」公式ホームページ|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210516122847/https://www.cbr.mlit.go.jp/takayama/syoukai/pdf/h25/h25_1022.pdf|archivedate=2021-05-16}}</ref>
* 旧[[ドライブイン]]数河 - 所在地は飛騨市古川町数河8-3<ref name="ロケ地"/>。1970年(昭和45年)に開設<ref name="中日新聞1990-07-25"/>。国道41号沿い(数河峠の頂上付近)にあったドライブインだが、付近の道路網の整備によって交通量・利用客が減少し<ref name="ロケ地">{{Cite web|url=https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/164399.pdf|title=岐阜県ロケ受け入れ場所のご紹介 旧ドライブイン数河(岐阜県飛騨市)|accessdate=2021-05-13|publisher=岐阜県|format=PDF|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210513161239/https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/164399.pdf|archivedate=2021-05-13}}</ref>、[[2019年]](令和元年)10月14日限りで閉店<ref name="ドライブイン数河">{{Cite web|url=http://www.satobei.com/|title=飛騨・数河峠のドライブイン ドライブイン数河(すごう)[公式ページ]|accessdate=2021-05-13|publisher=ドライブイン数河|website=|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191208054431/http://www.satobei.com/|archivedate=2019-12-08}}</ref>。跡地は岐阜県商工労働部観光国際局観光企画課が管理し、施設全体([[合掌造り]]の建物など)を[[ロケーション撮影|ロケ地]]として貸し出している<ref name="ロケ地"/>。また、隣接する宿泊施設「すごうビレッジ修徒館」(飛騨市古川町数河863)<ref>{{Cite web|url=https://www.hida-kankou.jp/reserve/1000000060/|title=旅の予約 宿・航空券 > すごうビレッジ修徒館|accessdate=2021-05-13|publisher=飛騨市|website=[https://www.hida-kankou.jp/ 飛騨市公式観光サイト「飛騨の旅」]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210513162231/https://www.hida-kankou.jp/reserve/1000000060/|archivedate=2021-05-13}}</ref>は営業を継続している。
* [[国民宿舎]]飛騨高原ロッジ{{Sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980|p=1229}}

== アクセス ==
道路を利用した場合、[[飛騨清見インターチェンジ|飛騨清見IC]]([[東海北陸自動車道]])から約28&nbsp;kmの距離にある<ref name="アクセス"/>。[[飛騨古川駅]]からの所要時間はタクシーで約20分<ref name="アクセス"/>。
* [[名古屋市|名古屋]]から - 自家用車([[名神高速道路]]・東海北陸自動車道経由)で約3時間、高速バス([[ひだ高山号|高速メイヒライナー]])利用で約3時間20分、[[ひだ (列車)|特急「ワイドビューひだ」]](飛騨古川駅でタクシー乗り換え)利用で約170分<ref name="アクセス">{{Cite web|url=http://sugo-kougen.com/go/|title=sugoに行く|accessdate=2021-05-13|publisher=数河高原観光協会|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210513160204/http://sugo-kougen.com/go/|archivedate=2021-05-13}}</ref>。
* [[高山市|高山]]から - 自家用車で約40分<ref name="アクセス"/>。
* [[富山市|富山]]から - 自家用車で約1時間10分、[[高山本線|高山線]](飛騨古川駅でタクシー乗り換え)利用で約96分<ref name="アクセス"/>。
* [[東京]]から - 自家用車の場合、[[中央自動車道]]([[松本インターチェンジ|松本IC]]で下車)・[[国道158号]]・[[国道41号]]経由<ref name="アクセス"/>。[[東海道新幹線]][[のぞみ (列車)|「のぞみ」]]・特急「ワイドビューひだ」(飛騨古川駅でタクシー乗り換え)利用の場合、所要時間は約4時間20分(260分)<ref name="アクセス"/>。
* [[大阪]]から - 自家用車(名神高速道路・東海北陸自動車道経由)・特急「ワイドビューひだ」([[大阪駅]]発着便、飛騨古川駅でタクシー乗り換え)利用とも所要時間は約5時間<ref name="アクセス"/>。

