莚

概要
[編集]広義の莚(むしろ)は、藁莚(わらむしろ)、茣蓙(ござ)、畳表、菰(こも、薦)などの総称をいう[1]。「ゴザムシロ」や「コモムシロ」などの呼称があり明確な区別はなかったと考えられている[1]。ただし、10世紀の『倭名類聚抄』では竹製のものに「筵」、こも製のものに「席」を当て、材料により異なる漢字を用いていた[1]。
狭義の莚(むしろ)は稲わらを材料にしたものをいう[1]。正徳2年(1712年)成立の『和漢三才図会』には藁莚(わらむしろ)は農家では最も多用される敷物であると解説している[1]。
歴史
[編集]先史時代(文字で歴史が記録されるようになった有史時代よりも前)から使用されてきたと考えられている[1]。近世になり農山村民が製莚を副業で行うようになった[1]。
百姓一揆では莚を旗印とした莚旗が掲げられたという。近代以前まで布地、それも旗印にできるような大面積のものはそれなりに高価で、代わりに農民が容易に入手できる莚を用いたのである。現代においても農事関係のデモや抗議行動などがあると象徴的に莚旗が言及されたり、実際に仕立てられることもある。
権力への反乱である一揆の莚旗は後世に残るようなものではないが、それ以外のやはり農民たちによる雨乞いの祭儀で奉納された莚旗が伝存しているものがある。
江戸時代に綿布が普及するまで、和船の帆は莚帆が用いられていた。これにちなんで廻船問屋などでは看板として莚旗を用いることもあった。
製作
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筵道
[編集]天皇や貴人が歩く道筋や神事で祭神が遷御する通り道に敷く筵の道のことで、筵の上に白い絹を敷く場合もある[2]。「えんどう」または「えどう」と言う。平安時代に宮中で舞が演じられる際に庭に敷かれる筵の道も筵道と呼ぶ[3]。春日大社の式年造替で仮殿の「移殿(うつしどの)」から本殿まで祭神が通る道に敷かれるものは「清薦(きよごも)」と呼ばれ、明治以降は同大社の旧神領の農家が稲わらで作ってきた[4]。これは神職が正遷宮前に精進潔斎のために泊まる斎館にも敷かれる。出雲大社の涼殿祭(すずみどのさい)では筵道に真菰が敷かれる。
用途
[編集]莚(むしろ)は建設資材として、コンクリート打設時の湿潤養生資材[5]、法面の被覆、緑化工事の材料など幅広く用いられている[6]。
脚注
[編集]- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 今石みぎわ「莚と莚織りの技術」『無形文化遺産研究報告』第6号、東京文化財研究所、2012年、55-69頁、doi:10.18953/00003156、2020年3月20日閲覧。
- ↑ 『大辞泉』えんどう(筵道)
- ↑ 第49回 『年中行事絵巻』巻十「女踏歌」を読み解く絵巻で見る 平安時代の暮らし、三省堂、 2016年 5月 21日
- ↑ 筵道に清薦敷き詰め - あす正遷宮 祭神が本殿へ/第60次春日大社式年造替 奈良新聞、2016年11月5日
- ↑ 坂田昇, 柳井修司, 坂井吾郎, 中谷行博「土木工事における施工、養生時の暑中対策」第51巻第5号、日本コンクリート工学会、2013年、doi:10.3151/coj.51.453、2020年3月20日閲覧。
- ↑ “「緑化工法」 - 最適な工法を選ぶ”. いさぼうネット. 2020年3月20日閲覧。