九条尚経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
 
九条尚経
時代 室町時代戦国時代
生誕 応仁2年11月25日1469年1月7日
死没 享禄3年7月8日1530年8月1日
改名 尚経→行智(法名)
諡号 後慈眼院
官位 従一位関白左大臣
主君 後土御門天皇後柏原天皇
氏族 九条家
父母 父:九条政基、母:従三位智子(姓不明)
兄弟 尚経細川澄之
三条西保子(三条西実隆の娘)
稙通家輔、尋円、経子、善吉
テンプレートを表示

九条 尚経(くじょう ひさつね)は、室町時代戦国時代公卿九条家第15代目当主。九条政基の長男。母は従三位智子(姓不明)。後慈眼院と号す。法名は行智。道号は花渓。「尚」の字は、将軍足利義尚より偏諱を賜ったものである。

経歴[編集]

九条家が最も没落した時期の当主で、明応5年(1496年)、父とともに家司唐橋在数を殺害し、勅勘に処せられた。その後許され、文亀元年(1501年関白藤氏長者となる。永正3年(1506年)に左大臣となり、同11年(1514年)には従一位に叙せられる。享禄3年(1530年)、63歳で死去し、東福寺で葬礼が行われた。

日記『後慈眼院殿記』及び有職故実書『後慈眼院尚経公装束抄』を著した。

参考文献[編集]