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2|2}}

=== 出典 ===
{{Reflist|2}}

== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|title=岐阜県|publisher=[[角川書店]]|date=1980-09-20|ref={{SfnRef|「角川日本地名大辞典」編纂委員会編|1980}}|editor=「角川日本地名大辞典」編纂委員会 竹内理三|series=[[角川日本地名大辞典]]|isbn=978-4040012100|NCID=BA3431830X|volume=第21巻}}
* {{Cite book|和書|title=岐阜県の地名|publisher=[[平凡社]]|date=1989-07-14|page=|ref={{SfnRef|平凡社|1980}}|efitor=有限者 平凡社地方資料センター|url=https://www.heibonsha.co.jp/book/b158846.html|edition=初版第一刷|series=[[日本歴史地名大系]]|isbn=978-4582490213|NCID=BN03574227|volume=第21巻}}
* {{Cite book|和書|title=岐阜県戦後50年世相史|publisher=[[岐阜新聞|岐阜新聞社]]|date=1995-07-28|ref={{SfnRef|岐阜県戦後50年世相史|1994}}|author=(編・著)岐阜県戦後50年世相史実行委員会|isbn=978-4905958284|NCID=BN13293279|id={{国立国会図書館書誌ID|000004343434}}}}
* {{Cite book|和書|title=神岡の峠|publisher=[http://www.hidatakayama.ne.jp/tappen/ ふるさと神岡を語る会]|year=2004|ref={{SfnRef|ふるさと神岡を語る会|2004}}|url=http://www.hidatakayama.ne.jp/tappen/11.pdf|format=PDF|series=ふるさと調べ|accessdate=2021-05-15|volume=第十一集|location={{JPN}}:岐阜県飛騨市[[神岡町 (岐阜県)|神岡町]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210515090725/http://www.hidatakayama.ne.jp/tappen/11.pdf|archivedate=2021-05-15}}
* {{Cite web|url=https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/207978.pdf|title=宮川流域における総合的な治水対策プラン 改定版|accessdate=2021-04-09|publisher=岐阜県|date=2014-03|format=PDF|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210409144918/https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/207978.pdf|archivedate=2021-04-09|ref={{SfnRef|岐阜県|2014}}}}

== 関連項目 ==
* [[中央高地]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* {{Cite web|url=http://sugo-kougen.com/|title=数河高原観光協会|accessdate=2021-05-13|publisher=数河高原観光協会|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210513164856/http://sugo-kougen.com/|archivedate=2021-05-13}}
* [http://www.chuokai-gifu.or.jp/sugo/ 数河高原観光協会]
* {{Cite web|url=http://www.chuokai-gifu.or.jp/sugo/|title=サッカー ラグビー スキー スノーボードの合宿や体験学習に最適 飛騨古川すごう高原|accessdate=2021-05-13|publisher=数河高原観光協会|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190228143010/http://www.chuokai-gifu.or.jp/sugo/|archivedate=2019-02-28}}
* {{Cite web|url=http://moriishika.com/services/index.html|title=社会貢献|accessdate=2021-05-14|publisher=医療法人社団 森井歯科医院|author=森井徹雄|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210514123047/http://moriishika.com/services/index.html|archivedate=2021-05-14|ref={{SfnRef|森井歯科医院}}}} - [[富山県]][[富山市]]内の「森井歯科医院」のウェブサイト。同院を経営する院長の森井徹雄は、湧き水で知られる「タンナカ高原」の地主で、奥飛騨原水を発売する「[http://www.okuhidagensui.com/ 宮川興産株式会社]」の代表も務めている。


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2021年5月29日 (土) 15:51時点における版

古川町数河
古川町数河の位置(岐阜県内)
古川町数河
古川町数河
古川町数河の位置(日本内)
古川町数河
古川町数河
北緯36度17分54.69秒 東経137度12分58.13秒 / 北緯36.2985250度 東経137.2161472度 / 36.2985250; 137.2161472
日本の旗 日本
都道府県 岐阜県の旗 岐阜県
市町村 飛騨市
地域 古川町
面積
 • 合計 15.3[1] km2
人口
(2015年現在)
 • 合計 176人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
509-4201[2] 
市外局番 0577
ナンバープレート 飛騨

