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九条経教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
九条 経教
時代 南北朝時代 - 室町時代初期
生誕 元弘元年/元徳3年(1331年)
死没 応永7年5月21日(1400年6月13日)
改名 経教→祐円(法名)
別名 号:後報恩院
官位 従一位、関白、内覧、左大臣
主君 後醍醐天皇→光明天皇→崇光天皇→後光厳天皇→後円融天皇→後小松天皇
氏族 九条家
父母 父:九条道教[1]
母:大宮季衡の娘
兄弟 孝尊、経教
妻 冷泉定親の娘、三条実忠の娘
子 忠基、教嗣、孝円、満家、経覚、道尊、仁意
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九条 経教(くじょう つねのり)は、南北朝時代から室町時代初期にかけての公卿。関白・九条道教の子。官位は従一位・関白・左大臣。九条家10代。法名は祐円。後報恩院と号した。

経歴

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建武2年(1335年)に元服し、翌建武3年/延元元年(1336年)に侍従に任じられた。暦応元年/延元3年(1338年)北朝方の公家として従三位に叙せられ、暦応4年/興国2年(1341年)権中納言に任じられる。その後権大納言を経て、貞和3年・正平2年(1347年)右大臣、貞和5年/正平4年(1349年)左大臣、延文3年/正平13年(1358年)関白と昇任し、藤氏長者となる。

延文5年/正平15年(1360年)左大臣を辞し、翌康安元年/正平16年(1361年)には関白も辞任している。応永2年(1395年)室町幕府3代将軍・足利義満の出家と共に経教も出家した。

応永7年(1400年)薨去、享年70。

官歴

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『公卿補任』による

系譜

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脚注

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  1. ↑ 『諸家伝』の記載によれば、経教は実際には二条道平の子であるが、『尊卑分脈』、『公卿補任』、『系図纂要』、宮内庁書陵部蔵『華族系譜』と矛盾するため、採用しない。
  2. ↑ 『二尊院志稿』
  3. ↑ 『系図纂要』
  4. ↑ 辻川達雄『蓮如と七人の息子』誠文堂新光社、1996年
  5. ↑ 『大乗院門跡次第』『諸門跡伝』