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二条政嗣

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二条政嗣
「摂家二條家墓基礎調査報告書」同志社大学歴史資料館
時代 室町時代 - 戦国時代初期
生誕 嘉吉3年(1443年
死没 文明12年9月2日1480年10月14日
官位 従一位関白左大臣
主君 後花園天皇後土御門天皇
氏族 二条家
父母 父:二条持通、母:雅兼王の娘
兄弟 政嗣政覚持厳空済
水無瀬兼子(水無瀬季兼の猶子)
尚基性守一条冬良
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二条 政嗣(にじょう まさつぐ)は、室町時代から戦国時代初期にかけての公卿関白二条持通の長男。正室は水無瀬季兼の猶子(細川教春の娘)・兼子。従一位。如法寿院関白と号する。

生涯

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康正元年12月8日(1455年)に元服、家の慣例により室町幕府第8代将軍足利義政より偏諱を賜い、政嗣と名乗る。

同年、正五位下に叙任。康正3年(1457年)叙従三位

寛正7年(1466年)正二位右大臣、さらに応仁2年(1468年)左大臣にすすみ、文明2年(1470年)関白氏長者となる。文明6年6月19日従一位

文明12年9月2日、38歳で薨去。

系譜

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参考文献

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