数河高原(すごうこうげん)とは、岐阜県飛騨市古川町数河(旧:吉城郡古川町数河)の集落に位置する高原地帯[3]。集落は国道41号沿いに位置し、飛騨市の中心部からは約13 km離れている[1]。気象条件は日本海側気候に属し[1]、真夏の平均気温は20前後と、冷涼な気候である[4]飛騨地域でも屈指の豪雪地帯[5]、年間累積降雪量は10 mを超える[6]

一帯は夏の避暑地として知られ[7]観光地[3]リゾート地として開発されているほか、ラグビーの合宿地としても知られている[8]2012年(平成24年)には、ぎふ清流国体のラグビーフットボール会場となった[9]

本項目では、数河高原の位置する古川町数河(ふるかわちょうすごう)や、付近に位置する国道41号の数河峠(すごうとうげ)についても併せて解説する。

地理

数河(すごう)は、古川盆地の北部に位置し[3]宮川の一次支川である戸市川[注 1][11](といちがわ)[10][12]源流部の山間小盆地にある集落で、上数河下数河に区分される[14]。このうち、高原上に位置する地区が上数河である[15]。北は流葉山[注 2][17](ながれはやま、標高1,423 m[16])から[17]、高山(こうやま、標高1,336 m[18])への尾根[17]、旧宮川村に接する[14]。東は旧神岡町に接している[14]

標高は約900 - 1,000 mで、シラカバが自生している[3]。集落の面積は縦25[注 3]・横1町56[注 4][19]高山への距離は612町[19](国道41号経由で約28 km)[20]。かつては笋(根曲笹[注 5]と菅の筵[17]、ないし農業を生業としていた村だったが、1968年(昭和43年)に地内を通過する国道41号が開通[注 6]して以降、主に中京地区の資本により、スキー場が進出するなど、観光・レジャー基地として開発が進められ、観光地として発展していった[3]。「飛騨の軽井沢」と呼ばれる場合もある[24][25][26]

「数河」の地名は「菅生」で、かつてこの地の高層湿原に茂っていた[17]と、冬に山で取れる科の木の皮で、菅を作ることを本業にしていたことに由来している[3]。この数河以外にも、神岡町(現:飛騨市)や益田郡馬瀬村(現:下呂市)にも「数河」という名前の村(後の大字)があった[3]

数河峠

国道41号標識
国道41号標識

数河峠(すごうとうげ)は、国道41号(旧古川町と旧神岡町の境)にある[27](標高896 m)[28]国道41号最大の難所である[27]。かつては道幅6(約1.8 m)程度で路面状況も悪かったが、国道としての供用に伴い、飛騨地方における南北の幹線道路としての役割を果たすようになった[26]

古川町市街地との標高差は約400 mで[29]、約20 kmにわたり、急勾配(6 )のヘアピンカーブが続く[27]。特に、高山方面に向かって長い下り坂が続くため、スピードの出し過ぎ[注 7]などによる重大事故が多発し[30]、冬場の積雪時には、大型車(タイヤチェーン未装着)によるスリップ事故[注 8][29]・立ち往生[31]や、カーブでの横転事故なども発生している[32]。また、事故が発生するとレッカー作業のため、道路を通行止めにする必要があり、他の車への影響も非常に大きかった[29]。そのため、岐阜県警察の交通企画課や[27]、地元の古川・神岡の両警察署(いずれも現在の飛騨警察署)高山国道工事事務所により[33]、速度違反・過積載の取り締まりや注意喚起、警戒標識・看板の設置などといった安全対策が重点的に取られていた[27]。また、2010年代以降も歩道[34]登坂車線の整備[6][35]や、峠手前の路面(登坂車線と走行車線)の塗り分け(色彩心理の応用)[注 9]といった安全対策がなされている[36]

2018年平成30年)7月7日正午ごろに国道41号で大規模な土砂崩れが発生し[37]、周辺の山から土砂10,000 m3が流入したことで、一時通行不能になった[注 10][38]。その後、2019年(令和元年)6月には、国が道路脇にコンクリート製の土砂流出防止枠を設置したり、県が崩落部分に谷止め工を行ったりした[38]

歴史

江戸時代飛騨国吉城郡小島郷の数河村で、天正14年(1586年)から金森氏領になり、元禄5年(1692年)以降は幕府領になった[3]1771年明和8年)に木地挽を雇い入れようとし、下流5村[注 11]と争いとなったが、最終的には数河村側が譲歩することで決着した[15]1844年天保15年)には、数河村など6村が山内打込入会維持の証文を取り交わしている[15]

1875年明治8年)に、数河村が細江村の大字数河組となり、1889年(明治22年)には細江村大字数河となった[3]。さらに1956年(昭和31年)4月1日、細江村が(旧)古川町・小鷹利村と合併して(新)古川町が発足した[39]ことに伴い、古川町大字数河となった[3]2004年平成16年)2月1日には、古川町が同じ吉城郡の河合村・宮川村・神岡町と合併し、飛騨市が誕生[40]したことに伴い、数河も「古川町数河」から「飛騨市古川町数河」となっている[41]

数河は江戸時代から明治大正時代にかけ、隣村との交流がほとんどない陸の孤島で、道路状態が悪かったために車が使えず、大きな荷物は馬につけて運んでいた[42]

観光地としての歴史

1960年昭和35年)には神岡町流葉山一帯、宮川村ニコイ高原とともに奥飛騨数河流葉県立自然公園に指定された[3]。1963年(昭和38年)には奥飛観光開発名鉄系企業)による「数河高原スキー場」が営業を開始し[43]、1973年(昭和48年)にはスキー場ゴルフ場ホテルを併設した「飛騨ハイランド」(経営:飛騨ハイランド観光)が設立された[44]。スキー場の開発を草分けに、民宿が付随して発展していき[8]、1968年の国道41号開通[注 6]以降、観光地として栄えた[3]

また、藤井清喜(ふじい せいき)[注 12][45]1979年当時:岐阜県ラグビーフットボール協会副理事長)が冷涼な気候に着目し、1979年(昭和54年)5月に数河高原の民宿3軒のオーナーに対し、ラグビー合宿地としての受け入れを要請[46]。民宿側も冬場のスキー客だけでなく、閑散期となる夏場の固定客を確保するため、藤井からの申し出を受けて手作りのラグビー場を整備するなどしたほか、古川町もグラウンド5面を建設するなど、受け入れに積極的に協力した[46]。そのような受け入れ策が実り、大阪京都の強豪チームや四国九州などの遠方のチームなども合宿に訪れるようになり、ラグビーのメッカとされていた菅平長野県)に倣い「岐阜の菅平」の名が定着するようになった[8]

1990年代ごろまでは冬のスキー客や、夏の(高校・大学)ラグビーの合宿からの需要が高かった[47]が、数河峠の交通量は1978年(昭和53年)をピークに減少[48]。また、東海北陸自動車道安房峠道路の開通による交通の流れの変化に加え[48]、スキー人口の減少や[注 13][50]、奥美濃地方[注 14]富山県内のスキー場との競合のあおりを受け[51]2003年(平成15年)3月23日には「パルクすごうスキー場」(旧:数河高原スキー場)が営業を終了[52]。加えて、2000年代にはラグビー人気低下の影響を受け[46]、合宿に訪れるラグビーチームの減少などにも悩まされるようになった[47]ほか、過疎化や農業の低迷が進み[53]休耕田も増加するようになった[54]

2000年代以降は、グリーンツーリズムの開催や[47]、地元の休耕田で栽培・収穫したソバを用いた「数河そば」の提供[55]、「お助け水」と呼ばれる湧水[注 15]を用いた休耕田でのワサビ[注 16]栽培[53]、特産品であるタケノコ[注 5]を加工した缶詰「飛騨 菅生(すがふ)竹の子」の販売など、地域おこしに力を入れている[21]

数河高原スキー場

数河高原スキー場は、奥飛観光開発が1963年に営業を開始したスキー場で[43]、1993年時点で「スノーランドすごうスキー場」に改称していた[57]。標高約1,000 m[58]、全長1,500 m(2コース)、面積約20 ha[51]m、雪質はパウダースノー[58]。営業期間は12月中旬 - 3月末で[59]、ファミリーやスノーボーダー向けのスキー場だった[注 17][51]1995年(平成7年)には、本格的なハーフパイプスノーボード専用コース:全長100 m・斜度13.3°)を新設し、同シーズンは入場者数が過去最高(56,000人)を記録した[60]

名古屋[注 18]をはじめ、岐阜市北陸方面からの家族連れや、若者でにぎわっていた[58]が、その後はスキー客の大幅な減少が続き[注 19]1999年(平成11年)秋には奥飛観光開発が経営から撤退[58]。スキー場周辺の宿泊施設(約20件)にとって、撤退は死活問題であることから、地元のスキー場存続を望む声は強く、奥飛観光開発や古川町・数河高原観光協会による協議の結果、地元の民宿経営会社が営業を継承することになった[注 20][58]。古川町からリフトなどの固定資産税補填分として、年間250万円の補助を受け[51]、1999年12月18日以降は[43]、数河高原観光協会の経営する「パルクすごうスキー場」として営業していたが、その後も客足は低迷[注 21][51]。年間約250万円の赤字が続いたことや、古川町の飛騨市への合併(2004年2月)後、市内の他のスキー場との競合が予想されたことから[51]、2003年3月23日限りで営業を終了し[注 22]、閉鎖した[52]

閉鎖後の2005年(平成17年)以降、地元の有志らがスキー場跡地などを用い、スノーモービルを一般客に貸与する「数河モービルランド」を運営している[62]。また、旧駐車場(国道41号沿い)に「タンナカ高原の水」の無料水汲み場が設置されている[63]

飛騨ハイランド

飛騨ハイランドは、飛騨市古川町数河80-1[64]に所在していたリゾート施設である。2021年現在は飛騨数河リゾート&カントリークラブ(ゴルフ場[65]別荘[66]、温泉施設[67])として営業している。

1973年に開設され、積雪時にはスキー場、非積雪時にはゴルフ場として運営されていた[44]が、スキー場は併設する「飛騨ハイランドホテル」宿泊客以外の利用者が少なかったことから、2005年 - 2006年シーズン以降は同ホテルの宿泊客だけを対象に営業していた[44]。その後、景気悪化の影響で来場者数が落ち込み、資金繰りが悪化したことから、運営会社の「飛騨ハイランド観光」が2010年(平成22年)3月17日付で東京地裁民事再生法の適用を申請[68]。再生計画案に基づいて同月7月下旬に設立された新会社「飛騨数河リゾート」がゴルフ場やスキー場、ホテルなどの全事業を継承することとなり[69]、ゴルフ場は同年9月1日から「飛騨数河カントリークラブ」に名称を変更した[70]。なお、スキー場は2011年(平成23年)以降、修学旅行生のみに利用を限定し[49]、「飛騨ハイランドホテル」は同年時点で廃業している[71]

タンナカ高原の水

タンナカ高原(宮川町種蔵)[5]は、富山県富山市で「森井歯科医院」を経営する森井徹雄が所有する高原地帯(標高1,000 - 1,300 m)[72]で、落葉広葉樹ブナ・シラカバ・トチミズナラなど)による自然林が広がっている[73]。林道脇の岸壁(標高1,200 m)から湧き出る湧水は、奥飛騨原水[74]タンナカ高原の水[5]高原水[7]と呼ばれる。

この湧水は、弱アルカリ性の軟水で、ミネラルカルシウムカリウムなど)が多く含まれる[5]。この水は、タンナカ高原に降った雨や雪解け水が[75]先カンブリア時代地層である「飛騨片麻岩」の地層[76]に染み込み、数百年 - 数千年以上後に湧出したものである[75]

上馬場和夫(帝京平成大学東洋医学研究所教授 / 元富山大学和漢医薬額総合研究所客員教授)や森井らによる調査の結果、抗酸化作用の可能性が示唆されている[77]ほか、抗糖尿病効果(インスリン分泌促進薬の効果増強)が確認されている[78]

2005年(平成17年)からは、この水を加熱殺菌したものがミネラルウォーターとして販売されているほか、2006年(平成18年)には水源地の地主である森井が、旧「パルクすごうスキー場」駐車場[74](国道41号沿い)[63]に無料の水汲み場(約3.5 km離れた水源地からパイプで導水)を設置[74]。県内外から多くの人が水を汲みに訪れているほか、高山市の酒造店がこの水を使った日本酒(深山菊「奥飛騨原水仕込み ひやおろし」)を秋の限定酒として販売し、人気を博している[79]

世帯数と人口

2015年国勢調査によれば、世帯数は71世帯で、人口は176人である[80]

人口の変遷

人口の推移(平成以降は国勢調査による)。1995年・2000年は吉城郡古川町数河、2005年以降は飛騨市古川町数河である。

1788年天明8年)[注 23] 237人 [17]
1773年安永2年)[注 24] 231人 [17]
1975年昭和50年)[注 25] 445人 [14]
1995年(平成7年)[注 26] 323人 [82]
2000年(平成12年)[注 27] 276人 [83]
2005年(平成17年)[注 28] 232人 [84]
2010年(平成22年)[注 29] 191人 [85]
2015年(平成27年)[注 30] 176人 [80]

農業

村高は元禄検地の際は106余(反別49町9余)、安永検地の際は129石余[3]、『飛騨国郷帳』によれば129石813[86]

江戸時代 - 明治時代はタケノコ[注 5]が最大の産物だった[21]。『斐太後風土記』(大正4 - 5年)によれば、15石・ヒエ125石[注 31]大麦10石・小麦5石・大豆20石・アワ7石2斗・ソバ8石・36貫目・大20貫目・小繭100貫目(生糸600目)などを生産していた[19]。特産品は猿頭木・菅莚・タケノコ[注 5]など[3]。また、栃・などの実を夫食として重用していた[15]

学区

小学校は飛騨市立古川西小学校、中学校は飛騨市立古川中学校の通学区域で、数河地区からは両校へのスクールバスが運転されている[87]。かつて古川町立数河小学校[88]古川町立数河中学校[89]があったが、前者は1969年度(昭和44年度)に古川西小学校へ統合され[88]廃校になった[3]。また、後者も1966年(昭和41年)4月に古川中学校と統合され[89]、廃校になっている[90]

文化

地図
About OpenStreetMaps
Maps: terms of use
1.5 km
9
8
7
6
5
4
3
2
1
略地図
1
松尾白山神社
2
高山建築学校
3
白山神社(宮田白山神社)
4
数河高原ラグビー場(天然芝)
5
飛騨数河カントリークラブ
6
数河除雪センター
7
旧ドライブイン数河
8
「タンナカ高原の水」無料水汲み場(旧:数河高原スキー場駐車場)
9
数河峠

数河獅子(すごうじし)[91]般若踊(はんにゃおどり)[92]が伝承され、いずれも岐阜県の重要無形民俗文化財に指定されている[15]。数河獅子は、上数河の白山神社[93](宮田白山神社)[91]と、下数河の松尾白山神社で、毎年9月5日に1年交替で奉納される獅子舞[91]、豊穣への感謝を込めて行われる祭りである[93]。その起源は、大宝年間(701年 - 704年)に数河に住んでいた新羅の僧が、獅子が乱れる姿を獅子舞にしたものを後世に残し、17世紀に現代の姿になったものとされている[94]

般若踊は、般若経を広めるために踊られたと伝えられており、緩やかで素朴な踊りが特徴である[92]

施設

スキー場・キャンプ場ゴルフ場フィールドアスレチック遊歩道などのレジャー施設が整備されている[3]。また、付近にひだ流葉スキー場(神岡町)がある[95]

アクセス

道路を利用した場合、飛騨清見IC東海北陸自動車道)から約28 kmの距離にある[20]飛騨古川駅からの所要時間はタクシーで約20分[20]

脚注

注釈

  1. ^ 戸市川は、一級河川神通川(宮川)水系の川[10]。河川延長は約8,500 m[10]流域面積は20.5 km2[11]。上流端は古川町数河の府県野・小島で[12]、飛騨市内で宮川に合流する[13]
  2. ^ 流葉山は、旧神岡町と旧宮川村の境に位置する山[16]
  3. ^ 25町=2,727.27 m
  4. ^ 1町56間=210.91 m。
  5. ^ a b c d 『斐太後風土記』によれば、毎春に1,500貫(約6トン)のタケノコが数河から産出され、「菅生筍」として現在の高山市、飛騨市(古川町・神岡町)などで販売されていた記録がある[21]。昭和30年代ごろまでは多く採られていたが、若者の流出や会社勤めの住民が増加したことにより、生産量が減少していた[21]
  6. ^ a b 国道41号は1966年(昭和41年)3月1日に一般国道として指定され[22]、1968年11月22日に全通した[23]
  7. ^ 長い下り坂で過熱したブレーキが利きにくくなったことによる事故が多かった[27]
  8. ^ スリップ事故は凍結状態の坂道で多発していた[29]
  9. ^ 数河峠手前(古川町戸市)のヘアピンカーブ2か所では、高山方面から来た車が峠道を上る途中、減速が不十分でカーブを曲がり切れずに起こす事故が多かった[36]。そこで、飛騨警察署の交通課長が登坂車線を緑、走行車線を赤に舗装し、車を登坂車線に誘導して速度を落とさせようと提案し、実現した試みである[36]
  10. ^ 登坂車線を含めた復旧は約1か月後[38]
  11. ^ 野口村・末真村・岩丸村・戸市村[17]・西村[15]
  12. ^ 1998年には、藤井の功績を称えて彼の胸像が建てられている[45]
  13. ^ スキー人口は1980年代後半からのスキーブームを契機に増加し、「ロマンスの神様」(広瀬香美)がヒットした1993年(平成5年)にピーク(1,860万人)を迎えたが、以降は減少傾向にあり、2011年は630万人に減少している[49]
  14. ^ 東海北陸自動車道の飛騨地方延伸(1999年11月)以降はスキー客の増加が期待されたが、実際には飛騨地方よりアクセスの良い奥美濃地方に客が流れていた[50]
  15. ^ 「お助け水」とは、高山(こうやま)の中腹[18](洞穴)[56]から下数河に湧き出る湧水[18]。水温12℃[18]の軟水[56]。かつて日照りに困っていた村人たちが高山の山頂で雨乞いをしたところ、雨の代わりに湧き出したという伝承があり、地元住民だけでなく、遠方(東濃地方・名古屋方面)から汲みに来る者もいる[18]。2004年ごろから、木村飲料が「お助け水」を加工したミネラルウォーターを「飛騨湧水」の商品名で販売している[56]
  16. ^ ワサビは(2006年から)20年ほど前には数河地区の各地に自生していたが、乱獲のためかほとんど採れない状態になっていた[56]
  17. ^ スキー以外のスノースポーツ(スノーボード・スノーモービル・4輪バギーなど)も可能だった[58]
  18. ^ 1985年(昭和60年)ごろには、名鉄バスセンターから毎日21時にスキー場への直行バスが運転されていた[61]
  19. ^ 「スノーランド」時代は年間約26,000人の利用者がいたが[51]、奥飛観光開発の撤退直前の入場客数は10,000人台(バブル期の3分の1程度)と低迷していた[43]
  20. ^ 奥飛観光開発は町の仲介を受け[58]、リフト(2基)・レストラン・無料休憩所などの施設を、すべて無償で民宿経営会社に貸与していた[43]
  21. ^ 毎週月曜日に女性や子供のリフト料金を無料とするなどの営業施策で誘客を目指したが[58]、1999年度の利用者は約9,400人、2001年度は(大雪により伸び悩み)約8,500人[51]
  22. ^ 「パルクすごう」としてのリニューアル当時は3年間様子見する予定だったが、1年間営業を延長し、地元の旅館などの支援で不リフト設置・イベントなどを続けていた[51]
  23. ^ 男性133人+女性104人(家数62)[17]
  24. ^ 男性136人+女性95人(家数63)[17]
  25. ^ 101世帯[14]。世帯・人口など統計上の数字は、原則として昭和50年の国勢調査を基本としている[81]
  26. ^ 男性156人+女性167人(94世帯)[82]
  27. ^ 男性142人+女性134人(100世帯)[83]
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  30. ^ 男性94人+女性71人[80]
  31. ^ 1773年(安永2年)の村明細帳によれば、田14町4反余はすべて稗田で、焼き畑は5町9反余とされている[17]

出典

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参考文献

関連項目

外部リンク

座標: 北緯36度17分54.69秒 東経137度12分58.13秒